2、リリエの秘密と不穏な気配
本日の授業は午前中で終わり、リリエは平民の服に着替えて領城を抜け出した。
リリエの週に一度の午後の余暇の日課の1つだ。
城を出て外壁に向かうと目立たない一角に倉庫があって、その奥には木箱に隠された扉がある。
その扉の向こうの抜け道を進むと森のある廃屋の地下に繋がっている。
扉を隠してある木箱を慎重に動かして扉を押して開くと木箱を元に戻して扉を閉める。
廃屋の地下まで着き、階段の先の天井の扉を押し上げた。
この廃屋はモトキス王国がこの地へ侵攻する以前に建てられたものらしく巡礼地へ向かう旅人の宿場を兼ねた聖堂だったらしい。原住の民達の信仰の名残だ。
祭壇があったであろう場所に軽く一礼をし、廃屋を出ると、湖が広がっている。
鏡面の様に周りの景色を映し出すその水面は変わる事なくいつも静かにここにある。
リリエの憩いの場所だ。
しばらく湖畔に佇み、水面を眺めた。
湖畔に別れを告げると遠い昔に整備されたであろう土に埋もれてしまった小さな石畳を下っていくと、街の喧騒が聞こえ始めた。
鍛冶を打つ音、賑やかな職人達の声、煙突から立ち込める煙。
職人街の外れまでやって来ると、声がかかる。
「やあ、リリーじゃないか」
「あら、イジー、今日もサボリなの? 親方にまた叱られちゃうわよ?」
イジーは1年ほど前にヤンという鍛冶職人の親方に弟子入りした13歳の栗毛色の髪色でドングリ眼の愛嬌のある少年だ。
「ちげーよ! 今日は親方からお使い頼まれたんだ。リリーこそどこ行くんだ?」
「私は商人街まで買い物に行くの」
「おいら、ついて行ってやろうか?」
「お使い頼まれてるんでしょ? そうやってサボる口実を作ってちゃダメよ?」
笑顔でそう言うと、リリエは商人街の方角へと歩き出す。
おしゃべり好きのエヴァおばさん、凛とした佇まいのイレナさん、この職人街一の美人のヴェロニカ、昔気質な職人のラディスラフさんや野心家の若い鍛冶職人マレクなど、街の皆と挨拶を交わす。
煙突から煙の立ち込める街並みを慣れた足取りで歩き、リリエは一戸の職人の工房に入った。
「オルドジフさん、今日も城下に降りてきたわ」
「やあ、リリー。よく来たね。城下に慣れてるとは言え、無茶はしちゃいかんよ? じゃあ、今日はこれを預かってくれるかね?」
リリエが入ってきた事で、オルドジフは作業の手を止め、棚にあった一通の手紙を取りそれをリリエに手渡した。
「あら、今回は紙なのね。わかったわ。大切に届けるわね」
普段はワックスタブレットを預かる事が多い。高価な紙での連絡は相当重要な要件のようだ。
リリエはポーチにその大切な手紙を入れた。
「じゃ、行くわね」
「ああ。チェスラフとイグナツによろしく伝えてくれ」
「わかった。行ってきます」
「気を付けてな」
オルドジフの工房を出て、職人街を歩く。街の人達と話をすると皆が税が高くてカツカツだと口々に不満を述べている。
そう、ここヴァルタリアは6年ほど前、リリエが8歳頃から急に鉱山の鉱石の産出量が減少してしまった。全体の以前の7割ほどに減少して領民達は苦しい状況だ。領主の父はそれでも税率を下げる事をしない。
何度かそれとなく話をしてみても「子供は黙っていなさい」の一点張りだ。
職人街を通り過ぎて、今度は隊商などが集まる商人街を歩く。
商人街の交易をする人達も通行税がまた上がったと不満そうだが、ここヴァルタリアは交易の重要な中継地点の1つなので、ここを通らざるを得ない。困ったと嘆いていた。
「……それでも商人街や職人街はまだ良い方ね……」
昼食代わりのリンゴを齧りながらリリエは独りごちた。
そう、彼らも充分に苦しんでいるが、それ以上に劣悪な扱いを受けている人達は鉱山夫達だ。
内情はよくわからないけれど、この産出量の減少の直接的な打撃を受けるし、更に街の人達から怠けているのではないかと陰口を囁かれている。
ただ、商人達の噂話を集めていると、ちょうどその6年前から鉱山の出入りの商人が変わったらしい。それが原因じゃないかという人もいるけれど領民の大半は鉱山夫達の怠惰のせいだと決めつけている。
