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23、詰みの女王、駆ける騎士

「さあ、女王陛下、この血判状にご署名と捺印を」

 クラメツ先生がリリエをソファまで促す。そしてティーテーブルの上に血判状を広げた。

 リリエは決して心の苦渋を見せないように微笑む。

「もし、この血判状にサインをしたら、モトキス王国は二つに割れる事になるでしょう。先生方はそれが要らぬ戦火を生み、軍部優勢主義に拍車がかかるとは思わないのですか?」

 「王派の者達はそうなるのでしょう。しかし我々の築く国は違います。それは女王陛下、貴女が築かれる国です」

 エルザ先生もやはりリリエをソファに導くように掌で指し示した。

「政の仔細は我々が行えばいい。そうすれば軍国主義などという偏った政は行われずに済む」

 レオポルト先生もリリエをソファへと導くように指し示す。

 その目線の先にはヘルムート先生がいる。

 ヘルムート先生は笑った。

「さて、万事休すだ。私はもう執務室へと向かうとするかな」

 そういうと立ち上がって扉へと向かう。

「……待ってください。……署名いたします……」

 さすがに王妃の仮面を被ってはいられなくなった。

 俯いて膝に乗せた掌をぐっと握る。

「そうか、では私もそのご署名される所に立ち合うとしよう」

 ヘルムート先生は立ち上がる。

 そしてリリエの導かれているソファの後ろに立った。

 リリエはゆっくり寝台から立ち上がって、先生達の導くソファへと腰かけた。

 そして差し出された羽ペンを手に取る。

 祈るような気持ちでペンをインクに浸した。

 思い浮かぶのはたった一人。

(レクス……っ!)

 石の扉が勢いよく開かれる。

「リリエ!」

 振り返るとそこには外套を翻したレクスがいた。

 リリエのちょうど後ろにいたヘルムート先生がリリエの耳元で囁く。

「失礼、女王陛下」

 首に腕が回されて喉元にはナイフの切っ先が向けられた。

「レ、レクス……」

 レクスの顔にはいつものお道化た表情はなく、一切感情を感じられない。

「さて、遠征していたナイトが帰ってきたようだけれど、この通り、クイーンはすでに詰んでいるよ。どうする?」

「……」

 レクスはヘルムート先生の言葉に何の感情も動かないようにそっと手に持った剣を落とした。

「君にもこの血判状に名前を書いてもらおうかな。役に立ってもらうよ?」

 レクスまで引き込んで王派への謀略に使おうという事だろう。リリエはレクスに叫んだ。

「私は殺されないから! 絶対この人達は私は殺さないからっ!」

 その言葉に虚を突かれたヘルムート先生の隙を見逃さなかったレクスはさすがは精鋭部隊の訓練を受けているだけあって、一瞬でヘルムート先生のナイフを持つ手を払いのけ、一瞬の内にヘルムート先生をねじ伏せてしまった。

 リリエはそれを見ると、すぐに血判状を持って扉へと駆けた。逃げ場をキープする為、そして他の先生達が逃げられないようにする為、扉を閉めた。

「他の先生方は? 抵抗するなら同じ様に捕縛致しますが」

 レクスは相変わらず表情のない顔で先生達を見渡した。

 多少の戦闘訓練を受けているのはヘルムート先生だけだ。彼を抑えてしまえばこの場は抑えたも同然だろう。

「はあ、参ったね。お手上げだ。だからカスパルやヴィッルート辺りを引き込みたかったのだけどな」

 レクスに取り押さえられたヘルムート先生はこの状況さえ楽しむように笑っている。

 レクスはヘルムート先生をゆっくりと解放して、リリエに背を向けてゆっくりと後ずさりをして近づいた。

 そして、落とした剣を拾い上げてリリエをその背に庇う。

「この部屋の錠前の鍵を持ってるのは誰? 手をあげて」

 ゆっくりとエルザ先生が手を上げた。

「じゃあ、鍵をリリエの足元に投げて」

 懐に手を入れたエルザ先生が鍵を取り出してリリエの足元に投げた。

「ヴァルタリア騎士団が来るまでこの部屋で大人しくしてて」

 リリエは足元に投げられた鍵を拾い上げ、レクスと二人、部屋を出た。

 そして錠前を取っ手にかけて鍵をかける。

 リリエはその場にへたり込んだ。

「大丈夫? リリエ」

「……腰が抜けちゃった……」

 レクスはその言葉を聞いて同じように座り込んで、ぎゅっとリリエを抱きしめた。

 そして耳元で囁く。

「よく頑張ったね、リリエ」

 その言葉を聞いて更に力が抜けるような感覚が襲って自然と涙が出た。

 そしてレクスの背中に腕を回した。

 領民を傷つけずに済んだ、署名をせずに済んだ安堵感、レクスが来てくれた安心感で涙を止める事が出来なかった。

 レクスは何も言わずにずっと抱きしめてくれている。

 レクスの肩に瞼を預けて泣いて、そしてリリエは初めて自覚した。

(……私、レクスの事が好きなんだわ……)

