9、王妃の仮面と作られた笑顔
2人のテーブルに並べられたのは、豆煮込みのシチューとフライドポテト、ライ麦のパンにソーセージ。そしてポークリブが運ばれてきた。
「私、街で買い食いはした事あるけど、お店に入ったのは初めてだわ」
「そうなんだね。俺は軍の訓練で野戦食とか、行軍食とかで色々食べたよ」
先ずは豆煮込みのスープに木彫りのスプーンを潜らせすくう。
豆や野菜、くず肉をしっかり煮込んだ濃厚なスープだ。
「……美味しい……」
「ホントだ。美味いね」
ポークリブなど手掴みで食べる事は初めてで少しドキドキしたけれど、これもとても美味しい。
ジャガイモを揚げるとこんなに美味しくなる事も驚いたし、スパイスのたくさん入ったソーセージは薄味でソースを絡めて食べる様な肉とは違い刺激的な味でこれも美味しい。ライ麦のパンは噛み応えのある硬さでいつも白くて柔らかいパンを食べているのでこれにも驚く。だけどこの噛み応えのあるのがリリエには楽しくて、これも美味しい。
色々感想を言い合いながら手を汚して食べる食事は、今までの生きてきた中で一番楽しい瞬間だった。
「はあ、美味しかった……。お腹いっぱいになっちゃった」
「うん、凄く美味かった」
2人は食後に出してもらったハーブティーを飲みながら向かい合った。
「……ねえ? そろそろ教えて? 本当に先生達の中に反王派がいるの?」
「正直な所、確証はないんだ。ただ、反王派はリリエ・エーディット・クラヴァード誘拐計画を企ててるって確かな情報があるんだ」
リリエは息を呑む。
「そ、それでレクスが護衛に来る事になったの?」
「うん。君を誘拐して女王擁立に賛同させてクーデターの旗印にするみたいだよ?」
リリエは絶句した。
反王派の動きはもっと緩やかなもので、自分がレアンドロ王子殿下の婚約者になった時点で一応の決着がついているのだとどこかで思い込んでいた。
改めて自分の持つ血統がとても厄介な代物だと悄然とする。
だけど、そんなものに振り回されたくない。
リリエはレクスに真剣な眼差しで訊ねた。
「……今日のあの取引、レアンドロ殿下がマークしてた王都の大物の出入りの商人の仕業なのよね? という事は反王派の筆頭とヴァルタリアの不正は関係あると?」
「うん。俺はそう思ってるよ。まだ何の確証も無いけどね」
レクスはハーブティの入ったカップをテーブルに置いた。
「反王派に送ったスパイが入手した情報では君の誘拐計画には君を連れ去る方法だけが明確に記されてないんだ。それはいつでも簡単に君を連れ出せる立場を確保出来ているからじゃないかと思った。そして君の身近な他人と言えば教師達しかいないでしょ?」
先生達の中にはもちろん、気が合う人も少しそりが合わない人もいるけれど、自分に教えてくれる事に関して、全員間違いなく熱意を持って執り行ってくれていた。
だからこそ戸惑うけれど、きっと反王派にとって自分は現王権を正当な理由でひっくり返せるたった1つの可能性なのだろう。だとすれば、熱意を持って授業するふり位出来る筈。
「……私、先生達に少し揺さぶりをかけてみるわ」
レクスは眉を軽く寄せてリリエを見つめた。
「……何をする気なの?」
「先生達の授業を聞いてるとね、それぞれに凄く個人的な思想があるの。それぞれがそれぞれの信念と理念を明確に持っていらっしゃる。だからこそ私ね、思うの。反王派の先生達も一枚岩じゃないんじゃないかって」
「うん、現王権に不満があるからと言ってその目的も思想も同じとは限らないね」
「そうでしょう? だからこう聞けば、先生達に揺さぶりをかけられるんじゃないかなって」
「……なんて聞くの?」
「先生方の中にもそれぞれ異なるお考えがあるのでしょう? 全員が同じ方向を向いているとは限りませんものね?」
「……その反応を見て、アタリをつけるって事?」
「ええ。もちろん授業でも揺さぶるけど……、本命は先生達全員が集まる時、1週間後のノエリアお義姉様の誕生日パーティ。ここで全員にこの言葉をかけてみるわ。そしたらレクスも一緒に全員の反応を見られるでしょ?」
