望まぬ狂気
藤原 雪音は見知らぬ場所に転移していた。
彼女がその状況で最初にした事は、周囲を見渡し、真瀬 愛美の安全を確かめる事だった。
周囲に真瀬 愛美が居ない事を確認すると、次に敵を探した。
彼女が現れた場所はうす暗く、遠くまで見通す事は叶わなかった。
床を触ると、ざらざらとした砂のような感覚を覚え、所々に窪みを感じた。
周りを見渡しても特筆すべき物はない。
「ああ、ああ、ようこそ!私のサーカスへ!」
周囲の何処からか声が聞こえる。
彼女はその声の主を探そうとしたが、見つからない。
「おや、おや、お一人足りない様ですね?おかしいですね。なるほど、おかしくありません。何故ならば『Cursed Circus』、つまり『呪われた円環』だからです!」
「は?」
藤原 雪音には理解できない。
理解するだけの経験を積んでいない。
何故ならば彼女は日常からの延長線上でここに居るからである。
圧倒的な情報アドバンテージの欠落。
それが彼女の弱点であろう。
「ふむ、ふむ、どうやら知識が足りていないご様子ですね。理解が出来ぬまま狂気の海に飲まれるというのは実に可哀そうだ。」
「へぇ、私に勝てると思っているのか。イカれてるな。」
だが、言い換えれば彼女の弱点はその程度しかない。
彼女は『U・F・O』の右腕で自身の足元を殴った。
あたり一面に巨大な亀裂が走る。
それはまるで蜘蛛の巣の様で、しかしそれよりもっと苛烈な模様であった。
「ほう、ほう、凄まじい『能力』ですね。ですが無意味であると伝えましょう。」
だがこのありさまを見ても、道化師の声色から余裕さが消える事は無かった。
「あなたの右腕、呪われましたよ。」
「っ!」
彼女は思わず自身の右腕を見た。
そこにあったのは無数の黒。
一見斑点に見えるが、よく見れば文字の様だとも受け取れる。
黒い呪詛が彼女の右腕にびっしりと張り付いている。
一瞬遅れて彼女の右腕が重くなる。
「おお、おお、そういったタイプの呪詛ですか。どうやら呪われた事を認識した瞬間に発動する呪詛のようですね。」
「自分の『能力』を把握していないのか?」
「ええ、ええ、これには個人差がありますので。」
「敵によって効果が変わるってことか? よくそんなカスみたいな『能力』で私に勝てると思ったな。」
「いえ、いえ、違います。私達の呪詛は私達次第で決まります。」
私達。
その言葉で藤原 雪音は周囲に仲間が隠れているかと疑った。
しかし、そうではない。
「私達は呪詛の塊なのです。最初こそ一人の呪詛でしかありませんでした。しかし、その呪詛によって殺された人間が新たな呪詛を生み出し、また更に人間を殺す。そうして呪詛が呪詛を生む。これが『Cursed Circus』。呪詛は転じ、また呪詛と成る。そうして数多の呪詛がこの空間に満ちているのです。」
藤原 雪音は重い右腕を抱えながら、ここからの脱出方法を探した。
道化師の言葉を完全に信じた訳ではないが、これが真実であれば苦しい戦いを強いられる。
だが、そこにも活路はある。
「呪詛って奴をお前は完全に操れるのか? 無理だよな。だって何の呪詛が発動したかも分からねぇんだからよ。」
「そう、そう、その通りでございます。呪詛は全てに敵対しますから。」
「疑問なんだが、じゃあ何でお前は攻撃されないんだ? 私はこう考えた。お前が最初の呪詛なんだろ? だからどの呪詛よりも強く、全てを跳ね除ける。」
藤原 雪音は右腕を振りかぶった。
自身の胴体に向けて。
「な、なにを!」
呪詛が広がる。
彼女の血管を通り、呪詛が広がる。
彼女の身体が重くなっていく。
だが、それを『U・F・O』によって支える。
呪詛を込め、もう一度『U・F・O』の拳を振りかざした。
今度は空間に向けて。
「この空間に呪詛が広がってるって言ったよな。それに呪詛は全てに敵対してるってことも。だったら、呪詛に塗れた体で空間を攻撃すれば、この空間も壊せるんじゃあないか?」
空間に黒い呪詛が広がる事で、空間が質量を持つ。
『U・F・O』が殴った先から空間は歪み、その歪みが新たな物質を生み出す。
呪詛の塊。
「呪鬼!」
藤原 雪音は『Cursed Circus』からの脱出に成功した。
だが、まだ完全ではない。
「ああ、ああ、なんてことですか。私の、私の、サーカスが。こんな、こんな、こんな姿にぃぃ!!」
そこは赤い廊下だった。
『闇市』のオークション会場、その廊下だ。
