第64話「零と桔梗と杏樹、紫州の霊域に向かう(前編)」
紫州の州都に戻ってから、数日後。
俺たちは、州都の霊域へと行くことにした。
「『桜鳥』を、霊域に戻す儀式をいたします。紫州の領地が増えたことも、土地神に報告しなければいけませんからね」
杏樹は、そんなことを言っていた。
州候の屋敷から霊域までは、馬車で1時間足らず。
行くのは俺と杏樹。小間使いの桔梗。
あとは『四尾霊狐』と『緋羽根』と『桜鳥』たち。
人間と霊鳥・霊獣あわせて十数名の、小旅行だ。
「ここが、紫州の霊域ですか」
俺がここに来るのは初めてだ。
副堂の事件が終わってすぐに、次町の事件があったからな。
ここを訪ねる時間がなかったんだ。
俺たちがいるのは、州都近くにある小高い山。
霊域は、この中腹にあるそうだ。
山道の入り口には兵士の詰め所がある。
勝手に入る者がいないように、近衛の人たちが山門を見張っている。
あとは霊域そのものが生み出す結界が、この地を守っているそうだ。
「この樹が、霊域の入り口の目印です」
杏樹は言った。
山門を通ると、道の左右に、注連縄が張られた樹が現れる。
鳥居の代わりらしい。
俺と杏樹、桔梗は一礼して、樹の間を通る。
すると──空気が変わった。
以前『隠された霊域』に入ったときと同じだ。
外部の音が消えて、空気が澄んだように感じる。
『ルルル』
『ロロロロロ』
そんなことを考えていると──俺たちのまわりで、霊鳥『桜鳥』たちが騒ぎ出した。
桜色の翼を広げて、じっと、山の上の方を見つめている。
「故郷に戻ってきたのが、うれしいのですね?」
『『『ルロロロロ……』』』
「『緋羽根』は皆を先導してください。わたくしたちは、身を清めてから参りますから」
杏樹が言うと、桜鳥たちが一斉にはばたきはじめる。
そうして彼らは霊鳥『緋羽根』を先頭に、山の上へと向かって飛んでいった。
その姿を見ながら、杏樹は、
「『桜鳥』たちには、久しぶりの故郷を楽しんでいただきましょう」
「そうですね」
「お嬢さまと桔梗たちは、川で身を清めていくことにしましょう」
山道を進むと、水の音が聞こえてくる。
湿った空気と、草のにおいが濃くなる。
やがて、川が見えてくる。
川幅は数十センチ。
またいで越えられるからか、橋はかかっていない。
流れる水は澄んでいて、川底が透けて見える。
先に川を越えるのかと思ったけれど……杏樹と桔梗はコースを変えた。
ふたりは川沿いを、上流に向かって歩き始める。
しばらくすると、水が落ちる音が聞こえてきた。
滝が見えた。
岩壁を流れ落ちる、小さな滝だ。
滝壺のまわりは浅い池のようになっている。
この滝が、霊域の川の源流らしい。
「いつもわたくしと桔梗は、ここで身を清めているのです」
「滝の下は危ないですからね。そのまわりの、浅い流れに身を浸しています」
杏樹と桔梗は言った。
きれいな場所だった。
背の高い岩壁の頂上から、水が流れ落ちている。
水量はそれほど多くない。
『湧き水が岩壁を流れ落ちているのです』と、杏樹が教えてくれる。
触れると滝の水は、ほんのりと温かい。
霊力で温められているのか。それとも、温泉が混じっているんだろうか。
「おふたりが身を清めている間、俺は見張りをしています」
俺は杏樹と桔梗に向かって、一礼した。
「終わったら呼んでください。それでは──」
「零さま」
「はい。杏樹さま」
「零さまは土地神について、聞きたいことがあるのですよね」
「……あ、はい。そうですけど」
そういえば行きの馬車の中で、そんな話をしてたな。
杏樹は『霊域に着いたら説明します』って言ってくれたんだけど。
「いい機会ですので、土地神『九曜神那龍神』についてお話しいたします。ですから、声が聞こえるところにいてくださいませ」
「俺は耳がいいですから、離れたところでも大丈夫ですよ」
「いえ、おたがいの声が届くところで」
「おたがいの?」
「その樹の裏あたりがよろしいでしょう」
杏樹が指さしたのは、滝のすぐ横にある大樹だった。
むちゃくちゃ近かった。
杏樹と桔梗はこれから襦袢姿になって、身を清めることになる。
だから俺は離れた場所で待機するつもりだったんだけど……。
「……あの、桔梗さん」
「……お嬢さまがよいとおっしゃるなら、桔梗は……構いません」
桔梗は真っ赤になって目を伏せてる。
杏樹は、俺が近くにいても気にしない。
桔梗は、気になるけど杏樹が許すなら構わない。
他に意見をもらえそうな相手は──
『きゅきゅ!』
「『四尾霊狐』さまも賛成してくださるそうです」
杏樹は『四尾霊狐』を抱き上げて、そんなことを言った。
最強の霊獣の意見が出てしまった。
「……そうですか」
