29、祝福の裏の静かな戦
新婚の二人は多忙を極めた。
まず婚姻式の次の日は成婚の報告を国王陛下と王妃陛下に報告する。
そして主要文官と主だった将軍達を紹介されるが、反王派の騒動があった為か「代理」と付く者も多かった。
その中でひと際異彩を放っていた二人がいた。
一人は宰相代理と紹介された、ルニスラフ・ヴラダン・ドスタール。
年の頃はリリエ達と同じだろう。年若いのに宰相代理を任せられるなんて相当優秀なのだろう。
そしてもう一人はルドミール・アルクセイ・ゼマン。彼は外相代理でレアンドロ殿下とは幼少の頃からの付き合いだと本人から告げられた。
とても軽やかな語り口で人の心を和ませる笑顔。それらは彼の社交術の高さを物語っていて、やはり優秀なのだろうと察せられた。
隣にいたレアンドロにこっそりと耳打ちされる。
「彼らが前に言ってた俺の親友だよ」
リリエはそれを無視して王妃の微笑みで謁見をこなした。
その日の夜もリリエとレアンドロは同じベッドで大量のクッションのバリケードが設けられ、離れて眠った。
二日目、王宮内の施設の見学と紹介を受ける。
今日は一人行動だ。
昨日の夜、レアンドロに同行して良いかと訊ねられたけれど、にっこり笑って「どうぞ私の事はお気になさらないで? 殿下には溜まった御公務がおありでしょう?」と断った。
リリエが主に使う場所を中心に、王太子妃の間から謁見の間までの道のりをおさらいしながら自身の執務室や図書館やレアンドロの執務室、侍女達の控えの間などを案内された。
そして午後からは主要な官吏、武官の妻子達の謁見を受ける。
概ね好意的な態度が多かったが、リリエの手応えとしては敵意のあった者も幾人かいた。
実家の後ろ盾すらない小娘と舐めてかかっていた者、次期王妃となる者への可愛い嫉妬、値踏みする者、様々な思惑が交錯しているのが解かる。
自分の目の前で苛めをしようとした者もいたので軽くスルーし、標的にされている女の子に軽く声をかけて牽制しつつ王妃の笑顔と軽いユーモアで場の空気を保った。
そんなリリエの態度を見て、リリエに友好的になった者と逆に距離を置く事になりそうな者が早々にわかった。
しかしリリエはそんな距離を置きそうな者達にも積極的に話しかけて、安易な線引きが自身の不利になる事をしっかりと印象付けた。
そんな様子を黙って王妃が見ていたのも知っている。
心の病であまり公務をこなしていないと聞いていた王妃が無理を押してやって来たのはリリエの力量を測る為だったのだろうとリリエは判断した。
その夜、レアンドロは今日の様子を聞いてきたが、「御心配には及びません。しっかりお勤めは果たしましたわ」とにっこり笑って、やはり早々にクッションバリケードの向こう側の羽毛布団の中に入ってしまった。
次の日は武官や騎士団への視察。
レアンドロはとても尊敬されているようで、精鋭部隊の特殊訓練をクリアした武人として一般兵からは雲の上の様な存在として扱われ、騎士団からも一目置かれ、精鋭部隊からも最敬礼で迎えられていた。
そんな時のレアンドロは素の自分にわざと戻って無表情になる。
きっとモトキス国王太子としては表情が乗らない方が威厳ある存在に見えるのだろう。
リリエはその横でにこやかに微笑む。
ここはレアンドロに任せるのがいいと判断したリリエは余計な事は一切言わずにただにこやかに優しく騎士達を労った。
頬を染めて硬直する者、感極まって泣き出す者、モトカリオンへの憧れを口にする者など様々だったが、ここでもリリエはどうやら一部の若い騎士達の中心にその心を掴んでしまったらしい。
その夜もやはりクッションのバリケードは設けられた。
次の日は民衆からの祝賀献上式。
王都の代表者からの花束の贈呈や子供達の歌や詩の朗読を献上される。
ここでのリリエの人気はやはり凄まじく、リリエが王妃の微笑みで歓声に応える度に拍手までが巻き起こった。
式の去り際にはより一層の大きな歓声で送られる。