「……うん、いいね、それ。何か掴めるかもしれない」
「大きな収穫はないかもしれないけど、私の変化を感じ取って反王派の先生達には揺さぶりをかけられるかもしれない。そしたら先生達は焦るでしょ? そこに必ず隙が生まれるもの」
「……それはリリーが危ない目に合うリスクを上げるって事だよ?」
真剣な声音で訊ねるレクスに瞳だけで笑って見せた。
そしてハーブティーの入ったカップを手に取って口にすると、答えた。
「レクスが守ってくれるんでしょ?」
この酒場には似つかわしくない、王妃の仮面の笑顔で。
レクスは驚いた表情を見せて、そして恭しい笑顔をリリエに返す。
「ええ、命に代えましても」
ガヤガヤと話し声で賑やかな酒場の中に在って、二人の醸す凛とした雰囲気は異質なものとして映った。
互いだけの静かな時間が確かに流れ、どちらからともなく静かに立ち上がった二人は【宵の灯】を出て帰路に就いた。
いつの間にか手を繋いで歩く二人を蒼く冴えた半月が見下ろしている。
月明りに照らされながらてくてくと商人街から職人街へと歩き、今朝待ち合わせた石碑の前まで辿り着く。
「……レクス? 今日はホントに楽しかった。今までの人生の中で一番楽しかった位よ」
「うん、俺も楽しかったよ。……楽しいなんて感じたの初めてだ」
レクスの真剣な声に思わずまじまじとレクスを見た。
「……初めて?」
「うん。……リリエには言っておこうかな。俺ね、生まれつき感情が凄く希薄なんだ」
「? 感情が?」
「うん。自分がどう感じてるか、よくわからないんだよね」
レクスの告白は、リリエの中でピースがはまる様に腑に落ちた。
今までレクスに対して持ってた違和感は「作り物めいた」笑顔だ。
凄くうまく隠せているけどどこか仮面の様な。そう、自分が王妃の仮面を被っている時と少し似ている。
「あまりリリエは驚かないんだね」
レクスは人懐こい笑顔を向けてリリエに訊ねた。
「……うん、なんとなく、分かってた。多分私も同じなんだわ。私のは後天的な様に思うけど」
「……俺の事、怖くない?」
「どうして? 怖い訳ないわ」
「……そっか。ならいいんだ」
レクスは少しだけ嬉しそうに笑った。
「さ、そろそろタイムリミットだ。気をつけて帰って」
「ここまで送ってくれてありがとう。レクスも気を付けて帰って」
二人は取り合った手を離した。
そして半月の明かりを頼りに歩き出したリリエをレクスは優しい眼差しで見送る。
リリエは振り返って、大きく手を振る。
レクスはそんなリリエに手を振り返した。
廃屋に辿り着き、抜け道を通って隠し倉庫への扉を開くと、イグナツが待ってくれていた。
「おやおや、夜遊びはここまででようございましたか? お嬢様」
「……ありがとう、イグナツ。本当に助かったわ」
「なになに。礼には及びませんぞ。カスタバル一本で手を打ちましょう」
「まあ、礼には及ばないんじゃないの? ……わかったわ。カスタバルね」
カスタバルはモトキス王国の伝統的な製法で作られた庶民には少しお高めのウイスキーだ。リリエのお小遣いでも充分手が届く範囲のお礼は、イグナツのさり気ない優しさだ。
「……ねえ? レクスってどういう人なの? イグナツは知ってるんでしょ?」
「ふむ。爺めも詳しくは存じませんがな。元はチェスラフの騎士時代の戦友の紹介だという事ぐらいで」
「戦友?」
「何でも大昔の反乱の鎮圧にチェスラフと王軍の騎士団が派遣されて共同戦線を張ったらしく、その折に懇意となったと聞き及んでおりますぞ」
「そうなの……」
「その戦友の紹介ならば間違いないとあのチェスラフめが申すほどですからな」
「なら、イグナツからみたレクスってどう思う?」
イグナツは顎を撫でながら少し考え込んでリリエに答えた。
「底が知れませぬな。あの年頃の少年としては異常な程落ち着いている……。これが爺めの感想です」
リリエはその答えに、やっぱりイグナツは人を見る目があるなと感心した。
レクスは失感情症。訓練で社交性やコミュニケーション能力を身に着けた。