「……桔梗はもう、覚悟を決めました」
こうして俺は、身を清める杏樹たちのすぐ側で、護衛を務めることになった。
「いらっしゃいますか。零さま」
「……月潟さま。いらっしゃいますよね?」
うちは忍びの家系だから、代々、耳がいい。
だから、杏樹と桔梗の声がよく聞こえる。
もちろん、ふたりが服を脱ぐときの音も。
水に身体をひたしたときの音も。
ふたりが身体に水をかけあう音も。
──すぐ側にいるかのように、よく聞こえてしまうんだ。
「……零さま?」
「いますよ。大樹の向こうで待機しています」
俺は答える。
すると、杏樹はほっとしたように、
「安心しました」
「桔梗も安心ですけど……どきどきもします」
「そうなのですか? 桔梗」
「は、はい。殿方の側で身を清めるのは……はじめてですから」
「ごめんなさい。付き合わせてしまいましたね」
杏樹はささやいた。
「わたくしにとって零さまは家族のようなものですから、側にいていただくのが当たり前なのですが……桔梗を付き合わせてしまったのは、よくなかったでしょうか」
「い、いえ。桔梗も月潟さまのことは、信頼していますから」
「よかったです」
「で、ですが、お父さまには『殿方の前で、むやみに肌をさらすものではない』と言われていますから。どうしても……」
「爺──杖也が心配するのも無理ありませんね。桔梗はとても女性らしい身体つきをしていますから。肌も、とてもきれいです」
「そ、そんな、お嬢さまの方こそ……」
「ふふっ。こうしていると昔を思い出しますね。子どものころは、いつも桔梗と一緒にお風呂に入っていました。身体を洗いっこするのは、楽しかったものです。桔梗は背中のまんなかを洗うとき、いつもくすぐったがって……」
「お、お嬢さま。月潟さまがいらっしゃるんですってば!」
「……ごめんなさい」
俺、ここにいていいんだろうか。
杏樹は隠し事とかしないからなぁ。
このままだと、ふたりの幼少期のないしょ話を聞くことになりそうな気がする。
……話題を変えたほうがいいな。
「杏樹さま。『九曜神那龍神』のことをうかがってもいいですか」
俺は背中越しに声をかけた。
「霊域の中の方が、話がしやすいということでしたが……」
「そうでしたね。では、申し上げます」
杏樹が、ぱん、と手を叩く音がした。
「零さまは『九尾紫炎陽狐』さまがおっしゃっていた、紫州の成り立ちの話を覚えていらっしゃいますか?」
「覚えています。この紫州は、元々ふたつの州だったんですよね」
「『緋州』と『鬼州』ですね」
そのふたつが合体してできたのが紫州だ。
『九尾紫炎陽狐』によると、緋州には霊域がなかったらしい。
だから『九尾紫炎陽狐』が力を貸して、この霊域を作り上げたそうだ。
「『九尾紫炎陽狐』さまによると、元々ここは霊域ではありませんでした。ですがこの地は、かつて土地神が降り立った場所なのです。もちろん、言い伝えですけれど」
杏樹はそんなふうに、説明してくれた。
「紫州の土地神『九曜神那龍神』は大昔にこの地に降り立ち、ここを自分を祀るための場所にするように命じたそうです。そうして、この場所を中心として人が集まり、州ができたのですよ」
「霊域ではないけれど、大切な場所だったんですね」
「人と神が繋がるための場所でした。だからこそ『九尾紫炎陽狐』さまは、ここを霊域に定めたのでしょう。どうやってそれを成し遂げたのか……その記憶は……古すぎて、わたくしにも読み取ることができないのですが」
「土地神は直接、力を貸してくれたりはしないんですか?」
鬼門にも『九曜神那龍神』を祀る祭壇があった。
でも、土地神は現れなかった。あの時は紫州の危機だったのに。
【禍神】を払ってくれることもなかった。
「霊獣や精霊は存在していて、力を貸してくれますよね。なのに土地神が姿を現すことはない。そのあたりの違いが、よくわからないんです」
「神と人とが関わる時代は終わった、と言われています」
杏樹は言った。
「かつては、土地神も人と共に暮らしていたそうです。ですが、それは神代のことです。この国が統一されるよりはるか昔の話です。すでに土地神はこの地を離れ、人を見守るだけのものになったと言われております」
「人を見守るだけ……ですか」
「ただ、繋がりは保っている……らしいですよ。危機に際しては、人に力を貸してくれる……そういう伝説もあり、紫州の者は皆、それを信じています」
「……なるほど」
俺が土地神について尋ねたのは、転生について調べるためだ。
もしかしたら土地神が転生に関わっているんじゃないかと思ったんだけど……勘違いか。
そもそも、俺は健康で長生きして、安定した老後を送りたいだけなんだから。
