第73話「零と杏樹、都の高官と会う」
──零視点──
錬州の兵士たちは、蒼錬将呉の署名が入った書状を持っていた。
彼らが、蒼錬将呉の直属であるという証明書だ。
俺も、その兵士たちを顔は覚えていた。
彼岸町を訪ねたとき、門の近くで兵士の指揮を取っていたのを見た。近衛か、指揮官クラスの者たちだ。
兵士たちは『煌都の大臣が彼岸町に来ました』と告げた。
大臣の名前は、右大臣の泰山。
州境の館で会談を行う予定だった人物だ。
その者がすでに錬州に入り、杏樹や蒼錬将呉との会談を要求しているらしい。
「話はわかりました」
杏樹は使者に答えた。
「ですが、即答はいたしかねます。少々、お待ちください」
そうして杏樹と俺たちは、彼岸町に入る前に話をすることになったのだった。
打ち合わせはすぐに終わった。
彼岸町に煌都の大臣が来ているなら、会わないという選択肢はない。
だけど──
「錬州の兵士たちを、少し待たせた方がいいと思います」
「月潟さまの意見に同感ですぜ」
俺と近衛の柏木さんは、そんなことを杏樹に伝えた。
使者を焦らした方が、あとあと交渉を有利に進められるというのが、柏木さんの判断だった。
でも、俺が『待たせた方がいい』と思うのは別の理由だ。
「使者を待たせている間に、俺は捕虜と話をしておきたいんです」
俺は言った。
「右大臣は陰陽寮のボス……いえ、上役だと聞いています。そんな人がどうして煌都の大臣が川を渡って来たのか、俺たちが捕らえている陰陽師に聞いてみたいのです」
「陰陽師……あの蓬莱という男性ですね?」
「はい。あいつは煌都に近づくたびに、悩んでいる様子を見せていました。顔色も、悪くなってきています。今なら、なにか聞き出せるかもしれません」
「わかりました。尋問を許可いたします」
杏樹はうなずいた。
「それまでに、こちらは出発の準備を整えておきます」
「承知しました」
「柏木さまは使者の方の相手をしていてくださいませ。こちらの動きがさとられないように、注意を引いていて欲しいのです」
「がってんです。ご主君!」
そうして俺は、捕虜がいる馬車を訪ねることになったのだった。
「あんたに、改めて聞きたいことがある」
目の前には、格子のついた馬車がある。
囚人用の馬車で、檻車と呼ばれるものだ。
木製の格子の向こうでは、陰陽師の蓬莱が座り込んでいる。
唇をかみしめて、じっとうつむいているようだった。
「もうすぐ煌都に着く。交渉次第ではあんたは解放されることになるだろう。だったら最後に、少し話をしてくれてもいいんじゃないかな」
「……『清らかな巫女』にでも聞けばよろしいでしょう」
「あの人はずっと眠ってるよ」
『清らかな巫女』は別の馬車にいる。
彼女はそこで眠っている。目を覚ます気配はない。
今、話を聞ける相手は、陰陽師の蓬莱だけだ。
「…………ふん」
陰陽師の蓬莱は視線を逸らした。
こいつはずっと、こんな態度だった。
紫州で何度も尋問したけれど、ほとんど答えを返さなかった。
変化があったのは、煌都が近づいてきてからだ。
蓬莱は青ざめて、悩んでいるようすを見せるようになったんだ。
今なら、話を聞き出せるかもしれない。
「あんたは以前、煌都の陰陽寮にいた。違うか?」
「…………」
「煌都が近づくたびに、あんたはおびえた様子を見せるようになったな。なにか理由があるのか?」
「…………」
「どのみちあんたを煌都に引き渡すとき、煌都の者から事情を聞くことになるんだけどな。ただ、状況が少し変わった。詳しいことは教えられないが、煌都の連中が、妙な動きをしているらしい」
「…………!?」
顔色が変わった。
俺は即座に『虚炉流』の邪道の技『鏡映し』を起動。
目の前にいる陰陽師になりきる。同じ姿勢になる。
背中を丸めている。肩に、力がない。
青ざめた顔で目を伏せている。
同じ姿勢になると、わかる。この陰陽師は、心の底からおびえている。
「あんたはなにを恐がってるんだ?」
「私が? ありえません。私はすでに命を捨てているのですよ?」
陰陽師はうつむいたまま、答えた。
「死をおそれぬ私が、おびえるなどありえません」
「おそれていないのは自分の死だろ?」
俺は陰陽師をにらんだまま、告げる。
「煌都にはあんたの家族がいるはずだ。自分の死をおそれていないあんたが怯えるのは、家族のことを心配しているからじゃないのか? 自分が煌都に戻ることで、家族になにか害があるんじゃないか、と」
「…………ぐっ」
図星らしい。
「でも、煌都はあやまちを認めたはずだ。そうじゃなかったら、杏樹さまや錬州候との会談を望むはずがない。【禍神】の術に煌都が関わっていると認めたからこそ、右大臣は会談を申し出てきた。だから俺たちは錬州に向かってるんだ。違うか?」
