第86話「護衛と巫女姫、煌都の呪詛を祓う(2)」
鈴の音が響いていた。
副堂沙緒里と、蒼錬真名香が鳴らす音だ。
しゃらん。しゃらん。しゃらん。
鈴の音に合わせて、杏樹と『四尾霊狐』が進み出る。
皇帝陵──初代皇帝と二代目皇帝が眠る陵の前で、舞い始める。
杏樹は優雅に。
『四尾霊狐』は短い手足と、ふわふわの尻尾を、一生懸命に動かしながら。
「──天龍八州乱れし時、煌始の王、現れん」
杏樹はゆっくりと、祝詞を唱えはじめる。
「──煌始の王、乱世を終焉へと導き、天龍八州の皇帝となる。そのかたわらに在りしは、金剛の狼。世の者はそれを『天一金剛狼』と呼びにけり」
「──きゅきゅ」
『四尾霊狐』はめいっぱい伸びをして、遠吠えのようなポーズをする。
まるで、狼を真似ているかのように。
杏樹と『四尾霊狐』の後ろには、箱がある。
さっきまで呪符で封じられていた蓋は取り外され、中身が露出している。
かつて、霊獣『天一金剛狼』を殺したという、『邪霊刀』
かつて、『邪霊刀』によって殺されたという、『天一金剛狼の骨』
その両方が姿を現し、猛烈な邪気を発していた。
「クルル────ッ!」
声と共に、空から火の粉が降ってくる。
霊鳥『緋羽根』が生み出す浄化の炎だ。
それが邪気を焼き、周囲を浄化している。
けれど、猛烈な邪気を発する『邪霊刀』と『霊獣の骨』に対して、効果は薄い。
それでも『緋羽根』は必死に、邪気を焼き続ける。
「──煌始の帝王と、金剛の狼は、友なり」
「──きゅきゅ、きゅ」
金色の火の粉に守られながら、杏樹は舞い続ける。
『鎮魂の祭り』は、『天一金剛狼』の魂を鎮めるためのものだ。
『邪霊刀』を後ろに置いた杏樹は、初代皇帝を。
『霊獣の骨』を後ろに置いた『四尾霊狐』は、『天一金剛狼』をかたどっている。
ふたりは手を繋ぎ、言葉を交わす。
生まれながらの友であるかのように、抱き合い、頬ずりをする。
『──────オオ、ォ』
不意に、空気が震えた。
地の底から響くような声が、地面を揺らす。
──『天一金剛狼』だろうか。
かつて、二代目皇帝はこの地で『天一金剛狼』を殺した。
この地は、『天一金剛狼』の血を吸い、恨みもまた、飲み込んでいる。
『邪霊刀』と『霊獣の骨』が、ここに封印されていたのは、そのためだ。
その『邪霊刀』と『霊獣の骨』が、『鎮魂の祭り』に反応している。
仲睦まじい杏樹と『四尾霊狐』の姿と、共鳴している。
「──思い出してください。人と霊獣は、響き合うものであり、助け合うものであり、こうして触れ合うべきものです」
「──きゅきゅきゅ」
「──信じ合えば、ひとつになることもできるのです」
「──きゅきゅ!」
杏樹と『四尾霊狐』が額を合わせる。
そして──光があふれた。
『──────オオオオオオオオォ、ォォ、オ』
地が震える。
現れたのは、狐耳と九本の尻尾を生やした杏樹。
『四尾霊狐』と合体した姿。
それに、『天一金剛狼』の魂が反応──いや、動揺している。
「──人と霊獣が信じ合えば、このようなこともできるのです」
九本の尻尾を揺らしながら、杏樹は舞う。
「──あなたも、そうではなかったのですか。『天一金剛狼』さま」
『オオオオオオオオオオオッ!!』
また、地面が揺れた。
皇帝陵の後ろから、邪気に反応した魔獣がやってくる。
さっきから、ずっとそうだ。
「儀式の邪魔をするな」
俺は霊刀『龍爪』で、魔獣を斬り伏せていく。
現れる魔獣は『クロヨウカミ』に『コクエンコウ』『アオヤミテンコウ』。
杏樹に近づこうとする奴らを、斬って、蹴り飛ばして、排除していく。
この地は、ずっと放置されていた。
だからまわりは草茫々で、道も半分、消えかけてる。
