あ、それともまた、賊をけしかけますか?
目の動き、呼吸、カップに残った紅茶の匂いを嗅いでから、医者はバッグから瓶を取り出した。緑色のポーションだ。多くの毒を解毒すると言われている高級品で、貴族でもなかなか手に入らないと、昔トエーリエに教えてもらったことがあった。
医者がデンベルの口に瓶をつける。
解毒作業の邪魔をしようとバドロフ子爵の動く気配があったので、槍を向ける。
「動かないように」
「この私に武器を向けるんじゃない!」
槍を押しのけようとしたので、前に出して穂先をおでこに当てる。皮膚は傷ついてない。出血しないギリギリを狙ったのだ。
「貴族に武器を向けるとはッッ!! お前は賊として処分してやる!」
先ほど吹き飛ばした護衛が剣を振るってきた。後ろに下がって回避する。
さらに何度か振るってくるので、槍の柄で受け止め、半回転させて絡め弾き飛ばす。
剣が宙を舞い、壁に当たる。
武器を取りに行こうとして護衛の意識が俺から離れた。明確な隙だ。
しゃがみながら槍を横に振るって足に当てて転倒させた。
戦場なら止めを刺すところだが今回は見逃してやろう。
槍を投げるとデンベルに近づこうとしていたバドロフ子爵の足下に突き刺さった。
「治療中なので近づかないでください」
起き上がろうとした護衛の顎を蹴り上げて気絶させると、槍を抜き取り前の前に立つ。
「お前は何者だ?」
「ヴォルデンク家に雇われた護衛です。医者以外の方は近づけられません。ご理解ください」
「うるさい! 早くどけ!」
なりふり構っていられないようで、俺を押しのけようとしてきた。
「これ以上、ポルンさんの邪魔をするなら追い出しますよ?」
勝手に護衛と名乗ったのを認めてくれたようで、アイラがバドロフ子爵に忠告した。
他家で意味も無く暴力を振るったとなれば評判に傷が付く。
さらにヴォルデンク男爵は解毒のポーションを飲みきってしまったのだ。
邪魔をしようにも既に手遅れであるため、引き下がるしかない。
「今回の件は強く抗議するからな!」
「誰にでしょうか? まさかバドロフ子爵ともあろう者が小娘に冷たくされたと、王家に泣きつくつもりですか?」
ボロボロのドレスを着て髪は乱れている。見た目は平民のようだが、口調、気迫、仕草見下すような表情、それらはまさしく貴族だ。
森の中では素直な性格をしていたので、こういった嫌みを言うようなイメージはなかった。
裏表の差が大きく、女は恐ろしいなんて感じてしまう。
「ぐぬぬぬ」
何も言えずバドロフ子爵は言葉に詰まっている。
「あ、それともまた、賊をけしかけますか?」
「また、とはなんだ。言いがかりはやめてもらおう! 治安が悪化して鉱山を守れなかったのはヴォルデンク男爵の責任であって、私は関係ない!」
「だったら誘拐でもしますか? 人質をとれば言う通りに動くかもしれませんよ?」
残念なことにゲオンはサラマンダーに飲み込まれてしまい、証拠は一切残っていない。前回のアイラ誘拐の追及は不可能であるが、またやってくるなら別だ。次やるなら、必ず尻尾を掴んでやる。
「ぐっ……侮辱されて私は気分が悪くなった。帰る!」
護衛だった男を置いてバドロフ子爵は部屋から出て行ってしまった。
ヴォルデンク男爵の方を見ると意識は失ったままだ。解毒のポーションを飲んでも目覚めないのであれば、効果が充分に発揮されなかったのだろう。
飲んでから時間が経ちすぎたか?
顔色は良くなっているのですぐに死ぬことはなさそうだが、目覚めるかどうかは難しいところだ。
気絶している護衛の足を持つとアイラを見る。
体が小さく震えていた。今さら怖くなったのかもしれない。
「私はこれをバドロフ子爵に送り届けます」
「ご迷惑をおかけします。このご恩は必ず返しますので」
「期待していますよ」
金じゃなく体で支払っても……と言わなかったのは、一度きりの関係で終わらないと直感が教えてくれたからだ。
手を出せば逃げ出せない。見た目は違うのだが、危険な雰囲気はベラトリックスに似ている。
ズシズシと足音を立てながらバドロフ子爵が廊下を歩いているので、護衛を引きずって後を付いていく。
悪さをするつもりはないようだ。真っ直ぐ玄関まで着いた。
待機していた馬車に乗り込もうとしたので声をかける。
「忘れ物ですよ」
気絶したままの護衛を前にぶら下げると、振り返ったバドロフ子爵の顔は引きつっていた。
あえてゆっくりと歩いて客車の前につくと護衛を投げ入れる。
これでゴミ捨ては終わりだ。
「おい」
立ち去ろうとしたらバドロフ子爵に話しかけられた。
「なんでしょう?」
「ヴォルデンク家から手を引け。そうすれば今回の無礼は見逃してやる」
「断ると言ったらどうされますか?」
「俺が持つ権力を使って叩き潰すまでだ」
倒れたヴォルデンク男爵とバドロフ子爵、毒、この三つが無関係だとは考えにくい。犯人は目の前にいる男で間違いないだろう。
毒殺を選ぶほどなのだから、言葉通りに実行するはず。
笑って受け流せるものではないし、アイラを送り届ける仕事が終わったからと言って、ヴォルデンク家のもめ事から手を引くのも嫌だ。
一度助けたのであれば最後まで付き合おう。今この瞬間、その覚悟ができた。
「私は護衛の仕事をするまでです」
最後まで言いなりにならなかったのが気にいらなかったようで、酷い形相をして睨みつけてきた。
「帰り道は気をつけてくださいね」
「言われんでも分かっている!」
背を向けてバドロフ子爵は馬車に乗り込んだ。
屋敷の敷地を出て行くまで黙って見送ると、ヴォルデンク男爵の容体を確認するため戻ることにした。





