第9話「巫女姫、紫州の秘密について語る」
「やっぱり、杏樹さまには人望があるんですね」
兵士たちは平伏して謝っていた。涙を流している人もいた。
ついて来ようとする者もいた。
でも、それは難しいらしい。
杏樹さまによると、兵士たちは新婚だったり、病気の子がいたり、年老いた家族を持つ者ばかりだそうだ。恐らく州候代理は、意図してそういう者たちを、杏樹さまの護衛につけたのだろう。
その方が、操りやすいからだ。
逆らったら職を失う恐れがあるし、妻子が不利な扱いを受ける可能性もある。
俺の前世みたいに簡単に引っ越せたり、転職できる世界じゃないからな。
「人望があるのは父ですよ。わたくしではありません」
杏樹さまはそう言って、笑った。
その横では杖也老が難しい顔をしている。
「それで零どの。さきほどの提案の意味を教えていただけるかな?」
「零さまは、わたくしが衛士の『柏木隊』を雇うべきだとお考えなのです。そうですよね? 零さま」
杏樹さまの言葉に、俺はうなずき返す。
さすがは杏樹さまだ。
俺の意図は伝わっていたらしい。
杏樹さまは感心したように俺を見てる。
でも俺としては、杏樹さまの方がすごいと思う。
杏樹さまは兵士たちの名前や家族構成を知っていた。
それをわかった上で、兵士たちが州候代理の命令に従うことを許したんだ。
それは州候代理が彼らに罰を与えないようにするためだけど……長期的に見れば、兵士たちを味方につけることにも繋がる。杏樹さまが紫州を取り返したときは、彼らは忠誠を誓ってくれるだろう。
杏樹さまがそこまで考えていたかはわからないけど……とにかく、すごい人だと思うんだ。
「兵士たちを鬼門まで連れて行くのは難しいでしょう。叔父さまの命令がある以上、兵たちが逆らうことはできませんからね。でしたら、新たな護衛を探すしかありません」
杏樹さまは杖也老に向けて、説明を続ける。
「ならば、零さまと共に戦われた衛士の方々にお願いするのがよいでしょう。わたくしは彼らが『州都までの旅は無理』だと話しているのを聞きました」
「隊長の方が、怪我をされたからですな」
「そうです。ですが、鬼門の村までなら、たいした距離ではありません。隊長の柏木さまには馬車を提供し、そこから指揮を取っていただきます。わたくしたちは護衛を得て、彼らは仕事を得るわけです。悪くない話だと思いますが」
「なるほど! 名案ですな!」
杖也老は手を叩いた。
「おそれいった! 零どのはそれを見越して、兵士たちに商隊の護衛を依頼したのか!」
「そうです。そうすれば、柏木さんたちの手が空きますから」
「衛士の柏木さまたちは、命がけで商人のご息女、須月茜さまを助けようとしました」
杏樹さまが、俺の言葉を引き継いだ。
「そういう方々なら、信頼できるのではないでしょうか」
「ですが、雇うための資金はどうなさるのです?」
「幸い、代官となるための準備金をいただいております。また、州都の自室より、いくつか私物を持ち出すこともできました。処分すれば、当座の資金にはなりましょう」
杏樹さまは続ける。
「村には商人の須月さまがいらっしゃいます。この場で買い取っていただくこともできましょう。あの方々はこれから州都に戻るわけですから、そちらで売却できるわけですからね」
「そこまでお考えとは……」
「問題は衛士の方々が応じてくださるかどうかです」
杏樹さまは俺の方を見た。
「零さまは護衛を生業とする『虚炉村』のご出身です。衛士の方についての知識もございますよね?」
「はい。それなりには」
「彼らが進んで仕事を引きうけてくださるような対価というと、どのようなものがあるでしょうか」
「一番いいのは、霊獣です」
これは間違いない。さっき、柏木さんも言っていた。
『霊獣がいれば、もっと有利に戦えたのに』と。
衛士は霊獣を欲しがる。
霊獣と契約すれば、彼らの力を借りた技が使えるし、衛士としての格も上がる。
ただ、霊獣には相性問題がある。
霊獣は霊力の波長の合わない相手には従わない。
契約して、正式な部下とするには、相性問題を解決しなければいけないんだ。
「なるほど……霊獣ですか」
杏樹さまは難しい顔だ。
俺は話を続ける。
「『柏木隊』に、霊獣を連れている方はいませんでした。『朱鞘』の柏木さんもそうです。霊獣を連れてきて、契約してもらうことができれば、彼らはよろこんで杏樹さまに従うでしょう」
