4、王妃の心得・攻めと守り
今朝もやはりあの気詰まりのする食事を終えて、王妃教育の授業を受ける。
今日の授業は戦略担当のヘルムート先生。40代前半の男性教師でリリエが最も心を許している先生だ。
何故なら彼の授業は純粋に楽しく軽快で工夫が凝らされているからだ。
「さて、リリエ嬢。今日はボードゲームに興じるとしようか」
「そうなんですね。私、今日はチェスがいいわ」
「構わないよ。では今日はチェスにしよう」
リリエは作り付けの大きな棚に仕舞われたチェス盤を取り出し、机に並べる。
「さて、今回は攻めについて学ぼうか」
「私、守りは得意だけど、攻めるのは苦手なの」
ヘルムート先生は駒を手に取り盤の上に配置していく。
「そうだね、リリエ嬢は確かに守りには目を見張る才がある。だが、守るばかりでは成せない事もあるからね。さて、この盤の状況、君が白のキングだとして、どう攻める?」
リリエは盤を覗き込んで思考する。防衛戦は割と得意なのだが、攻める事に関しては慎重になり過ぎるきらいがある。
「……まずはキングの安全を確保しつつ、相手のクイーンを牽制……ですか?」
ヘルムート先生は人差し指を立て、ウインクをした。
「半分は正解だ。だけどね、リリエ嬢? 攻めっていうのはただ相手の駒を取るだけじゃない。王を追い詰める事が目的だ」
「……王を、追い詰める、ですか?」
ヘルムート先生は自分の手前の黒のキングを指で弄びながら笑う。
「そう、重要なのは支配だよ。盤上を制し相手の選択肢を奪う事」
指で弄んでいた黒のキングから指を離したヘルムート先生はナイトに触れた。
「例えばここでナイトを前進させるとどうなる?」
リリエは考え込み盤面の駒を動かした。
その様子を眺めたヘルムート先生はうんうんと頷く。
「いいね。でもまだ相手に動ける余地を残してる」
ヘルムート先生は更にビショップを進め、リリエに問う。
「では次の問題だ。この状態で一気に攻めるなら?」
リリエは腕を組んで考え込んだ。
まずはナイトを動かして見せ、更にヘルムート先生が黒のナイトを動かし、リリエはそれを受けてキングを逃がした。
「惜しいね。ナイトを動かしたのは素晴らしい。ただ、この状況だとこうだ」
盤面を元に戻したヘルムート先生はナイトをリリエとは違ったマスに置き、更にクイーンを動かし鮮やかにチェックメイトして見せた。
「ほら、こうだよ。 攻めとはたった一撃で決める事じゃない。準備して仕掛けるものさ」
リリエはその言葉を受けて考え込む。
「……戦略って、現実の世界と同じなんですね。準備がものをいうし、周到なものが勝つ」
ヘルムート先生は満足気な笑顔を見せた。
「そう、その通りなんだよ、リリエ嬢。戦略は盤上だけじゃない。政治も駆け引きも全てが戦略なんだよ」
ヘルムート先生は机の上に肘をつき、その手の甲に顎を乗せた姿勢でリリエに言った。
「……もし、君の自由になる駒を誰かが既に優位に動かしていたとしたら?」
リリエは内心その言葉に首を傾げたが、真っすぐにヘルムート先生を見つめてきっぱりと返答する。
「その駒が本当に味方なのか、しっかり見極める必要がありますね」
「ははっ! 君はやはり実に面白い。その視点を大切にするといいよ」
ヘルムート先生の授業はこんな風に実技をしながら見せる授業でリリエも毎回楽しみな授業だ。
そんな楽しい授業は終わり、午後からは礼儀・行儀作法の授業を受ける。
40代前半のいつも完璧な身なりをしたアルブレヒド先生と20代後半のおっとりとした女性教師のマリナ先生が教えてくれるのはダンスだ。場所を領城内のダンスホールに移す。
アルブレヒド先生はいつも完璧なマナーを体現しており、リリエにもそれを厳しく求める。
一方マリナ先生は優しく褒めてくれる先生だが、実は教師の中では一番心の距離のある先生だ。
「それではリリエ嬢。それではワルツのステップの確認をしましょう」
アルブレヒド先生は手を差し出した。
「はい、よろしくお願いします」
リリエはそれを受けて優雅にスカートを持ち上げて一礼した。
手を取り組み合うと音楽が始まり、それに合わせてワルツのステップを踏み始める。
リリエのステップを確認しながらアルブレヒド先生は指摘した。
「もう少し足の運びを柔らかく。王妃が舞踏会で踊る時、周囲の視線は全て貴女に集まる。何時如何なる時も完璧であらねばなりません」
