6、狼の眼光、少女の決意
この日の午後は城下に降りられる。いつもと同じように過ごしているのにいつも以上に浮かれてしまう。
今日も一人領城を抜け出して外壁の隠し倉庫に向かった。
レクスにはお使いを頼んだという体で先に街へと降りてもらった。
いつも一人で抜け出していた城下を誰かと一緒に歩くなんて、楽しみで仕方なかった。
うきうきと隠し倉庫の扉を開け、木箱を退かしてその奥の目立たない様に隠された扉を開く。
抜け道に入ってその石畳の窪みに隠してあるポーチに入った平民の服を取り出して着替えた。
急いで待ち合わせ場所の巡礼者の宿場跡地に向かう。
まるでスキップをする様な足取りで抜け道を抜けていつもの様に廃屋を出た。
そしてレクスとの待ち合わせの場所、廃屋から職人街へと続く古く整備されていない石畳を歩き、職人街へと入る少し前に、巡礼者達が宿泊していたであろう施設の並ぶ一角に辿り着く。
レクスはその中心にある、小さな石碑の前で佇んでいた。
「レクス、お待たせ」
「やあ、リリー、久しぶりだね。じゃあ、街に行こうか」
「少し待ってね」
「?」
リリエは石碑の前で軽く一礼しレクスを振り返って笑った。
「一応ね、原住の民にとっては大切なものでしょ? 礼儀はわからないけどこうしてご挨拶だけしてるの」
「そっか……。うん、良いと思う。俺もこれからそうしようっと」
レクスもリリエと同じ様に一礼する。
「さ、行きましょ? 今日は私が昼食をご馳走するわね」
「うん、楽しみだ。行こう」
二人は先ず職人街へと降りて、いつも出会う人達と挨拶を交わした。
「お? リリーじゃないか。そっちの子は見た事ない顔だね」
「こんにちは、マレクさん。彼はレクス。お城の騎士様よ」
レクスはマレクに人懐こい笑顔で挨拶した。
「初めまして、マレクさん。レクスって言うんだ。よろしく」
「よろしくな、レクス」
「ところで最近新作の開発は出来たの?」
「いいや。それがさ、鉄の値段が高騰して簡単に試作品は作らせられねえって親方に言われちゃってさ」
「そうなのね。新作のアイデアが沸いたって言ってたのに残念ね」
「また作ったらリリーにも見せてやるよ」
「ええ、楽しみにしてるわ」
レクスは何か思索するように雑踏に去っていくマレクを見送った。
「……? どうしたの?」
「……何でもないよ、考え事。さ、商人街の方へ行こう。俺お腹空いちゃったよ」
「え、ええ。じゃあ、とっても美味しいケバブのお店を知ってるの」
「いいね、行こうか」
レクスはいつもの笑顔に戻って商人街の方へと歩き出し、リリエもその後を追った。
交易路を中心に集まるバザーは賑やかで露店や屋台がひしめき合っている。
広くて街の東西に引かれた広い石畳を沢山の荷を積んだ馬車や人が行き交っている。
雑踏に紛れてしまうとはぐれてしまいそうだ。
そう思った瞬間、レクスの左手がリリエの右手を掴んだ。
「はぐれちゃいけないから」
そして手を引いて歩き出す。
こんな風に男の子と町中を手を繋いで歩くなんて……。
戸惑って何も言えず、導かれるまま歩いていたらレクスが急に立ち止まり振り返った。
「リリーの言ってたお店ってここ?」
「う、うん。そうよ。おじさん、ケバブのサンドを2つちょうだい」
店の店主は不愛想にこんがりと焼かれた大きな肉を長い刃物でそぎ落とし、それをパンに挟みソースを豪快にかけてリリエに手渡した。
そしてまた同じものを作って今度はレクスに手渡す。
リリエがお金を払い二人は道の外れにあったベンチに腰かけてそれを食べ始める。
「じゃあ、いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
レクスはケバブサンドに齧り付いた。
「あ、ホントだ。美味い!」
「ホント? よかったわ。これで一個はお礼が出来たわ」
レクスは疑問をその表情に乗せた。
リリエはクスリと笑ってその疑問に答えた。
「これは助けてくれたお礼。あともう1つは黙っていてくれたお礼」
