13、埃舞う街と、静かなる決意
パーティの直後、炭鉱夫達による一斉休業が起こった。
城下は騒然としており、リリエの義母カスタネアの指揮の元、領城を兵士達が守りを固めた。
カスタネアはノエリアに助けを求め、リリエにはいつも通り過ごす様にと申しつけた。
こんな事があってもやはり家族として協力するという選択肢は義母達にはないのだと思うとやはり自分の居場所はここにはないのだな、と少しだけ思う。
一斉休業の報を受けてレクスが一瞬あの狼の様な表情を見せた後、リリエを振り返る。
「俺、行ってくるよ」
レクスが先ほどの獲物を狙う狼の様な目は成りを潜めいつもの人懐こい笑顔でそう言った。
「じゃあ、私も……」
レクスはやはり人懐こい笑みを浮かべたままリリエに言った。
「今回は貧民街に行くし多分皆興奮してるからホントにダメ。それよりもリリエは誰か財務に明るい人にレオポルト先生について尋ねてみてくれない?」
「……わかった」
レオポルト先生との絡みは直接ないけれど、財政に明るくて信用に値する人物は思い当たる。
「じゃあ、行ってくる」
「気を付けてね?」
レクスがいくら腕が立つと言ってもやはり心配だ。
こんな時、自分が無力である事を痛切に感じる。
心配げに見つめるリリエの髪をレクスは優しく撫でた。
「大丈夫。心配要らないよ。充分気を付けるから。待ってて?」
「うん」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
そう言うとレクスは扉を開けて出て行ってしまう。
その扉が閉められたのを見つめて、自分の出来る事をしようと気持ちを引き締めた。
そしてリリエは王妃教育の合間を縫って、イグナツのいる倉庫へと向かった。
「イグナツ、今いい?」
「これはこれはお嬢様。爺めに御用ですかな?」
倉庫の備品を整えていたイグナツはリリエを振り返って笑う。
「あのね、相談があるの」
「むさ苦しい所ですがこちらへどうぞ」
イグナツはリリエを倉庫番の執務部屋に招いて椅子を勧めた。
リリエはその椅子に座り、お茶を用意するイグナツの横顔に問いかけた。
「……その、これは内緒にして欲しいんだけど……」
「お嬢様? このイグナツめがお嬢様の秘密を洩らした事がありましたかな?」
「……そうね。イグナツなら信頼出来るわ。あのね? 多分レオポルト先生は反王派だと思うの」
イグナツは手元のティーポットを目を細めて見つめながらカップにお茶を注ぐ。それはいつもリリエが使う繊細な陶器のカップではなく大きく無骨な木製のカップだ。
「ほうほう? それはまた物騒なお話ですな」
その無骨なカップを差し出されたリリエはそれを受け取った。
「うん、まだ証拠はないの。状況証拠だけ」
「なぜ、レオポルト殿が怪しいと?」
「一番の疑問は私の授業の内容。財務の全体はきちんと教えてくれるけど、肝心な話になると教えてくれない。特に数字が絡むような話題とヴァルタリアの財政については話を反らされるの」
イグナツは何かを逡巡するように手元のカップを見つめる。
そしてリリエの方を振り返っていつもとは違った真剣な表情でリリエに告げた。
「……お嬢様。真実を追求するお覚悟はございますかな?」
「? イグナツ、何か知ってるの?」
「これはヴァルタリアの闇になり得る為、爺めは黙っておりましたが……、お嬢様が詳らかにされたいと申されるのであれば、爺めは喜んで協力いたしますぞ?」
「……覚悟はあるわ。何を知ってるの?」
「少々待たれよ」
そう言うとイグナツは部屋を出た。しばらく部屋には沈黙が流れた。淹れてもらったお茶をすすりながら少しの時間待っていると、イグナツが再び執務部屋へと入ってきた。
その手には一冊の帳簿がある。
「お嬢様、これを」
「……? これは?」
イグナツは目を細めてリリエを見つめた。
「これは爺が6年前から付けておった帳簿でございましてな」
イグナツはその帳簿をリリエに手渡す。
「帳簿……?」
その帳簿を開いて捲った。
そこには日付、品目、数字が並んでいる。
「これは?」