 婚約者がいる身でありながら、護衛騎士に恋をしてしまった。これはレアンドロ殿下への大変な裏切りだろう。

 だけどリリエの中で大きく膨らんでしまったこの恋慕はもう誤魔化しようがない。

 レクスと過ごしてきた時間は確かにリリエの心に根付いてしまった。

 レクスはレアンドロ殿下の側近だろうからリリエのこの気持ちはきっとレクスの迷惑になるのだろう。

 リリエは涙が止まるまでそうしていた。

 そしてレクスもただ黙ってリリエを抱きしめ続けた。

 気持ちが落ち着いてきて、そっとレクスの肩から離れると、レクスが真剣な表情でこちらを見下ろしている。

 じっと見つめていると、ゆっくり、ゆっくり、レクスの顔が近づいてくる。

 リリエは瞳を閉じた。

 レクスの吐息が唇に触れた瞬間、遠くから名を呼ばれた。

「リリエ嬢~~~~っ!」

 あの声は副団長のマハチェクだろう。

 リリエは我に返ってレクスから離れた。

「ご、ごめんなさいっ!」

 レクスは真剣な表情を崩さず、声の方を振り返ってリリエに背を向けた。

「俺はここを見張っておくからリリエ嬢はマハチェク副団長をここに呼んできてくれる?」

「ここって巡礼地の宿場でいいのよね?」

「うん、そうだよ。この先を真っすぐ進めば出口が見えるから大丈夫」

 リリエはレクスが指し示した方向へと駆け出し、言った。

「わかった、行ってきます」

 レクスはそんなリリエに軽く手を振った。

 リリエは全速力で駆ける。

 自分のしようとした事は完全にレアンドロ殿下への裏切りだ。

 だけど嫌じゃなかった。

 いとも簡単にレクスを受け入れてしまった自分に驚く。

 そんな思いを振り切るように走っていくと確かに出口が見えたのでそちらに向かって更に走る。

 明るい出口を潜ると、大きな台所だったと思われる場所に出て、扉を開けて外に出ると、マハチェクと数名の騎士達、そしてチェスラフがいた。

「チェスラフ! マハチェク副団長! こっちよ!」

「リリエ嬢! ご無事でしたかっ!」

 マハチェク副団長が真剣な表情でリリエを振り返ったと思ったら、どんどん泣きそうな顔になっていく。

「大丈夫よ、マハチェク副団長。おかげで無事だったわ」

「いや、私がもっと執務室に注意を払っておけば易々とリリエ嬢に手出しされる事はなかった……。私の失態です」

「ううん、レクスにちゃんと知らせてくれたからこの通り無事だし、誘拐の実行犯を捕まえる事が出来たわ。彼らの捕縛を手伝って?」

 マハチェク副団長は微笑むリリエをやはり感極まった表情で見たあと、きゅっと唇を噛みしめて引き締まった顔に戻る。

「で、犯人達はどちらに?」

「この奥よ。一番奥の部屋にいるわ。レクスが見張ってる」

 マハチェク副団長は部下達を引き連れて、リリエのやってきた道へと進んでいく。

 リリエはそれを見送って、ラフチェスと二人になって彼を見る。

「今回もラフチェスとイグナツが助けてくれたんでしょ? 本当にありがとう」

「……なに。老いぼれが出来る程度の事をやっただけだ」

 そういうとラフチェスはくるりと背を向けて歩き出す。

 リリエもその後を付いていく。

 空はすっかり夕暮れで、橙が空気までも埋め尽くす。

 烏が山の方へと飛んでいくのを眺めながら足の悪いラフチェスに合わせてゆっくりと歩いた。

カスパル先生、ヴィッルート先生は軍務官をやっていたので、自衛できるくらいの訓練は受けている人たち。ヘルムート先生も小規模の戦闘経験はある。

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