1、婚礼の扉、その先に
こんにちは!
この物語は、王妃となるべく育てられた少女・リリエが、城の外での小さな冒険を楽しむところから始まります。
格式ばった日常の中で、ほんのひとときの自由を楽しむリリエの姿をお届けします。
まだ大きな事件は起こりませんが、ここから物語は少しずつ動き出していきます。
どうぞお楽しみください!
成人を迎えたら、私は嫁ぐ予定だった。
その予定はお相手と一度も顔を合わせる事もないまま、遂行される。
私は今、婚姻式の扉の前で純白のドレスを纏い、ベールを被り、ブーケを手に佇み、大きく溜息を吐いた。
本当に結婚したかった愛しいあの人は私の元を去った。
私の彼への恋慕はまだ上手く消化されてはいない。
でも私は私の家門を守る為、そしてこのモトキス王国の安寧の為、顔も知らない王太子殿下と結婚し王太子妃になる。
……そう、予定通りに。
思いを断ち切る覚悟を固める様にぎゅっとブーケを握り締めた。
扉が開かれる。
荘厳な音楽を楽師達が奏で、たくさんの参列者が扉をくぐった私に注目する。
天蓋のステンドグラスからは陽光が差し込んでいて、私の夫になる人の顔をその光彩がベールの様に包み隠す。
彼の背面には細長い透明ガラスのランセットウィンドウがあって、そこからも眩しい太陽の光が差し込んで彼の姿を逆光にしてる。
私は目を凝らして逆光でシルエットになった王太子殿下を見つめる。
ベール越しではわかり辛い。
この煩わしいベールを取ってしまいたい衝動を抑えた。
私の胸の鼓動は大きく跳ねる。
……だって、だって。
忘れるはずもない、あの立ち姿は……。
◇◇◇
リリエはふうと、溜息を吐く。
食事の度に毎回、この憂鬱な心持ちに苛まれる。
だけど、このヴァルタリア領の領民達の苦難を思えば、私の境遇など大した事じゃないと思い直す。
部屋を出て、食堂へと向かう。
もう家族が皆、揃っているようだ。
「おはよう、リリエ」
リリエに笑顔で笑いかけたのは彼女と血の繋がらない姉、ノエリア。
「あなたは本当に食事時になると随分ゆっくりになるのね」
扇で口元を覆い、目だけでリリエに穏やかな声で話しかけたこの人は、やはり血の繋がらない母、カスタネア。
上座に座る父は我関せずという具合で着席していて、先に食事を始めている。
リリエは3人に優雅に挨拶をする。
「お父様、お義母様、お義姉様、おはようございます。遅れてしまって申し訳ありません」
リリエがそう微笑むと、もうリリエを待たずに始まっている朝食の席に着いた。
「ところでリリエ? この間選んであげたドレスはもう着たの?」
「いいえ、勿体なくてまだ袖を通していません」
食事の手を進めながら、そう言った。
「そうなの? あのドレス、とっても似合うと思うわよ? 今度着て見せてね?」
リリエは曖昧に笑う。
曰く付きのドレスに袖を通したい人などいないだろう。
そのドレスはリリエの誕生日に父からという名目で贈られたものだけれど、実態は義母や義姉が選んだものだ。
父自らが選んで贈られたものなど、もう何年も無い。
「お父様にお礼はちゃんと言ったの?」
義母はそう言うと、父の方を見て微笑んだ。
「あなたがいつも立派に勉めて下さるお陰で私達は安寧に暮らせています。ありがとうございます」
「ありがとう、お義父様」
「ありがとうございます、お父様」
毎日毎日、祝詞のようにこの言葉を父に捧げるのが、この家の朝食時の習わしだ。
無口な父がそれには何も答えず、リリエ達に言う。
「私は今日から王都の領邸に戻る。あとは頼んだぞ、カスタネア」
「ええ、あなた。お任せください」
義母は酔いしれる様な笑顔で父に頷く。
「私もしっかりお母さまをお支えするからね、お義父様」
義姉も当然のようにそう答えた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、お父様」
リリエはそれだけ言うと笑顔を張り付けたまま食事を進めた。
食事を終えるとリリエは王家から派遣された教師達の授業を受ける。
リリエの婚約者はこの国第一王子だ。
国王陛下には第一王子しか御子がいないので、きっと第一後継者である第一王子が立太子する事になるだろう。
なのでリリエは王妃教育を受ける。
このモトキス王国には現状他国との大きな同盟や国交は無い。
モトキス王国の創始者が元々いたエルレラシア大陸の一部の国とは細々と船便での交易はあるけれど、モトキス王国とエルレラシア大陸の国々の航海技術は高いとは言えず、頻繁な交易は出来ないのが現状だ。
大きな内海を挟んで更に連峰の向こうにある大国、グリムヒルト王国にはその高い航海技術があって、他大陸との交易も頻繁に行われているらしい。