二つ違う点を挙げるならば、先ほどいた廊下とは違って天井が壊されたりしていない点と、廊下の先に別の空間が広がっているという事だ。
それが『Cursed Circus』の空間である。
「やっぱり雑魚だったな。」
藤原 雪音はその空間に立ち向かった。
そこに塵が集まっていくのが見える。
そして、仮面を被った男が生成された。
「やっと本体が出てきたか。てか、ここどこだ? さっきとは違う所みたいだし。」
「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない、呪ってやる!」
呪詛に汚染された大気が広がる。
大気に刻まれた呪詛は膨張。
徐々に気圧が上昇する。
仮面の男は更に両手を前に差し出し、その手に呪詛が広がる。
手に刻まれた呪詛は溶解。
また違う呪詛だ。
彼の手は溶解し、液体となり地面に散らばる。
「おい! 呪詛何個も使えんのか!?」
仮面の男は答えない。
藤原 雪音の胸中に僅かな焦りが生まれる。
だが、彼女はここで引くわけにはいかない。
呪詛に塗れた肉体を引きずり、仮面の男に近づいた。
男の両手だった液体が動き出す。
その液体に更なる呪詛が刻み込まれた。
液体に刻まれた呪詛は加速。
その呪液は藤原 雪音に向かって加速する。
彼女はそれを、『U・F・O』で殴り、霧散させる。
だが霧となっても尚、加速をやめる事はない。
はずであった。
霧が止まる。
呪詛は矛盾できない。
加速の呪詛が刻まれた物体は加速し続けなければ消滅する。
霧が晴れた時、藤原 雪音の両腕が黒く変色していた。
彼女は自身に刻まれた呪詛を全て両腕に移したのだ。
そして、呪詛は強くなる。
彼女に刻まれた呪詛は質量。
呪詛は伝播し、全てを呪う。
呪鬼。
彼女が殴った部位は質量を加えられ、全てが止まる。
彼女はまた、空間を殴った。
空間が質量を持つ。
質量があるのならば、物理的な干渉が可能となる。
空間が割れる。
仮面の男に向かって、綺麗な線状を描いた。
その瞬間、空間に呪詛が広がる。
空間に刻まれた呪詛は反転。
空間は歪み、裏返る。
だが、一瞬だけだ。
反転を更に反転すれば元に戻る。
だが、その一瞬で空間は僅かにずれた。
藤原 雪音は『U・F・O』の右腕を振るった。
大気に呪詛が移り、超質量を持った大気が仮面の男に目掛けて飛んだ。
呪詛が仮面の男に刻まれた。
彼に刻まれた呪詛は崩壊。
仮面の男は量子レベルで分解され、また再構築される。
現れた場所は藤原 雪音の背後。
彼女はすぐさま背後を殴り、しかし仮面の男はまた崩壊した。
次に現れたのは彼女の右隣り。
彼女はまた殴り、やはり仮面の男は崩壊する。
また、仮面の男は現れた。
(なんだ? 私にもこの男にも決定打がない。)
藤原 雪音は現れる仮面の男を殴りながら考える。
(こんなの無意味だ。だが、私には質量の呪詛がある。この呪詛はこの男を少しづつ削っている。こいつ……、何を考えている?)
彼女の拳に合わせて仮面の男は崩壊する。
だが、崩壊しても完全に回避することは不可能である。
また、仮面の男は現れた。
(この状況を理解していない訳がない。私でも分かる事を攻撃されているこいつが分かっていないはずがない。削れるのは想定済みか? だが、この状況で更に出来ることなんて……。)
崩壊した状況で動くのは困難だ。
だからこそ、仮面の男は逃げられない。
彼はもう、詰んでいる。
藤原 雪音はそう、直感している。
(いや、まて。じゃあ何で最初の崩壊で私に近づけたんだ? 崩壊しているのになぜピンポイントで近づけたのか。いや、まさか……。)
彼女の頬に一筋の汗が流れる。
妙に汗が出る。
いや、水分が気化しない。
大気に刻まれた呪詛は膨張だ。
気圧が上がっていた。
気付かない程ゆっくりと、だが確実に。
また、仮面の男が現れた。
藤原 雪音は彼を殴らなかった。
「おやぁ、殴らないんですか? さっきみたいに。出来ない訳ではないでしょう? まだ人体に害が出る程気圧は上がっていませんからねぇ。」
「何を考えている?」
「あなた、手を見てみたらどうですかぁ?」
藤原 雪音が自身の手を見ると、そこには相変わらず呪詛が刻まれていた。
だが、薄くなっている。
「呪詛を解除できるのか。で? これで勝った気か?」
「いえぇ? 解除なんてできませんよぉ。呪詛は呪えば呪うほど効果を失う。大気に刻まれた呪詛も、だんだん効果が薄くなってきているんですよぉ。気圧の上昇速度がゆっくりにねぇ。」
