27、忘れ得ぬ恋と歩む道
次の日、トレンニア砦を出発する。
父の一行はリリエを見送りに来ていた。恐らく次期王太子妃となるリリエの方が身分としては上だという扱いなのだろう。
この時もリリエ達親子は簡単な挨拶だけをして別れを済ます。
「お父様はこの後お発ちに?」
「……ああ、そうだ」
「道中どうそお気をつけて」
「……お前もな」
リリエはオスヴァルトやその一行に一礼をして車室に乗り込む。
オスヴァルトとこんな風に言葉を交わす事はもう無いのだろう。
きっと逢ったとしても王太子妃として接する事になる。
ヴァルタリアは今後ノエリアの入り婿が治めるので、そもそもオスヴァルトは表舞台に出てくる事はない。
そしてクラヴァード家は実質もうリリエの実家とは言えない状態なので、頼る事も難しいだろう。
リリエは実家という後ろ盾もなく、王宮内で戦っていかなければならない。
もし、レアンドロ殿下といい夫婦関係を築けなければ孤立無援になる事は想像に難くない。
リリエは後戻りする事の出来ない道のりを進んでいく。
きっと昨夜の告白はオスヴァルトにとって、最大限の愛情表現だったのかもしれない。
だけど、もうボタンの掛け違いは元に戻せるものではなくて、リリエも親に甘えるよりももっと世界が広がってしまった後でもあったので、こんな別れ方しか出来なかった。
その事に少し寂しさがこみあげて、同席する侍女に気付かれないようにそっと瞼を擦った。
トレンニア砦を出てソルミア領に入ったリリエの一行はその広大な牧草地をゆっくりと進んでいく。
草原にはヤクや山牛、羊などが放たれていて、長閑な風景がどこまでも拡がってリリエの心を和ませた。
こういう時同乗している人が物知りなヴィッルート先生などだったら、色々質問をして見識を深める事が出来るのだが、婚姻前の王子の婚約者と監視役とはいえ男性が同乗するなど許されないので我儘は言えない。
しかし、長閑な景色の中でひと際立派な石塚があり、赤い布が幾つも巻き付けてあるのを見留めた。
リリエは行儀が悪い事を承知で窓を開けて、騎乗し車室の横で追従するヴィッルート先生に訊ねた。
「先生、あの石塚は何?」
「ああ、あれか。あれはモトカリオンがこの地を遊牧の民に与える事を宣下した場所なんだ。それに感謝した遊牧の民が石碑を作り今でも祀っているんだよ」
「確かソルミアの民はエルレラシア大陸から戦いの為に一緒に入植してきたのでしたよね? モトカリオンは元はエルレラシア大陸のロココセア王国の7代目のディカルド王の第4王子だったのでしょう?」
「ああ、そうだよ。元々ロココセア王国はタグナロス王国の領地だったのだが、当時辺境伯だったディベリオ王が独立を宣言してロココセア王国になったんだ。代々武勇に優れた家系でその中でもモトカリオンは初代のディベリオ王を彷彿とさせる武勇の持ち主だったらしい」
「モトキス王国はもう250年もの歴史がありますよね? それまでずっとモトカリオンへの尊崇は途切れる事がなかったのですか?」
「そうか……、リリエ嬢はヴァルタリアから出た事がなかったから今一つよくわからないのか。モトキス王国の各地に残されているモトカリオンの逸話は今では神話の様に語られているんだ。王都に着けば嫌というほどそれが解かるよ」
リリエはヴィッルートの言葉で自身の認識の甘さがある事を理解した。
きっとモトカリオンはリリエが思う以上にまだまだ英雄としてモトキス国民の心に根付いているのかもしれない。
その夜はソルミア領城で一泊する事になった。
ソルミア領城でも大変な歓迎ぶりだった。
ここでの宴は牧畜の文化らしく、羊肉のミートパイ、自家製の様々なチーズ、バターと塩で味付けされたよく煮込まれたヤク肉のスープ、ヨーグルトのナッツと蜂蜜を加えたデザート、スパイスの効いたミルクティーなど、ヴァルタリアで食べた事のないものをたくさん出してもらえた。
