第85話「護衛と巫女姫、煌都の呪詛を祓う(1)」
すべての用意を整えて、俺たちは川を渡った。
『鎮魂の祭り』に関わる者すべてを乗せた、大船団だった。
船は、蒼錬将呉が手配してくれた。
彼は『儀式には協力する』と言っていた。
それが一時的な協力なのか、継続的な協力関係になるのかは、語らなかった。
彼は船だけではなく、杏樹を護衛するための兵士も提供してくれた。
船には蒼錬将呉自身も、転生者の駒木師乃葉も乗っていた。
移動中、俺は一度だけ、駒木師乃葉と話をした。
俺は一言『協力に感謝します』と告げた。
駒木師乃葉は一言『見届けたいのです』と答えた。
それで、俺たちの会話は終わりだった。
先頭の船には、右大臣の泰山が乗っていた。
泰山は今回の儀式の依頼者……ということになっているからだ。
『浄化の祭り』の目的は、表向きは『煌都のため、邪霊刀と霊獣の骨を浄化する』となっている。
そのことは、右大臣の名前で告知された。
紫州と錬州を除く6州にも、伝令が出された。
右大臣は陰陽寮の管理役だ。
解任の命令が煌都より届くまでの間は、祭りや儀式を開催できる。
だから紫州と錬州は右大臣の依頼、『鎮魂の祭り』行う……そういうことになった。。
「──あとで煌都より罰を受けることは、覚悟の上です」
出発前、右大臣は言っていた。
彼は皇弟を止めてもらうために、錬州に来た。
二度と煌都に戻れないことを覚悟の上で、『邪霊刀』を持ち出してきたんだ。
勇気のある人だと思う。
皇弟が失脚した後は、右大臣が皇帝をサポートしてくれれば、煌都も落ち着くだろう。
「皇弟殿下は、書状に答えてくださるでしょうか」
「『転生者同士、話がしたい』と書状を出したんですけどね」
杏樹と俺はうなずきあう。
杏樹たちは、煌都にも使者を出していた。
『鎮魂の祭り』が合法なものであることを、皇帝に伝えるためだ。
一緒に送った書状には、俺が転生者であることと、同じ転生者である皇弟と話をしたがってることも記してある。
皇帝が、書状を読んでくれることを願っている。
できれば皇弟を止めるか、説得して欲しい。
『鎮魂の祭り』が終わった後で、話ができればいいと思う。
そんなことを話しながら、俺たちは川を渡り、対岸へ。
この国の首都、煌都の領地へと、足を踏み入れた。
対岸は、草茫々の荒れ地だった。
人の腰の高さまで伸びた草が、地面を覆っている。そこに埋もれるように、踏み固められた街道が、わずかな存在感を放っていた。
誰も、ほとんど口をきかなかった。
ここは、すでに煌都。
それも歴代の皇帝が眠る、皇帝陵の近くだ。
皆は緊張した表情で、自分たちの進む先を見つめている。
「杏樹さま。こちらへ」
「はい。零さま」
俺は杏樹を、用意しておいた輿へと誘導する。
輿を運ぶのは、柏木隊の人たちだ。
杏樹が輿に乗って進み始めると……船底に隠れていた『四尾霊狐』が飛び出した。
輿へと飛び乗り、杏樹の前に腰掛ける。
『きゅうぅ──────っ!!』
人々が見守る中、『四尾霊狐』が高らかな声をあげる。
『鎮魂の祭り』のはじまりを告げる声を。
「紫州候代理、紫堂杏樹さまの名のもとに、月潟零が告げる!」
輿の前に立ち、俺は声をあげた。
中空から霊鳥『緋羽根』が降りてきて、俺の肩に止まる。
『注目せよ』とばかりに、火の粉を散らす。
俺は紫州と錬州の行列を見回して、続ける。
「これより、歴代の皇帝陛下の御霊が眠る陵にて、『鎮魂の祭り』を執り行う。いにしえの皇帝陛下と、契約霊獣であった『天一金剛狼』をなぞらえて、その魂を鎮める儀式である。ご用意のほど、願う!!」
「皆さま、よろしくお願いいたします」
輿の上で、杏樹が皆に告げる。
やがて、人々の隊列が整い、進み始める。
ゆっくりと。
いくつかの輿と、荷物を運びながら。
杏樹のあとには別の輿が続く。
乗っているのは、呪符が張られた箱がひとつ。