「しかし零どの。霊獣など、すぐに準備できるものでもなかろう」
杖也老が渋い顔になる。
「紫州の霊域にはおるだろうが、あちらは副堂沙緒里どのの管理下にある。仮に野良の霊獣を見つけたとしても、相性問題がある以上──」
「……できるかもしれません」
杏樹さまは言った。
「父が言っておりました。紫州の鬼門近くには、隠れた霊域があると。そこには強力な霊獣がいて、適格者を待っているのだ、と」
「なんと!?」
「そうなんですか?」
「紫州に伝わる、古い言い伝えだそうです。『前州候時代』の」
「『前州候時代』ですか」
いわゆる、乱世のことだ。
かつてはこの国も、群雄が割拠する乱世だった。
日常的に戦が行われていて、死んだ人の恨みや怒りが積もり積もって邪気を生み出していた。そのせいで魔獣も活性化し、町ひとつを滅ぼすほどの巨大魔獣が発生したこともあるそうだ。
乱世を制して、国を統一したのが初代皇帝。名は『煌始帝』。
その配下として戦った8人の部下に領地を与えたことが、州候制の始まりだ。
もっとも州候の方は、家が断絶したり乗っ取られたりで、初代の子孫が治めている州は、ほとんどないはずだけど。
それぞれの州は、霊力の強い土地──霊域を持つ。
霊域に社を建てて、巫女姫に管理させている。
霊域には、清い霊力を好んで霊獣が集まってくる。
州候はその中でも強いものと契約し、部下にも霊獣を与えることで、力をたくわえているというわけだ。
ただ『前州候時代』の記録は少ない。
歴史書なども、国が統一された後に書かれたものだ。
だから、隠れた霊域があっても、おかしくはない。
特に鬼門の近くなんて、そんなに調べる場所でもないからな。
「しかしお嬢さま。そこまでする必要があるのですか?」
杖也老は頭を振って、
「彼らを護衛としたいのならば、賃金交渉をすればよいだけです。わざわざ霊域を探して、霊獣を連れてくることは……」
「確かに、鬼門の町までの護衛ならば、お金で雇えるかもしれません」
「そうです」
「ですがわたくしは……彼らには近衛として、ずっと仕えていただきたいのです」
杏樹さまはたしなめるように、
「鬼門の兵力が減少した今、彼らは大きな力となりましょう。それに、わたくしが直接雇った者たちなら、叔父さまの権力は通じません」
「……確かに」
「もちろん、金銭で雇うのもよいでしょう。ただ、霊獣があれば彼らが生き残る確率が上がります。わたくしは雇った者たちに、長生きして欲しいのです」
あれ? どうして杏樹さまは俺の方を見てるんだろう。
優しい笑みを浮かべながらうなずいてるのは、どうして。
「ですが、霊獣の相性問題はどうされますか?」
杖也老が問いかける。
それに答えて、杏樹さまは、
「わたくしの能力を使います。霊獣と話をして、望む相手を聞き出します。そうすれば……すべてとはいきませんが、多くの方々が契約できるようになるでしょう」
「お力を使うお覚悟ですか……」
そう言って、杖也老は平伏した。
「お嬢さまがそこまでお考えならば、なにも申し上げますまい。わしはご意志に従います」
「ありがとう。爺」
話はまとまった。よかった。
杏樹さまが『柏木隊』を雇うことと、彼らを霊獣で強化することは、俺にもメリットがある。
強力な護衛が増えれば、俺の負担が減るからだ。
そうすれば、俺が頭脳労働に就きやすくなる。護衛の手が足りるわけだから。
やっぱり、杏樹さまについてきてよかった。
州候代理は危うい。やりかたが雑すぎる。
杏樹さまを潰すために鬼門の兵を減らすのはやりすぎだ。そのせいで鬼門から魔獣があふれたら、紫州そのものが危険になる。コストとメリットの釣り合いが取れていない。そんな人間の元で長期間働くのは危険だ。いつか大きくつまづくだろう。そしたら恩給はもらえなくなる。
それなら、杏樹さまにがんばってもらう方がいいよな。
「零さまにお願いがあります」
「はい。杏樹さま」
俺は杏樹さまに頭を下げた。
とりあえず、杖也老の真似だ。
「杏樹さまのご覚悟は理解いたしました。俺は全面的に杏樹さまに従います」
「ありがとう。では、霊域まで同行してください」
「承知いたしました。他にどなたが同行されますか?」
「いえ、わたくしと零さまだけです」
……はい?
