第70話「護衛、旅の準備をする(杏樹と真名香と、図面編)」
「なにか不自由していることはありませんか? 真名香さま」
杏樹は末姫さんに尋ねた。
錬州の末姫──蒼錬真名香の部屋は、杏樹の屋敷のなかにある。
杏樹の部屋のすぐ近く、呼べば声が届く場所だ。
末姫さんの侍女たちは、使節と一緒に錬州に帰った。
彼女たちは錬州候から、末姫さんも知らない密命を受けていた。近くに置いておくと、なにをするかわからない。
だから帰した方がいいと、杏樹も末姫さんも判断したのだった。
でも、末姫さんをひとりぼっちにするわけにはいかない。
彼女は紫州に知り合いがほとんどいない。
そんなわけで、末姫さんは杏樹の屋敷の中で、お客さんとして暮らしているのだった。
「気になることがあったら遠慮なく言ってくださいませ。真名香さま」
杏樹は末姫の正面に座り、そう言った。
末姫は頭を振って、
「不自由も不満もありません。紫堂杏樹さまも、桔梗さまも茜さまも、とてもよくしてくださいますから」
おだやかな表情で、笑った。
「むしろ真名香は、錬州にいるときよりも落ち着いてるくらいです」
「ですが、紫州は錬州より気温が低いと聞きます。おからだには気をつけてくださいね」
「大丈夫です。桔梗さまから、半纏をいただきました」
末姫さんは、隣に置いた綿入れ半纏に触れた。
「これは紫堂杏樹さまが、少し前まで使っていたものだそうですけど……すごくあたたかいです。夜はこれを着てすごしています」
「役に立って良かったです」
「紫堂杏樹さま。それに、護衛の方」
杏樹と俺に視線を向けてから、姿勢を正す末姫さん。
「うわさは聞いております。これから紫堂杏樹さまは、煌都の高官との会議に向かわれるのですね」
「はい。場所は錬州と煌都の州境近くです」
「ということは、錬州を経由されるのですね?」
「そうです。まずは煌都にもっとも近い、彼岸町に入ることになりましょう」
「その場所には、真名香も行ったことがあります。まわりに彼岸花の群生地があるのと、川向こうの煌都を『彼岸』に見立てたことから、彼岸に近い場所……つまり、彼岸町という名が付いたそうです」
「お詳しいのですね」
「真名香はあまり出歩くことがありませんでしたから……行った場所のことは、おぼえております」
「では、真名香さまにお願いがあります」
杏樹は末姫さんに頭をさげた。
「その町のことを教えていただけませんか?」
「俺からも、お願いします」
俺は杏樹の言葉を引き継いだ。
「護衛の身で差し出がましいことは理解しています。ですが、会議を無事に終わらせるためには、煌都と、その周辺の情報が必要なのです。お願いします」
「うけたまわりました」
末姫さんは迷いなくうなずいた。
「真名香が、紫堂杏樹さまと月潟零さまのお願いを断ることはありえません」
「「ありがとうございます」」
「煌都と決着をつけるのは、錬州のためにもなることですからね。真名香の知っていることすべてをお伝えいたします」
そうして末姫さんは、彼岸町と、その周辺のことを話しはじめたのだった。
「──町の中央には砦があります。これは、錬州と煌都の間を流れる川が、ときどき水量が減ってしまうからです。その際は一時的に、歩いて渡れるようになります。それゆえに錬州では見張りを立てているのですね。それから、川向こうには歴代の皇帝の陵があり……」
紙の上を、末姫の筆が滑っていく。
描かれているのは、錬州の町と砦、その周辺図だ。
すごい記憶力だった。
紙には、紫州と錬州をつなぐ街道の位置と、街道から彼岸町へのルートが描かれている。町のかたちや、町の中心にある砦の位置もわかる。さらには川のかたちまで、しっかりと記されている。
末姫さんは細い筆に墨をつけて、一気に図面を書き上げていく。
記憶力もすごいけれど、筆一本でこれだけの図面を書き上げる画力もすごい。
末姫さんは、こんな才能を持っていたのか……。
「──簡単ですが、彼岸町のまわりはこのようになっています」
「……すごいです。真名香さま」
杏樹が感動したような声を上げた。
