第75話「護衛、河童の魔獣を退治する」
──数時間後──
その日の夕方、錬州の岸辺で、船が動き始めた。
獲物の気配を感じ取り、水中にいた【アカヤミスイコ】が動き始める。
川面は夕方の光と【アカヤミスイコ】の身体で、赤く染まっている。
まるで、大量の血が流れたかのように。
船は、川中の小島に向かっている。
数は十数隻。そのすべてに兵士が乗っている。
それが錬州兵なのか、紫州の兵士なのか、【アカヤミスイコ】にはわからない。
わかるのは、敵が動き出したこと。
無謀にも【アカヤミスイコ】のナワバリに入って来たこと。
船には人の姿があり、人のにおいがすること。
大量の人が乗っているせいで、船が不安定に揺れていること。人の重みで喫水が深くなっていること。
それだけわかれば十分だった。
『──グシャシャ』
『──ギギギ、クク』
【アカヤミスイコ】は牙をむきだして、笑う。
狩りをするのは簡単だ。
船を揺らして、乗っている人間を落とせばいい。
水中は【アカヤミスイコ】のナワバリだ。あとは好きにできるのだが──
『──グルル』
──それでは、仲間と獲物の取り合いになる。
直接、獲物を水中に引きずり込むべきだと考えた【アカヤミスイコ】は、船体に手をかけ、水面から姿を現す。
他の【アカヤミスイコ】も同じだ。
船は十隻以上。早い者勝ちだ。
手当たり次第に水中に引きずり込めばいい。
彼らは腕を伸ばし、目の前にある人間の姿をつかもうとして──
すかっ。
【アカヤミスイコ】の手が、空を切った。
獲物を、つかめなかった。
船の上にいる人間の手足をつかもうとした瞬間、姿がかき消えた。
残ったのは船底で揺れる光の球体と、羽根のようなかたちのもの。
光の精霊『灯』と、風の精霊『晴』。
人のにおいのする着物と、人の重量ほどの砂が入った袋。
それだけだった。
「今だ! 放て──────っ!!」
直後、川岸から銃声が響いた。
『『『ギィアアアアアアアアアア!!』』』
銃弾に貫かれた【アカヤミスイコ】、血を噴き出して倒れる。
船上の獲物に気を取られていた彼らは、無防備だった。
身を包む『邪気衣』も、霊獣の力を宿した銃弾は防げない。
岸辺には銃を構えた人間たち。
彼らの攻撃が次々に、魔獣の身体を捉えていた。
命中率がいいのは、光の精霊が『灯』が、魔獣の姿を照らし出しているからだ。
激怒した【アカヤミスイコ】は精霊たちに手を伸ばすが、届かない。
精霊たちは、とっくに空中へと待避している。それでも攻撃しようと身を乗り出す【アカヤミスイコ】の頭を、敵の銃弾が貫く。
絶命した【アカヤミスイコ】は落下し、水面を血の色で染め上げる。
『…………ギィ、ァ』
『……グガ、ァ』
『…………ギギィ……』
【アカヤミスイコ】の身体が、恐怖に震え出す。
彼らは強い術者によって呼び集められた。だが敵には、もっと強い者がいたのだ。
魔獣の習性を読み取り、罠にはめてしまう者が。
『…………ガァ。ニンゲン……コワイ』
そうして【アカヤミスイコ】たちは、次々に息絶えていくのだった。
──零視点──
「それじゃ、残敵を掃討してきます」
俺は地面を蹴った。
『虚炉流・邪道』の『軽身功』を発動。そのまま水面に向かって跳ぶ。
『作戦成功ですね。零さま』
「杏樹さまのおかげです。あとはお任せください」
俺と杏樹は錬州側と交渉して、船を借りた。
必要なのは、それだけだった。
その後は杏樹が『四尾霊狐』と合体して、光の精霊『灯』を人の姿に化けさせた。
禍神との戦いで俺が使った『影分身』の要領だ。
船の上に映像を映し出して、人が乗っているように偽装した。
さらに、近衛の皆さんから上着を借りて、船底に置いておいた。
人のにおいで【アカヤミスイコ】をおびきよせるためだ。人の体重分の砂が入った砂袋も船に乗せた。あとは水の精霊に頼んで、船を動かしてもらった。
