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妖刀 益荒男  作者: 地辻夜行
三章 鞘師短兵衛
15/17

(十五)

 翌日、麓の村で夢助と別れた躯血と信長は、新雪がうっすらと積もる山道をのぼっていた。

 ふたりの周囲にはすでに噂の霧が立ち込めている。霧は湿度と気温の差により発生するものだ。冬山でも発生しづらいだけで、必ずしも発生しないわけではない。

 だがそれでもふたりを取り囲む霧はあまりに濃すぎる。

 躯血が忌々しげに霧をにらみつけた。その姿はいつもの薄着ではなく、夢助になかば無理矢理に着せられた毛皮姿である。体格の良さもあいまってまるで熊だ。ここに常盤がいれば大笑いしていたことであろう。

「うおっ!」

 そんな彼が驚いた声をあげ、益荒男を握りしめる手を顔の前にもってくる。手には堺に行った時同様に有修(ありなが)よりもらった札が貼られていた。

「どうなされた?」

 躯血の後ろを歩いていた信長が、興味深げに躯血の肩越しに益荒男を覗きこむ。

「いや、こやつが突然熱くなりましてな」

 躯血の言葉に信長はまじまじと益荒男を見つめた。

「初めてのことですかな?」

 躯血がすぐさまうなずく。

「そそり立つことはしばしばありますが、熱をもつのは初めてかと」

「この霧に反応しておるのでしょうか?」

 信長の言葉に躯血は少しばかり逡巡したがやがて首を横に振る。

「この霧も普通のものではない。霧に囲まれてからゆらゆら揺れはしておりましたからな。しかし熱くなるのは此度が初めて。もっともすでに落ち着いてきたようでござるが……」

「誠に不思議な刀でござるな」

 言いながら躯血の横に並び、揺れ動く銀の帯をつまみあげる。

 益荒男が呪いをもつ刀であることは、昨夜夢助より説明をうけていた。

 しかしながら、信長がこうして益荒男に触れてみると触り心地はまさしく布。柔らかくなめらかだ。とても鋼のように固くなるとは思えない。

「こやつが立派になると、貴殿の一物も立派になられるのでしたな」

「恥ずかしながら」

 苦笑するしかない躯血であったが、信長の手の中で益荒男がぴくりと跳ねたのを見逃さなかった。

「織田殿、どうやら霧に紛れてよからぬものが来おったようだ」

 躯血が周囲に鋭い視線を向けると、信長は益荒男を手放し怯えた様子で周囲に気を配る。

「いつまで」

「ひぃぃぃ!」

 天から降ってきた金切り声を、信長の口から飛び出した情けない悲鳴が引き裂く。

 続けて銃声がとどろいた。

 霧を突き抜け枝をへし折りながら、人のような顔に曲がった嘴をつけた蛇の身体を持つ怪鳥が1羽、地面へと叩きつけられる。

「なぜそれで当たる」

 頭をかかえうずくまる信長に躯血が呆れた声をあげた。頭を抱える一方の手には、いつの間にか取り出した短筒がしっかり握られている。

 いま思えば昨日も顔をそむけながら、ごろつきの刀に銃弾を当てていた。運がよいのか恐ろしいほど腕がたつのか。しかも此度はそれだけではない。躯血は眉をひそめ、すでに姿が薄れゆく怪鳥を眺める。

「貴殿も妖と縁でもおありか?」

 躯血の問いに小刻みに身体を振るわせていた信長が、そろりと顔をあげる。

「妖……でござるか? いや噂にはきくが妖など一度も目にしたことはござらぬが」

 どうやら自身が何を撃ち落したかも見ていないようだ。すでに怪鳥の姿は消え、さし示すこともできない。

 夢助から聞かされている信長の素性は、尾張織田家の嫡男で、近隣諸国からその奇行でうつけ者と評判であることのみ。

 朱火や常盤のような妖力持ちとは聞いていない。だが妖を仕留められたからには、本人や周囲が知らぬだけで、生まれながらに力を宿している可能性はある。

 そんなことを考えていた躯血の目が大きく見開かれた。

 彼の異変を感じとり信長は躯血の視線を追う。その口があんぐりと大きく開かれる。

 ふたりの視線の先の霧の中に巨大な僧の姿があった。しかも見あげる彼らの前で、僧はその姿をさらに大きくしていく。

 ハッとした様子の躯血が叫ぶ。

「織田殿、見あげるな。前を、前だけを見ておれ!

 叱咤した躯血は僧の足に向かって走る。見あげる者がいなくなった見越し入道は成長をとめ、彼を踏みつぶさんと右足をあげる。躯血は転がながらその足をかわす。勢いよく立ちあがった彼の拳に益荒男を巻きつけられていた。躯血がその拳を、力いっぱい見越し入道の振り下ろされた足首に叩きつける。

「キュッ!」

 甲高い悲鳴と同時に巨大な僧は姿を消し、残されたのは木に叩きつけられのびている(いたち)が一匹。

 躯血が首根っこを掴み持ち上げると、意識を取り戻した鼬がバタバタと暴れ始める。

「放せ! 気持ち悪い手をしやがって!」

「鼬が人の言葉を喋りおった」

 信長が目を丸くするが、躯血は慣れたものだ。

「お主、この山の妖であろう。鞘師の短兵衛という者を探しておるのだが居場所を知らぬか?」

 鼬が怯えるように躯血を見あげる。

「おっ、お前ら借金取りか! だったら居場所なんか言えるわけねえだろうが! (みぞれ)の姐さんに氷漬けにされちまう!」

 躯血が久しぶりの獲物を見つけたかのように、歯をむき出して笑う。

「正直なヤツだな。それでは道案内を頼もうか」

「だから案内しねえって―――」

 なおも抵抗を試みる正直者の鼬の前に、さし銭の束を差し出される。

「鼬殿、拙者たちは鞘師殿に仕事を依頼しに来たのでござる。借金返済はおろか大金持ちになれるかもしれぬ。そうなればお主も霙の姐さんとやらに、ご褒美をもらえるのではなかろうか」

 鼬はそのつぶらな瞳をひとまわりは大きくして、腰の低い信長とさし銭を交互に見やる。

 やがてごくりと唾を飲みこんだ鼬は、首を上下に動かした。

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