放置されているのは、ここが『天一金剛狼』が殺害された場所だからだ。
そんな地に、踏み込みたいものはいないだろう。
だから、三代目以降の皇帝は、別の場所に陵を作っている。
毎年の歴代皇帝を祀る儀式は、そっちの方でやってるらしい。
おかげで初代皇帝陵のまわりは、邪気まみれ。
そのせいか、陵の後ろから魔獣がやってくる。
それを俺は霊刀『龍爪』で切り捨てていく。たいした数じゃない。空からは『緋羽根』が支援してくれてる。杏樹の儀式が進むたびに、魔獣の数は減っている。
間違いなく、儀式は効果を発揮している。
「……問題は、ここからか」
煌都の方でも、俺たちの動きには気づいているはず。
魔獣が『柏木隊』や錬州兵の守りを抜けて、陵まで入りこんでるのがその証拠だ。
たぶん、魔獣は誰かに誘導されている。
皇弟か陰陽寮が、なにか儀式をしているのだろう。
そう考えていたとき──
『──さても、綺麗事を言うものよ』
──ざらついた声がした。
皇帝陵の真上からだ。
見上げると、黒い鳥がいた。
まるで空間を墨で塗りつぶしたような、鳥のかたちをした黒い影。
声はそこから流れ出していた。
『──知らぬとは幸運なこと。貴様らは「天一金剛狼」がどうして殺されたのかを知らぬゆえに、綺麗事を言える』
「あんたが皇弟……いや、転生者の流葉か」
儀式中の杏樹の代わりに、俺が答える。
「俺と同じ世界から転生してきて、やることは邪神召喚……じゃなかった【禍神】の召喚と、他の領地でのいたずらかよ。同じ転生者として、恥ずかしくてしょうがねぇな」
『──下賤の者と話す口はない』
「そうか。じゃあ消えろ!」
『クルル────ッ!』
ぼしゅっ。
霊鳥『緋羽根』が炎を放ち、黒い鳥をあっさりと灰にする。
『──「天一金剛狼」は、より強い力を望んだ二代目皇帝によって、惨殺された』
けれど、鳥は無数に現れる。数は十……二十……目算で100を超えている。
それが皇帝陵の向こうから、次々に現れる。
奴らは空を舞いながら、口々に言葉を呪いの吐き出していく。
『──二代目皇帝は、自分に初代皇帝ほどの力がないことに怯えた』
『──民が自分よりも、「天一金剛狼」を崇めることを恐れた』
『──それでも「天一金剛狼」が離れていくことに、恐怖した』
『──ゆえに、力と術で支配することを選んだ』
ざらついた声。
鳥たちは杏樹の祝詞をかき消すように、さけんでいる。
時折混じるのは、骨を金属で削るかのような、耳障りな音。
それらが響くたび、周囲の邪気が濃くなっていく。
『──「天一金剛狼」が逃げられぬように呪詛で縛った』
『──逆らえぬように、初代皇帝の太刀で身体を削った』
『──最後には初代皇帝の遺体を楔として、「天一金剛狼」をこの地に縛りつけた』
皇弟の呪詛は続く。
黒い鳥を『緋羽根』が焼いても、俺が棒手裏剣で撃ち落としても、止まらない。
式神──紙で作り上げた黒い鳥は、無数に湧いてくる。
『──忘れるな。「天一金剛狼」よ』
『──その恨みの源は、この国の州候にある』
『──国が皇帝の元にひとつであれば、二代目皇帝が、おのれの力不足に悩む必要はなかった。乱世の終わりに功を立てた者たちが州の自治権を望み、初代皇帝がそれを許したのがあやまち』
『あやまちは、正さなければいけない。州候を殺せ』
地の底から──黒い影が這い出してくる。
巨大な邪気で作り出されたそれは、やがて凝り固まり、狼の姿を作り出す。
山よりも大きな、狼の姿だ。
『【禍神・天一金剛狼】よ』
皇弟の声が響く。
『貴公を鎮めようとする、身の程知らずの州候を、喰らうがいい』
『────グルル』