俺たちが焦って、川中の館に向かっているのだと、【アカヤミスイコ】が誤解するように。
あとは【アカヤミスイコ】が船を襲うタイミングに合わせて、近衛『柏木隊』が一斉射撃。それで大半の【アカヤミスイコ】を倒すことができたんだ。
『錬州の皆さまは、びっくりされていますよ。ここにいても声が聞こえます』
「そうみたいですね」
川の上にいる風の精霊『晴』が、錬州兵の声を届けてくれる。
「……【アカヤミスイコ】の群れを、あっという間に?」
「……これが将呉どのがおそれた、紫州の力か」
「……追いかけます。わたしも、敵を掃討して、館に」
──って。
最後のセリフは萌黄のものだ。
振り返らなくてもわかる。
俺と同じように水面を走りながら、こっちに向かってきてるから。
「────零くん」
水面を走って、俺の隣に萌黄が並ぶ。
「零くんが魔獣を掃討するなんて、聞いてない」
「事情はあとで話す。その前に生き残りの【アカヤミスイコ】を片付けよう」
「話はいらない。太刀を振ってるところを見て、察するから」
「いや、話も聞けよ」
言いながら、俺は水面に出ている【アカヤミスイコ】の頭を切り飛ばす。
水面を歩くのは難しくない。
『壁を歩く』の応用だ。水面を自分の一部にすればいい。
それで普通に水面に立って歩ける。
もっとも、萌黄の方は──
じゃばじゃばじゃばじゃばじゃばっ!
「えいえい、えい」
彼女は派手な水しぶきを上げながら、水面を走り回ってる。
あれは『虚炉流』の本式の技だ。
霊力を足に集中して、水と反応させてる。
そうすることで水の抵抗を増やして、足が沈むのを遅くしてるんだ。
だから、左足が完全に沈む前に右足を上げて、その右足が沈む前に左脚を上げて……というやり方で水面を走ることができる。いわゆる力技だ。
難しい技だけど、萌黄は完璧に使いこなしている。
彼女が太刀を振るたびに魔獣の手足が、首が、胴体が宙を舞う。
水中に逃げようとする【アカヤミスイコ】は背中を貫かれ、即座に絶命する。
あれが虚炉村の『裏の無双剣』の力だ。
虚炉村の『無双剣』はふたりいる。
萌黄と多牙根の姉弟だ。
『表の無双剣』多牙根は、客寄せのための、わかりやすい強さを示すのが役目だ。
あいつは『虚炉流』の正統な技を極めている。
だから太刀筋がきれいだけれど──その分、動きが読みやすい。
それでも『虚炉村』の外の者からみれば、十分に強い。無双といっても通じる。
だから客人が来たときは、多牙根が相手をする。
いい勝負ができるから、客人も満足して帰って行く。客寄せには十分だ。
対して『裏の無双剣』の萌黄は、本能で太刀を振る。
彼女は敵を倒すことに特化している。強いけれど、まわりの被害を考えない。
敵の近くに仲間がいたら、まきぞえにして攻撃する。
萌黄は自分にできることは他人にもできると考えている。だから、仲間が攻撃を避けるという前提で攻撃する。被害が出た場合は、よけない方が悪い──そんなふうに考えてる。
萌黄が誰かの護衛をするときは、護衛対象を絶対に守る。
代わりに、護衛対象以外の者は、すべて犠牲にできる。
萌黄は、そういう奴だ。
今も、萌黄はまわりにいる精霊たちのことを全く気にしてない。
刃が通るコースに精霊がいても気にしてない。
まぁ、とっくに待避させてるから、いいんだけど。
『────ギィアアアアアアア!』
パニック状態になった【アカヤミスイコ】が逃げ出した。
気持ちはわかる。
人間を襲おうとしたら一斉射撃を受けて、その後は水面を歩く剣士たちに斬り倒されたんだ。そりゃ混乱するよな。
「生き残りの魔獣は3匹か。どうする。萌黄?」
「掃討する」
「しなくていいと思うぞ」
「会話はいらない。掃討する」
「そうか。じゃあ、後は任せた」
