第66話「零と杏樹、夜に秘密の話をする」
今回は、幕間の日常回です。
錬州の事件のあと、零は杏樹に、自分の前世について語っていたのですが──
とある日の夜。
俺は約束通り杏樹に、前世の話をしていた。
もちろん、1日ですべてを語るのは難しい。
今日話したのは、前世の世界がどんな場所だったかについて。
それを一通り伝えたあと、俺は、
「錬州の転生者は、おそらく、俺と同じ世界から転生してきたのだと思われます」
俺最後に、そんな推測を付け加えた。
「彼女が蒼錬将呉に、前世の世界のことを伝えたのでしょう。だからあの人は『霊獣も霊力も、呪術もない世界』をめざしているのだと思います。実際にそういう世界があることを、転生者から聞いているわけですからね」
「そういうことだったのですね……」
話を聞いた杏樹は、おどろいた顔で、
「錬州は煌都にもっとも近い州です。常に煌都の脅威にさらされている州の嫡子なら、霊力や術のない世界にあこがれるのもわかります。もちろん……あの人のやり方に、賛成はできませんけれど」
「俺も同感です」
俺はそう言って、話をしめくくった。
「今日のお話は、ここまでにしましょう」
一度にたくさんの情報を詰め込むと、杏樹が疲れるだろうから。
それに、もう遅い時間だ。
部屋の隅では、『四尾霊狐』が、身体を丸めて眠ってるし。
「わかりました。続きは、明日にいたしましょう」
そう言って杏樹は、中庭に通じる障子戸を開けた。
月が見えた。
淡い光が、部屋の中に射し込んでくる。
「……零さま。お月さまって、前世の世界にもありましたか?」
「ありました。月の表面の模様も、ほとんど同じです」
「零さまは、ここと近い世界からいらしたのですね」
「俺はこっちの世界の方が好きですけどね」
気づくと、俺はそんなことを言っていた。
「元の世界では、家族との縁が薄かったですから。こっちの世界でも父さんとは死に別れましたけど……杏樹さまや紫州の人たちが、家族のように接してくれますから。だから俺は、こっちの世界の方が好きです」
「ありがとうございます。零さま」
杏樹は俺の隣に腰を下ろした。
寝間着姿のまま、ぼんやりと空をながめている。
そんな杏樹を見ながら、俺は、
「今日はもう、難しい話は終わりにしましょう」
「そうですね。こうして、一緒に月をながめているだけで十分です」
「……杏樹さま。あまり遅くなると、明日の執務に差し支えますよ?」
「そ、そうですね」
杏樹は恥ずかしそうな顔で、うなずいた。
「ただ、零さまとお話をするのが楽しくて……目が冴えてしまいました」
確かに。
杏樹の目はきらきらと輝いて見える。
杏樹は興奮した表情で、俺の世の話を聞いてたからなぁ。
俺がどんな生活をしていたのか、とか。好物はなんだったのか、とか。色々と質問攻めにしてた。
だから気が昂ぶって、眠れないのかもしれない。
主君の健康を守るのも護衛の役目だ。
なんとかしよう。
「杏樹さま。厨房をお借りしてもいいですか?」
「構いません。ですが、かまどの火はもう落としてあると思いますよ?」
「以前いただいた『発火の呪符』を使います。それと、次町の酪農家が、州都の近くで酪農をやってる従兄弟を紹介してくれたので、新鮮な牛乳が手に入ったんです。それで、落ち着けるものを作ってみます」
「は、はい。では、お願いします」
「ちょっと待っててくださいね」
そうして俺は、厨房へと向かったのだった。
材料は牛乳 (風の精霊にお願いして冷蔵保存したもの)。
それと、厨房にあった蜂蜜と抹茶。
ただし抹茶は眠りをさまたげないように、入れるのは少しだけ。
そうして、できあがった飲み物は──
「お待たせしました抹茶風味はちみつ牛乳です」
「これが……零さまの世界の飲み物……」
「抹茶は少なめで、風味をつけるのに使っています。飲んでも眠れなくなることはないはずですよ」
本当は、はちみつ抹茶ラテを作るつもりだったんだけど。
寝る前だからね。抹茶は少なめにしたんだ。
お盆の上には、湯飲みがふたつ。
杏樹は興味深そうに、うす緑色のホットミルクを眺めている。
「きれいな色です。においも、とてもいいですね。不思議な飲み物です……」
でも、なかなか手を着けようとしない。
牛酪を使ったオムライスをよろこんで食べてくれたから、牛乳も大丈夫だと思うんだけど。チーズをおいしそうに食べてたって、桔梗からも聞いてるし。
でも、慣れない飲み物だからな。
まずは俺が口をつけて、安心させた方がいいのかもしれない。