びっくりした末姫さんが筆を取り落とす……のを、俺がキャッチする。
もちろん墨は一滴も落とさない。
勢いを殺して受け止めてる。危険物を受け止めるのは得意だ。
それに、杏樹たちの話を邪魔したくないからね。
「真名香さまがこのような才能をお持ちとは知りませんでした」
「い、いいえ。こんなのはただの趣味で……」
あわてて頭を振る末姫さん。
「真名香は巫女として能力が弱くて、ちゃんとした訓練を受けていないのです。姉さま……巫女姫さまがとなえる祝詞を丸暗記して、呪符を見よう見まねで書き写しているうちに……こういうことがうまくなったんです。お父さまには、猿まねしかできないと言われてますから」
「これらの図は、記憶をたよりに書いているのでしょう?」
「は、はい。自信はないのですけど……」
「真名香さまはすばらしい絵の技術と、記憶力をお持ちなのですね」
杏樹は何度もうなずいてる。
末姫さんはびっくりした顔のままだけど。
そういえば錬州は徹底した利益主義なんだっけ。
絵や記憶力といった、すぐに利益につながらない才能は、評価されないのかもしれない。
俺たちにとっては、末姫さんの書いた図面は、かなりの価値があるんだけど。
「この図面によると、州境から彼岸町までは半日と少しの距離ですね」
杏樹と末姫さんが落ち着くのを待って、俺は声をかけた。
「となると、州境の手前で野営をすれば、午後には彼岸町に着きますね。そのまま町の宿に入り、まずは落ち着くのがいいと思います」
「零さまのおっしゃる通りです」
杏樹はうなずいて、
「そこで錬州の嫡子さまと合流してから、州候会議の場に向かうのがよいでしょう」
「町の中央には砦があります。見張り台もあるようですから、そこから川の中州にある会議場が見えるかもしれませんね」
「嫡子さまにお願いすれば、登らせていただけるでしょうか」
「登ってみたいですね。俺としては、現場を見ておきたいですから」
「川向こうに、歴代皇帝陛下の陵墓があるのも気になります」
「煌都の中央から見ると、陵墓は鬼門に位置しています。なにか意味があるのでしょうか」
「確かにそうです。これは図面がなければわからないことでしたね……」
すごい。
末姫さんの図面は、情報のかたまりだ。
これ一枚で、俺と杏樹のやるべきことが決まっていく。
「ありがとうございます。末姫さま」
俺は思わず、末姫さんに頭を下げていた。
「この図面を近衛の人たちに見せてもいいですか? そうすれば杏樹さまを守りやすくなると思います。移動の行程について話し合うのにも便利ですから」
「も、もちろんです。ただ……あの、その」
末姫さんは口ごもる。
彼女は意を決したように、顔をあげて、
「お願いが、あります」
「あ、はい」
「うかがいましょう」
「ま、真名香も、州候会議に連れていっていただけませんか!?」
小さな身体をめいっぱいに震わせて──末姫さんは声をあげた。
「れ、錬州に帰りたいわけではありません。ただ、真名香は、見届けたいのです! 錬州をずっと悩ませてきた煌都の正体を。会議の結果、煌都との関係がどう変わるのか、見届けたいのです!!」
感情が、爆発したみたいだった。
末姫さんは自分の言葉にびっくりしたように、目を見開いてる。
語り終えたあとは恥ずかしそうに、うつむいてしまう。
末姫さんの気持ちは、なんとなくわかる。
錬州は川をはさんで、煌都と州境を接している。
だから錬州は、常に煌都を警戒してきた。
錬州が実力主義の成果主義になったのも、それが関係しているのだろう。
そんな錬州で、末姫さんは役立たずとしてあつかわれてきた。
彼女の境遇は、煌都のせいだとも言える。
その煌都の高官が、話し合いをもとめてきたんだ。
話し合いの内容が気になるのはわかるし、結果を知りたい気持ちもわかるんだ。
「杏樹さま。口出しをお許しいただけますか?」
「問われるまでもありませんよ。零さま」
「では、申し上げます」
俺は姿勢を正して、告げる。
「今回の州候会議は重要なものです。末姫さまのおっしゃる通り、煌都と紫州、錬州のゆくすえを左右するものです」
「その通りです」