俺は中州の館に向かって走り出す。
目的は【アカヤミスイコ】を全滅させることじゃない。
奴らを倒して、館への道を開くことだからな。
「錬州側が所有する船は、しばらく岸には戻れません。今のうちに館に向かいます」
『……気をつけてください。零さま』
俺の目的は、錬州の連中より先に小島の館に向かうこと。
船を借りたのはそのためだ。
無人の船をおとりに使えば、【アカヤミスイコ】を効率よく倒せる。
その後、船が精霊たちと近衛の『柏木隊』が回収してくれる。
船が戻ってくるまで錬州の連中は、小島に渡れない。
つまり、敵の術者を、俺が先に捕まえることができるんだ。
でもまぁ、しょうがないよな。
船がしばらく使えないのは不可抗力だ。
他に【アカヤミスイコ】を効率よく倒す方法がなかったんだから。
それに、俺は錬州の嫡子、蒼錬将呉を信用していない。
あいつより先に、館にあるものを確保しておきたいんだ。
「──抜け駆けは許さない。零くん」
「だろうな」
水しぶきをあげながら、萌黄が追ってくる。
それでも水面の移動は俺の方が速い。
俺は萌黄より先に川を渡りきって、川中の小島に足を踏み入れる。
『『『グルウアアアアアアア!!』』』
「まぁ。襲ってくるよな。館の番犬……いや、番天狗だもんな」
小島の館──その屋根にとまっていた魔獣【アオヤミテンコウ】が急降下してくる。
俺は『軽身功』で跳躍。
館の庇を蹴り、さらに高度を上げる。
【アオヤミテンコウ】の首に『霊刀・龍爪』を叩きつける。
手応えさえ感じさせずに、霊刀は魔獣の首を切り落とす。落ちていく【アオヤミテンコウ】の身体を足場に、俺はさらに跳び上がる。
館の最上階と同じ高さまで上昇して、格子の入った窓に視線を向ける。
すると──窓の向こうから、こっちをじっと見ている人影があった。
「見えますか。杏樹さま」
『はい。間違いありません。あれは……沙緖里さまです』
同行している精霊たちは、杏樹に情報を伝えている。
だから、俺が見ているものが、杏樹にも見えているんだ。
格子のついた窓の向こうにいるのは、杏樹の従姉妹の副堂沙緖里だった。
着ているのは、巫女服。
結っていない髪を、無造作に垂らしている。
そして、彼女の背中には──素裸の巫女が抱きついていた。
俺たちが回収した『清らかな巫女』と、同じ姿をした少女だ。
「……………………」
副堂沙緖里の口が動いた。
声は、聞こえなかったけれど、唇の動きを読み取れた。
『沙緒里さまが……「たすけて」とおっしゃっているように見えました』
「……ですね」
俺は館のまわりを飛び回る【アオヤミテンコウ】を切り伏せる。
死体を足場に真横に飛び、最上階の屋根の上へ。
この館の中に、副堂沙緖里がいる。
新たな『清らかな巫女』と、煌都から派遣された術者と共に。
「杏樹に謝ってもらうぞ。副堂沙緖里」
副堂沙緖里は杏樹にとって、大切な従姉妹で、数少ない身内で──自分を苦しめた女性だ。
彼女は、杏樹の心に刺さったトゲのようなものだ。
副堂沙緖里と会って話をしない限り、杏樹の中のトゲは抜けない。
だから、俺は副堂沙緖里を回収する。
助けるわけじゃない。
煌都に置いておくと面倒なことになるから、杏樹のもとに連れ帰るだけだ。
俺は杏樹の護衛だからな。
主君の心残りをなくすのも、仕事のうちだ。
「──煌都が面倒なことを始める前に、さっさと片付けよう」
そうして俺は、館へ侵入することにしたのだった。
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表紙は零と、『四尾霊狐』と合体した、狐耳と尻尾状態の杏樹が目印です。
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