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第72話「杏樹、零と合流する」

 ──杏樹視点──




「それでは、出発いたしましょう」


 杏樹の一行は、次町(つぐまち)で準備を整えていた。

 出発直線に(れい)からの連絡が来て、錬州(れんしゅう)の情報がわかった。

 杏樹はそれを他の者たちに伝えて、対策を立てた。


 それらの準備を整えてから、杏樹たちは錬州に向けて出発したのだった。


捕虜(ほりょ)の者たちはどうしていますか? 柏木(かしわぎ)さま」


 杏樹は馬車の窓を開けて、近衛(このえ)の柏木にたずねた。


「馬車の中で大人しくしてますぜ。ただ、悩んでいるような顔をしているのが妙ですな。煌都(こうと)の者との交渉次第では、解放されるというのに」

「彼らには、煌都に戻りたくない理由があるのかもしれませんね」

「同感ですな」

「『清らかな巫女』は相変わらずですか?」

「ええ。ずっと眠ったままでさぁ。不思議なもんです」

「目を離さないように、と、近衛の皆さまに伝えてくださいませ」

「承知しやした」


 一礼した柏木は、馬車から離れていく。


 杏樹は馬車の窓から、外を見た。

 行列は『狼牢山(ろうろうさん)』近くの街道を進んでいる。

 1ヶ月前に蒼錬真名香(そうれんまなか)が通ってきた道だ。

 あのときは街道に邪気に満ち、魔獣がうろついていた。


 だが、今は静かだ。

 邪気を嫌う精霊たちも、行列と一緒に移動している。

 彼らからは、楽しそうな感情が伝わってくる。

 精霊たちにとっては旅行のようなものなのだろう。


「見てくださいお嬢さま。精霊さんたちが馬車を先導してくれてます。きれいです……」


 同乗している桔梗が、感動したようにつぶやく。


「お嬢さま。月潟さまとは州境で合流されるのですよね」

「そうですね。零さまは調査を終えて、向こうで待っていらっしゃいます」


 そう言って杏樹は、(ひざ)の上の『四尾霊狐(しびれいこ)』をなでた。

 四本尻尾の子狐(こぎつね)──『四尾霊狐』は顔を上げて、じっと杏樹を見ている。『合体する? 合体しよう?』と語っている。

 思わずうなずきそうになり、杏樹は慌てて(かぶり)を振る。


『四尾霊狐』が杏樹と合体したがっているのは、零を身近に感じるためだ。

 一体になった杏樹と『四尾霊狐』は、零と深く繋がることになる。

 離れていても、彼を身近に感じることができる。

『四尾霊狐』は、それを望んでいるのだった。


「今日は合体できません。錬州(れんしゅう)では、誰が見ているかわかりませんからね」

『ざんねん?』

「そうですね。残念、です」


 杏樹が零を送り出してから、数日が過ぎている。

 州都と錬州は遠い。『精霊通信』は届かない。

 通じたのは次町に入ってからだった。

 零の言葉が聞こえたとき「やっと通じた」と、思ってしまった。


(あのとき……わたくしの声は……うわずっていなかったでしょうか)


 思い出すと恥ずかしくなる。

『精霊通信』が通じて、零の声が聞こえたとき、うれしくなってしまった。

 つい、勢い込んで話をしてしまったのだ。


(零さまがあきれていなければいいのですが……)


 数日間、会っていないだけなのに、なんだか、さみしい。

『精霊通信』があれば、声は聞けるのに……ものたりない。

 不思議な気分だった。


「お嬢さま。間もなく州境(しゅうきょう)です」

『きゅきゅ!』


 桔梗の声を聞いた『四尾霊狐』が暴れ出す。

 杏樹の腕の中で身をよじり、尻尾を振って、馬車の外へと飛び出そうとする。


(『四尾霊狐』さまの気持ちはわかります。州境には、零さまがいるのですから)


