26、旧き門を越えて
王家の用意した車室は大変快適で、途中の景色を楽しみながら過ごす事が出来た。
今回の道のりは最短の交易路ではなく、迂回する古い交易路で王都に向かう事になっている。
理由は新しい幹線ルート、鉱山地帯を真っすぐ王都へと突っ切るルートには血判状に署名、捺印していたルメラント領がある。
ルメラント領は現在領主不在で混乱の最中にある為、護送に不備が出兼ねないからだ。
ルメラント領の西に位置する高原が広がりモトキスの食糧庫とも称されるトレンツ領、王都の西、同じようにやはり高原が広がり放牧、遊牧文化が盛んなソルミア領を経由する事となる。
最短ルートでなら10日ほどだった道のりも、旧街道で迂回する道のりだと平坦で安全は確保されるが2週間ほどかかってしまう。
しかし鉱山地帯で育ったリリエにとっては、トレンツ領の平坦で、小麦畑がどこまでも広がる景色は物珍しく、飽きる事がなかった。
宿場や要塞など、要所要所で宿泊した。
本当は立ち寄った街の様子などを知りたかったけれど、さすがにそんな事に付き合ってくれる護衛はレクス位だろう。
そんな風にたまにレクスを思い出してはほろ苦さがふわりと胸に滲んだ。
途中、トレンツ領の領主より招きを受けてトレンツ領城に1泊する事になる。
トレンツ領主はどうやらこの婚姻には賛成の立場の様で大変に歓迎された。
16歳、13歳、6歳の娘さん達を紹介されて、王太子妃付の侍女にしてもらえないかと言われたけれど、王妃の微笑で 曖昧に返した。本人たちが望んでいるかどうかも怪しかったし、そもそも侍女をリリエ自身に決める権利を与えてもらえるかもわからない。
そもそも今回のこの婚姻に関してだってリリエの話は一度だって聞いてもらえなかったのだから。
勝手に婚約者に決まったし、勝手に不適格かどうかという嫌疑をかけられて、結局嫁いで来いという結論になった。
その中で一度だってリリエの意見を聞かれた事はない。
そういう意味では王家もお飾りの女王を欲した反王派達と本質は変わらないのかもしれない。
そういう意味でも自分は運命に抗えなかったのだと、車窓を眺めて溜息ばかりが出てしまった。
トレンツ領とソルミア領との領境には関所がある。そしてその関所の役目は大きい砦が担っていた。
そのトレンニア砦を通過する頃には、刻はもう夕暮れ時だったので今夜はこの砦で宿泊する事になる。
恐らくこの砦で一番豪華な客室に案内されて侍女達と夕食の為の着替えをし、それが終えた頃にヴィッルート先生が訪ねてきた。
「やあ、リリエ嬢。実は君に逢わせたい人物がいるんだよ」
「……? 誰でしょうか?」
「まあ、先ずは客人の待つ応接室へ向かおうか」
ヴィッルート先生はリリエが王都へと向かう事で王妃教育の教師としての任を解かれた。
その代わりにこのリリエの王都への護送のお目付け役に任ぜられた。
反王派ではなかった先生達は皆その任を解かれ、一緒に王都へと帰る事になった。その後については王都に着いてから話し合う事になっているらしい。
「リリエ嬢。なんだか浮かない顔をしているね。君ならばこの行程を楽しむものだとばかり思っていたが……、やはり御父上の事が気がかりなのかい?」
正直に言って、父親との事はどこかで諦めていたのでこのまま会えなくなるかもしれない事は覚悟していた。
きっとキリを付けた気になっていてもレクスの事が心に圧し掛かって、態度に出てしまっていたのかもしれない。
「……先生には……隠し事は出来ませんね」
「君の事はもう6年も見ているからね。気分はすっかり父親だよ」
ヴィッルート先生はリリエをエスコートしながら笑った。
「君に愁いを少しでも癒す事が出来ればいいのだがね」
そういうと、先生は応接室の扉をノックした。
「どうぞ」
その声は聞き覚えのある声だった。