そこには『邪霊刀』と『霊獣の骨』が納められている。
輿はさらに続く。
3つ目の輿には帳が降りていて、中は見えない。
見えるのは、かすかな人影だけ。
その輿に乗っているのは、副堂沙緖里だ。
彼女は、この儀式に立ち合うことを望んだ。
危険だとわかっていて、それでも、責任を取りたいと言った。
今の副堂沙緖里は霊力を失っている。
けれど、巫女としての知識はある。
さらに彼女は『邪霊刀』のせいで、父の副堂勇作を失っている。『邪霊刀』と、関わりができている。
『そのことは「鎮魂の祭り」のお役に立つでしょう。伏してお願いいたします。沙緒里を、お連れください』
副堂沙緖里は、必死に願い出た。
杏樹は、それを許した。
すべてを失った副堂沙緖里に、俺や杏樹ができることは、なにもない。
祭りに立ち合ったところで、彼女はなにひとつ、得ることはない。
ただ、見届けることができるだけ。
それでもいいと、副堂沙緖里は言った。
だから彼女は輿に乗り、皇帝陵に向かっている。
最も儀式に近い場所で、すべてを見届ける者のひとりとして。
『鎮魂の祭り』は、皇帝陵の中心で行われる。
『邪霊刀』と『霊獣の骨』をあつかう祭りだ。近くにいる者が、邪気に触れるのは避けられない。
祭りの場所まで行ける人間は、多くない。
現場に立ち会えるのは、数名だけだ。
儀式の中心に行けるのは、俺と杏樹。
そして『四尾霊狐』と『緋羽根』。
そのまわりの、邪気がやや濃い場所でサポートするのは、浄化の呪符を持った桔梗と、副堂沙緖里。そして、蒼錬真名香。
他の者は皇帝陵のまわりで、護衛を務めることになる。
儀式の最中に魔獣や、儀式を妨害する連中が来る可能性があるからだ。
そんな連中から儀式を守るのが、兵士たちの役目になる。
いや……本当なら、そういうのは俺の仕事なんだけど。
儀式中は『邪霊刀』と『霊獣の骨』を解放することになる。
それらが発する強烈な邪気に耐えられるのは俺と、杏樹くらいだ。
だから儀式中は、俺が杏樹の側にいる必要がある。
もちろん【禍神】が現れたら、俺が退治に行くつもりだ。
それまでは紫州の兵士──柏木隊と、錬州兵に任せるしかない。
まぁ、萌黄と茜もいるから大丈夫だろう。
萌黄は単純な戦闘力なら最強に近いし、茜は霊刀を持っている。
柏木隊は霊獣『火狐』を連れている。
魔獣や兵士が相手なら、なんとかなるはずだ。
……気を引き締めよう。
これから俺たちがするのは『鎮魂の祭り』──そして、なぞらえの儀式だ。
杏樹と『四尾霊狐』は、初代皇帝とその霊獣『天一金剛狼』を真似た祭りを行う。
人と霊獣が良い関係である姿を、『邪霊刀』と『天一金剛狼』の骨の前にさらけだす。
そうすることで『天一金剛狼』に、かつては皇帝と霊獣が信じ合っていたことを思い出してもらう。
『天一金剛狼』の魂を慰め、癒やし、鎮める。
それが『鎮魂の祭り』の、第1幕だ。
──しゃらん。
やがて、行列の中で、鈴が鳴り始める。
──しゃらん。しゃらん。しゃらん。
鳴らしているのは杏樹、副堂沙緖里、蒼錬真名香だ。
輿に乗っている3人に、たがいの姿は見えない
けれど、音は徐々に重なっていき、一定感覚で鳴り続ける。
その音に合わせて、人の足並みもそろっていく。
鈴の音と、人の足音。
それらがひとつの楽器のように、音を鳴らす。
足音に合わせて、霊鳥『緋羽根』と霊獣『火狐』が火の粉を噴き出す。
午後の光の中、火の粉が行列を飾る。
それに包み込まれた足並み、手足の動き、そして呼吸までもがそろっていく。
まるで人々が、ひとつの生き物になったように。
大きなその生き物が、皇帝陵に詣でに行くかのように。
すでに祭りは始まっている。
参詣が鳥居を潜ったときから始まっているように、『鎮魂の祭り』は、皇帝陵が視界に入ったときから始まっている。
人々を誘導するのは、3人の巫女。
『四尾霊狐』の契約者の紫堂杏樹──紫州候の血を引く者。