何故そんな風に言われるかというと、彼らの大半が原住の民との混血だからだ。
この大陸の同じ移民の大国であるグリムヒルト王国では、もっと酷い差別がまかり通っているらしいけれど、それほどでは無いにしても、この国にも原住の民に対する差別意識はある。
だけど、リリエは知ってる。彼らが働き者で素直な心根の人達が大半だという事を。
そう、リリエは原住の民の血を引く人達と少しだけ交流した事があるから。
それはリリエが12歳の頃、街からの帰り、湖畔の廃屋に原住の民との混血の人達がいた。その中で急に熱を出して倒れてしまった人がいて困っていたらしく、私は城に帰ってこっそり倉庫番であるイグナツに相談して、救護物資を提供した。
彼らはリリエに大変感謝した。普段は関わらない彼らの為人は本当に素直で、移民のリリエに丁寧で優しい態度をとった。
だけど彼らはとても苦労している事が見て取れる出で立ちで、手を握ろうとするとリリエが汚れてしまうからと固辞するような人達だった。
彼らは仲間が治り次第旅立ってしまったけど、リリエの中で強く心に残った。
鉱山で働いている人達も同じような為人の人ばかりだとは信じてはいないけど、きちんと自分の目で見たものを信じようと決めている。
だけど、鉱山夫達の住むエリアは治安があまり良くないので女性一人では近づく事は危険だ。オルドジフやイグナツ、そして庭師のチェスラフに強く言われている。近づかない事を条件に領内をこんな風に歩いていいと言ってもらえているので約束は守る。それに破ったとしてもすぐにオルドジフの耳に入ってしまうだろう。
こうして、領城から抜け出せる事は自分にとって唯一の息抜きで大切な時間だから、これはやめられない。
街の人達と交流していたらあっという間に時間は夕刻。
リリエはいつも通りに商人街から近道の木々に覆われた昔原住の民が使っていたと思われる荒れた石畳の道を進む。
石畳を進むと珍しく人の気配があった。
数人で何かを話し合ってるようだ。
「~~~……、必ずこれを……~~……」
「いや、しかし……~~~~――……」
「ならば、……――――――――」
明らかに何か秘密裏の会談だという雰囲気だ。そっと木陰に隠れてやり過ごそうとする。
ちょうど静まり返った所でパキリと木の枝を踏んでしまった。
「誰だっ!? 誰かいるのかっ!」
しまった、と心の中で叫んだ瞬間に木陰の向こうの人影が一斉にこちらを振り返ったのがその気配で分かった。
その人達との距離は思いのほか近い。
リリエは逃げきれないと判断して、にこりと笑顔を作って木の陰から人影の前に進み出た。
「あら、貴方達、ちょうどいい所にいてくれたわ! 私、迷子になっちゃって。職人街のオルドジフさんの所に帰りたいんだけど、道を教えてくれない?」
4人の男達が険しい顔でリリエを怪訝そうに見つめた。
「オルドジフって、あの職人ギルド長のオルドジフか?」
「ええ、そうなの。彼、私の叔父みたいな人なの」
「……オルドジフには家族はいないだろ」
リリエは内心ヒヤヒヤしながらそれでも笑顔を作った。
「ええ、でも姪っ子みたいに可愛がってもらってるわ! その証拠にほら、これ」
ポーチの中の手紙を取り出して男達に蝋印を見せる。
「ね? 貴重な紙にこの職人ギルド長の蝋印。間違いなく彼に信頼されてる証でしょ?」
男達はなおも怪訝そうにその手紙とリリエを矯めつ眇めつした。
「私、普段は領城で働いてるの。今日はお使いでオルドジフさんの家まで行って、帰る所なんだけど、ついでに薬草を摘もうと思ったのが運の尽きだったわ。迷子になってしまって……」
「薬草を摘もうとしてた割には籠を持ってないんだな」
「思い付きだったの。このポーチに入れていこうと思ったのよ」
「……どうする?」
「……念の為連れていけ」
一番背の高く大きな体躯の男が他の男達にそう命じると、他の3人の男がリリエを取り囲み腕を掴まれた。
リリエ、結構ファインプレーだったのにね