先生が扉を開けると応接室のソファにはリリエの父、オスヴァルト・グフタス・クラヴァードがいた。
「……お父様……」
「リリエ嬢も掛けたまえ」
リリエは優雅に父に会釈をするとふんわりとドレスを翻してソファに腰かけた。
「済まないが同席させてもらうよ? 私は邪魔にならないように隅に控えているから」
ヴィッルート先生はそう言うと部屋の隅で腕を組んだ。
「……お父様、ご健勝の様で何よりです」
少し痩せたような気がするが、目立って不健康だという雰囲気ではないので、リリエはそう切り出した。
「……済まないな。お前の婚姻の儀には出てやれない」
オスヴァルトはリリエの目を見る事もなく、自身の組んだ手を眺めながら言った。
「いいえ。お父様はどうかお義母様とお義姉様を労ってあげて下さい。お義母様は心労で臥せっておいでですから」
「……私は愚かな父親だ」
「何故、そう思われるのですか?」
「私は、いつもお前のその気丈さに甘えて負担ばかりかけて父親らしい事をしてやれなかった。その罪悪感からチェルニーの口車に乗る結果になり、いいように利用されて結局それをお前に糺された」
オスヴァルトは一つ小さな溜息を吐く。
「私は、エーディットに負い目があった。あれも気丈な女でな、正義感も強い。私に無いもの全てが備わってるような女だった。……お前は容姿も性格もあれによく似ている。私はお前をあれと同じように扱い、娘らしい甘えを許してやる事もせず、ただ無理を強いた。カスタネア達が領城で同情され関係を作っていく中でお前だけが取り残されていたが、私は自分の平穏の為、お前にだけ我慢をさせてきた。……結局私は私が可愛かったのだ……」
その告白を聞いて、リリエは思う。
(ああ、お父様はとても弱い方なのね……)
リリエは王妃の笑顔でオスヴァルトに答えた。
「お父様、もういいのです。私もお父様の御心に沿う事が出来なかったのですもの、お互い様でしょう?」
「……そうか……」
「こうして逢わせて頂けて本当に良かったです。お父様もご不調なのですから御自愛下さいましね?」
リリエは座った時と同じ様に優雅に席を立ち、再び父親に会釈して背を向ける。
リリエが部屋を出た後、ヴィッルート先生もリリエの跡を追おうと部屋を出る直前、オスヴァルトの小さな独り言が聞こえた。
「……お前はそんな風に笑う子ではなかったのにな……」
ヴィッルート先生はその呟きに一瞥をくれ、扉をそっと閉めた。
リリエに追いついたヴィッルート先生はリリエの横に着いた。
そしてリリエはそんなヴィッルート先生を見て、笑った。
「……きっと、お父様の生活にとって私は、あまり必要ではなかったのでしょうね。でも、そうね。実を申しますと私も同じなのです」
ヴィッルート先生は表情に疑問を乗せて先を促した。
「私も私の生活にとって、お父様が必要だったことってなかったのです。だからお父様と距離を縮めたいという気持ちも湧かないのです。だからきっと私たちはとても寂しい親子なのでしょうね。そういう意味ではお義母様やお義姉様の方が、よほど家族らしい。……そういう事なのだと思います」
「……リリエ嬢? この再会を取り計らって下さったのはレアンドロ殿下だ。君にはもう新しい伴侶となる人が出来る。どうかレアンドロ殿下と共に前を向いて進んでいってくれ。殿下の為人は私が保証するから」
リリエはにっこりと微笑む。
「大丈夫ですよ、先生。レアンドロ殿下はきっと良い方です。わかります」
そう、リリエにはレアンドロ殿下が良い君主に成り得る人格者である事はわかっている。
だって、レクスという臣下の為人を見れば、レアンドロ殿下の為人だってわかる。
……きっと、善い王におなりだろう。そして尊敬出来る方なのだろう。
……恋をする事は出来なくても。
自分がカスタネアと揉めたくないからリリエに全部我慢させてた、とても弱いお父さん




