(三)
先程まで素手だと思っていた相手が、突然自身よりも立派な刀を手にしている。
首領は恐怖に駆られ悲鳴にちかい叫び声をあげ斬りかかる。
「おいおい、隙だらけになっておるぞ」
手下どものときと同様に余裕をもってかわした……つもりであった。
「のわっ!」
躯血の口から情けない声がこぼれる。起立した股間の先端に、切っ先がかすめかけたのだ。
だが泣き言を言う間はない。今度は刃が横殴りに迫って来る。彼は慌てて床を転がりながら首領との距離を取る。
なんとか立ち上がった躯血は狼狽した。股間が隆起したままでは非常に動きづらい。刀となった益荒男を振るうのは二度目。あの時は必死で、股間の状態など気にしていられる状況ではなかった。
だが実際には起立した股間が動くたびに根元から揺れ、非常に邪魔である。ふんどしでもあれば固定できたが、今の躯血にそんなものを購入する余裕はない。
「わしが悪かった。話し合おう。鞘を置いて今すぐ中を連れて山を下りてくれ。この女はわしが始末をしてやるでな」
「じゃかあしいわ!」
首領は最初のまともな構えはどこへ行ったのか、やたらと刀を振り回す。
動きが荒くなったので、距離を保っていれば万が一は起きないだろう。しかしながら動くたびに股間が大きく揺れるので、気になって仕方がない。
「くそっ、呪いにしてももう少しマシなものにせんか! お前のやる気とワシの股間を連動させるでないわ!」
「つべこべうるさい!」
自身に言われたと感じたのか、首領が怒鳴るが躯血の顔と声は彼の手にする妖刀に向けられている。
いきりたった首領の振りおろした一刀が、ついに躯血の動きをとらえる。
「なっ!」
首領の驚愕の声と、金属が断ち切れる音が響いたのはほとんど同時。
彼の刀は躯血が苦し紛れにかざした益荒男に触れた途端、抵抗を感じることなく斬れたのである。
躯血は狼狽する首領の懐に、素早く飛び込み拳をたたみ込む。くの字に身体をまげ崩れ落ちていく彼の腰から素早く鞘を引き抜いた。 倒れた首領には目もくれず、慎重に益荒男を納める。
ぱちんと心地良い音が響き、益荒男の刀身すべてが鞘に納まった。
躯血が恐る恐る柄を握りこんでいる拳を開く。
「よおおおし!」
彼の心の昂ぶりと反比例するように、股間は落ち着きを取り戻している。
彼は満面の笑顔を浮かべ、床に転がっている野盗たちに目をむけた。
「問題のひとつは片づいたな。あとはお前らだ。早く怪我をしてるやつに手を貸して山をおりろ。わしには他人を守りながら殺り合う趣味はないぞ」
彼らは顔をしかめながら躯血を見やる。
「勝手なことをぬかしてんじゃねえよ!」
「いいからさっさと出て行け!」
戦っていたとき以上の躯血の迫力に、彼らは言葉を失い、助けあいながらのろのろと廃寺を出て行く。
ところが……
「ぎゃあ!」
「なんだこいつら!」
廃寺の外から悲壮感ただよう声と悲鳴がしばらく続き、やがて静寂が訪れる。
その場から動かなかった躯血は、扉を蹴破って入ってきた化物たちを見ると、苛立たしげに唾を吐き捨てる。
「益荒男が力を発揮したからには来ると思っていたが、ずいぶんと早かったではないか、天邪鬼」
体格は成人男性と大差ない。だが手足には長く鋭い爪があり、頭にはツノ、口からは牙が伸びている。
間違いなく鬼だ。ただ、なぜか逆立ちをして、背中を躯血に見せている。それが四体。
「さて、鞘も見つかったところだ。久しぶりにやるか」
獰猛な笑みを浮かべ、鞘に納めた益荒男を腰に差し、体勢を低くする。
「遠慮なくかかって来い。コイツは性格は悪いが切れ味だけは保証してやる。お前らの仲間の血もすでに吸っておるぞ」
「ぐがあああああっ!」
彼の言葉に怒りを覚えたのか、二体の天邪鬼が奇声をあげながら躯血に襲いかかった。
逞しい二本の腕で飛びあがり、八本の四肢から伸びた鋭い爪が躯血の顔に迫るが、彼は腰を落としたままその場から動かない。
天邪鬼の爪が無残に躯血の顔に刺さるかと思った瞬間、二体の天邪鬼の体が真っ二つに別れ床に転がる。
躯血が目にも止まらぬ速さで益荒男を抜き放ったのである。
「居合というそうじゃ。昔、知りあった爺さんに習っての」
凄みを利かせた言葉であったが、股間が盛りあがっていて色々と台無しである。
「どうせ退かぬのであろう? こっちはまだ本命が残っておる。さっさとかかって来い」
真っ二つにされた天邪鬼たちが幻のように消えていく中、残された二体はふたてに別れ躯血を挟みこむ。
「前にあった連中よりは賢いな。それとも意識を共通しておるのか?」
天邪鬼は答えない。そもそも人の言葉を話せるとも思えなかった。
「言葉は無駄か」
自嘲気味に笑った躯血は再び納刀し、居合の構えをとると目を閉じた。
恐ろしいほどの静寂が廃寺に満ちる。
不意に躯血の耳を床板のきしむ音が叩く。
カッと目を見開いた躯血の手が動いた。
遅れてやって来る、床に落ちる物音四つ。
天邪鬼たちの死骸がすべて塵となって消えると、彼はゆっくりと益荒男を鞘へと戻し、大きく息を吐き出した。
「流石に少し疲れたのう」
はた目には野盗も含めて簡単に始末したように見えるが、野盗と天邪鬼ではなにもかもが違う。
纏う妖力、躯血に向ける殺意、彼に死を与えるに値する力。
技術と益荒男の妖力さえ断ち切る力でねじ伏せたものの、野盗と向き合ったときとは躯血の疲労感はまったく違った。
「わしはここで一晩過ごす。外に野盗どもの死体があろう。それを食って立ち去るなら良し。だがここに居座るのであれば……」
重たそうに体を引きずり、倒れたままの女の前で居合の構えをとる。
「斬る!」
声と同時に益荒男が抜き放たれた。
しかしながら、此度は空を斬るだけに終わる。
横たわっていた女の姿は床にない。
躯血は彼の股間が指し示す天井へと目を向ける。
そこには一匹の蜘蛛がいた。牙を持つ女の顔をした巨大な蜘蛛が。