16、「ワルイコト、しに行こうか」
リリエはレクスを伴ってイグナツの元へと急ぐ。
もう昼過ぎというこの時間なら食後の休憩がてら帳簿の見直しをしている時間だろう。倉庫番の休憩室を訊ねた。
休憩室の扉を静かに叩く。
「イグナツ……、いる?」
その呼びかけからややあって扉が開かれる。
「これはこれは、お嬢様。かような所まで来られるとは……、どうなされたかな?」
リリエは眉尻を下げて上目遣いでイグナツを見つめた。
「……イグナツにしか頼めない事なの……。ダメだったら断ってくれてかまわないから……聞いてくれる?」
イグナツは目を細めてリリエを見た後、部屋に入るよう促した。
レクスが部屋へ入る時にイグナツが小さく囁く。
「くれぐれもお嬢様を頼みましたぞ、と申したはずですが?」
その言葉にレクスは苦笑いをして答える。
「リリエ嬢は俺なんかがどうにか出来る様な人じゃないよ」
「またまた、お戯れを。貴方以外には成し得ないでしょう?」
その言葉に思わず更に苦笑いを深めた。
「なに? どうしたの?」
リリエはレクスの様子に首を傾げる。
「ほっほっほ。何、男同士のちょっとした密談でしてな。それよりお嬢様、この爺めに頼み事とは?」
「……あのね? お父様の執務室のマスターキーをどうにか入手出来ないかしら?」
「ふむ……。マスターキーを管理しておるのは執事のボフスラフですな。それを爺めに手に入れて来いと?」
「……うん。頼める?」
「ふむ……。では条件がございます」
「……なに?」
「カスタバルを2本ほど、調達して頂けますかな?」
「? こないだ約束した分?」
「それもございますが、ボフスラフめは無類の酒好きでしてな。カスタバルがあるとなればまんまと罠に嵌るでしょう」
ヴァルタリア領城の執事ボフスラフ・イジー・マレクは真面目で実直な男でリリエはその仕事ぶりを高く評価していたのだけれど、意外な弱点があったようだ。
「わかったわ。すぐに用意する。レクス、お使いを頼んでもいい?」
レクスはこだわりなく頷く。
「もちろんだよ。この後すぐに買いに行ってくる」
その二人の様子をイグナツ目を細めて見つめた。
イグナツのその視線に気が付いたリリエはやはり首を傾げる。
「? イグナツ? どうしたの?」
「いや、なかなかに良い護衛騎士が付いて良かったですな。レアンドロ殿下の御采配は見事なものです」
「……俺、早速買いに行って来るよ」
そう言うとレクスは早々に部屋を出て行ってしまった。
「……? あんなに慌てて……どうしたのかしら?」
「ほっほっほ。男には女人には預かり知らぬ想いがございましてな。追及してやらんで下され」
「……? そういうものなの?」
「はい。そういうものなのですぞ? さ、お嬢様はお部屋に戻られよ」
リリエは首を傾げたけれどイグナツはそれ以上は答えてくれなかったので、自分の部屋に戻る事にした。
今日の午後は礼儀・行儀の授業で座学だった。
ちょうどその授業が終わったタイミングでレクスが戻って来た。
部屋に戻って、二人で話をする。
「ちゃんとお使い出来たよ。イグナツにカスタバル3本渡してきた」
「3本って……、もしかして私の約束していた分?」
「うん。余計なお世話だったかな?」
リリエは首を横に振った。
「ううん。ありがとう、気を利かせてくれて。早く渡せてよかった」
「この位お安い御用だよ」
普段通りに食事を終えて、皆が寝静まり返った夜更け、ベッドルームのバルコニーが硝子が静かにコツンコツンと叩かれた。
リリエはそれに反応してベッドから起き上がり、バルコニーに駆け寄った。
「……レクス?」
バルコニーにはやはりレクスが立っていて、三日月の月明りを浴びていた。
「うん、迎えに来たよ、リリエ嬢」
月を背景に微笑むレクスはなんだか一番本当のレクスに近い気がして、なんとなく気恥ずかしくなる。
差し伸べられた手を俯きながら取るとぐっとその手を引かれた。
「さ、お嬢様? ワルイコト、しに行こうか」
まるでダンスをするように軽やかにレクスはリリエの腰に手を回した。
間近で見るレクスの瞳にはどこか優しい色が浮かんでいてやっぱり恥ずかしくなって俯く。
「……ええ、行きましょ?」
「俺の首に手回して?」
「え?」
「あっちの部屋のバルコニーに移らないと。リリエ嬢の部屋の前は衛兵が結構頻繁に見回りに来るからリスクが高いんだ」
「……わかった」
レクスの首に手を回すと抱き上げられる。
レクスの体格からは想像も出来ない位軽々と抱き上げられてびっくりしてしまう。
「あの部屋のバルコニーまで飛び移るからしっかり掴まっててね?」
「うん」
バルコニー間の間隔はちょうど大男の2歩位だろうか?