そんな人間に、神が関わるわけがないよな。
「紫州の人たちは、土地神をどんなふうに祀ってるんですか?」
「州都に神社があります。今はみんな、そこに行ってお祈りしています。縁結びの神社として有名です。龍神はその長大な身体を使って、天と地を結びつけるものですから」
「あ、そういえば、錬州にも似たような伝説があるそうですよ?」
杏樹の言葉を、桔梗が引き継いだ。
「天上と地上は別世界。だから龍神は別世界の人間同士であっても、縁を結ぶことができるそうです」
「……それは初耳です。桔梗は誰から聞いたのですか?」
「錬州の末姫、真名香さまです」
不意に、桔梗が言った。
「錬州には、龍が天から人を、この地に連れてくるという伝説があるんだそうです。話を聞いたとき、桔梗は『なるほど』と思いました。お隣の州の人は、うまいこと考えるなぁ、って。龍が人を運ぶものなら、縁結びと関係がありますよね?」
「「…………」」
「あれ? お嬢さま? 月潟さま?」
俺と杏樹は思わず黙り込む。
龍が、天から人を、この地へと運ぶ、か。
気になる話だ。
州都に戻ったら、末姫から話を聞いてみよう。
「龍が天から人を運ぶ……ですか。そういえば霊域の最奥には、『九曜神那龍神』が触れたという石があるのですよね」
杏樹が、ふと、つぶやいた。
「零さまにも見ていただきましょう。なにか、手がかりになるかもしれません」
「承知しました。杏樹さま」
「では、禊ぎはこのくらいにして、身支度を調えましょう」
「はい。お嬢さま。着替えと身体を拭く布を取ってきます」
『きゅきゅ?』
『四尾霊狐』の声がした。
川縁で水浴びをしていたのが、戻ってきたらしい。
『きゅ?』
「え? 『四尾霊狐』さまが着替えを取ってきてくださるのですか?」
『きゅぅ?』
「指示をください、ですか? わかりました。では……霊獣『四尾霊狐』さま。身体を拭く布と、わたくしたちの服を、契約者の元に運んでくださいませ」
『きゅきゅーっ!』
とととととととっ。
『四尾霊狐』が身体を拭く布と着替えを背中に乗せてやってきた。
杏樹と桔梗じゃなくて、俺の方に。
『きゅきゅ、きゅ!』
「えっと。『仕事をしました。ほめて』?」
『きゅきゅーっ!』
ぶんぶんと尻尾を振る『四尾霊狐』。
背中に乗せた布と、服と襦袢は微動だにしない。器用だ。
杏樹は『四尾霊狐』に、布と服を契約者の元に運ぶように頼んだ。
で、『四尾霊狐』と契約してるのは俺と杏樹だ。
霊力的には俺の方が強い。
なので、『四尾霊狐』は、布と服を俺の方に持ってきてしまったらしい。
「ごめん。杏樹さまと桔梗さんのところに戻してあげてくれるかな?」
『……きゅきゅぅ』
「え? 『指示通りにしたのに、やり直すのは不満』?」
『きゅうっ!』
「『きっと杏樹さまは、俺と四尾霊狐のふたりに、着替えを届けて欲しいはず』……ってこと?」
『きゅうう!』
……どうしよう。
『四尾霊狐』は、仕事をやり遂げたつもりでいる。
すごく満足そうな顔をしてる。
そんな『四尾霊狐』に『失敗。やり直し』とは言いにくい。
というか、そんなこと言ったら泣きそうだ。
となると……。
「杏樹さま。桔梗さん」
「……は、はい。零さま」
「……な、ななななんでしょうか。月潟さま」
「身体を拭く布と、着替えを、俺がそちらに届けてもいいでしょうか」
「構いません」
「も、問題ありませぇんっ!」
「……目は閉じてます。目隠しもしますから」
俺は着替えと布を『四尾霊狐』から受け取る。
それから深呼吸して──目を閉じた。
杏樹たちが安心できるように、適当な布で、目隠しをしておく。
「『虚炉流・邪道』……『地面を歩く』」
俺は邪道の技──『地面を歩く』を発動する。
この技は周囲の地面に霊力を通して、自分の一部にするものだ。
半径数メートルの地面を自分の皮膚のようにすることができる。
効果範囲内になにがあるか、はっきりとわかるんだ。
これを使えば、目を閉じていても普通に歩ける。
つまづくこともないし、方向を誤ることもない。完璧だ。
「零さま。そこまでしなくてもよろしいのですよ」
「す、すごいです月潟さま! 目隠ししてるのに、普通に歩いてらっしゃいます」
「杏樹さま。桔梗さん。着替えはここに──」
「はい。いただきますね」
杏樹が、水から上がる音がした。
そのまま彼女は、俺の手から布を受け取り、身体を拭き始める。
……いや、着替えと布は、地面に置くつもりだったんだけど。
水音がする。
杏樹が水から上がったせいで、まわりの地面は水びたしになったからだ。
乾いた地面があるのは……左先方2メートル先か。
そこに服を置けば……って、杏樹? どうして俺が持ってる着替えに、手を置くの?
