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10、王妃の心得・歴史が示す警鐘

 今日は歴史の授業。教師はラドムス・ヴィーツェスラフ・ホレスキー。60代前半で蓄えた長い髭に少し寂しくなった頭髪を肩まで伸ばしたユーモアにあふれた教師だ。

「おやおや、来たね、二人とも。さ、席に着きなさい」

 ラドムス先生はレクスを歓迎している教師の一人で、次の授業にはレクスの為にリリエと同じ教科書の写本を用意するほど熱心さだ。

 二人はテーブルに着席して用意された教科書を開く。

「私の写本まで用意して頂いて……ありがとうございます」

 レクスが丁寧に頭を下げる。

「なに、私は歴史の造詣を深める為、あらゆる者に歴史を語って聞かせ、歴史が普遍である事を証明して見せたいだけなのだよ」

 ラドムス先生はどこか嬉しそうにその長い髭を撫でつけた。

 「さて、本日の授業は『王妃が王国に与えた影響』についてだ。王妃という立場は、ただ美しく微笑み、舞踏会で優雅に振る舞うだけの存在ではない。むしろ、時として王すら動かし、歴史の流れを左右してきた。君達は、その責任の重さについて考えたことはあるかね?」

 リリエは静かに机の上で手を組んだ。

 レクスもまた真剣な眼差しでラドムス先生を見つめる。

 ラドムス先生は背後の黒板に二人の王妃の名を記した。

「では、まず二人の王妃を取り上げよう。一人目は、エルレラシア大陸のソフィア・エライザ・ディアニス王妃。彼女は才知に長けた女性だったが、その強い意志が時として王を操る形となり、最終的には苛烈な税制改革を推し進めた結果、国民の反感を買った。そして大規模な反乱が勃発し、王国は弱体化してしまった」

 リリエは軽く頷く。

「一方で、対照的な王妃もいる。フロリアーナ・イルダ・バランティーニ王妃。彼女は慈愛の象徴とされ、武人でもあった夫であるディベリオ王が苛烈な政策を取ろうとするたびに緩和策を提案した。彼女の影響によって、国民は王を恐れながらも慕うようになった。結果、王国は長く繁栄した」

 ラドムス先生は椅子に腰掛け、教壇に肘をついた。

「さて、君達に問おう。王妃とは果たしてどんな存在であるべきか。君達はどちらの王妃が国のために良い王妃だったと思う?」

 リリエは思案するように指を組みながら、ゆっくりと口を開いた。

「王妃の影響は大きいと思います。良くも悪くも、王の決定に影響を与え、時にはそれを覆すほどの力を持つ。だからこそ……先生は、もしも王妃がその立場を利用して、自らの意志で国を変えようとした場合、どう思われますか?」

 ラドムス先生は軽く目を細める。

「ほう……? つまり、王妃が王ではなく、自らの判断で国を導くと?」

「ええ。例えば、王の意志に関係なく、王妃自身が影響力を持って改革を推し進めたら?」

 リリエは軽く笑みを浮かべた。

「あるいは、王妃が周囲をうまく動かし、知らぬ間に国の方針を変えてしまうことも可能では?」

 レクスがリリエに視線をやる。

 ラドムス先生は顎を撫でながら少し考え込んだ。

「……なるほど、鋭い視点だ。君はつまり、王妃が表立たずとも、十分に国の行く末を左右できるという話をしているのだな?」

「ええ。そして、そうした影響力を持つ王妃が、必ずしも一枚岩であるとは限らない、という話も含めて」

「……ふむ」

 ラドムス先生はしばらく沈黙した後、くすりと笑った。

「面白い。実に面白い。つまり君は、王妃が政治的な道具として使われるだけではなく、逆にその立場を利用することもできる、ということを示唆しているのだな?」

「ええ。先生、歴史の中で、そうした王妃達はどのような結末を迎えたのでしょう?」

 ラドムス先生はしばらく考え、少しだけ声を潜めるようにして答えた。

「野心を持った王妃たちの結末はさまざまだ。だが、一つだけ共通点がある。彼女たちは皆、王よりも警戒されたということだ」

 リリエは静かに笑みを浮かべ、ラドムス先生の言葉を噛み締める。

「王よりも……ですか。なるほど、それは大事な教訓ですね」

 そのまま授業は続いていく。これでラドムス先生には揺さぶりをかけられた筈だ。

 彼が反王派なら、リリエが今までとは違う事に気が付くだろう。



 次は財務の授業。

 レオポルト先生はレクスの入室を禁止している教師の一人だ。

 なのでこの授業はリリエ一人で受ける事になる。

 レオポルト先生は教壇に立ち、淡々と授業を始める。

「さて、本日は王国の財務について学ぶ。財務は国家の基盤であり、適切な管理がなければ国家は衰退する。特に、我がモトキス王国は交易と鉱業に依存しているため、その収支の流れを理解することが重要だ」