『確かにこの州候は、霊獣とひとつになる力を持っているかもしれぬ。だが、次の世代はどうだ? 「天一金剛狼」よ。お前の時のような悲劇が起きるのではないか?』
また、呪詛の声が響く。
『この州候の子は、二代目皇帝のように霊獣を裏切るだろう。親が愛した霊獣を殺し、力を奪うだろう。そのような悲劇は防がねばならぬ』
『────グル。グルル!』
『二代目皇帝の悲劇の原因となった州候を殺せ! 次の世代に悲劇を起こすであろう州候を殺せ! その血によって、お前の恨みを晴らすがいい。「天一金剛狼」よ!』
「────グガアアアアアアァ!」
皇弟が口にしているのは、呪いの言葉だった。
『天一金剛狼』の痛みと恨みを刺激し、杏樹に向けさせる術の言葉。
それに反応した『天一金剛狼』が、吠える。
巨大な狼が、震え、地面を蹴ろうと、足を動かす。
けれど──
『────グルル、グルルルウゥゥゥ!』
『な!? なぜ動かぬ。『天一金剛狼』よ』
『────グウウウゥゥアアアア』
顕現した【禍神】は、動かない。
足を動かしてはいるけれど、前に進めない。
当然だ。
奴の邪気は、俺が地面に縫い付けているんだから。
「『虚炉流・邪道』──『影縫い』」
俺は地面に刺した『霊刀・龍爪』に触れた。
【禍神】を地面に縫い付けているのはそれだ。
紫州の土地神『九曜神那龍神』のご神体から作った太刀と、俺たちの霊力。
それが【禍神】と化した『天一金剛狼』の動きを封じている。
『馬鹿な! 人ひとりの霊力で、【禍神】となった『天一金剛狼』を封じられるはずが……』
「人ひとりの霊力じゃないからだよ」
「零さまは、このわたくし──紫堂杏樹および『四尾霊狐』さまと、生命の契約を結ばれました」
【禍神】となった『天一金剛狼』を前にしても、杏樹は動じていなかった。
本当なら、ちょっとくらいは怯えてもいいんだろうけれど。
俺が【禍神】の動きを封じるって確信してたんだろうな。
「零さまは……『四尾霊狐』さまと合体した状態のわたくしと交わり、子どもを作ることを約束してくださいました。わたくしたちは、『九曜神那龍神』のご神体の前で誓ったのです。その瞬間、わたくしと『四尾霊狐』さま、そして零さまは、より深く繋がりました」
紫州の霊域に行ったとき、俺はご神体のかけらを手に入れた。
同時に『四尾霊狐』も、ご神体のかけらを持ち帰っていたんだ。
煌都に向かう前に俺と杏樹は、ご神体の前で子どもを作ることを約束した。
前に、100年かけて『邪霊刀』と『霊獣の骨』を浄化するために子どもを作るって、『四尾霊狐』に約束したからだ。それをきちんと、神さまの前で誓っておくべきだと思った。
でも、そのとき『四尾霊狐』が言ったんだ。
『れいとあんじゅが子どもをつくるとき、一緒にいたい』って。
そしたら杏樹があっさりと『わかりました』と言っちゃった。
しょうがないので俺と杏樹と『四尾霊狐』は、ご神体のかけらの前で、改めて誓いを立てた。
どんな姿で誓ったかは……まぁいいとして。
とにかく、その約束にご神体が反応したことで、俺と杏樹と『四尾霊狐』はより深く繋がることになった。
俺は杏樹や『四尾霊狐』の霊力の霊力を、自由に使えるようになったんだ。
だから今、【禍神】となった『天一金剛狼』を繋ぎとめているのは、俺の霊力だけじゃない。
──杏樹の、浄化の力を宿した、巫女としての霊力。
──六文字の霊獣『九尾紫炎陽狐』の権威を宿した、『四尾霊狐』の霊力。
それらが入り交じり、『天一金剛狼』を封じている。
それだけじゃない。
俺たちの霊力は、徐々に【禍神】となった『天一金剛狼』を侵食しはじめている。
巨大な狼の内部に、直接、杏樹の声を届けていく。
「──『天一金剛狼』さま。あなたに、人と霊獣がわかりあう未来をお見せします」
