第77話「護衛、【禍神】の姫君と出会う」
俺は屋敷の庇に着地した。
二階の窓には格子が入っていなかった。
とりあえず蹴破って、館の中に飛び込む。
二階は、居住空間のようだった。
敷きっぱなしの布団と、米粒がこびりついた器がある。
一階に通じる階段は見えない。それらしい場所はあるけれど、板で塞がれている。隙間からのぞくと……錠前が見える。一階からしか開けられないようになっているらしい。
この部屋は、住人を外に出さない作りになっている。
まるで、牢獄のように。
「この上に副堂沙緒里と『清らかな巫女』がいるはずなんだが……」
右大臣の泰山の話によると、他にも、皇弟直属の従者がいるらしい。
さっき三階を覗いたとき、そいつの姿は見えなかった。
隠れているのか……それとも、すでに逃げてしまったんだろうか。
気になるのは、壁際に祭壇があることだ。
そこに魔獣の骨のようなものが捧げられている。
【禍神】の召喚とか、行われてなければいいんだが……。
「零くん。わたしを置いていかないで」
「萌黄の仕事は、魔獣の掃討じゃなかったのか?」
振り返ると、二階の窓から萌黄が入ってくるのが見えた。
魔獣の血に濡れた刀を提げたまま、俺をにらんでいる。
「魔獣の掃討は仕事。わたしにとっては、人生の目的が優先」
「言っておくけど、俺はお前と太刀を交えるつもりはないぞ」
「いずれ、その気にさせる」
萌黄はそう言って、胸を押さえた。
「そうしないと、わたしはいつまでもすっきりしない。零くんが村を出たときから、わたしはずっともやもやしている。きっと、零くんと命がけで戦うことでしかすっきりしない。太刀がそう言ってる」
「俺の太刀は、そんなこと言ってない」
「零くんは、太刀の言葉を聞き取れなくなっているだけ。真の剣士は太刀の言葉に従うと、村長が言っていた」
「じいさまの言葉なんか忘れろ……誰か来るぞ」
最上階に通じる階段が、音を立てた。
影が見えた。
窓から入る日の光を受けて、人に似た影が降りてくる。
じゃらん。じゃらん。
だん。だだだん。
音がした。
鐘と、太鼓の音だった。
階段を降りてきたのは……猿だった。
正確には猿の魔獣──黒い体毛と長い腕を持つ『コクエンコウ』だ。
数は3体。
それらが浄衣をまとい、楽器を鳴らしながら階段を降りてくる。
「魔獣は掃討する。えい」
萌黄が床を蹴った。
太刀を振り上げ、猿の魔獣『コクエンコウ』に飛びかかる。
けれど──
「『月の宮の姫が命ずる。退きなさい』」
「────!?」
上階から聞こえた声に、萌黄が動きを止めた。
まるで、声に身体を押されたかのように、後ろにさがる。
「なに。これ。身体……勝手、に」
「耳を塞げ。離れていろ。萌黄」
奇妙なものがいる。
それに命じられた瞬間、萌黄が動きを止めた。
ありえない話だった。
あいつの動きを止めるなんて、俺だって力ずくじゃなければ不可能なのに。
「そこにいるのか? 副堂沙緖里」
呼びかける。
「俺は杏樹さまの護衛、月潟零だ。杏樹さまの命令により、この館の調査に来た。あなたがいるなら、連れて帰りたい。杏樹さまはあなたと話をすることを望んでいる」
『沙緖里などというものは、ここにはいない』
声が答えた。
『ここにいるのは、月の宮の姫』
人の脚が、見えた。
白い素足。それに邪気がまとわりついている。
服の裾が見えた。時代錯誤な十二単。重すぎるはずのそれを身にまとい、その人物は軽い足取りで降りてくる。
長い黒髪。白い肌。赤みがかった、切れ長の目。
左手には虹色に光る珠を持っている。
『グルウルルルウ』
『月ノ宮ノ姫』
『降臨。月ヨリ再ビ下リ』
魔獣『コクエンコウ』が人に似た言葉を口にする。
俺は霊刀『龍爪』を構え、その人物から距離を取る。
「……月の宮の姫? どう見ても【禍神】じゃねぇか」
豪奢な着物をまといながら、その身に漂わせるのは濃密な邪気。
付き従うのは楽団にも似た、猿の魔獣。
そして、言葉だけで萌黄を退けるような力を持つ者。
そんな者は【禍神】以外にあり得ない。
「あれは【禍神】だ。近づくな。萌黄」
「【禍神】? でも【禍神】はでっかいんじゃなかった?」
「人間サイズ……じゃなかった、等身大の者もいるんだろ。たぶん」
俺は十二単の女性を見据えながら、『精霊通信』を起動した。
『杏樹さま。あの女性が見えますか?』
声に出さずに、杏樹に呼びかける。
『身体の大きさは人間と同じですけど、あれは【禍神】だと思います。杏樹さまの見立ては?』
『同感です。零さまは、あの者の正体に心当たりはありますか?』
『そうですね……』
──月の宮という言葉。
──従者を連れていること。
──武器を使わずに、萌黄の動きを止めたこと。
わかるのはそれくらいだ。
『あの者が手に持っている珠は……龍珠に見えます』
ふと、杏樹が言った。
『伝説にあるのです。龍は手に、森羅万象を操る珠を持っていると』
『となるとあの【禍神】は、龍神が変化したもの……?』
いや、違う。
三階には『清らかな巫女』と副堂沙緖里がいた。
あの二人がこの場にいる理由はなんだ?