なので国内情勢についての勉強が中心になる。
リリエはまだ婚約者である第一王子、レアンドロ・エリオ・ヴィクトリアスに会った事がない。
顔も知らない婚約者に嫁ぐ為、リリエはこの授業を受けているのだと思うと溜息が出そうになる。
しかしリリエは理解している。
この婚約はクラヴァード家の為、この国の安定の為に必要なのだという事を。
リリエはこの国の創始者、モトカリオン・ジェリス・ヴィクトリアスの血を引いている。
モトカリオンはこの国を建国し、子を一人授かったけれど、その子は早逝してしまった。
彼の最愛の妻も亡くなった後、若い後妻を迎え、後継を甥に定めて亡くなった。
彼の死後、その若い後妻が懐妊していると発覚した。
産まれた子は女の子だった事もあり、そのまま若い後妻共々、モトカリオンの年の離れた弟の家に入った。
その弟の家、ベンディーク家は家臣として代々王家に仕える名門の家系だ。
しかし、ベンディーク家は先の流行り病で血統が途絶えてしまう。
リリエの母はベンディーク家からクラヴァード家に嫁いできた。
しかしその母もリリエを産み、そのまま亡くなってしまう。
近頃は反王家派の活動が活発になっていて、リリエを女王に擁立しようという動きが水面下で行われているらしい。
もちろん、クラヴァード家は王家に忠誠を誓う。
その証明としてリリエは第一王子殿下の婚約者に抜擢された。
私の王妃教育の教師達は恐らくこの領内の動きを監視する為と反王家派への牽制の為に派遣されているのだろう。
この時間はその教師の一人である、政治を担当する50代の福々しい笑顔が印象的なクラメツ先生の授業を受ける。
「さて、本日の授業はこのヴァルタリア領と王家との関係について、にしましょうか」
「はい、先生」
先生はリリエの返事に満足した様にその福々しいお顔をより一層福々しく綻ばせた。
「では始めましょう。クラヴァード家は、我々の創始者モトカリオンの重臣であったヴァルカス・フェルナール・クラヴァードが祖であります。ここヴァルタリア領は鉱山資源の豊かな土地として栄え、鉄加工の技術に優れております。必然的に領軍も強く、特に重装兵は他領ではこれだけの装備を整える事は不可能でしょう。」
「だからこそ、王家はこの土地を重視している……ということですね?」
「ええ、そうでしょうな。しかし重視している事が必ずしも信頼に結びついているとも限りませんがな。強大な領地は常に警戒の対象になるという事です。特に貴女の様な血統の者がその中心にいるとなれば」
リリエは少しだけ小首を傾げてクラメツ先生に疑問を投げた。
「……私の血統とはベンディーク家の血筋という事でしょうか?」
「そうです。貴女はモトカリオン陛下の血を継ぐ唯一の存在。その事実は王家にとって誇るべきものですが……同時に、警戒すべきものでもある」
リリエは先生の言葉に息をのむ。
「もし、貴女が王太子殿下の婚約者でなかったら……」
先生は意味ありげに言葉を切る。
「……もし私が婚約を受け入れなかったら?」
「貴女は王位継承のもう1つの選択肢として担ぎ上げられるでしょうな」
リリエは少しだけ小首を傾げた。
「まるでそれが当然の様に聞こえますね」
「当然ではありませんか? 王家の正当性は血統にある。貴女はその血を引く唯一の存在。仮に貴女が王妃にならなければ何者として生きるのか……」
クラメツ先生は身を乗り出して微笑んだ。
「王子殿下は素晴らしい方です。しかしいずれ王国を背負うのは血統なのか、それとも……」
リリエは無意識に拳を握った。
そんなリリエに更に微笑んだ先生は少し大仰に答えた。
「まあ、それは歴史が決める事かもしれませんがね」
リリエは続けられる授業に耳を傾けながら、その意識は自身の中にいつもある疑問に心を奪われていた。
(……収入があるはずなのに、どうして領民の暮らし向きは良くないのかしら……)
窓の外は晴れ晴れとした青空で大きな雲が流れている。
クラメツ先生の体型はトトロ系。
さて、本日から始まりました、「王妃になるはずだった私が護衛騎士様と王宮の策略に翻弄される話」です。一話を読んでいただいてありがとうござます!
これから次回以降からお話が動き出しますので、次もお楽しみに!
このお話は拙作「人質同然だったのに何故か普通の私が一目惚れされて溺愛されてしまいました」と同一の世界観での物語です。そちらも18歳以上の方は合わせてご覧いただけると、物語に深みが出ると思います!読まなくても楽しめる様にしておりますので、興味のない方はスルーして下さいな。
息切れするまでは毎週2回、火曜日と金曜日の21:00更新予定です。
どうぞよろしくお願いします!