第83話「杏樹、従姉妹と話をする」
──煌都にて──
「おかわいそうな皇太子殿下。こんな不安定な世界に生まれて……なんとお気の毒な」
「……叔父上」
「この流葉にお任せあれ。殿下の御代が安泰なように、世を整えてさしあげましょう」
「叔父上。もう……おやめください」
布団に横たわった皇太子は、荒い息をつきながら、皇弟──叔父を見ていた。
叔父の流葉は灰色の髪をした青年だ。
年齢は18歳。無冠の身の上だが、実際は国を動かす相国のような権力を持っている。なによりも国を憂い、誰よりも皇帝一族のことを考えてくれている。
それは皇太子もわかっている。
感謝もしている。けれど──
「いっそ……叔父上がこの国の皇帝になれば……」
「それは我が役目ではありません」
幾度となく繰り返されたやりとりだった。
皇帝も、流葉に位を譲ろうとしたことがある。
一度目は、皇太子が成人するまでの繋ぎとして。
二度目は、恒久的に。
けれど、流葉の答えはいつも同じ。
「自分は異世界から転生してきた者です。名の通り、この地に流れ着いた木の葉のような存在なのです。そのような人間が、皇帝になってはいけません。正体が知られたら、いつ地位を追われるかわかりません。そんな不安定な地位に就くなんて、どんな罰ゲームですか」
「叔父上はいつも……罰ゲームとはなにかを説明してくださらない」
「この世界が安定した場所になったら、教えて差し上げます」
「……ぼくは、世界を変えることなんか、望んではいません」
皇太子は枕の上で、頭を振った。
「叔父上……もう、おやめください。これ以上、世をかき乱さないでください。州候たちに煌都の力を示すのならば、もう十分ではありませんか」
「私は、安心したいのです」
「安心?」
「明日の予定も、来月の予定も、一年後の予定も立てられるのだと。誰も自分を……そして、皇帝陛下や皇太子殿下を傷つけられないのだと。そのような状態になってはじめて、自分は安らかに眠ることができるのです」
「叔父上……」
「必要なのは、絶対的な力です。それを手に入れるために、この流葉は命を賭ける覚悟なのですよ」
高らかに宣言する皇弟。
その姿を見つめながら、皇太子はため息をついた。
それから彼は、おだやかな口調で、
「叔父上に申し上げることがあります」
「はい」
「右大臣の泰山に『邪霊刀』を持って逃げるように言ったのは、ぼくです」
「殿下が『邪霊刀』に触れられたのですか!?」
「僕は、道を開いただけです」
皇太子は身体を起こして、叔父を見た。
「すでに『邪霊刀』は他州の者の手に落ちました。川中の屋敷は襲撃され、『霊獣の骨』を奪われたとも聞きます。すでに事は終わったのです。叔父上! どうか、これ以上は……」
「終わっておりません。終わっておりませんよ」
「叔父上!!」
「こちらにはまだ『霊獣の頭蓋』があります。それを使い、忌まわしきあの地を触媒に儀式を行えば、最強の【禍神】を呼びだすこともできましょう。この流葉には異界の霊獣もついております。それらの力をもって、『邪霊刀』を取り戻すことも……」
「叔父上は……まだ、続けるおつもりなのですね」
「ここでやめれば不安を残します。あのとき、もっと努力していればよかった……そんな後悔を抱えて生きることになるのです」
皇弟──転生者の流葉は愛し子を見るような目で、皇太子を見つめていた。
「ご安心を。儀式を邪魔するものは、私が排除いたしましょう」
「……陰陽師と、巫女たちも使うおつもりですか」
「このようなときのために、歴代の皇帝陛下は彼らを養っていたのです。能力の高いものたちを掛け合わせ、最高の術者を作り出すために。そうではありませんか?」
「違います! 彼らは、煌都にかかった呪いを解くために……」
「『天一金剛狼』の怒りを静める……ですか。そんなコスパ……いえ、効率の悪いことに彼らを使うべきではありませんでしたね。すでに言っても詮無きことですが」