「零さまが着替えを預かってくださるなら安心です。どうぞ、そのままで」
「お、お嬢さま!?」
「零さまは目を閉じ、目隠しまでしてくださっているのです。そのご配慮を無駄にしてはいけませんよ。桔梗」
「……そ、そうですね! き、桔梗もすぐに、身支度を調えます!」
「お願いいたしますね。桔梗」
「は、はいぃ!」
…………動けなくなってしまった。
俺は『邪道・地面を歩く』を解除する。
この技の効果範囲は半径数メートル。
現在、範囲内に杏樹と桔梗が入っている。
技を発動したままだと、ふたりがどんなふうに身支度を調えているかわかってしまう。
具体的には、俺の肌に杏樹の素足が触れる感覚が伝わってくる。
桔梗が脚をすぼめていたり、身を屈めていることもわかってしまう。あぶない。
まぁ、『地面を歩く』を解除しても、ふたりの位置くらいは感じ取れるんだけど。
今は桔梗が俺の目の前。杏樹が、その向こうにいる状態だ。
だから俺は声をひそめて、つぶやく。
「……桔梗さん。杏樹さまのことなんですが」
「……わかっています。あとで桔梗からご忠告申し上げておきます」
桔梗が俺に顔を近づけて、ささやく。
──杏樹さまは無防備すぎます。
──もうちょっと気をつけた方がいいです。
そんなことを言おうと思ったんだけど、桔梗には意図が伝わってたらしい。
「でも、それほど心配することもないと思いますよ。お嬢さまがここまで無防備になるのは、月潟さまの前だけですから」
「……そうなんですか?」
「はい。それに、こんなときは桔梗が壁になりますから」
気配を探ると──桔梗が目の前で、俺に背中を向けているのがわかる。
文字通り、壁になってくれているみたいだ。
よかった。これで一安心だ。
俺は長いため息をついて──
「ひゃ、ひゃあああああわわわぅんっ!?」
「き、桔梗さん!?」
「つ、月潟さまの息がはだかの背中に……い、いえ、なんでもないです! お嬢さまは服を着てからこちらに来てくださいませ!」
目の前で、桔梗が身を縮めてる。
なにかをこらえるように、ぴょんぴょん跳ねてるのがわかる。
俺はさっきの、杏樹の言葉を思い出す。
『子どものころは、いつも桔梗と一緒にお風呂に入っていました』
『身体を洗いっこするのは、楽しかったものです』
『桔梗は背中のまんなかを洗うとき、くすぐったがって変な声を──』
なるほど。
俺のため息が、桔梗の背中に直撃したのか……。
「……すみません。桔梗さん」
「あ、あやまらないでください。だいじょぶです。だいじょぶですからぁ……」
しばらくして、ふたりの着替えは終わった。
杏樹は落ち着いた表情で、桔梗は──耳たぶまで真っ赤になっていたけど。
それから、ふたりが休憩している間に、俺も素早く身を清めた。
「それでは参りましょう。零さま。桔梗」
「はい。杏樹さま」
「……はいぃ」
そうして俺たちは、霊域の中心に向かうことにしたのだった。
今回は、幕間のお話になります。
長くなったので、前編後編に分けることにしました。
本当は連続して更新したかったのですが……実は、地元が大雪で、除雪等に時間を取られてしまいました。もともと雪国なのですが、今年はかなりすごい状態です。
なので、次回の更新は、次の土曜日になる予定です。
皆さまも雪にはお気をつけください。
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