「ですから、俺も近衛の『柏木隊』も、厳戒態勢でのぞむつもりです。会議は煌都が申し出たものであり、書状に皇帝陛下の玉璽がおされておりますが、油断はできません。あらゆる記録を残し、証拠とするべきです」
「理解しております」
「ですから──」
俺は末姫さんの方を見た。
視線に気づいたのか、末姫さんの肩が震える。
彼女はゆっくりと顔を上げて、俺と視線を合わせて、
「……わかっています。そんな会議に真名香が同行するなんて、わがままですよね」
「いえ、そんな会議だからこそ、記録係として来ていただくべきなんです」
俺は言った。
末姫さんの目が点になった。
「末姫さまはすぐれた記憶力をお持ちです。絵を描く才能もありますし、筆遣いもたいしたものです。記録係として、これ以上の人材はいないと思うんですけど……どうでしょう」
「え? え? え?」
「なるほど。確かに、真名香さまが記録係になってくだされば、道中のことも、会議中のことも、もれなく記録していただけますね……」
杏樹は納得したような顔になる。
「それに末姫さまのお立場なら、その記録には客観性があります」
「錬州の末の姫君で、紫州の賓客ですからね」
「紫州の者──つまり、わたくしたちは客人である真名香さまが記した内容を信じます。錬州の方々も、錬州候の姫君である真名香さまが書いたものを否定することはできません」
「末姫さまが書き残したものには、中立性があるわけですね?」
「その通りです」
真面目な顔でうなずいて、杏樹は、
「もちろん、紫州の文官にも記録を残してもらいます。錬州の方も、煌都の方も会議の記録は残すでしょう。ですが、それらはそれぞれの州や都の立場で書かれたものとなります。他州の者からすれば、信頼できない記録となります。けれど──」
「末姫さまが書き残したものならば、錬州は文句をつけられませんからね。それだけでも、重要なことです」
そう言って、俺は杏樹に頭を下げた。
「以上の理由により、末姫さま──蒼錬真名香さまを、記録係としてお連れするべきだと進言します」
「つ、月潟零さま……」
「許可いたします。いえ、これはわたくしからお願いすることですね」
杏樹はそう言って、末姫さんの手を取った。
「お願いいたします。真名香さま。書記官として、州候会議にご同行願えないでしょうか」
「は、はい! よろこんで!!」
末姫さんは畳の上に平伏した。
顔を上げると……目から、涙がこぼれていた。
「ご、ごめんなさい。真名香は……誰かの役に立てるのが、うれしくて……」
「気にしないでください。わたくしも真名香さまの新たな一面を知ることができて、うれしいです。わたくしは、真名香さまとたくさんお話をするために、留学を勧めたのですからね」
「ありがとうございます……」
涙ぐむ末姫さんと、それに寄り添う杏樹。
ふたりの邪魔にならないように、俺は気配を薄くして、彼岸町の図面をながめていた。
末姫さんが描いた図面は、本当にわかりやすい。
しかも広範囲にわたって記されてる。
紫州と錬州を結ぶ街道も。
そのまわりの──新たに紫州に組み込まれた山の位置も。
山の近くにある、人が隠れるのに都合がよさそうな、高台の森も。
その森が彼岸町のそばまで広がっていることも。
図面を見ていると、色々なことが想像できる。
森が、町の人たちが材木を切り出す場所になっているだろうことも。
材木を川に流して、下流の町に運んでいるだろうことも。
その森に背の高い樹があった場合、登れば彼岸町だけじゃなく、川の中州にある関所──つまり、会議の場所まで見渡せるだろうことも。
…………なるほど。
「杏樹さま。お願いがあります」
「え? は、はい。零さま」
「州候会議に向かう前に、単独行動をお許しいただけないでしょうか。もちろん、すぐに戻るつもりです。杏樹さまは州境を越える前には合流します。ただ……護衛として、やっておきたいことがあるんです」
俺は図面を指さしながら、自分の考えについて話し始めたのだった。
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