リリエは足運びに気を付けながらステップを踏む。
「はい、アルブレヒド先生」
アルブレヒド先生は姿勢を崩す事なく、ステップを踏み続け、リリエに語り掛ける。
「自分を美しく見せるだけでなく、観る者を魅了する事を意識して」
リリエは頷いて、更に微笑みを絶やす事なくゆったりとした動きに磨きをかけた。
端で見ていたマリナ先生が声をかける。
「そうそう。その調子ですよ、リリエ嬢。さすがは8歳から王妃教育を受けていらっしゃるだけの事はありますね」
「ありがとうございます、マリナ先生」
「これだけ完璧にこなせるのですもの。きっとリリエ嬢の事をカスタネア様もノエリア嬢も誇りにお思いでしょう」
その二人の名前を出されて一瞬心が曇ってしまうけれど、決して表情には出さない。
マリナ先生はあの二人とは懇意にしているからその名が上がるのは仕方がない。
そう自分に言い聞かせてマリナ先生に笑顔を向ける。
「そうだと良いのですけど」
手を取り合うアルブレヒド先生は真っすぐに前を見て、リリエに言った。
「……王妃たるものいつも平常心を保たなくてはならない。心に動揺があるのなら、平静の仮面を被り、優雅さを身に纏いなさい。それが王家の流儀。王族というものだ」
「わかりました、アルブレヒド先生」
きっと、アルブレヒド先生にはリリエの心の小さな動揺を見抜かれてしまったのだろう。
軽やかなステップの確認、姿勢や足運び等に微調整を入れる。
一曲を踊りを終えると水分を摂るけれど、その間もアルブレヒト先生はリリエに容赦なく質問をした。
「リリエ嬢、それではエルレラシア大陸のタグロナス王国の6代目の王の厳命で製作されたダンスは?」
「ガヴォットです」
「ではガヴォットの特徴は?」
「中庸かやや速めのテンポ、軽快で跳ねるようなステップです。」
「ではワルツは?」
「ゆったりした3拍子、滑らかで流れる様な回転をするステップです」
覚えなければいけないダンスは15種類以上あって、その中でもガヴォットとワルツは王妃たるもの習得必須のダンスだ。
さすがに8歳から毎日の様に授業を受けているリリエは全て習得済みだが、中には苦手なダンスもある。
休憩を挟んでみっちりとその苦手なステップの修正を加えられて、今日の授業は終わる。
ダンスの授業が終わったタイミングでリリエの王妃教育の総括、報告を担当する、ヴィッルート・ズデネク・ハラシュ先生がダンスホールにやってきた。
「やあ、リリエ嬢。励んでいるようだね」
「あら、ヴィッルート先生。ごきげんよう」
「今日は君に紹介したい者がいるんだ。さあ、こちらへ」
ヴィッルートに先生の後ろに控えていた人影が一歩前に出る。
「彼はレクス・ロプ・ボスハルト。レアンドロ殿下より派遣された君の護衛騎士だよ」
まずはその目を引くラスティレッドの髪色が目に飛び込んできた。
そして真っすぐこちらを見つめる瞳は、忘れられない印象の透明感のあるセレスティアルブルー。
騎士らしくしっかり鍛えられた体にリリエよりも少し高い目線。
間違いない、昨日助けてくれたあの少年だ。
すごく驚いたけれど、先ほど学んだ通りにリリエはそれを決して表情に出さず、平静の仮面を被って見せた。
「まあ、レアンドロ殿下が派遣して下さったのね、嬉しいわ。初めまして、レクス。今日からよろしくね」
レクスも人懐こいあの笑顔でそれに答える。
「お目にかかれて光栄です、リリエ・エーディット・クラヴァード嬢。レクス・ロプ・ボスハルトと申します」
レクスと出逢った事がバレてしまえば、抜け道の事がバレてしまう。
ここで初めて会った事にしなければ色々とまずいがどうやらレクスはちゃんとそれを察してくれて初めて会った事にしてくれたようだった。
先生達には内心を見透かされずに済んだようだが、ヴィッルート先生が彼の護衛騎士としての功績を教えてくれている間、レクスと一瞬目が合って、そのセレスティアルブルーの瞳の奥が可笑しそうに笑った事をリリエは見逃さなかった。
リアル王妃教育、真面目にヤバい。ダンスだけで、
必須ダンス
メヌエット、ガヴォット、パヴァーヌ、ワルツ
教養ダンス
クーラント、アルマンド、サラバンド、ブーレ、コントルダンス、ポロネーズ、ガロップ
異文化交流系ダンス
タランテレ、ファンダンゴ、マズルカ、ホールダンス
これだけ覚えて勉強もする。婚約破棄系令嬢マジ可哀そう。