俺と、杏樹さまだけ? どうして?
「わたくしが父より頂戴している地図は、本来、門外不出のもの。特に『隠された霊域』については、可能な限り秘密にすべきものです」
杏樹さまは姿勢を正したまま、宣言した。
「ならば、本来はわたくし一人が行くべきでしょう。ですが、ひとりでは霊域にたどり着けるかわかりません。どうしても護衛は必要なのです。であれば、わたくしと零さまが向かうのがよろしいかと存じます」
「……えっと」
「爺と零さまは、わたくしの覚悟を信じて、力を貸すとおっしゃってくださいました」
「……申し上げました」
「ですが、杖也や桔梗では、霊域までの道に不安があります」
「申し訳ございません。お嬢さま。わしがもう少し若ければ」
杖也老は苦い顔になる。
そんな彼に、杏樹さまは、
「責めているのではありません。それに、わたくしは爺の知恵を頼りにしているのですから」
「有り難いお言葉です」
「話を戻します。零さまは『朱鞘』の方に認められるほどの力をお持ちです。衛士の方々に、対価として霊獣を与えるという考えを出してくださったのも零さまです。霊域に行く間も、零さまなら、きっとよい考えを出してくださると思うのです」
杏樹さまは、きらきらした目で俺を見ていた。
まずい。これ、断れないやつだ。
おかしいな。
肉体労働から頭脳労働に回してもらうために護衛を増やそうとしたのに……そのために肉体労働をすることになっちゃってる。
どうしてこうなったんだろう……?
でも、杏樹さまはやる気十分だ。
俺が同行を断ったら、杖也老や桔梗さんが同行することになるだろう。
それは、危険が大きすぎる。
魔獣に対処できるのは俺か、杏樹さまの法術だけだ。でも、杏樹さまが法術を使ってる隙に攻撃されたらアウトだ。どうしても、前衛で戦う者が必要になる。
……しょうがない。
霊域について知る、いい機会だと考えよう。
「承知いたしました」
俺は答えた。
「霊域まで、この身に代えても杏樹さまをお守りいたします」
「ありがとうございます。零さま」
杏樹さまは正座したまま、深々と頭を下げた。
「爺には衛士の『柏木隊』の皆さまとの交渉をお願いいたします。まずは鬼門までの護衛を、可能なら専属の護衛となって欲しいことを伝えてください」
「承知いたしました。お嬢さま。霊獣の件は?」
「それはまだ内緒です。入手できるかどうか、わかりませんので。彼らをぬか喜びさせるわけにはまいりませんからね」
「承知いたしましたとも。ではこの老骨が、彼らを説得してみせましょう」
杖也老は胸を叩いた。
それから彼は、俺の方を見て、
「だが、できれば、零どのも立ち会っていただけないだろうか。貴公は彼らの恩人だ。同席していただいた方が、交渉も上手くいくであろう」
「わかりました」
「姑息で済まぬ。だが、できることはすべてしておきたいのだよ」
気持ちはわかる。
とにかく、今の杏樹さまには味方が必要だ。
そのために力を貸すなら異存はない。
「お願いいたします。零さま」
杏樹さまは言った。
「霊域の方は、今夜にでも打ち合わせをいたしましょう」
「わしは少し、お嬢さまとお話をさせていただく。終わったら呼びに行くので、どうか、休んでいてくだされ。零どの」
「はい」
「今回はご苦労だった。わしは貴公には感謝しているのだよ」
杖也老はそう言って、うなずいた。
俺は一礼して、部屋を出た。
時間が来るまで、少し休むことにしよう。
次回、第10話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。
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