「……ありえないのですよ。そんなことは」
かすかな声がした。
「煌都の方々が敗北を認めて、錬州や紫州と語り合うなど、ありえないのです。あり得るとしたら……独断か。とてもおろかな選択をしたのか……」
「どういう意味だ?」
「右大臣の泰山は…………この蓬莱の……父だ」
絞り出すように、陰陽師の蓬莱は言葉を発した。
「あの人は……なにを考えている? この蓬莱の努力を無駄にするつもりか……」
「父親? だったら右大臣は、あんたを引き取りに来たんじゃないのか?」
「──あり得ぬ! この蓬莱は……いや、あの尊いお方は……」
そう言って蓬莱は、言葉を切った。
俺は無言で続きを待つ。
けれど、奴の話はそれで終わりだった。
わかったのは右大臣の行動が、陰陽師の蓬莱にとって予想外だったこと。
右大臣がこいつの父だということ。それだけだ。
右大臣の行動は、蓬莱たちにとって予想外、か。
当の本人がすでに錬州にいると知ったら、どんな顔をするんだろうか。
その後、俺は杏樹の元へと戻った。
すでに準備を終えた杏樹は使者を呼んで、
「彼岸町に向かいます。会談の日時が早まったというのなら、望むところです」
予定通りの言葉を伝えた。
俺は近衛の柏木さんと護衛の方法について話をした。
逃走経路も確認した。
いざとなったら、俺が杏樹たちを抱えて壁を走って脱出することも伝えた。その場合の打ち合わせもしておいた。できることは、全部やったつもりだ。
そうして紫州の一行は、彼岸町に向かって進み始めたのだった。
「保護をお願いする……」
煌都の大臣が最初に口にしたセリフが、それだった。
ここは、彼岸町にある砦。
その二階にある客間で、細身の男性が震えている。
男性がまとっているのは狩衣。
烏帽子を身に着けて、手には笏を持っている。
右大臣は真っ青な顔で、指が白くなるほど強く、笏を握りしめていたのだった。
彼岸町に入った俺たちは、砦へと案内された。
武装解除はされなかった。
案内役の者が『近衛や兵士たちもご一緒で構いません』と言ったからだ。
案内役は、蒼錬将呉の側近、駒木師乃葉だった。
俺たちを砦へと案内した彼女は、紫州の兵士に外で待つように告げた。
同行できるのは、霊獣を従えた近衛だけ。
けれど、それは護衛を減らすためではなく、砦の中にいる者をおびえさせないためだそうだ。
杏樹は、それを了承した。
それは砦の入り口に、蒼錬将呉が立っていたからだ。
兄の姿を見た末姫さん──蒼錬真名香が、前に出た。
「自分は紫州の味方です。たとえ兄さまといえど、紫堂杏樹さまを傷つけたら許しません」
末姫さんは蒼錬将呉と、まわりの兵士たちを見据えて、告げた。
留学中とはいえ、末姫さんが錬州候の姫君であることには変わりはない。
その彼女の言葉に、兵士たちはうなずいていた。
「次期錬州候の名にかけて、紫州の一行の安全は保証するよ。真名香」
「土地神に誓ってください。兄さま」
「錬州の海を統べる『碧鱗龍神』の名にかけて、私を含めた錬州の者が、紫州の一行を傷つけることはない。これが、誓いの印だ」
そう言って蒼錬将呉は腰の太刀を外し、妹に差し出した。
「砦にいる間、私は丸腰でいよう。誓いを違えたなら遠慮なく切りつけるがいい」
「……わかりました」
「わたくしも、この場は錬州のご嫡子を信じましょう」
杏樹は答えた。
「煌都からの客人はどちらにいらっしゃいますか?」
「二階の客間にです。部屋のまわりには控え室がありますから、近衛の方はそちらで待機を願います」
「護衛を同行させたいのですが」
「1名だけであれば、結構です」
「承知しました」
その後、俺と杏樹と末姫さんは、二階の客間に通された。
そこにいたのが狩衣姿の男性──煌都の右大臣、泰山だった。
彼は真っ青な顔で、自分の肩を抱き……震えていた。
「……この方は、本当に煌都の大臣でいらっしゃるのですか?」
杏樹はたずねた。
気持ちはわかる。
俺も煌都の大臣は、もっと偉そうなものだと思っていた。
煌都はこれまで、紫州と錬州に干渉してきた。
『二重追儺』の術を書き換え、【禍神】を喚ぶように仕組んだのは煌都だ。
紫州と錬州の間にある『狼牢山』を邪気で満たして、そこに新たな鬼門を作ろうとしたのもそうだ。
そして右大臣は陰陽寮の統括者で、煌都にいる陰陽師や巫女衆のボスだ。
なのに……少しも偉そうには見えない。
本当にこの人が右大臣なのか、うたがわしいところがあるんだ。
「身分証は、こちらで確認しています」
杏樹の問いに、蒼錬将呉が答える。
