第62話「巫女姫と護衛、錬州の嫡子と会う(前編)」
──紫州と錬州の境界で──
俺が、杏樹に前世のことを伝えてから、十数日後。
俺たちは紫州と錬州を繋ぐ街道に来ていた。
ちょうどふたつの州の州境付近にあたるところだ。
ここで杏樹と、錬州候の嫡子──蒼錬将呉の会談が行われることになっている。
「真名香さまが、次町に残るとおっしゃったのは意外でした」
馬車を降りた杏樹は、ふと、そんなことを言った。
「錬州のご嫡子は真名香さまの兄君です。会いたいものだと思っていたのですが」
「茜によると、末姫さまは『真名香は紫州の側に立ちたいのです』と言っていたそうですよ」
茜と桔梗は末姫を、錬州候の陰謀から守っている。
それで気に入られたらしい。
今では、日に一度は話をする仲になっている。
「お兄さんに会わないことで、自分が紫州の側に立っていることを示す。それが、末姫さまのご意志なのだと思います」
「いい人ですね。真名香さまは」
「同感です」
末姫は杏樹を信じると決めて、紫州に残ることを選んだ。
それが、ふたつの州のためになると考えたからだ。
だけど、末姫は錬州の主流派ではない。
彼女は、巫女の力が弱いことで、故郷ではないがしろにされていたらしい。
だからこそ、陰謀の犠牲にされそうになったんだろう。
錬州は利益と功績を最も重視する州だからなぁ。
そんな錬州の嫡子と、俺たちはこれから会うことになる。
十分に、注意しよう。
「ご主君。月潟どの。錬州のご一行がいらしたようですぜ」
近衛の柏木さんが声をあげた。
街道の向こうから、馬車がやってくるのが見えた。
大きな馬車だった。曳いているのは大きな黒馬だ。外国産だろうか。
馬車の横を進む兵士は、翼ある蛇『騰蛇』を描いた旗を構えている。
山から吹き下ろす風が、たたみ一畳分はありそうな旗を揺らしている。
そんな大旗を抱えながらも、兵士の足取りはまったく揺らがない。
馬車の後ろには、霊獣『騰蛇』を連れた少女がいる。
錬州側の兵士は、約50名。こちらの倍だ。
だけど、この場所は次町に近い。
こっちはいつでも援軍を呼べる。
錬州側が敵対行動を取った場合、霊鳥たちが飛んでくる。
戦力的には、こっちが有利なはずだ。
「こちらは紫州候代理、紫堂杏樹さまと、その護衛団である!!」
近衛の柏木さんが叫んだ。
彼の後ろでは、『柏木隊』の一人が紫州の旗を掲げている。
紫州の旗は横長なのが特徴だ。
翼を広げた霊鳥の姿が、雄大に描かれている。
お互いの旗を見せ合い、その名を確認してから、近づく。
それが州候の名のもとに行われる、正式な会談の手順だそうだ。
「そちらは錬州候ご嫡子のご一行とお見受けする。相違ないか」
柏木さんはふたたび、声をあげた。
「相違ありません。こちらは錬州候のご嫡子、蒼錬将呉さまと、その護衛である」
錬州側の旗持ちが答える。
力を誇示するように、『騰蛇』の旗を振っている。
「……今回の戦いでは、数多くの霊獣『騰蛇』が犠牲になりました」
杏樹は旗を眺めながら、そんなことをつぶやいた。
剣士の沖津たちが連れていた『騰蛇』は【禍神・酒呑童子】に殺された。
しかも【八岐大蛇】を呼びだすために、社の供物にされたんだ。
それを弔ったのは杏樹だ。
『騰蛇』の遺体は、『柏木隊』が回収してきた。
杏樹は次町で鎮魂の儀式を行い、遺体を埋葬した。
剣士の沖津たちも立ち会っていた。
霊獣を失った彼らは、打ちひしがれた様子だった。
ただ、杏樹に頭を下げて、感謝の言葉を口にしていた。
その後、沖津たちは錬州に帰ったはずだ。
蒼錬将呉は、彼らから話を聞いているんだろうか。
「──旗を収めよ」
不意に、錬州の馬車から、声がした。
「錬州の霊獣を弔ってくれた方の前で、『騰蛇』の旗を誇示するものではない」
「──はっ!」
即座に兵士は、『騰蛇』の旗を収めた。
そして、俺たちが見ている前で、錬州の馬車の扉が開いていく。
「参りましょう。零さま。錬州候のご嫡子が降りてくるようです」
「はい。杏樹さま」