 自由にしてあげたいけれど、馬車のまわりには一般の兵士がいる。

 必要なときが来るまでは、『四尾霊狐』の存在は秘密にしておきたい。


『四尾霊狐』の気持ちはわかるけれど。

 零のところに行きたい気持ちは……杏樹も同じだけれど。


「もう少しだけお待ちください。『四尾霊狐』さま」

『……もうすこし?』

「はい。時間がかかっているのは、零さまが儀礼を守っていらっしゃるからです」

『……めんどくさい』

「…………そうですね」


 彼が杏樹のところに戻るには、手順を踏まなければいけない。

 名乗りを上げて、行列を呼び止めて。

 あいさつをして、許可を得て──彼が杏樹のところに来るのは、それからだ。。


 それは当たり前のことなのに、とても、もどかしく感じてしまう。


 やがて、足音が近づいてくる。

 馬車の側で、誰かが膝をつく気配がする。


「ただいま戻りました。紫堂杏樹さまの護衛、月潟れ──」

「お入りください」

『きゅうーっ!』


 言葉が終わる前に許可してしまった杏樹。

 けれど『四尾霊狐』の反応はもっと早かった。


 馬車の扉が開くと同時に、『四尾霊狐』は零の胸に飛びつく。

 零は素早く羽織(はおり)で『四尾霊狐』の身体を包み込む。まわりの目から隠す。

 そのまま彼は、流れるような動きで、馬車に乗り込んだ。


「……なんでそんなにあわててるんですか。『四尾霊狐』さま」

『きゅうぅ』


『四尾霊狐』は零の胸にしがみついていた。

 それを見ながら、杏樹は、


「零さまがいなくて、さみしかったのでしょう」

「え? でも、『精霊通信』で繋がっていましたよね?」

「それでは満たされないこともあるのです。だから『四尾霊狐』さまは、思わず零さまに飛びついてしまったのでしょう」

「そうだったんですね」


 わかってくれたらしい。

 零はうなずいて、『四尾霊狐』の頭をなでた。


「すみませんでした。『四尾霊狐』さま」

『きゅきゅぅ』

「しばらくは一緒にいますから、大丈夫ですよ」

『……きゅう』

「……あの、お嬢さま」

「なんでしょうか。桔梗」

「どうして、月潟さまの方に、おでこを差し出していらっしゃるのですか?」

「……え?」


 無意識だった。

 いつの間にか杏樹は、零に寄りかかるように座っていた。

 零に頭を差し出して──まるで、なでて欲しがっているかのように。


「も、申し訳ありません。零さま。つい……」

「は、はい……えっと」


 いつの間にか零の方も、杏樹の頭に手を伸ばしていた。

 けれど、彼は護衛の表情に戻り、手を引っ込めて、


「それより、錬州の件ですが」

「は、はい。錬州の件ですね」

「『精霊通信』でもお伝えしたことですが」

錬州(れんしゅう)のご嫡子(ちゃくし)は、すでに彼岸町(ひがんまち)に入ってらっしゃるのですね?」

「ですが、先方はそれを隠したがっていました。杏樹さまが到着するころに、ご嫡子(ちゃくし)も到着するだろうと言っていたのです」

所在(しょざい)を隠すのは、情報が煌都(こうと)に伝わらないようにするためでしょうか」

「可能性はあります。どこに煌都(こうと)の目があるかわかりませんからね」

「錬州のご嫡子は彼岸町で、煌都に対抗するための作業をしているのかもしれません」


 彼岸町(ひがんまち)の対岸は煌都だ。

 そして、錬州は過剰なほど、煌都を警戒している。


 これまで紫州に干渉してきたのも、煌都をおそれてのことだった。

 紫州を傀儡政権(かいらいせいけん)として、煌都に対抗するためだったのだ。

 その煌都が会談を望んできている今、錬州が厳戒態勢を取るのはよくわかる。


