(二)
「夢助、面倒そうだ。わしの陰に隠れよ」
躯血が視線を海岸に向け、夢助の緊張が解かれた。
海岸から迫る光景に、彼は納得し素直にうなずく。
「お言葉に甘えさせていただきます」
夢助が躯血の背後に隠れると、海岸側から街道へ五人の男が駆け足でやってくる。がらの悪そうな男たち。野盗であろうか、男の一人が脱力した女を担いでいた。男たちは躯血を一瞥するが絡んでくることなく、街道を横切り山側へと駆けていく。
躯血の視線が集団の最後尾をいく男の腰にそそがれる。なかなかに見事な拵えの刀が差されていた。
躯血は柄が握られた拳を男に向ける。
「あれならどうじゃ?」
すると垂れ下がっていた帯が、風に吹かれたようにふわりと舞ったかと思うと、地面に対し水平に伸びた。
「おお!」
躯血が感嘆の声をもらし、自身の股間を見やる。
布が彼の一物に押し上げられ、小山を作りだしていた。
「夢助、馳走になった。わしは野暮用が出来たでな。これで失礼する」
振り返った躯血が、不敵な笑みを浮かべる。
「娘を助けに行くのでございますか?」
酔狂だと言いたげに夢助が問う。
「娘? ああ、あれのことか。いや違う」
彼は再び垂れさがった帯を肩にかける。
「気にするでない。お主には関係のないことだからな。縁があればまた会おう」
軽く二三度手をふると、男たちを追い山へとわけいっていく。
夢助は街道を外れた彼を呼び止める事なく、黙ってその背に一礼し、再び東へと歩き出す。
だが、すぐにその歩みをとめる。
「……京か。もしかしたら、使えるかもしれんな」
そう呟いたかと思うと、夢助の姿が煙のように街道から消えた。
一方、躯血はゆったりとした足取りで、男たちのあとを追い、獣道と思われる細き道を進む。野盗どもは木々の間を縫うように移動しているが、躯血の目はその姿を捉えて放さない。
彼らはやがて開かれた場所にぽつんと建っていた廃寺へといたる。野盗の住みかだろうか。彼らは揃って本堂へと入り扉を閉める。
遅れて到着した躯血は、焦るでもなく警戒するでもなく、堂々とした足取りで本堂の扉の前に立つ。
辺りは既に暗くなったが、中からは光が漏れていた。
灯りを用意しているという事は、定期的にここを利用しているのであろう。
躯血は躊躇う事なく扉を開け放つ。
「なんだ、てめえは!」
気を失ったままの女の服を剥いでいた男が、眉間に皺を寄せ怒鳴る。木製の仏像の前でひょうたんに口をつけていた男を除く四人が立ちあがると、短刀を抜き放ち、刃を躯血へと向けた。
彼は「まあ待て」と右手を広げる。
「お前たちがその娘に何をしようとかまわん。わしはお主の腰の物を譲りうけたいだけじゃ」
悠然と仏像の前で腰を下ろす男を指さす。
首領らしきその男は、躯血を睨みつけひょうたんを投げ捨て立ちあがる。
「なんだ、てめえは? 落人か?」
「そんなことはどうでもよい。誤解してくれるなよ。刀をくれと言っておるわけではない。鞘の方を此奴が気に入ってのう。邪魔をせん替わりに譲ってもらえんか?」
彼は銀の帯を男たちに向けながらぞんざいに頼む。
首領は忌々しそうに唾を吐き捨てた。
「馬鹿なことを言ってんじゃねえ。なんで俺が浪人に恵んでやらなきゃなんねえんだ。むしろ、その銀の帯を置いていきな。そうすりゃ命だけは見逃してやらんこともない」
彼の言葉に躯血は声をあげて笑う。
「無理じゃな。此奴がわしの手から離れてくれるのは、気に入った鞘に収まった時か、わしが死んだとき。お主らではわしは殺せんよ」
首領が眉間に皺を寄せる。馬鹿にされたと思ったのだ。片腕を振り上げ前方に勢いよく振り下ろす。
「やっちまえ!」
首領の声を合図に四人の男たちが雄叫びをあげ、床を踏み鳴らし躯血へ襲いかかる。
彼は慌てることなく、一番に迫る男の顔面に左拳を叩きこみ、二番目の男の手首を右手で捻り上げ、床に転がしつつ短刀を奪い取ると、続く三番目の男に投げつけた。短刀が足に深々と刺さり悲鳴をあげて転がる。
瞬く間に仲間を失った四番目は慌ててその場に踏みとどまった。その男の腹に躯血の前蹴りが突き刺さり、あえなく崩れ落ちる。
二番目の男が体勢を立て直そうとするが、躯血は振り返る勢いで回し蹴りを首筋に叩き込む。くたびれた床板が、声もだせぬ彼らの代わりに悲鳴をあげる。
仲間たちを苦もなく倒された首領は、舌打ちして刀を抜くと正眼に構えた。
「ごろつきの割にはなかなか様になっておるではないか。どこぞの武家のはみ出し者か?」
「うるせえ!」
四人をあしらっても息ひとつ乱さずほざく躯血に、彼は罵倒しながらも慎重に間合いを詰める。
「おい、どうやら切り伏せねば惚れた女子は手に入らぬようじゃぞ。滾るであろう?」
のん気に帯へと語りかけ、右手も柄に添えると上段に構えた。
するとなんたることか、躯血の闘志に応えるように、銀の帯が天を貫かんばかりに持ちあがる。
ばきばきと音を立てその身を固める姿は、既に帯ではない。
血が通い始めたかのように光沢を放つ、一本の雄々しき刃。
首領の目が驚愕に見開かれる。
「なんだ、それは!」
「妖刀 益荒男」
股間に富士を作りだした躯血は、犬歯を剥き出し獰猛に笑った。