これまでに現れた【禍神】は、物語や伝説を元にしていた。
【禍神・斉天大聖】……つまり孫悟空は猿の魔獣がうろつく場所に現れ、【禍神・酒呑童子】は鬼がいる場所に召喚されていた。
敵は物語や伝説になぞらえて、【禍神】を召喚しやすい場を作り上げていたんだ。
仮に【禍神】の召喚には『清らかな巫女』と副堂沙緒里が必要だとすると、その理由は?
それがわかれば【禍神】の正体もわかるはずだ。
『そういえば……「清らかな巫女」は、調整されて生まれてきた可能性があるのですね』
杏樹は言った。
『調整……つまり、高い能力を持つ母親が選ばれたのでしょう。もしかしたら、生まれる日も吉日や、調整されたのかもしれません。そういう不思議な出生の経緯をたどっていることが、【禍神】の召喚に関係しているのでしょうか?』
『それです』
『え?』
『召喚されたのは、たぶん「不思議な出生の経緯をたどっている【禍神】」です』
『そうなのですか?』
『はい。俺の世界には、竹の中から生まれた、月の住人の少女の物語があるんです』
俺は答えた。
『その物語では竹から生まれた少女──つまり「不思議な出生の少女」は成長し、月へと帰って行きます。地上の者がそれを食い止めようとするのですが、月の者の力によって、動きを封じられます』
『そこにいらっしゃる少女剣士が、動きを止められたようにですか』
『そうです』
『そのようなお話があるのですね……』
『だからこそ「清らかな巫女」のような、「不思議な出生の経緯を持つ者」が召喚の媒体に使われたのかもしれません』
『……零さま』
杏樹の緊張した声が返って来る。
『……「不思議な出生の経緯」が【禍神】の召喚に必要だとしたら……沙緒里さまも……?』
『わかりません。この【禍神】を祓ったあとで確認するしかないですね……』
『承知しました』
『その竹から生まれた少女ですけど……彼女は月に帰る前に、不死の薬を置いていきます。地上の生き物の動きを封じる力と、不死を与える力……その両方の力を備えていたわけです。おそらく、この【禍神】は、その物語から召喚されています』
物語では『不死の薬』をもらった帝は『姫のいない世界に意味はない』といって、薬を山で燃やしてしまう。
その薬を燃やした山が不死の山……『富士山』だいう伝承がある。
それが『竹取物語』──いわゆる『かぐや姫』のお話だ。
「【禍神・かぐや】……いや【迦具夜】」
俺は【禍神】の少女を見据えて、告げる。
「それが、あんたの名前か」
「我が名を知るか。異界の者よ。わらわはこの地を守るように命じられ、月の宮から参ったというのに」
女性の【禍神】は白い手で口元を隠しながら、告げる。
「ゆえに、我が名において命じる。『龍珠よ。我が敵に雷霆を』」
【禍神】の手の中にある珠が、光った。
「──萌黄!」
俺はとっさに真横に飛んだ。
身体の自由がきかない萌黄を横抱きにして、床を転がる。
直後、俺と萌黄がいた場所を──雷光が走り抜けた。
『──零さま!?』
『大丈夫です。杏樹さま』
『すごい力です……。どうして、零さまの世界の「かぐや姫」は、龍の珠などを持っているのですか!?』
『物語に登場するかぐや姫が、求婚者に「龍の珠をもってこい」と要求するんです』
『なんでそんなにえらそうなのですか?』
『結婚する気がなかったんじゃないでしょうか』
『理解できません。結婚する気がないのなら断ればいいでしょうに』
杏樹が首をかしげる気配。
『どうしてその姫君は、話をややこしくするのでしょうか。結婚する気がないのなら『しません』と答えるべきでしょう。そして、好きな方に求婚されたら「はい」と答えればいいのです。それ以外の答えはないでしょうに』
『そうですね』
『好きな方に求婚されたら「はい」以外の答えはありませんよ?』
『なんで2回言ったんですか』
『なんとなくです』
『まぁ、それで結局その相手は「龍の珠」を手に入れることができなかったんですが』
『【禍神・かぐや姫】は本物の龍珠を持っているのですね……?』
『理由は……奴を祓えばわかるでしょう』
俺は霊刀『龍爪』を手に立ち上がる。
【禍神】の武器は自然現象を操る『龍珠』と、こちらを縛る言葉──言霊だ。
【禍神・斉天大聖】【禍神・酒呑童子】のような戦闘能力を重視した【禍神】じゃない。
近づいて内部の呪符を破壊すれば、消滅させられるはずだ。
「萌黄はさがってろ。できれば、館の外に出ていてくれると助かる」
「で、でも──」
『「それは許さぬ」』
俺たちが動き出す前に、【禍神・迦具夜】が声を発した。
赤みがかった目で俺と萌黄を見つめながら、告げる。
『「月の宮の姫君の名において命じる。殺し合え。
この世界に安定をもたらすために喚ばれた妾の邪魔をすることは許さぬ』」
びくん、と、身体が震えた。
言葉が、俺の霊力にしみ通ってくる。
『「命ずる。
地上を這いずる邪悪な者どもは、殺し合え。
おたがいの血肉を食らい、たがいの命が尽きるまで、殺し合えばいいのだ」』
言葉に力と、強烈な邪気を込めて──
【禍神・迦具夜】は、そんなことを宣言したのだった。
書籍版2巻の発売日が決定しました。4月14日発売です!
表紙は零と、『四尾霊狐』と合体した、狐耳と尻尾状態の杏樹が目印です。
もちろん、2巻も書き下ろしを追加しております。
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