錬州の末姫、蒼錬真名香──錬州候の血を引く者。
力を失った巫女、副堂沙緖里──煌都の巫女衆の血を引く者。
奇しくも紫州・錬州・煌都に関わる者が揃ったことが、儀式を強化していた。
行列は静かに、歩調をそろえながら進んでいき──やがて、ふたつにわかれた。
「────儀式の成功を祈っております。ご主君」
静寂を破ることを恐れるように、柏木さんが言う。
名残を惜しむように、『火狐』たちが炎を上げる。
錬州兵たちも、祭りの無事を祈るように、武器を掲げる。
柏木隊と錬州の者たちは、ここまでだ。
彼らは皇帝陵の前で陣を敷き、儀式が行われるまでの間、杏樹たちを守るのが役目。
ここから先には、踏み込めない。
「……師匠」
「わかってる。頼んだよ。茜」
俺と茜は短い言葉を交わす。
茜は霊刀を手に、うなずく。
それ以上の言葉は交わせない。俺たちはもう、儀式の中にいるから。
ただ、軽く手を握り合って別れる。
茜の隣には、太刀を背負った萌黄がいる。
「──決着」
「あとでな」
「約束」
「わかった」
怒ったような顔の萌黄と、俺は拳をあわせる。
拳をずらして、茜の方を示す。
萌黄は納得したようにうなずき、また「決着」とつぶやく。
俺はうなずき返す。
「茜を頼む」「わかった。あとで勝負して」「了解」
言葉ぬきでそんなやりとりをして、俺は萌黄から離れる。
言外のコミュニケーションはすごくうまいんだけどな、あいつは。
こういうときは頼りになる。
話し合いになると、徹底的にかみ合わなくなるんだけど。
行列が止まり、輿が地面へと降ろされる。
俺は『邪霊刀』と『霊獣の骨』が入った箱を手に取り、歩き出す。
後に続くのは、輿から降りた杏樹、副堂沙緖里、蒼錬真名香。
それと、浄化の呪符を身につけた桔梗だ。
俺は3人の巫女とひとりの侍女を先導して、進んでいく。
道の先には、土が盛られた丘がある。
丘の前には巨大な石碑があり、ここに葬られたふたりの皇帝と、その業績が記されている。
あの地に葬られているのは初代皇帝と、二代目皇帝。
あれが皇帝陵の中心。
そして、『邪霊刀』『霊獣の骨』が安置されていた場所だ。
踏み固められた道を進んでいくと、左右に柱が現れる。
ここから先は、神聖な地。
そう記された柱の前で、俺たちは立ち止まる。
俺と杏樹は振り返り、副堂沙緖里、蒼錬真名香、桔梗に向かって一礼する。
3人は答えるように、鈴を鳴らす。
3人への答えの代わりに、俺の肩で『緋羽根』が炎を上げる。杏樹の足下で『四尾霊狐』が尻尾を振る。
「────ねぇさま」
「────」
言いかけた副堂沙緖里の唇を、杏樹が指で押さえる。
『浄化の祭り』はもう、始まっている。
儀式が安定するまではできるだけ、言葉を発しない方がいい。
そう言い聞かせるように、杏樹は黙礼する。
それに応えるように、副堂沙緖里は何度もうなずく。
これから杏樹がやろうとしているのは、危険な儀式だ。
『天一金剛狼』の魂を鎮められればいいけれど、失敗すれば、巨大な邪気を生み出すことにもなりかねない。その直撃を受けるのは杏樹だ。
その邪気から杏樹を守るために、俺がいる。
仮に『天一金剛狼』が邪霊──あるいは【禍神】として現れたときに、切り伏せるために。
俺と杏樹は、一礼してから、桔梗たちに背中を向けた。
ここから先は、俺たちだけ。
杏樹と『四尾霊狐』、俺と『緋羽根』。
初代皇帝になりきる杏樹と、『天一金剛狼』になりきる『四尾霊狐』
そして、その祭りに介入する、月潟零。補助役の『緋羽根』
この4名で、『鎮魂の祭り式』は行われる。
『参りましょう。零さま』
『はい。杏樹さま』
俺と杏樹は手を取って、皇帝陵の中心に向かう。
かつて、信じた皇帝に殺された霊獣の魂を、鎮めるために。
そして、煌都からやってくる陰謀と攻撃を、終わらせるために。
俺たちは『鎮魂の祭り』の儀式を、開始したのだった。