そして夜はやはりクッションのバリケードが解かれる事はなかった。
次の日は文部との顔合わせと経理の簡易会議の見学と婚姻に関連した費用と婚姻に際した収支の報告を受ける。
ここでもリリエはあまり目立つような事は控えた。
ただし、軍部の視察の際には行われた各高官や文官達との顔合わせが無かったので、それを希望するととても意外そうな顔をされてしまう。
でも会議の後、各高官と一言ずつ顔を合わせ彼らの会議での発言に対して、一言添えてみた。
そこでとても驚いた表情をした後、深々と頭を下げられる。
レアンドロはそっと呟く。
「……やっぱりリリエは凄いよ……」
それでもやっぱりバリケードが解除される事はなかったけれど、少しだけクッションの量が減ったような気がする。
そして更に次の日には改めて婚姻の報告と祈りをモトカリオンや王家の先祖に捧げるイベントがある。
大聖堂には大きな石碑があって、そこには建国の経緯とモトカリオンの活躍が記されている。
この文を元に創った歌劇もあるという。
その聖堂の前で報告と祈りと国への忠誠を誓う。
その儀式は午前中で終わり、レアンドロはその足で公務に向かう。
まだまだ国情は安定していないのだろう。
自室である王太子妃の間に戻り、また落ち着いていない荷物整理を侍女達と一緒にする事にした。
「その様な事は我々にお任せして下さればよろしいのに」
「ええ、でも私的に持ってきた物も幾つかあるから。大切なものもあるの」
そう、大切なものがある。きっと王妃としては相応しくない持ち物で、咎められるかもしれないから、それらは確保しておきたかった。
荷物を開けながら、嫁入り道具として持たされた物は基本的にヴァルタリアの腕利きの職人達が誂えた装飾品や絨毯、鏡台などの家具があったが、それらは目録だけ届いていて、仕上がり次第王城に届けられるという事になった。
追々それらの物は届く予定だったので、王太子妃の嫁入りとしては少ない荷馬車三台という寂しいものだった。
ただ、今回の場合、リリエの父オスヴァルトが病気引退という体になっているのであまり派手な嫁入りは出来なかった……という建前が成立したので良かった。
そんな荷物を侍女達と共に整理しながら、私物の小さなトランクを開ける。
そこには母の形見として渡されていた、真珠のネックレスとイヤリング。ヴァルタリアで毎週、街に降りていた時に着ていた平民の服。そして大事な、真鍮の髪飾り。
リリエはその髪飾りを眺めて溜息を吐いた。
それを見ていたイヴェタに問われる。
「王太子妃殿下? それは大切なものですか?」
「……ええ。とても大切な人から貰ったの」
「真鍮ですがとても細工の美しい髪飾りですね」
アリナが言うとリリエは笑った。
「そうね、とても気に入ってるの。もちろん公には着けられないけれど」
「きっとこれ、腕のいい細工職人の手慣らしとかじゃないでしょうか。これだけの細工ですもの、銀や金の加工をしても問題ない腕前ですもの」
「裏に銘を彫っているのではないでしょうか?」
髪飾りの裏を見てみると『M・B・D』と彫られている。
「M・B・D、ですって」
「まあ、ではこれはドラホミール工房の作なんですね」
ニコレタが驚いたように言った。
「有名な職人さんなの?」
「ええ、とても人気の工房で、今から発注して仕上がるのに二年かかる位です」
「そうだったの。そんなすごい品だと思ってなかったわ」
そう言った所で部屋の扉がノックされた。
それにリリエが頷き、扉の近くに控えていたマリヤが扉を開く。
婚姻して、王城の本殿のこの王太子妃の間にやって来てから配属された近衛のツチラトがマリヤに耳打ちする。
「王太子妃殿下、ゼマン閣下が御面会をと申されているようです」
「ゼマン閣下が?」
リリエは小首を傾げて疑問の表情を乗せてみた。
「……いいわ、お通しして」
大切な髪飾りをトランクの中に仕舞って、リリエは応接室へと向かった。
クッションバリケードがある事によって、侍女達は色々察してはいる




