28、王妃の微笑み、操の誓い
離宮では婚姻式までの7日間を過ごす予定だ。その世話をしてくれた者達はそのままリリエの専属の侍女となると紹介された。
一人目はマリヤ。文官の娘で本人も数字に強いとの事だ。
二人目はイヴェタ。彼女は王都のより東に位置する海に面したイグリニア領の三女だ。
三人目はアリナ。彼女は将軍の娘で彼女自身も腕に多少の覚えがあるそうだ。
四人目はゾフィア。裁判官の家系の次女で礼儀作法に厳しく育ったとの事。
五人目はニコレタ。王宮付きの高官の娘。王都の事情に明るく社交的な性格だ。
年齢は皆リリエと同じ15歳。
そう、もうじきリリエは婚姻と共に15歳になる。
先日15歳になったばかりのレアンドロ殿下も成人を迎えたのでリリエの誕生日を待つばかりだ。
今回の婚姻は何重にも祝い事が詰まっている。
この婚姻と共にレアンドロ殿下は立太子する。
そして遅れたレアンドロ殿下の生誕祭と、リリエの生誕祭を一緒に行う。
王都は一週間はお祭り騒ぎになり、王都の住民にはパンが配られる事になっている。
反王派の事がなくても元々婚姻式はこの様に祝う予定だった。
反王派の事があって、なお求心力を求められている王家としては、このお祝いムードでなんとか取り戻したい所なのだろう。
街の反応、そしてリリエの姿を見たどよめきの意味を侍女達が説明してくれて、自分とレアンドロ殿下との婚約が強行されたのはやはりモトカリオンの影響力が思っていたよりもずっとずっと大きいからなのだと自覚した。
リリエはモトカリオンと同じ金髪碧眼で特に鮮やかで黄金に近い金髪は王城の大広間に飾られるモトカリオンの肖像とよく似ていた。
その肖像画を見た事のある者ならばこれだけ鮮やかな黄金の髪色に血脈を感じるのは当然だ、と言う位の印象になるらしい。
リリエ本人はまだその肖像画を見ていないので複雑な気分だ。
ニコレタはリリエの髪を梳きながら言った。
「本当にリリエ様の御髪はモトカリオン大王とよく似ておいでなのですよ? ご婚姻されれば大広間でレアンドロ殿下と皆にお披露目される事になりますから、その時に御覧になる事になると思いますよ」
「そうなのね。母も同じ様な髪色だったと聞いているから、そんなに珍しい色だとは思わなかったのだけれど、確かに馬車から見えた人影にこんな金は無かったわね」
「これだけの綺麗な黄金の髪色は他には決してありません。特別な御色なのですよ」
どうやら稀有らしい髪色はリリエの「モトカリオンの子孫」としての証拠として機能しているようだ。
これはこれから王宮で生きていくのに大きな武器になる。
そして自分の人気を支えているものが何なのかも理解出来たので、婚姻後すぐに力を入れなければならない事も頭の中に浮かんだ。
そうしてウェディングドレスの調整や調度品の確認、式でのやり取りを予習して、あっという間に7日は過ぎた。
そして迎える婚姻式。
早朝から起きて湯浴みをして、真っ白いウェディングドレスに長いヴェールを被り、リリエは真っ白い車室と白い馬二頭で引く馬車に乗せられる。
いよいよこの日がやって来たと、きゅっと唇を噛みしめた。
離宮から程近くにある王宮と離宮の間の大聖堂に馬車は進む。
結局この瞬間までレアンドロ殿下はリリエに会いに来る事はなかった。
顔も見た事の無い相手との結婚。
それは出来れば避けて欲しかったが、どうしてもレアンドロ殿下が多忙だった為、それは叶わなかった。
リリエにも理解出来ている。
今、モトキス王国16領の内の5の領で領主不在という大変な事態が起こっている。
これに忙殺されない訳がない。
婚姻式を挙げるのであればなおの事その前に取り急ぎ決めなければならない事は山の様にあった事だろう。
事情は理解している。
でも一人の少女としてはやはり不安だし心細い。
そういう心情を抱えたまま、大きな白いユリの花束を渡され、ぎゅっと握りしめる。
そして、大聖堂の扉が開かれる。
荘厳な音楽がリリエの耳を撫でる様に奏でられる。
さすが王都の楽師の腕前は見事なものだ。
長いドレスとベールを引きずって長く赤い絨毯の上を一歩一歩進んでいく。
逆光のランセットウィンドウのステンドグラスはその前に立ってリリエを待つレアンドロ殿下の姿を見せてくれない。
歩み、歩み、歩んで、その立ち姿があまりにもよく知った人影だったから、心臓が五月蠅く鳴った。
リリエの顔を覆う邪魔なベールも、長く引きずるドレスも、この式の決め事も何もかも煩わしかった。
早く駆けて行って、自分の確信が正解なのか知りたかった。
ゆっくり、決められた通り、ゆっくり、一歩ずつ、答えに近づく。
近づく度に逆光のシルエットに色が付き始める。
その髪色は、ラスティレッド。
そしてはっきりと見えた瞳の色は、セレスティアルブルーのあの、綺麗な瞳。
そこには愛しくて、焦がれた、レクスがいつもの帷子に肩当てをして、外套を羽織った姿ではなくて、白に金の刺繍が施されたリリエのウェディングドレスと揃いの典礼装という出で立ちだ。
リリエは目を疑った。
レクスに焦がれるあまり、願望が幻覚を見せているのだろうか?