領主は宴席を設けてくれ、ソリミア領に伝わる伝統的な舞踏や演武を見せてくれた。
16歳の長男を紹介され、彼は今年から王国軍の軍人として働くと聞いた。
ソリミアでは必ずしも長男が家督を継ぐわけではないとヴィッルート先生に耳打ちされた。
遊牧の民は育った順番に家を出る。
家を出る際に財産が分けられ、最終的に老いた両親を面倒見るのは最後まで家に残る者、つまり末っ子という事になる。
そういう文化の違いにリリエは面食らった。
そして自分がまだまだ不勉強である事を恥じた。
きっとこれからも王太子妃として王妃として、自分の不足にがっかりする事がたくさんあるのだろう。
ずっとずっと研鑽の日々を送り国の為、民の為に生きる人生を思う。
一瞬だけ夢見た、自分自身の為に好きな人と添い遂げる未来はきっともうこの手には届かないだろう事を思いながら目の前で繰り広げられる華麗な舞を眺めた。
次の日にはまたリリエの一行は王都への道を進み始め、日程通りの2週間後には王都へと辿り着いた。
王都での歓迎ぶりはそれはそれは熱烈で、王都の町民達は列をなしてリリエの乗る馬車を一目見ようと身を乗り出している者達も、屋根や窓からもたくさんの人達が顔を覗かせていた。
一緒にヴァルタリアから追従してきた侍女達もこの歓待ぶりには面食らったようだった。
そんな様子を窓から見て、リリエは思う。
改めてモトカリオンの影響の大きさを実感したし、もう後戻りは出来そうに無いな……と。
これだけの人達に歓迎され、期待されている自分が今更レアンドロ殿下との婚約を破棄したいなどと言い出してしまったら、きっと大変な問題になってしまう。
これまで追従してきたヴァルタリアで編成された騎士団、従者達はその任を解かれ、王城の騎士団や従者達に引き継がれる。ヴァルタリアからやってきた侍女達に労いの言葉をかけて、帰りの道中を気を付ける様に言った。
ここから、リリエは本当に孤立無援で誰も知る顔のいないこの王城で一人戦う。
王族との婚姻ではよほど強い希望がなければ自分の専属の侍女を連れてくる事は叶わない。
王城のしきたりは領城とは勝手が違う。
それはリリエも王妃教育の中で重々わかっていたし、一緒に専属の侍女として教育を受けてと頼めるほど心を許せた侍女もいなかった。
正直に言えば、舞台が王城に替わっただけでリリエの中ではやるべき事は変わらない。
でも、変わった事は一つだけある。
これまでの様にお飾りで置物にされる気は一切無い。
レクスが教えてくれた事はリリエの中で確かに息づいていて、自分の心に正直に自分の為す事を為す、それがどんな状況に生きていても自分自身であれる唯一の方法だという生き方まで奪われる必要はない。
レクスのとの恋で学んだ事をリリエは絶対捨てたくなかった。
だからせめて、この志と共に生きる事で、この国のどこかで今も働いているであろうレクスと生きられる気がした。
馬車から降り立つと何故だかよくわからないけれど、小さなどよめきが起こった。
その事を不思議に思いながら、王妃の微笑でそのどよめきに応えた。
ずらりと人が頭を下げてリリエに挨拶をする。
その挨拶だけでくたびれそうだが、ここは王妃の微笑で乗り切った。
宮内官の高位職、侍従長、侍女長、これから自分の世話をしてくれる人達なのだから、誠心誠意失礼のないように儀礼を取り、一言ずつ簡単に声をかけた。
そして今から7日後の婚姻式まで過ごす部屋へと案内され、やっとリリエは一息つく事が出来た。
ソファに座って部屋を眺める。さすがは離宮とは言え王宮なだけあるな、と思う。
だけど領城とは比べ物にならない程の美麗な調度品であってもあまりリリエの心を慰めてはくれなかった。
リリエは会って挨拶をした人の顔と名前もどんな会話をしたかもちゃんと覚えてる