「わたくしたちは、なすべきことをいたしましょう」


 杏樹は言った。


「最優先は紫州の民を守ること、それだけなのですから」

「はい。そのために、精霊たちには陣を敷いてもらっています」

「戦いになったときの対策ですね」

「そうです。まぁ、平和に終われば、それが一番いいんですけど……」

「わたくしもそれを望んでおります」


 戦いになれば、零が前線に立つことになる。

 また、離れてしまう。

 杏樹もそれは避けたいのだった。


 そんなことを考えていると、近衛の柏木の声がした。

 零と杏樹と桔梗(ききょう)はうなずいて、馬車を降りる。

 野営の準備が(ととの)ったのだ。


 今日は州境で野営する予定だ。

 彼岸町(ひがんまち)には明日、到着する。

 その後は町で、会談の日まで過ごすことになるだろう。


 兵士の一部はここに残しておく。

 錬州(れんしゅう)煌都(こうと)牽制(けんせい)するためだ。

 拠点(きょてん)を残しておけば、いざというときに逃げ込むこともできる。

 そう判断してのことだった。


「ご苦労さまです。いえ、あいさつは結構です。作業を続けてくださいませ」


 馬車を降りた杏樹は、兵士たちに声をかけていく。

 彼女の隣には零が、後ろには桔梗と茜がいる。

 いつの間にかやってきた霊鳥『緋羽根(ひはね)』が、零の肩にとまる。

 巫女姫と霊鳥の姿を見て、兵士たちは感動したような声をあげる。


 ちなみに『四尾霊狐(しびれいこ)』は、零が抱えた風呂敷(ふろしき)包みの中だ。

 零の体温を感じられれば満足なのか、静かに運ばれていく。


 やがて杏樹たちは、野営の場所に到着する。

 杏樹たちに用意されたのは、木々の間に張られた天幕だった。


 近くに川が流れていて、水の補給もできる。

 兵士たちのいる場所からは離れているが、まわりには精霊たちがいる。零もいる。

 護衛としては十分だ。


「そういえば……零さまにうかがいたいことがあったのです」


 食事のあと、杏樹はふと、零に尋ねた。


「零さまは彼岸町と会談の場所を見て、どのような印象を持ちましたか?」

「精霊通信でお伝えした通りです。彼岸町には砦があり、会談の場所は中州の関所で──」

「そうではなく、零さまがどう感じたかをお聞きしたいのです」

「感じたか、ですか?」

「先入観のない、最初の印象が正しいことというのも、よくありますから」

「そうですね……俺にはあの地が、固く、暗い場所のように見えました」


 零は、少し考え込むしぐさをしてから、答えた。


「彼岸町は兵士をぎゅうぎゅう詰めにしているように思えました。人影が多すぎて、だから暗い場所のように感じたんです」

「……なるほど」

「中州の関所は人を入れるスペース……いえ、空間が少ないように見えました。すべてを固く閉ざした、人を拒むような場所に」


 零はそう言ってから、頭を()いて、


「すみません……本当に感覚的な言葉になっちゃってますね」

「いえ、わかります。なるほど、暗くて固い場所ですね……」

「ついでに言うと、彼岸町には俺の昔なじみがいました」

「前に教えていただいた方ですね。虚炉(うつろ)……萌黄(もえぎ)さまでしたか」

「あいつは昔のままでした。考え方も、ガチガチに固かったです」

「固いものほど……一度、傷がつくともろいのですよね……」

「あ、確かに、そうかもしれませんね」

「逆に零さまは、戦い方に決まったかたちがありません。その場その場で変幻自在(へんげんじざい)に技を繰り出されます。そういう方こそ強靱(きょうじん)なのだと思います。だから、零さまはお強いのでしょう」