「ああ、なるほど。でもそれはいいよ。だってこうやって一緒に出掛けてくれてるんだから」
「え?」
「俺はリリーとこうして出かけられて嬉しいよ?」
「そ、それは、私もそうだけど……」
「お礼は充分もらった。ありがとう、リリー」
レクスは綻ぶ様に笑うと再びケバブサンドに齧り付いた。
リリエもまたレクスの隣でケバブサンドを齧った。
なんとなく空を見上げたら職人街から流れてきた鍛冶の煙がモクモクと青空に溶けていく。
リリエはいつもと変わらない同じ風景なのにいつもと違うなと感じた。
それはリリエの胸の中にくすぐったいものがあるからだと気が付いて、ふと横を向くとセレスティアルブルーの瞳がこちらを見ていて、クスリと笑った。
それが何故だか恥ずかしくてリリエは俯いて再びケバブサンドを齧った。
昼食のケバブサンドを食べ終えた二人は再び散策に繰り出した。
交易で盛んな街らしくたくさんの商品が所狭しと並んでいて、二人は店を物色して楽しんだ。
「おじさん、これ鉄の髪飾りでしょ? どうしてこれとこの隣の髪飾りこんなに値段が違うの?」
何気なく入った露店の店主に聞いてみる。
「ああ、これはセリデリア産の鉄で加工してるからだよ。で、こっちがヴァルタリア産だ」
「え? 反対じゃないの? どうしてヴァルタリア産の方が高いの?」
リリエは驚きを隠す事が出来ず店主に訊ねた。
「最近のヴァルタリアはダメだ。どんどん産出量が減っていってしかもどんどん値上がりするんだ。高くてなかなか手に入らない」
今度はレクスが店主に質問した。
「それっていつからそんな話が出てきたかわかる?」
店主は腕を組んで考え込む。
「そうだな~……、ここ5、6年くらい前からじゃないか?」
リリエもまた、先週商人達が言っていた話を思い出す。
「そう。7割くらいになったって聞いた事があるわ」
「お嬢ちゃん、その情報はもう古いぜ? 今じゃ6割にまで落ち込んでるって話だ」
「そんなに?!」
リリエはそれでも父が税率を下げないあの頑なな態度を思い出して眩暈がするような気分だった。
寧ろ通行税を上げてしまった位だ。
暗澹たる気持ちで俯きぎゅっと拳を握る。
隣にいたレクスがポツリと呟いた。
「……あれ~……? おかしいな……」
その呟きにリリエは釣られるように顔を上げた。
「おかしい?」
「うん。鉱石ってさ、そんなに急激に枯渇する物じゃないんだよね」
「そうなの?」
「うん。鉱山開発の最初って露天掘りや比較的浅い場所にある濃度の高い鉱脈から採掘するんだ。だから採れる量は多くて品質も良い。鉱山夫達の負担も少なくて高品質な鉱石が採れる。で、採掘が進むにつれて鉱石の品質が低下して鉱石の含有量が下がるから、同じ量を採掘しても得られる金属量が減る。で、次に深く掘り進めていく。そしたら今度は 坑道を強化するから、排水や換気設備を整える必要が出てくる。採掘作業が難しくなって、必要な労働力や資材が増えて、コストがかさむ。で、採算が取れなくなって、閉山。それが一般的なプロセスなんだけど、6年前だったら凄く急なんじゃないかな? ……他の可能性を考えなきゃいけないかもね」
「それって……」
リリエの頭の中に浮かんだのは父の不正だった。でも、それは信じたくない。
しかし戦略の授業でも言われた。盤面は支配するものだと。
そして行儀作法の授業でも言われた。動揺は平静の仮面を被り優雅さを身に纏えと。
リリエはそれらを思い出しあらゆる事を受け止める覚悟をした。
その後店を出て二人は再びメインストリートの石畳を歩き出す。
レクスがふと顔を上げた。
その顔はいつもとは全然違って何かを嗅ぎ取った狼の様な表情だ。
「……? どうしたの? レクス」
「ちょっとだけ、気になる事があるんだ。ついてきてくれる?」
そう、狼の様な表情を崩す事なく、獲物を狙い定める様なレクスにリリエは黙って頷いた。
この世界のケバブサンドはトルティーヤみたいなとうもろこしのうっすい生地に肉とソースだけのシンプルなもの。
異世界なので、好き勝手に雰囲気で決めてる。