そう言って、流葉は座り直す。
寝床に横たわる皇太子に向けて、床に触れるほど頭を垂れる。
それから立ち上がり、彼は、
「どうか、お安らかに。次にお目にかかるときは、すべてが終わっているでしょう」
「……叔父上」
「自分は太子殿下のしあわせを祈っております。それだけは、信じてください」
──衣の裾を払い、皇弟の流葉は、皇太子の元を立ち去ったのだった。
──錬州の砦にて (杏樹視点)──
「……ここは」
「気がつきましたか? 沙緒里さま」
ここは錬州『彼岸町』の砦。
零と蒼錬将呉たちとの会談からは、数時間が過ぎている。
零のおかげで、錬州の協力を得ることができた。
数日後に杏樹は、右大臣の泰山とともに川を渡り、煌都に入る。
その後は皇帝陵で『鎮魂の祭り』を行うことになっているのだった。
「沙緖里さまは休んでいてください。しばらくは安静にするようにと、お医者さまにも言われておりますので」
「……杏樹、さま」
沙緒里はかなり衰弱しているようだった。
顔色は青白く、目には力がない。
唇は乾いて、声もうつろだった。
「喉がかわいてはいませんか? よろしければ、お水を持ってまいりますよ」
「……杏樹さまは……どうして」
「わたくしですか? わたくしは少し時間があいたので、沙緒里さまの様子を見に──」
「…………そうでは……ありません」
沙緒里は杏樹から視線をそらして、
「私のことなど……処刑してしまえばいいのに……どうして、生かしているんですか?」
「沙緒里さま……」
「私は父とともに、紫州を手に入れようとしました。そのために、杏樹姉さまを追放しました」
淡々と、感情ない声で、沙緒里は続ける。
「おろかな親娘でした。父は紫州候である紫堂暦一さまに、私は杏樹姉さまに嫉妬していたのです。おふたりの地位を妬み、ただ、おふたりを見返すことだけを考えていました」
「……沙緖里さま」
「父も私も……州候や巫女姫の地位がどういうものかもわからず……ただ、おふたりの持っているものが欲しかった。子どもが……おもちゃを欲しがるように……巫女姫の地位が欲しかった。それだけでした……」
沙緒里は毛布を握りしめたまま、つぶやく。
「そのために取った手段が、煌都の術者の力を借りて『緋羽根』を奪うことと……姉さまを鬼門に追いやり、呪詛することでした」
「……はい。沙緒里さま」
「煌都の術者たちは言いました。『あなたこそ、紫州の巫女姫にふさわしい』『正しき地位を得るべきだ』と。だから私は望んだのです。誰もがうらやむ巫女姫の地位と……錬州の嫡子との婚約を……けれど……けれど!」
沙緒里は、寝間着の胸に手を当てた。
まるで胸をかきむしろうとしているかのように、爪を立てる。
むりやりに言葉を絞り出そうとしているように、胸を叩く。
唇をかみしめて、そうして──やっと、沙緒里は言葉を続ける。
「……私は、本当は……巫女姫の地位も……蒼錬将呉さまのことも、どうでもよかった。ただ……杏樹姉さまに、私のことを認めて欲しかった! それだけだったのです!!」
「……そう、だったのですか」
「……私は自分のおろかさゆえに、紫州を乱しました。領内に魔獣を呼び込み……民を危険にさらしたのです。どうか、裁かれますように」
ゆっくりと、沙緒里は身を起こした。
端座し……床に額をこすりつける。
「私は罪人です。どうか、刑に処されませ。それも州候代理のお役目と存じます」
「わかっております」
杏樹は目を伏せたまま、答える。
「……わかっているのです。それは」
「ひとつだけ教えてください。姉さま。どうして屋敷にいた私を助け、ここまで運んでくださったのですか? どうして……あの場で死ぬに任せてくださいませんでした……?」
「その答えは、ふたつあります」
杏樹は言った。
「紫州の巫女姫としてのものと、紫堂杏樹個人としてのものです」
「お聞かせください」
「紫州の巫女姫としての答えは……沙緒里さまから、煌都の情報を得るためです」