「杏樹さまだって変身するじゃないですか」

「ですね。わたくしたちは、似た者同士なのですね」


 不思議だった。

 これから危険な地に向かうというのに、自然と笑みがこぼれてくる。


 焚き火を囲んで、零も杏樹も、笑っている。

 給仕をしてくれる桔梗も、小太刀を手に見張りをしてくれている、(あかね)も。


 零が側にいてくれる。だから、不安はない。

 錬州や煌都がなにをしてこようと、切り抜けられる。

 そんな気がするのだった。


「……零さまは州都に戻ったら、なにが欲しいですか?」


 ふと気づいて、たずねてみた。


「零さまは錬州の単独偵察(たんどくていさつ)という、重要な任務を果たされました。それに報いるものを差し上げたいのです」

「……すぐには思いつきません」


 零は首をかしげてから、


「杏樹さまが決めてくだされば、それでいいですよ」

「わたくしが決めてよいのですか?」

「はい。お任せします」

「………………言質(げんち)を取りましたよ?」

「え? 今、なんと……?」

「……………………い、いえ。あのその……」


 思わず、胸が熱くなる。

 自分がとんでもないことを想像してしまったことに気づいて、杏樹は(ほお)を押さえる。


 零は不思議そうな顔のまま、杏樹の次の言葉を待っている。

 杏樹は顔が熱くなるのを感じながら、言葉を探す。

 でも、見つからなくて──思わず杏樹はうつむいてしまう。


 隣で桔梗が、おだやかな笑みを浮かべている。

 静かに差し出してくれるお茶がありがたい。

 なんとなく……言葉はいらないような気がして、杏樹と零、桔梗はのんびりお茶を飲む。


 そうして、優しい時間が過ぎていく。


 ──お茶を飲みながら、ちょっとした話をしたり。

 ──零が見張りを交替してのを見計らって、焚き火の方にやってきた茜と、話をしたり。

 ──茜に零がどんな師匠なのか聞いて、納得したり。

 ──杏樹と桔梗が修行を見学できないか、頼んだり。


 会談の前とは思えないほど、おだやかな空気の中で、杏樹は時を過ごしていった。

 やがて、夜になる。

 誰ともなく、そろそろ休もうと言い出して、寝る準備に入る。


 見張りは零と茜の二交代制。

 ふたりに「おやすみなさい」と言って、杏樹が眠りについたあと──



「……すみません、杏樹さま。川の方で、動きがありました」


 ふるふる。



 杏樹は零の声と、ちかちか光る精霊によって目を覚ました。

 天幕の外で、零は、



「話を聞いていただけますか? 杏樹さま」

「承知いたしました。零さま」

『すぴー。すやすやー』



 杏樹は隣で眠る『四尾霊狐』を起こさないように、身支度を整える。

 天幕を出ると、緊張した表情の零がいた。

 細い月と精霊『灯』に照らされた零の横顔は神秘的で、思わず見入ってしまう。


 けれど今は緊急事態。

 杏樹は頬を叩いて気を引き締めて、


「川の方で動きとは、どのようなものですか?」

「精霊たちによると、煌都から錬州に向かって、川を渡る灯りが見えたそうです。誰かが中州の館から、錬州側に移動したのかもしれません」


 零は言った。


「近衛の柏木さんも伝えて、念のための警戒態勢を取ります。杏樹さまの許可をいただけますか?」

「許可します。皆さまにも、そうお伝えください」

「ありがとうございます。なにかあったらお知らせします。杏樹さまは、休んでいてください」


 うなずいて杏樹は天幕に戻る。

 目を閉じて、また『四尾霊狐』を抱いて、眠りにつく。


 常に煌都(こうと)を警戒するというのは、こういうことなのだろう。

 煌都には強力な術者や武者がいて、常に陰謀をめぐらせている。

 あの地と境界を接する錬州が、対抗手段を欲しがるのもわかるような気がする。

 けれど──


(紫州に傀儡政権(かいらいせいけん)を作ろうとしたり……術のない世界を作ろうとするのは……違うと思うのです……)


 ──決着を、つけなければいけない。

 煌都の術者たちと。それを操る者たちと。必ず。


 そんなことを考えながら、杏樹は浅い眠りについた。

 結局……朝まで、動きはなかった。


 変化があったのは翌日。

 杏樹たち一行が、彼岸町に向けて出発してからだった。



『……杏樹さま。こちらに近づいて来る者がいます』



 杏樹が馬車に乗っていると、零から『精霊通信』で報告が入った。


騎馬(きば)が2名。武器は持っていません。旗印は、錬州のものです』


 即座に杏樹は、行列を止めるように指示を出す。

 馬車を降り、側にいた茜に手を引かれて……杏樹は、街道の先に目をこらした。


 零の報告の通りだった。

 馬に乗った者たちが、こちらに近づいて来る。


 彼らは発見されたことに気づいたのか、馬を下りる。

 武器を持っていないことを示すように、両手を掲げてみせる。

 それから彼らは、杏樹の行列に近づき──


「紫州の方々とお見受けします。われらは錬州候(れんしゅうこう)のご嫡子(ちゃくし)蒼錬将呉(そうれんしょうご)さまの部下であります。紫州の方々に、お知らせすべきことがあり、はせ参じました」


 ──抑えた声で、兵士たちに向かって、告げた。


「昨夜、煌都(こうと)の大臣がお忍びで彼岸町にいらっしゃいました。至急の会談をされたいとのことです。紫堂杏樹どのの対応は、いかに?」


 紫州の行列の前で膝をつき、錬州の兵士たちはそんなことを宣言したのだった。







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