8、月の下の決意
レクスはゆっくりとリリエの口を塞ぐ掌を離した。
「あのね、レクス、私ね……」
二人は向き合う。
レクスはにっこりと笑いリリエの唇を人差し指で優しく押さえる。
「ねえ、リリー? 一緒に冒険する?」
リリエはその表情に疑問を乗せ、レクスを見つめた。
「でも冒険に出れば困難が待ち受けてるし、怖い怪物が出てくるかもしれない。城の中で何も知らずにいれば君が得られる筈の幸せをただ享受できる。このまま進めばそれはその手からすり抜けるかもしれないよ?」
その言葉でレクスが何かを追っている事が察せられた。そしてそれを知ってしまえばもう後戻りはできない。
しかしリリエは笑う。それは今までの彼女では有り得ない様な不敵な笑みだ。
「私がそんな覚悟もせずに、ここにいると思うの?」
そう、父がもし不正を働いているのなら、自分の立場は危うい。今まで受けてきた王妃教育は全て無駄になるかもしれない。でもそんな事は領城を抜け出す前に覚悟してきた事だ。
レクスはそんなリリエを見て一瞬驚き、そして同じ様に不敵な笑みを返した。
「うん、やっぱりリリーは悪い子だね。いいよ。一緒に行こう」
リリエはレクスの言葉に今度は年相応の女の子の悪戯を思いついた時の様な笑顔で応えた。
レクスの言葉はリリエを沸き立たせる。
今まではこんな風に自分の感情を自由に出す事など許されなかったけど、心弾む言葉をくれて窮屈な檻から抜け出した様な開放感を心に与えてくれる。
今までの自分の頑張りを否定なんてしないけど、それだけじゃない自分を知る事が出来て心地がいい。
そして自分がこんなにも冒険にワクワクする気持ちを持っていた事に驚きもした。
「おい! 次の荷馬車が着いたぞ」
4番倉庫の前で荷を積んでいる男達の声が響く。
その声に弾かれる様に2人は慎重に身を隠しながら少しだけ男達に近づいた。
この距離なら、男達の喋り声が何とか聞こえそうだ。
「この馬車で全部か?」
「ああ。3台だ。それで今回はどこに運ぶんだ?」
「エルサゼーヌ通りの6番倉庫だ」
リリエには聞き覚えのない通りの名前だが、レクスは男達から目を離さずにじっと観察している。
「積み終わったか?」
「ああ、じゃあ行ってくれ」
「次の便は明後日だ」
御者の男が鞭を振るうと馬の嘶きが響いて車輪が軋み、荷馬車が動き出した。
3台の荷馬車が同じように動き出し、去っていく。
「……荷がなんだったか、わからなかったわね」
「うん。でも収穫はあったよ。エルサゼーヌ通りは王都の倉庫街の外れにあるんだ。あの荷が確実に王都に流れている事はわかったね。6番倉庫の所有者を調べてもらわないと」
「……レクスは誰を追ってるの?」
「ん? 反王派だよ?」
レクスは何のこだわりもなくリリエに告げた。
「……そんなに簡単に教えてくれるとは思ってなかったからびっくりしちゃった」
「だって、一緒に冒険するんでしょ? なら隠しても仕方ない」
レクスはいつもの人懐こい笑顔を浮かべてリリエに言った。
「うん。あ、因みにヴィッルートは俺が反王派の動きを探りに来たって知ってるからね。彼は信用していいよ」
「……? ちょっと待って? それって、先生達の中に反王派がいるって事なの?」
「……っ誰だ?!」
つい大きな声が出てしまった口許を今更手で覆ってしまう。
レクスはリリエを抱きしめて耳元で囁いた。
「ごめん」
そして木箱の上に押し倒してしまう。
「!!」
男達5人ほどが二人の隠れる木箱に囲まれた一角へとやって来る。
「なんだ、お前ら!」
男達に背を向けた形のレクスは振り返って言った。
「今お楽しみ中。邪魔しないでよ」
男達からリリエは少しスカートがはだけた足元しか見えていないだろう。
レクスの胸に抱かれて、心臓が高鳴ってドキドキが止まらない。
男達のリーダー格らしい体躯の大きな男が忌々し気に言った。
「……ガキがこんな所でマセた事してんじゃねえよ」
その一言で他の男達と共に背中を向けて去っていく。
その背中を見送り、男達が引き上げた事を確認すると腕の中のリリエを見下ろした。
「で、なんだっけ?」
レクスはいつもの人懐こい笑顔でお道化る様に言った。
「……っ! 揶揄ってるでしょ?」
リリエは真っ赤な顔でレクスの胸を押し返した。
「揶揄ってないよ?」
やっぱりレクスはお道化た表情のまま、リリエに手を差し伸べた。
「行こう?」
その差し伸べられた手を取った。けれどその表情は憮然としている。
「……怒ってる?」
レクスは少し窺う様にリリエの顔を覗き込んだ。
憮然とした表情のリリエはツンとそっぽを向く。
「リリー? ……ごめんね?」
それでもツンと横を向いたまま、リリエは思う。
(……別に私、謝って欲しい訳じゃないのに……)
「ね、リリー? 晩御飯奢るから機嫌直して? ね?」
(……じゃあ、なんで私、怒ってるのかしら……?)
