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妖刀 益荒男  作者: 地辻夜行
三章 鞘師短兵衛
17/17

(十七)

 思わぬ可能性を提示され、躯血(くけつ)が獲物を見つけたかのように目を細める。

「霊木か。まさかそのようなものがあるとは……」

 彼は決意を決めたかのように脇腹をぽんと叩くと短兵衛に問いかけた。

「して、その霊木とやらはどこへ行けば手に入るのだ?」

 短兵衛はひとつうなずくと、霙を振り返える。

「霙、案内をしてやってくれ。そなたなら霊木ともある程度話せよう。わしは以前なめした鹿皮でこちらのかたの短筒の鞘を作る」

 まくしたてられた彼女は露骨に顔をしかめた。

「霊木はこの山の要ですよ。こんなどこの馬の骨とも知れぬ者のために、切り倒していいものではありませぬ」

「だから、そなたに頼んでいるのだ。こちらの方のためとは言わぬ。わしのために頼む。わしとて一度は霊木で鞘をこしらえてみたい」

 子供のように目を輝かせる短兵衛に、霙は諦めたように息をこぼすと力なくうなずく。

「ありがたい。だが案内してもらう前に掃除をせねばならぬな」

 躯血はそういって引き戸を開け放つ。

 そこには待ち構えていたように、天邪鬼が二体立っていた。

 益荒男を持つ躯血の右手は有修(ありなが)の用意した札で妖力を抑えていたが、益荒男が力を戻した時の妖力は天邪鬼を呼び寄せる程度には漏れ出てしまうとみえる。

 すでにやる気を失くした益荒男を再び手に巻きつけようとするが、その横を霙がすうっと通り抜けた。躯血が思わず身震いする。これまでよりも厚着にさせられた躯血であったがそれでも霙から漏れ出る冷気には寒さを覚えずにはいられない

「驚きました。天邪鬼とは作り話ではありませんでしたのね。でも……」

 そういって延ばされた腕から雪混じりの風が流れ出す。

 躯血との間合いを縮めようとにじり寄っていた天邪鬼たちが途端に凍りつく。

「冬のあたしに勝てるわけもない」

 冷たく天邪鬼を一瞥しパチンと指をならす。凍りついた彼らの身体が砕け、雪となって地面に降りつもる。

 つまらなさそうに鼻を鳴らした霙は、ついと小屋の前の切り株に刺さった斧を指さす。

「あれをお持ちになってください。伐らせてもらえるかは霊木次第ですが、許可がでても伐れぬでは意味がありませんから」

 そういってすたすたと歩きだす。

「旦那。急いであとを追った方がいいぜ。姐さんは純潔の妖だからな。足跡は残らねえぞ」

 肩から顔を出した鼬の言葉に、霙の足下に目をむける。地面にはうっすらと雪が積もっていたが、鼬の言う通り、彼女は雪を踏んでいるように見えるのに、足跡が残らない。

 躯血はやれやれと首をすくめると、背中に鼬をはりつけたまま切り株から斧を抜き取り、彼女のあとを追う。

 しばらく坂道をのぼりつづけていたふたりだが、黙って歩くのにも飽きたのか、躯血は霙の背中に向かって語りかける。

「お主、なぜあやつと一緒にいるのだ?」

「旦那、そんなの愛してるからに決まってるじゃねえか」

 なぜか霙ではなく鼬が自慢げに答えた。

 だが振り返った霙にキッとにらまれ、すぐに躯血の背中に隠れる。

「あの人は声なき声を聞く人だから」

 返事をされるとは思っていなかったので、まじまじと横顔を見つめてしまう。

 だが彼女はそれ以上は何も言わず正面に向きなおると再び歩きだす。

 小屋を出て半刻も歩いたころ、不意に霙が立ちどまる。後姿でも緊張している様子がうかがえる。どうしたと躯血が口を開きかけたところで彼女が言葉をもらした。

「嘘……なぜあの方が?」

 霙が少し慌てた様子で躯血を振り返る。

「目的の場所に先客がいらっしゃいます。私よりはるかに格の高い方なので失礼のないように」

 釘をさす彼女に連れられてきた大木の前に一匹の狐がいた。ただその毛色は透明なような、空色のような、少なくともこの世のものとは思えないものである。

「霙ちゃん、ずいぶんと大きくなったね。初めてあったときから100年はたったかな? そちらの鼬ちゃんは初めましてだね」

 狐の親しみのこもった言葉に、霙は恭しく頭をさげる。鼬は躯血の方から首だけをだし、恐る恐るといった様子でうなずいてみせた。

「ご無沙汰しております、空狐さま」

 若干、緊張を感じさえる声で挨拶を返した霙は、振り返って躯血と鼬をにらむ。

「私よりもはるかに格が高いといったでしょ。しっかりと頭をさげなさい」

 困ったように苦笑をうかべる躯血と、明らかに怯えた様子の鼬を見ながら空狐はくすくすと笑う。

「結構です。我らが(いと)し子を守りし者よ。我は天狐様の使いで来たにすぎぬ」

「天狐様!」

 霙は驚き口を押えた。寒さには強いであろう彼女の身体が小刻みに震えだす。それだけで天狐と呼ばれる存在が妖の中ではどれだけのものか、想像がつくというもの。

 躯血はずいと霙の前に出る。背中から鼬が離れ、枯葉の中に身を隠すと空狐に問いかけた。

「ほう。そなたより格が上の存在か。愛し子とやらは見当がつくが、何かわしにようかな」

 古き狐の妖は益荒男を見つめ首肯する。

「その妖刀の鞘にすべき木材を求めておるのだろう? 霊木とは話をつけておいた。我の背後の霊木を伐るがよい。すでにあとを継ぐ者がおるゆえな」

 空狐は背後の大木を愛おしそうに見あげた。大木はその言葉を認めるように、風もないのに枝葉を揺らす。

「そなたらが朱火を大事に思っておるのはなんとなく感じておるが、どうしてわしにまで協力してくれる?」

 空狐は訝しげな駆血ではなく益荒男に目を向ける。

「少しでも早く愛し子の元に戻っていただきたい。天狐様いわく、面倒な相手がしびれをきらしたようでしてね」

 躯血は考えるように目を閉じたが、すぐに開くと斧を肩に担ぎ、しっかりと霊木を見すえる。

 そうして霊木の前に立つと、深々と頭をさげた。

「霊木よ、ご厚意に感謝する。よくわからんが、ゆっくりともしてられんようだ。次に来るときは、酒でもたむけさせていただこう」

 いささか早口に言い終えると、空狐と霙が見守る中、霊木に斧の刃を振るう。

 誇らしげなコーンという透き通った音が、何度も山にこだまする。

 やがて千年以上は生きたであろう大木が、ゆっくりと眠りにつくように倒れた。

 ずしんという重く響く振動をその身に受けた躯血は、続けて必要な長さに切りわける。

「幸い鞘師殿の小屋はここから下っていける。霙ちゃんの力なら木材ごと滑っていけよう」

 空狐の言葉に彼女が、やれやれといった様子で首をすくめる。

 その時だった。

「じっ、地面がゆれとる!」

 突然の大きな揺れに枯葉に隠れていた鼬が、顔を出して悲鳴をあげる。

 躯血ですら片膝をつき、目をむくほどの大きな揺れ。

「あっ、あれはなんですか!」

 霙がこれまでの落ち着いた佇まいを一変させ、とある方角を指さす。

 そちらは京。

 そしてその京のさらにむこう。びわ湖のあたりより天に向かって伸びる大きな影があった。

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