 リリエはいつも通り静かにノートを開くが、今日は意識的に先生の言葉の端々を慎重に聞き取っていた。

 レオポルト先生は黒板に「歳入」と「歳出」の項目を書き出す。

「歳入には主に税収、関税、王領地の収益などが含まれる。歳出には軍事費、公共事業費、王族・貴族への支出がある。これらを適切に管理し、バランスを取ることが財務官の役目となる」

 彼は杖で黒板を叩くと、視線をリリエに向けた。

「リリエ嬢、王国の歳入の中で、最も重要なものは何だと思うか?」

 リリエは考えるふりをしながら、先生の意図を探る。

「税収です。特に、鉱山税や交易税は重要だと思います」

「その通りだ」

 レオポルト先生は微かに満足そうな顔を見せたが、すぐにまた無表情に戻る。

「しかし、鉱山税に関しては一つ注意しなければならない点がある。採掘される鉱石の量は年々変動するため、税率を一定に保つのは難しい。例えば、ヴァルタリアの鉱山はここ数年で産出量が減少しているため、財務相はそれを補うために通行税を適切に調整している」

(鉱山の件には触れるのね……)

 リリエは慎重に言葉を選びながら、揺さぶりをかける。

「では先生、ヴァルタリアの鉱山の産出量が減少した原因はどのように分析されているのですか?」

 レオポルト先生は微かに眉をひそめたが、すぐに冷静に答える。

「一般的な鉱山の衰退の過程と同じだ。表層部の鉱脈が枯渇し、採掘が難しくなったため、産出量が落ちたのだ。これは自然なことだ」

 リリエは穏やかに微笑みながら、さらに問いを重ねる。

「でも先生、鉱山の枯渇は通常もっと長い時間をかけて進行するものではなくて? ヴァルタリアの鉱山は、わずか六年で産出量が大幅に減少したと聞きました。通常の鉱山なら、そんな急激な変化は起こらないのでは?」

 レオポルト先生の指がわずかにピクリと動いた。

「……それは、地質の変化なども影響しているだろう。詳細な調査が必要だが、財務局の公式な見解では、自然な枯渇の過程と判断されている」

「なるほど、では、その調査報告書はどこで閲覧できますか?」

 レオポルト先生の目が僅かに細まる。

「それは財務局の管轄であり、王族といえども簡単に閲覧できるものではない。だが、殿下が望めば要約を提供することは可能だろう」

(要約……ね。つまり、私が直接見ることはできないようにしている)

 リリエは、さらに先生を追い込む。

「それは少し残念ですわね。せっかく王妃教育を受けているのだから、財務の実情を学びたかったのですが……」

 レオポルト先生の表情はわずかに硬くなったが、彼は落ち着いた声で返した。

「王妃となる方には、全体の流れを理解することが重要です。細部の管理は財務官に委ねるのが賢明でしょう」

(やはり私には細部を知られたくない……)

 リリエは微笑みながら、最後の一撃を加える。

「そうですわね……確かに、王妃がすべてを管理するのは難しいですわ。でも先生、財務官たちは皆、同じ方針で動いているのでしょうか?」

 レオポルト先生は一瞬、リリエの意図を測るような視線を送った。

「それはどういう意味かな?」

 リリエはあくまで無邪気な笑顔を浮かべたまま答える。

「私が受ける授業では、先生方それぞれが異なるお考えをお持ちですわ。政治、歴史、戦略……どの授業でも、先生方の信念や視点が違うことを感じます。でも、財務は一枚岩なのですね?」

 レオポルト先生の表情が一瞬、読めないものに変わる。


「……財務の管理は厳格な基準のもとで行われている。個々の思想が影響を与えることはない」

「本当に? すべての財務官が、同じ理念で動いていると?」

 レオポルト先生は口を開こうとしたが、すぐに閉じた。

(揺さぶられた……)

 リリエは、相手が慎重に言葉を選ぼうとする様子を見逃さなかった。

「……なるほど、財務は思想に左右されないのですね。大変勉強になりましたわ」

 リリエは微笑みながらノートを閉じた。

 レオポルト先生は授業の締めくくりとして、何か言おうとしたが、その声は少し硬かった。

「……本日の授業はここまでだ」

 レオポルト先生椅子から立ち上がると、早々に教室を出た。

(レオポルト先生は、何かを隠している……そして、それは単なる学問上のことではない)

 授業が終わり、リリエは軽くため息をつく。

(やっぱり、ヴァルタリアの不正は財務にも関わっているのね……)

 彼女の心に、疑惑の火が灯った。

挿絵(By みてみん)

怪しい先生発見

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