ちろりとレクスを見上げると、眉尻を下げて困った様子でリリエの機嫌を窺っている。
自分でもよくわからない感情でレクスを困らせているのはあまりにも我儘な気がして、レクスの言葉にこくんと頷いた。
「……ご飯に釣られたんじゃないからね?」
「わかってるよ」
レクスは人懐こい笑顔を綻ばせた。
リリエもそんなホッとした様子のレクスを見て、クスクスと笑ってしまう。
「じゃ、ヴィッルートに教えてもらった美味しい酒場に行こうか」
「お酒飲めなくてもいいの?」
「うん、宿屋に併設されてる酒場だから子供でも出入りする事があるからって言ってたよ」
「ヴィッルート先生とは王都での知り合い?」
「うん。元々は奥さんに良くしてもらってたんだ」
「そうなの?」
そんな話をしながら、手を繋いだまま、二人は「宵の灯」という宿屋に併設された酒場へやってきた。
「ここみたいだね。入ろうか」
「酒場なんて初めて入るわ……」
「奇遇だね、俺もだよ」
相変わらず人懐こい笑顔でそう言うとリリエの手を引いて扉を開けて潜った。
ドアチャイムがなる。
「いらっしゃい! おや、可愛い恋人さん達がご来店だよ」
店に入ると年嵩の体格のいい女将が豪快に笑って言った。
「うん、初めてのデートなんだ。ここが凄く雰囲気良いって聞いて」
レクスのその言葉にリリエは赤くなって俯いてしまう。
すると女将はニコニコと人の好さそうな笑顔でリリエに言った。
「あらまあ、初心だねぇ~~! 娘時代が懐かしいねぇ。じゃあ、あんた達の席はここだよ」
女将が指さしたのは、灯りの煌めきが綺麗な街並みを見下ろせる窓際の席だった。
「いい席だね、ありがとう」
人懐こい笑顔でレクスが言うと女将は彼の肩をポンポンと軽く叩いた。
「こんな綺麗な子とデートなんだ、しっかりおやり」
そう言うとメニュー表を置いて立ち去って行った。
「ごめん、こんな時間に俺達みたいな年頃の男女が酒場に来る理由なんてデートくらいしか思いつかなかったんだ」
レクスは少し窺う様にリリエに言った。
「……怒ってないわ。……照れ臭かっただけ」
「そっか、良かった。俺、リリーに怒られるの苦手みたい」
「……そんなに怖い?」
「う~~ん……うん、怖い、かな? 多分」
レクスは少し考え込む様に腕を組んだ。
その様子には少し違和感があった。
レクスにはたまにこうした違和感がある。でもそれをリリエも上手く説明出来ない。
「何食べる? リリーはどんなものが好きなの?」
「……あまり食事で好き嫌いを考えた事ないわ」
「ああ、その感じ俺もわかる」
「……よくわからないから、食べた事ないものにしようかしら」
「ああ、そうだね。それはいいアイデアだ」
2人はメニュー表を見ながらお互いの食べた事のないものを打ち明け合って笑った。
この世界の成人は15歳なので、14歳って言ったら感覚的には19歳位の感じなのかな?って思ってる。