「……ああ」
沙緖里の背中が震えた。
杏樹の言葉の意味がわかったのだろう。
「紫州を出たあと、沙緖里さまと副堂の叔父さまは煌都にいらしたのですね。そして、煌都の術者集団と関わった。川中の屋敷にいらしたのは、彼らの命令によるものだった……違いますか?」
「……違いません」
床に額をこすりつけたまま、沙緖里は答える。
「私……副堂沙緖里には……皇弟殿下の指示により、【禍神】を召喚するための術がほどこされました。『清らかな巫女』が霊力を供給し……私が、覚えさせられた術を発動するというものです。それらについても……紫州の巫女姫がお望みなら、すべてをお話いたします」
「ありがとうございます」
「……杏樹姉さま」
「はい」
「私を助けた理由……杏樹姉さま個人としてのものを、聞かせていただけますか?」
そう言って沙緖里は、顔をあげた。
彼女はまた、唇をかみしめていた。涙を、必死にこらえているように見えた。
自分には涙を流す資格はない──そう思っているようだった。
副堂勇作と副堂沙緖里は杏樹を追放し、紫州を混乱させた。
【禍神・斉天大聖】を召喚するための儀式も、沙緖里みずからが行ったものだ。煌都の手によって術書が書き換えられていたとはいえ、沙緖里が杏樹を呪詛したことに代わりはない。
その結果、紫州には魔獣が現れ、人を襲った。
鬼門の村々は破壊され、田畑も荒らされた。
人死にが出なかったのは、杏樹たちがすみやかに対処をしたから……ただ、それだけだ。
本来なら、沙緖里は紫州に残って罪に服すべきだった。
だが、あのときの沙緖里は呪詛を返された衝撃で、意識を失っていた。
気づいたら副堂勇作とともに、煌都に入っていたのだ。
「……私は本来、許されることのない人間です」
沙緖里は続ける。
「そんな私を、杏樹姉さまはどうして助けたのですか……?」
「……わかりませんか?」
「はい」
「簡単です。わたくし……紫堂杏樹は、従姉妹のあなたに生きていて欲しかったからです」
「────!?」
「沙緖里さまは私の血縁者で、幼なじみで……大切な従姉妹です。あなたがわたくしを嫌っていても、わたくしはあなたと遊んだ子どものころを覚えております。そのわたくしに、あなたを見殺しになどできるはずはないでしょう。わたくしは……本当は……あなたを裁きたくなんてなかった!!」
「杏樹……ねぇさま」
「わたくしは紫州の巫女姫です。今は州候代理でもあります。ですから、わたくしはあなたを裁かなければなりません。あなたの罪をなかったことにすることもできません。それでも、わたくしはあなたに生きていて欲しい。そう思うことは……そんなにおかしいことでしょうか……」
「……ねぇさま……あんじゅ……ねえさま」
こらえきれなくなったのだろう。
沙緖里の目から、涙がこぼれた。次々にあふれて、止まらない。
その姿を見られたくなかったのか、沙緖里は床にうずくまったまま、泣きじゃくる。
まるで、子どものように、声をあげて。
「…………すべてを、おつたえします」
やがて、震える声で、沙緖里は言った。
「…………煌都で起こっていること……すべてを。皇帝陛下と皇太子殿下……それを補佐している、皇弟……流葉さまのことも」
「はい。沙緖里さま」
「……私が……この沙緖里が、いかに調整されて生まれてきたのか。『清らかな巫女』……私の従姉妹たちがどのような存在なのかも。すべてをお話します。その後で……私の罪を裁いてください」
呼吸を整えて、沙緖里は顔をあげる。
寝間着の袖で涙をぬぐい、杏樹をまっすぐに見返す。
「あなたの手で裁かれることだけが……今の、私の望みです。どうか……お願いします。杏樹姉さま」
そうして沙緖里は、煌都の情報と──
父、副堂勇作が、すでにこの世にいないことについて、語り始めたのだった。
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