杏樹は、告げる。
「──わたくしは『四尾霊狐』さまとひとつになったまま、零さまと子を成します。そうして生まれたわたくしたちの子どもは、『四尾霊狐』さまと深い縁を持つことになります」
いにしえには、霊獣が人に姿を変え、人と子どもを残すこともあった。
それとは少し違うけれど、『四尾霊狐』は俺と杏樹が子どもを作るときに関わり、加護を与えることを望んだ。
はるかな昔、人と霊獣──そして土地神が、たがいに深く関わっていた時代のように。人のいとなみの、すぐ側にいることを選んだ。
そんなことを、杏樹は語り続ける。
「わたくしと零さまの子は、人と霊獣の垣根を取り払い、わかりあい、共存する未来を作るでしょう。人が霊獣を殺めるような悲劇が、起こらない未来を」
『────オオォ……オォ』
「──そんな未来を、見たくはありませんか。『天一金剛狼』さま」
『聞くな! 「天一金剛狼」よ!!』
皇弟の式神が、金切り声をあげる。
『まやかされるな! お前は信じた皇帝に裏切られたのだ!! 忘れたか!!』
「──忘れなくても構いません!!」
「──『天一金剛狼』が人を恨んでいたことは、ちゃんと語り継ぐよ」
『──キュキュゥ!!』
杏樹と俺と、『四尾霊狐』の声が重なる。
皇弟の、他者を呪うだけの言葉を、かき消す。
「あなたの無念も、怒りも、語り継ぎ、残します。その上で、わたくしたちは未来に向かうのです」
杏樹はまた、舞い始める。
『…………オォ』
『天一金剛狼』の動きが、止まった。
『…………オォ、オオオ……オォ』
「わたくしたちが間違えたのなら、声を上げて、正してください。わたくしたちはあなたのことを忘れません。時々、お話をしにきます。わたくしたちのしていることが道理に適っているのか、うかがうために」
杏樹の舞いが、終わる。
狐耳と尻尾を垂らし、杏樹は地に伏せる。
「──この在り方こそが、あなたを正しく『祀る』ことだと、わたくしは信じております」
「──俺の主君と『四尾霊狐』さまの言葉を、どうか、聞いてあげてください」
『──きゅきゅ』
邪気で構成された『天一金剛狼』は、完全に動きを止めた。
しばらく、沈黙が落ちた。
空を飛び回る黒い鳥──皇弟の式神も、言葉を失っていた。
そして──
『────見テ、オルゾ』
やがて……『天一金剛狼』の身体が、くずれはじめた。
『────コレヨリ先、オ前タチヲ、見テオル。忘レヌ』
「「承知いたしました」」『きゅきゅ』
『────フ、ふふ……ハハ、はは、ははははは』
『天一金剛狼』の声が、遠くなっていく。
俺と杏樹は手を繋いだまま、邪気で作られた『天一金剛狼』を見つめていた。
山のような狼の身体が、崩れて──
それでも赤黒い眼球だけが、じっと俺たちを見ていて──
最後にそれも、壊れて、消えて──
『──────人を許した、わけではない』
『天一金剛狼』の、最後の声が、聞こえた。
『──────ただ、その未来を、見たくなった。仕方……あるまい』
その声が消えたとき、『天一金剛狼』の姿は、完全に消滅していた。
皇帝陵を包み込んでいた、邪気と共に。
ぱたん、と音がして、『霊獣の骨』と『邪霊刀』を入れていた箱の蓋が、閉じた。
邪気を封じていた呪符は、もう効果を発揮していない。
それでも『霊獣の骨』と『邪霊刀』が邪気を発することは、もう、なかった。
書籍版2巻は、ただいま発売中です!
表紙は狐耳と尻尾状態の杏樹と、錬州の末姫の真名香が目印です。
もちろん、2巻も書き下ろしを追加しております。
表紙は「活動報告」で公開していますので、ぜひ、見てみてください。
WEB版とあわせて、書籍版の『護衛忍者』を、よろしくお願いします!!