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妖刀 益荒男  作者: 地辻夜行
一幕 骨皮躯血
1/13

(一)

「どこに目をつけておるか、このうつけ者が!」

 興奮する武士を前に、行商と思しき男は内心舌打ちをしながら頭を下げる。

「どうかお許しを。荷を背負っておりますので、突然道を塞がれては躱しようもございません」

 顔を赤く染め上げた武士は、整った顔立ちをした若き行商の胸ぐらを掴む。

「拙者に非があると申すか!」

 頷きたいところだったが、刺激すれば事態が悪化するのは火を見るよりも明らか。

 山と海に挟まれし山陽道を東へと急ぎ、だいぶ日が傾いたところで舞い込んだ災厄。

 すれ違うだけであったはずの武士が、急に行商の道を塞ぐようにぶつかってきたのだ。

 この備前を治める浦上家中の者であろうが、面倒なことこの上ない。片側は海ゆえ見晴らしは良いが、周囲に人の姿は見えなかった。これでは助けも期待できまい。 

 銭か荷が目的か、たんなる憂さ晴らしか、どちらにしろこれ以上頭をさげるのは馬鹿らしかった。

 どうするかと悩む彼の顔の横を、(たけ)き風が通り抜ける。

 瞬間、絡んでいた武士が宙に鼻血をまき散らしながらふき飛ぶ。

 先程まで武士の顔があった場所には、行商の顔の横から生えた腕より伸びた大きな拳があった。

 奇妙なことにその拳からはだらりと銀色の帯が垂れている。

 布とは思えない光沢を放ち、ふたりに玉のような汗を流させる日光を、こともなげ跳ね返していた。

「こうるさい。銭が欲しいなら欲しいと言えばよかろうが」

 野太い声が頭上から降り注ぎ、行商は慌てて横に鋭く跳び、身がまえる。

 背後から近づく者の気配などしなかったのに、いつの間にか体格の良い三十路くらいの男が、もう一方の手でぼさぼさ頭をがしがしと掻いていた。行商も決して背が低いわけではないが、それでも彼より頭二つ分は背が高い。

「きさま、このような真似をしてただで済むと思うのか!」

 武士がひん曲がった鼻を押さえつつ、倒れたまま男に向かって吠える。

「何を言っておる。わしはお主を助けたのだ。こやつは行商だぞ。通行するのに領主の許可を得ておるに決まっとる。上が許可した者に下が手を出したとあっては、それこそただでは済むまいて。それでも納得がいかぬなら、遠慮なくかかってくるといい。元の顔がわからなくなるまで付きあってやろう。そうすればワシの身も安全だしな」

 男がそう言って一歩踏み出すと、武士は勢いよく立ち上がり、男と行商を避けるように大きく迂回し、青ざめた顔を歪めて走り去る。瞬時に敵わぬと悟ったらしい。

「お助け下さりありがとうございます」

 武士の姿が遠ざかると、行商は深く頭を下げ男を観察する。

 体格は立派だが身なりはみすぼらしい。服はぼろ布、草履も履いておらず裸足。浜風に混ざって届く匂いもきつい。

 間違いなく浪人であろう。ただその精悍な顔つきは、人と言うよりも獣を思わせる。

彼奴(きゃつ)のためだ。主君の役にも立てず、こんなところで死んでは浮かばれまい」

 男が顎をさすり、楽しそうに声をあげた。

 行商は目を細めたが、今の言葉には触れず背より荷箱を下ろし、中から草履を取り出すと、彼に差し出す。

夢助(ゆめすけ)と申します。よろしければこちらをお使いください」

 男は草履には手を伸ばさず、腹を押さえて顔をしかめた。

「わしは骨皮(ほねかわ) 躯血(くけつ)じゃ。夢助、心遣いは嬉しいがのう。できれば干し飯かなにかを持ってはおらんか?」

「ああ、これは気がつきませんで」

 夢助はうなずき、腰からさげた竹皮の包みを取り、草履と重ねて差しだす。

「おお、これは助かる」

 躯血は満面の笑みで包みだけを受け取り、中の干し飯を美味そうに頬張る。

 夢助は草履をさげ、替わりに水の入った竹筒を躯血に押しつけた。

「お守りいただいたお陰で銭を失わずに済みました。堺への道中、新たに手に入れる当てもございます。どうぞお納めください」

 頬に飯を詰め込んだ彼は、遠慮なく竹筒を受け取る。

 夢助は微笑し再度頭をさげた。

「骨皮様、申し訳ありませんが、次の宿場町までまだあります。私はこれで」

 踵を返し道のりを急ごうとするが、なぜか躯血が隣を歩き始める。

「お主、堺に行くと言ったか。わしは京じゃ。京の様子はわかるか? きな臭い話はよう聞くが」

 問われた夢助は歩調を緩めずに答えた。

「京へ? 確かに今は治安が悪いですな。野盗だけでなく魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)しているという噂を聞き及びます。骨皮様は何故、京に? 士官でございますか?」

 躯血は水を喉に流し込みながら首を横に振る。

「わしは人に仕えるのに向いておらん。用件はこれよ」

 突き出された彼の左手に夢助は注目する。先程から気にはなっていた。

 武士を殴り飛ばした拳は握られたまま今も開かれていない。そこには柄が握り込まれ、親指と人差し指の付け根には鍔もある。だが本来その先にあるべき刃がない。代わりにそこから伸びるのは銀色の帯。それが先ほどからかわらず、怪しい光沢を放ちながらだらりと垂れさがっている。

「これに相応しい鞘を探しておってな」

「帯に……鞘でございますか?」

「帯か。そう見えるか。たしかにそう見えるのう。まあこれにはちと事情が――」

 苦笑していた彼の目が、急に鋭くなった。

 夢助の背中を冷たい汗が流れる。その目には心臓を鷲掴みにするような迫力があった。

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