「それと、いくつかの質問に答えてもらいました。ここに書き写しております。筆跡は、以前に煌都から届いた書状と同じでした。少なくとも、会談についての書状を書かれたのが、この方であることは間違いありません」
「霊力による確認はされましたか?」
「以前届いた書状の署名と一致しました」
「質問に回答をいただいたのですよね? その中身を見せていただいても?」
杏樹が言うと、蒼錬将呉は無言で紙を差し出した。
2枚ある。どちらも文章が書かれている。
片方は錬州が用意した質問用紙。
もう片方は、右大臣が答えを書いたものだ。
杏樹は俺と末姫さんにも見えるように、紙を畳の上に置いた。
そこに書かれていたのは──
『問い:狼牢山にて召喚された禍神の名は?』
『答え:【禍神・酒呑童子】。異界の大江山という場所に住んでいた鬼だと聞いている』
『問い:儀式に関わった者の名前を記されよ』
『答え:陰陽師の蓬莱。引退した護衛兵、片山陵三。巫女、清浄ノ四。
陰陽師の蓬莱は、我が息子なり』
『問い:錬州に鬼門を作ろうとしたのは、誰の命令か』
『答え:皇弟殿下である。たぐいまれなき皇太子殿下がすこやかに育たれるように、儀式の手順書とともに命じられた』
──そんな文章だった。
「……どう思われますか。零さま」
「書かれている情報は正しいように見えます。身分証もありますし、右大臣本人か……違ったとしても、【禍神】の術に関わってきた人物であることは、間違いないでしょう」
「わたくしも同感です」
この人が事件についての情報を持っていることは間違いない。
それに、身分証もある。
仮に偽物だとしても、公式の身分証を持っている以上、俺たちは『右大臣と交渉した』と言い張れる。
「では、煌都の右大臣である泰山さまにうかがいます」
杏樹は、大臣の方を向いた。
「どうして今、錬州にいらしたのですか? わたくしたちは数日後に、州境の館で会談を行うことになっておりました。それを待てずに、ここに来られた理由はなんでしょうか?」
「……限界だったのだ」
右大臣は疲れた顔で、そんなことを言った。
「皇弟殿下はもはや、なりふり構わなくなってきている。他の州に鬼門を作り、わざわいを押しつけることまでは理解できた。お主たちにとっては迷惑な話だろう。だが、きよらかゆえに病弱な皇太子殿下をお助けするには……邪気のない環境が必要だったのだ……」
「確かに、迷惑な話ですね」
杏樹はため息をついて、
「限界とおっしゃいましたね。つまり、これまでの陰謀は皇弟殿下の手によるもので、あなたはそれについていけなくなったということですか?」
「息子が術者集団に加わり、帰って来ないとなれば、絶望もしよう」
右大臣は、両手で顔をおおってしまった。
「私は会談の場で、すべてを告白するつもりだった。その上で、おたがいに落とし所を探るつもりだった。ですが……それらはすべて見抜かれていた! 皇弟殿下直属の術者に……奴は……私を殺そうと……それで……」
「お話中、申し訳ありません!!」
「失礼いたしやす! 緊急事態です!!」
不意に、客間の入り口から、声がした。
錬州の兵士と、紫州の近衛の柏木さんだった。
「物見の兵が魔獣を発見しました! 数は……百を超えるかと……」
「魔獣化した河童【アカヤミスイコ (赤闇水虎)】ですぜ。川の中央にある館から、こちらに向かってきておりやす!」
「──川の中央にある館から?」
俺と杏樹、蒼錬将呉と蒼錬真名香の視線が、右大臣を射た。
「違う! 私はなにもしていない! これ以上魔獣など呼ぶものか!!」
右大臣は血の気を失った顔で、叫んだ。
「わかっております。魔獣はあなたを追って来たのでしょう?」
「あ、ああ。紫州候代理のおっしゃる通りだ。皇弟殿下直属の術者は私を……いや、正確にはこれを追ってきたのだろう……」
そう言って大臣は、紫色の布に包まれたものを差し出した。
中にあったのは、一振りの太刀だった。
鞘が、まだらに赤く染まっている。
柄と鍔の色は深紅。
大臣が太刀の鯉口を切ると、ざりり、と音がする。
さび付いたものを、無理に抜いたような音だった。
「この太刀の名は『邪霊刀・奈落』と言う」
右大臣は言った。
「かつての戦で多くの人を殺めた刀であり……はるか昔に、皇帝陛下の霊獣を斬り殺した邪刀でもある。皇弟殿下は、皇帝陵に封じられていたこの太刀を掘り出したのだ。あの方にこれを使わせてはならない! 頼む。これを破壊してくれ……不可能ならば封印して欲しい。どうかあの方を……止めてくれ……」
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