「こうやって冷ましながら、ゆっくりと飲んでください」
俺は湯飲みを手に取った。
抹茶風味はちみつ牛乳に、ふーっ、と、息を吹きかけて、ゆっくりと飲んでいく。
うん。悪くない。
前世では効率よく休めるように、リラックスできる飲み物を作ったりしてたからな。
その経験が役に立ってる。
将来、小粋な小料理屋をやるとき、この抹茶風味はちみつ牛乳もメニューに加えてもいいのかもしれないけど……でもなぁ。
この世界には俺と同じように、前世の記憶を持つ人がいるんだよなぁ。
そういう人にとっては、これは特に目新しいメニューじゃないんだ。
それに、転生者が他の人に、前世の料理を教えることもあるかもしれない。
そうすると、俺の料理は目新しいものじゃなくなる。
異世界風の料理を出す店が、次々に出現する可能性もある。
そんな中で俺が生き残るには、なんとか差別化する必要がある。
たとえば……その土地に住む人たちの好みのものを提供するようにするとか。
この世界は人の移動があまりないからな。
紫州の人には、紫州の人に合った味付けがあるはずだ。
それを追求すれば、他の異世界料理との差別化ができるだろう。
うん。これでいこう。
そのためには杏樹や桔梗、茜にも協力してもらえば──
「……おいしいです」
ふと、杏樹の声がした。
横を見ると、杏樹が隣で、抹茶風味はちみつ牛乳を飲んでいた。
……気づかなかった。
いつの間にか、考えに沈み込んでしまっていたみたいだ。
普段はこんなことはないんだけどな。
杏樹と一緒にいると、妙に落ち着いてしまう。不思議だ。
「ほんのり甘くて、落ち着く味です。抹茶の風味もちょうどいいですね」
「よかったです」
「この飲み物も将来、零さまのお店で出されるといいと思います」
「それについて、お願いがあります」
「なんでしょうか」
「俺は他の店と差別化を図るために、紫州の人たちによろこばれる料理を究めたいんです。ですから杏樹さま、味見に協力していただきけますか? 紫州の代表として」
「はい。もちろんです!」
そう言って笑う杏樹。
彼女は満足そうに抹茶風味はちみつ牛乳を飲み干して、湯飲みを置いた。
お盆には、湯飲みがふたつ。
からっぽの湯飲みと、抹茶風はちみつミルクが入った湯飲み。
後者には、口をつけた様子がない……って、あれ?
俺が味見をした湯飲みはどこに……?
「あの……杏樹さま」
「いい月ですね」
「あ、はい」
「それに、いい夜です。ずっとこうしていたいです」
「……そうですね」
『きゅきゅ』
「「…………ん?」」
いつの間にか、俺と杏樹の間に、『四尾霊狐』が座っていた。
ふかふかの四本尻尾を揺らし、じーっと湯飲みを眺めている。
『きゅきゅっ!』
「『眠れないので、その飲み物を飲みたい』ですか?」
「『四尾霊狐』さま。さっきまで眠ってらっしゃいましたよね?」
『……きゅう』
「『くれないと、杏樹が零の飲みかけを飲んじゃったことをばらす──』……な、なにをおっしゃるのですか『四尾霊狐』さま! す、少し間違えてしまっただけです。わざとではありません。い、意識しないようにしていたのに……」
杏樹が慌てて『四尾霊狐』の口を押さえる。
あ、やっぱり杏樹は俺が飲みかけたのを飲んでたのか。
……うん。別にいいんだけど。
「それは俺の分ですから、飲んでもいいですよ。『四尾霊狐』さま」
『きゅ!』
「飲みやすいようにお皿に入れ直しますから待ってて……って、器用ですね」
前脚で湯飲みを抱えて、抹茶風はちみつ牛乳を飲み始める『四尾霊狐』。
さすが4文字の霊獣。器用だ。
「……いい月ですね。杏樹さま」
「は、はいぃ」
杏樹は自分の唇に触れながら、つぶやいた。
「零さまの世界の月とそっくりだと思うと、ずっと眺めていたくなりますね」
「はい」
こうして俺は、耳たぶまで真っ赤になった杏樹と一緒に、月を眺め続けた。
杏樹が眠くなり、うとうとし始めるまで。
早く煌都と錬州の問題が片付いて……ずっとこんなふうに、落ち着いた時間を過ごせるようになればいいと……そんなことを、考えながら。
あけましておめでとうございます!
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零たちの日常のお話です。
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これからも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!