「これらは仕入れ帳簿に記された数と実際の数が合わなかった品目でございましてな。これが6年ほど前から続いております」
リリエはその帳簿を捲りながら思いを巡らせる。
6年前と言えば鉱山の出入りの商会が変わった時期だ。
「ちょうど領城に品物を卸す商会が変わった時でもあるのですよ」
リリエはイグナツを驚愕の瞳でじっと見つめる。
「……そして、その頃はお嬢様がご婚約された時期でもあります」
「…………つまり、領城への物資の流れが変わったのも、私の婚約が決まったのも、すべて同じ時期だということね。」
「全ての発端は6年前という事は確かですな」
イグナツの帳簿を握る手にぐっと力が入った。
◇◇◇
埃っぽい街並みの貧民街をレクスは歩く。
街の片隅には虚ろな目で座り込む者、物乞いする者、 孤児などが溢れている。
街の中心には大きな広場がある。そこに大勢の炭鉱夫達が座り込みを口々に不満を叫んでいる。
レクスは真剣な表情を作り、その炭鉱夫達の前に進み、彼らの目線に合わせる様に屈む。
「さっきから言ってる、まともな道具を寄こしもしないのにってどういう事?」
「……あんた騎士だろう? 俺達を止めに来たのか?」
「俺はさるお方の命でここにいる。お前たちに慈悲を与えて下さるお方だよ」
炭鉱夫達は訝し気にレクスを見つめた。
「この騒ぎの代表は?」
レクスはいつも見せる顔とは違って真剣な表情なのだが、どこか感情を汲み取れない。
「俺だ」
炭鉱夫達の中心にいた立派な体躯の男が立ち上がり手をあげた。
「話を聞かせて欲しい」
「……その前に、そのさるお方ってのは誰だ?」
「ヴァルタリア領主の娘、リリエ様だよ」
「ああ、あの王子に嫁ぐって娘か。何でも噂じゃ城で領主夫人におんぶに抱っこで何もせずに暮らしてるって聞いたが、そんな大層高貴なお嬢様に俺達の何がわかるってんだ?」
「心配するな。あのお方は王妃になられるにふさわしいお方だ。為人は護衛騎士の俺が保証する。お前たちの目的は領城に自分たちの窮状を訴える事だろう? 今がその絶好の機会だと理解しろ」
「……わかった。まずはこれを見てくれ」
男が顎で合図すると、周辺の男達が工具を掲げた。
彼らの手にはボロボロの工具がある。
「まずは炭鉱夫に欠かせない、つるはしだ。すぐに先がいかれちまう。それだけじゃねえ。柄の部分が脆くてすぐに折れちまってこんなもん使いもんになんねぇ」
他の男達もそうだそうだと後ろで主張する。
次はヒビの入ったハンマーを差し出す。
「金属部分が薄い。これも早い段階ですぐにヒビが入っちまう」
次に差し出したのはランタンだ。
「これも同じだ。芯が安もんなんだ。火がちらちら鬱陶しいったらないぜ?」
代表の男は他の男が持っていたシャベルをもぎ取りレクスに差し出した。
「これも、薄いんだ。すぐに曲がっておしゃかだ。これだけじゃねぇぞ? 天井を支える木材も防腐剤をケチってやがるからすぐに腐って危ねぇ事この上ない。運搬に使う手押し車もソリもだめだ。それもこれも商会が代わってからだ」
「……それは6年前にグロックナー商会に代わってからなのか?」
「ああ、そうだよ。あの商会になってからどんどん道具が粗悪になっていった。落盤事故も増えて死んだ奴もケガして働けなくなって一家で苦労してる奴もいる。いくら鉱務官の旦那に言っても、管理官の旦那に言っても取り合ってもらえねぇ」
「ツェルナー王国鉱務官とハーゲンブルク鉱業管理官か……」
「どれだけ商会の品が悪いって訴えても商会を代えてくれる所か俺達が怠けてるんだろうと詰って来る始末だ」
「わかった。必ずあのお方に伝える。お前達はあの方を信じて待て。悪い様にはしない」
「俺達は命削ってやってんだ。それでこんな扱い受けたんじゃやってられん。お嬢様にくれぐれもその辺りを言い含めおいてくれ」
レクスはそれには何も答えず炭鉱夫達の集団に背を向ける。
そして足早に歩を進めながら呟いた。
「……そんな事わざわざ言い含めなくてもリリエはちゃんとわかってるよ……」
埃っぽい街並みに一陣の風が吹き、埃を巻き込んだ風が領城の方角へと流れて行った。
イグナツ爺ちゃん、コツコツ証拠溜め。