幻とも思えるレクスがリリエに微笑む。
いつか月明りの下で見た、激しくはないのに感情の零れる様な笑み。
レクスの唇が動く。
「リリエ」
その小さく呟く様に自分の名を紡いだ声は紛れもなく愛しい人の声だ。
リリエは確信した。
ああ、そうだったのね、レクスはレアンドロ殿下だったんだわ……。
そう、色々な事が腑に落ちてそしてその瞬間、リリエはレアンドロ殿下に王妃の微笑みを浮かべる。
「私、決めました」
リリエもまた呟く様な声で独り言のように言った。
「……? 何を?」
その声を拾えたのはレアンドロだけだ。
「私、護衛騎士様に操を立てる事にしますわ」
「……? え?」
レアンドロはリリエのその言葉を疑問に思うが、リリエは宣誓の碑石の方を向いてしまった。
顔には王妃の微笑の仮面が張り付いたままだ。
二人は式典をこなす。
その日は婚姻で石碑に生涯共にする事を誓い、王太子と王太子妃として国に忠義を尽くす事を国王陛下に誓い、大広間でお披露目があり、成婚のパレードで車室の上でレアンドロと二人並んで手を振り、バルコニーでまた手を振った。
二人の結婚、そして生誕祭、レアンドロの立太子と全てが熱狂的に迎えられ、国民の熱は冷める事を知らず王都中がお祭り騒ぎとなった。
ずっとずっと、リリエは王妃の微笑で、レアンドロが何を言っても微笑んで必要最低限の返事だけをした。
レアンドロは思う。
(これ、……めちゃくちゃ怒ってない?)
これは取り付く島がない位、リリエが怒ってる事が分かったレアンドロは何度も何度もリリエに話しかけたがやはリリエは王妃の微笑みで一切レアンドロを受け付けなかった。
そして表面上何事もなかったように二人は式や行事をこなして、王宮の王太子夫婦の為に設えられた寝室で二人きりになる。
「……あの、リリエ?」
窺う様にソファに座る寝室着のリリエに同じく寝室着のレアンドロは話しかけた。
リリエはにっこり笑ったまま返事をしない。
「あのね? リリエ、怒ってる……よね?」
リリエは王妃の微笑みでレアンドロを見つめて、首を横に振った。
「まさか! どうして私がレアンドロ殿下に怒るのですか? 初めてお会いするのに、怒る理由なんてないでしょ?」
これは相当怒ってるな……。
レアンドロはそう理解した。
「あの、黙ってた事は悪かったよ。ホントにごめんね?」
「……私、殿下に付けて頂いた護衛騎士様をとても気に入りましたの。そう、恋をする位に。ですから私、護衛騎士様に操を立てようと思うのです。ですから殿下? 私に触らないで下さいましね? ああ、でも護衛騎士様を罰したりはしないであげて下さいね? 彼は私が想いを告げても殿下への忠義を貫いたのですから。……殿下が一番ご存じとは思いますけれど」
微笑むリリエに困り果て眉尻を下げたレアンドロは、大きなソファの端っこでリリエの機嫌が直るのをただただ待った。
リリエガチギレ、レアンドロオロオロ




