(八)
なんの飾り気もない広間に、のっぺらぼうが落としたお手玉たちが装飾品のように畳に陣取る。
のっぺらぼうが躯血たちを恐れるように、いまだに彼らに背を向けた少女にしがみついた。手のとまった少女の遊んでいたお手玉たちも、のっぺらぼうのお手玉の横に並ぶ。
「朱火様。こちらは骨皮様と夢助どのです。骨皮様はこれから朱火様を護ってくださるお方ですよ」
名を呼ばれた少女は、のっぺばうをあやすように背中をさすりながら、顔だけを躯血たちに向けた。
躯血の好奇心に満ちた視線が、少女の燃えるような赤い瞳と重なり合う。
「ぬおっ」
彼の口から声が漏れる。彼の右手が、いや益荒男が突然震えだしたのだ。とっさに左手で右手を抑えるが抑えきれない。
彼が益荒男に気を取られている間に、少女は音もなく躯血に歩み寄っていた。
「その子は?」
朱火は益荒男をじっと見つめてたずねる。
「益荒男じゃ。知り合いか?」
彼女は小さく首を横に振った。
「知らない。でも懐かしい感じがする」
「懐かしい?」
彼が眉をひそめ問い返すが、朱火が口を開く前に空気が震え、外から怒号が飛びこんで来る。
「なんなのだ、あやつらは!」
顔をあげた躯血は大きくため息をつく。
「もう来おったか。奴らの根城に近いからかのう」
震えの止まった益荒男から手を放し、顎をさする。
「天邪鬼ですか?」
「益荒男の力を強引に使ったからな」
夢助の問いに頷き、躯血は外に向かう。
騒ぎが起きていたのは屋敷の裏。
そこには先程の三人を含め、五人の陰陽師が集まっていた。
「いつもの烏天狗とは違います! このままでは結界が壊されかねません!」
「言われずともわかっておる! おのれ、久しぶりに京の様子を見に来て見れば次から次へと」
苦々しげに呟く土御門有修の前には、結界に体当たりを繰り返す逆立ち姿の鬼が見える。
「天邪鬼が二体ですか。以前よりも少ないですね」
「無理矢理使ったとはいえ、現状もこの有様だからのう。こやつらも本当に益荒男があるか半信半疑であったのではないか?」
躯血たちの会話を聞きとがめた有修が、鬼の形相で振り返る。
「あやつらが天邪鬼だと? まさか天逆毎の封印が解けたと言うのか⁉」
躯血はなにも言わず、陰陽師たちを押しのけるようにして結界に体当たりを続ける鬼たちの前に立つ。
「なんのことを言っておるかわからんが、いまはこっちを解決するのが先であろう」
躯血の大きな背中は頼もしさがあったが、夢助は遠慮なく不安をぶつける。
「益荒男の鞘がありませぬが、倒せるのですか?」
「さっきのように手に巻き付けてぶん殴るか、首に巻き付けて締め上げるなりすればなんとかなろう。試したことはないがな」
いつもの飄々とした声音ではない。益荒男を握る右手だけではなく左手も強く握りしめている。
躯血は結界の一部を解かせようと、有修を振り返った。その目が大きく見開かれる。
目を丸くしたまま、視点を右手に落とす。
朱火が彼の手を小さな両手で挟みこんでいた。
「お主、いつの間に……」
「朱火様、ここは危のうございます! お部屋にお戻りください!」
躯血の戸惑いも有修の焦りも意に介さず、彼女は無表情のまま躯血の手を口元まで運ぶと益荒男の鍔元に息を吹きかける。
するとどうしたことか、まるで命を吹き込まれたかのごとく益荒男がそそり立つ。むろん躯血の股間もだ。
「なっ!」
朱火以外の口から驚きの声があがる。
「まあまあ、あんな幼子に欲情を。この人に朱火様をお任せして大丈夫なのかしら?」
「変人ですが、割と真面目な方ですので、手を出さないように釘を刺しておけば大丈夫かと」
夢助と常盤が大きな声でひそひそ話を演じると、躯血が珍しく慌てた様子で振り返る。
常盤のもとへ駆けていく後姿を視界の端に収めながら怒鳴った。
「好きでおっ立てておらんわ!」
険しい顔で再び正面に向き直ると天邪鬼たちと向かい合う。
「ええい、益荒男が元気でおるうちに片をつける! 陰陽師、さっさっと結界の一部を解け!」
乱暴に命令された有修は忌々しげに舌打ちする。
「しくじるなよ、変人!」
「変人と呼ぶな!」
叫ぶと同時に前に深く踏み込み益荒男を振り下ろす。
突如として結界の一部が解け、体当たりを続けようとしていた天邪鬼の一体が、前のめりにつんのめり益荒男を股間にうけ、真っぷたつに斬り捨てられた。
二体目が奇声をあげ、手足の爪を突きだしてくるが益荒男で受け流すと真横へと回りこみ、横なぎに益荒男を振るう。別々の形で体をふたつにされた二体の天邪鬼が塵となって消えていく。陰陽師たちがすかさず結界の修復にとりかかった。
「あれだけの妖力を持つ鬼を一刀で斬り捨てるなんてとても頼もしいです。貴方様に朱火様を任せる事にして正解でございました」
朱火と手をつなぎ、先程の言葉を忘れたかのように微笑む常盤に、躯血は大きくため息をつく。
そんな彼の気持ちに応えるように、益荒男と股間がうなだれる。
「夢助もたいがいだが、お主もよい性格をしておるのう」
「お褒めに預かり光栄にぞんじます」
彼女は悪びれた様子もなく、深々と頭をさげた。