「で? 何が言いたいんだ?」
「いえね、呪詛の効果が薄くなれば膨張速度が遅くなります。しかし、呪詛の効果が完全に切れたらどうなると思いますか? 膨張が元の体積に戻るんです。」
「だから、何が……。まさか!」
大気に刻まれた呪詛が薄くなる。
直ぐに大気は元に戻るだろう。
それに伴って、気圧も普通の状態になる。
「減圧症ってご存じで?」
大気の呪詛が切れた。
気圧が一気に低下する。
藤原 雪音の血管から血が噴き出る。
彼女の視界が暗転し、意識が飛ぶ。
その一瞬を突き、仮面の男は崩壊させた肉体を藤原 雪音の体内に潜りこませた。
次に彼の肉体が現れるとき、藤原 雪音の身体は木っ端みじんになるだろう。
これで、終わりだ。
藤原 雪音は寝転んでいた。
地面はごつごつとした岩場、周囲には熱気が立ち込める。
彼女は地面に寝たまま目を開ける。
「なんだここ。地獄か。死んだかー。呆気ないなー。まあ、しょうがない。諦めよう。」
彼女はそのままの姿勢で周囲を見渡した。
右方向には巨大な火山があった。
その火山は常に噴火していて、溶岩が山を包み込んでいた。
左方向には驚くほど何もない。
ただ一つ、橋が見えるだけだ。
「ふむ、やっぱり地獄か。写真撮ろっかな。映えそう。映えないか。」
彼女はポケットからスマホを取ろうとしたが、そこで彼女は何も身に着けていない事に気が付いた。
「裸かよ。まあ、地獄だしそうか。」
彼女は起き上がり、自身の身体を見た。
そこで、異様な光景が現れた。
黒い霧が集まってきたのだ。
これは『U・F・O』の霧だ。
それが塊となり、姿を成す。
彼女の上に跨るように、人型の頭に二本の角が生えたように形成される。
鬼。
「何?」
鬼は右を指した後に、右肘を上に向けて屈曲させた。
「なるほど。」
鬼は頷いた。
「なるほどね。」
藤原 雪音もそれにつられて頷く。
(なるほど、分からん。なんだ? こいつ。『U・F・O』じゃないのか?)
彼女は暫く考えたが、また横たわった。
「うん、どうせもう死んでるし考えても無駄か。」
鬼はやれやれという様に肩を竦め、立ち上がった。
そのまま横たわる藤原 雪音を引きずって、橋の方向へ向かった。
「え? え? 何?」
鬼は歩きながら、起き上がるようなジェスチャーをした。
「え、もしかして生き返る? でも生き返ってもなぁ。あいつ強すぎ。」
鬼は立ち止まり、地面に倒れる藤原 雪音を見た。
そして、サムズアップをした。
「え、まじ? そんな感じか。頑張れってこと? 出来るかなぁ。」
鬼は人差し指を斜めに下した。
そのあと人差し指と中指の第三関節だけを伸ばし、それ以外の指関節を曲げた。
そして、小指を立てて他の指を親指で纏めた。
最後に握り拳を弱弱しく振り下ろした。
「分かんねぇよ! 喋ろ? ね? 無口キャラは今時流行らないよ?」
鬼はサムズアップをし、それを下向きにした。
「ブーイングすんな。」
鬼は彼女を無視して歩き出した。
藤原 雪音にも抵抗する気はなく、されるがままに引きずられている。
そのまま橋の近くに近づいて行った。
橋の下には川が流れていた。
その川はどす黒く濁る、見る者を不安にさせる様な川だった。
「なにこれ、三途の川?」
「その通りだ。」
鬼が喋った。
「は? 喋れんならさっさと喋れよ。」
「ここだから喋れるんだ。」
「そうか。」
「すまん、適当言った。」
「死ね。」
鬼は口早に話し出した。
「あと少しで生き返る。時間が無いから手短に説明するぞ。」
「じゃあ、さっきの時間無駄だろ。」
「この世に無駄な事なんてない、だったか?」
「チッ。」
藤原 雪音が舌打ちをすると、鬼は本題を話し出した。
「呪詛は雑魚だ。というか、大抵の『能力』は雑魚だ。鬼と比べたらな。あとお前も雑魚だ。」
「はーっ死ね!」
「鬼の因子を見つけろ。それで全てが完成する。完成させろ。」
突然、藤原 雪音の身体が浮き上がる。
「時間が来たか。まあ、あとは頑張れよ。」
「んな適当な……。」
「知ってるか? 適当の正しい意味はふさわしい、とかなんだぜ? つまり誉め言葉だ。」
「じゃあ死ね。」
鬼は藤原 雪音に向かって手を振った。
「じゃあな。」
その瞬間、鬼も浮かび上がった。
「ぷっはー! お前だっせー! 完全に別れの雰囲気だったろ。」
「よく考えたら俺はお前の『能力』だったな。別れる訳ないか。」
二人して天上へと昇っていく。
上へ、上へと。