それをレクスはリリエを抱きかかえて軽々と飛んだ。
「怖くない?」
「ううん。全然平気よ」
目的の部屋まで3つほどそうして飛び越えた。ようやく降ろされたリリエは何故かちょっとだけホッとした。
その部屋を出て慎重に見張りを警戒しながら歩みを進めて、領主の執務室に辿り着く。
レクスは懐から鍵を取り出した。
「これ、イグナツから預かった執務室のマスターキーだよ。執事さんの事完全に潰しちゃったみたいだから、今夜は大丈夫だろうって」
リリエは苦笑いした。
「なんだかボフスラフが気の毒ね」
「でもお陰で執務室を調べることが出来るから。尊い犠牲という事で」
悪戯っぽく笑うレクスにリリエも一緒につられて笑ってしまう。
執務室に入ると大きな執務机とゆったりと座れる大きな革張り椅子があり、書棚にはたくさんの書類と書物が収められている。
二人は内側からしっかり施錠する。
「……どこから手を付けようかしら……」
「ああ、こういうのはね、大体パターンが決まってるんだよね」
レクスは手慣れた様子で特定の書棚をピンポイントで探り始めた。
「あった。はい。これが財務帳簿の過去の分。欲しいのは6年前のこれと……、あんまり最近のだとすぐにばれちゃうかな……3年位前のこれがいいかな?」
2冊の過去帳簿をリリエに手渡す。
その手慣れた様子にリリエは面食らってしまった。
「……レクスはこんな仕事を沢山してるの?」
「え? あ、……ああ、うん。よくレアンドロ殿下に密命受けて忍び込んだりするから……」
「そうなの。レアンドロ殿下はレクスをとても信頼していらっしゃるのね」
「……ああ、まあ。そうかも」
なんとなく言い淀む様子のレクスに少し違和感を持ったけれど、追及するのをやめた。みだりに他人の秘密を暴いていいものではない。
「さ、次は一番肝心なもの。こういうのはね……、鍵付きの引き出しにしまってあるものなんだよね~」
レクスは針金を懐から取り出した。
そして机の鍵付きの引き出しの鍵穴に突っ込んだ。
「……本当にレクスって何でも出来るのね」
「割と手先は器用だよ。でも俺、実はダンスとか芸術とか音楽とか文学とかは苦手なんだよね」
「そうなの?」
「感情が希薄なせいなのかわかんないけど、あまり善し悪しがわからないっていうのかな……? 皆はこういうものに感動するんだって事は学んでるけどね」
「そうなの。何も感じなくてもいいわよ。人それぞれだもの、そんなのは」
「……そうかな?」
「うん、感じないという感想があったって構わないと思うわ。そんなの自由よ」
レクスはリリエの方を見て微笑んだ。
「……ありがとう。さ、鍵が開いたよ。開けてみようか」
リリエはレクスが開ける引き出しを固唾を呑んで見守る。
そこには10通の手紙が入っていた。
「全部で10通か……。手分けして宰相に繋がる話題がないか読もう」
「わかった」
二人は手分けして手紙を読む。
「……あったわ。これ、送り主は宰相の名前ではないけど、ほら。『いつも通りに善きに計らう様にとの閣下のお達しです』ってあるの」
リリエはその手紙をレクスに差し出し、文言の部分を指先で指し示した。
「……。ホントだね……。差出人は……M. H. ドブジャーク、あいつか……。これはヴァルタリア領主が宰相の指示を受けて不正に手を染めた確かな証拠になるね」
「この人、誰?」
「宰相チェルニーの筆頭秘書官だよ。彼が日常的に閣下と呼ぶのはチェルニーしかいない」
レクスがそう呟いて間を一刻も置かずに執務室の扉の鍵がガチャリと開錠される音がした。
執事ボフスラフ、朝までテーブルに突っ伏しておりました。