俺と杏樹は並んで、前に出る。
杏樹の肩には霊鳥『緋羽根』がいる。油断なく周囲を見回している。
やがて、錬州の馬車から、背の高い男性が降りてくる。
日に焼けた肌。
長く伸ばした黒髪を、首の後でまとめている。
身に着けているのは羽織と袴だ。
羽織には、錬州の紋章が施されている。
あれが錬州候の嫡子、蒼錬将呉か。
馬車を降りた蒼錬将呉は、穏やかな笑みを浮かべている。
身長は俺と同じくらい。ただ、がっしりとした体格をしている。
錬州には海があるからだろうか。なんとなく『海の男』というイメージが浮かぶ。
蒼錬将呉は、でこぼこした道を、ゆっくりと歩いて来る。
足運びから察するに、武術をやっているんだろう。
その隣にいるのは、黒髪の少女だ。
背は低い。着ているのは小袖。長い三つ編みが見える。
腕には翼ある蛇『騰蛇』を巻き付けている。蒼錬将呉の護衛だろうか。
あるいは……末姫が教えてくれた、転生者かもしれないな。
「お目にかかるのは初めてですな。錬州候の嫡子、蒼錬将呉と申します」
蒼錬将呉は、杏樹に向かって一礼した。
「こちらは私の護衛です。名は、駒木師乃葉と申します」
「駒木師乃葉でございます。以後、お見知りおきください」
……駒木師乃葉。
末姫が『転生者』だと言っていた少女だ。
ただ、本当に彼女が『転生者』なのかは……まだわからない。
疑う理由もないけれど、この状況で確認するのは無理だ。
でも、俺以外に『転生者』がいるなんて……予想外だ。
俺は偶然、この世界に生まれ変わったのだと思っていた。
たまたま誰かが、俺の『生まれ変わったら健康になりたい』という願いを叶えてくれたんだ、って。
だけど、本当にそれだけなんだろうか。
複数の『転生者』がいるとしたら、それにはなにかの意図があるのか?
目の前にいる駒木師乃葉は、どんな理由で転生したんだろうか?
……わからない。
とりあえず保留だ。今は会談に集中しよう。
「初めてお目にかかります。紫州候代理、紫堂杏樹です」
杏樹は、蒼錬将呉に礼を返す。
「こちらはわたくしの側近であり護衛の、月潟零さまです」
「月潟零です。杏樹さまの護衛を務めさせていただきます」
俺は軽く挨拶した。
声は小さく。視線は合わせず。俺の存在はできるだけ『空気』にしておく。
気づかれずに相手の様子を探るには、そっちの方がいいからだ。
「まずは、錬州の代表者として、お礼を申し上げます」
蒼錬将呉は杏樹に向かって、深々と頭を下げた。
「山の邪気を祓ってくださったことと、社を浄化してくださったこと。そして、犯人を捕らえていただいたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。紫堂杏樹さま」
「恐縮です」
杏樹の答えは短かった。
「錬州は約束を果たします。領地割譲のための書状をお渡ししましょう」
蒼錬将呉がうなずくと、少女──駒木師乃葉が朱塗りの箱を取り出す。蒼錬将呉が封を解き、中身を手に取る。書状の内容を確認し、駒木師乃葉に渡す。
駒木師乃葉はそれを捧げ持ち、紫州側の従者──俺に差し出す。
俺は書状を受け取り、開いてから、杏樹へと渡す。
前もって聞いていた、書状のやりとりの手順通りに。
書状の内容は間違いなく、錬州側が領地を譲渡するためのものだ。
すでに錬州候の署名はされている。
この書状に杏樹が署名すれば、契約は完了だ。
「書状は2通用意しております。署名された後に、1通をこちらにお戻しください」
蒼錬将呉は言った。
「これにより、おたがいが同じ書状をもつことになります」
「契約の確認のためですね」
「州候同士の儀礼では、そうなっております」
「承知いたしました。内容を確認し、すぐに署名をいたしましょう」
「その前に、こちらの書状もお納めください」
別の書状を、隣にいる少女が取り出す。
俺が受け取って、中身を確認する。
書状の内容は『錬州候が、陰謀の失敗を認める』ものだった。
「……これは……信じられません」
書状を受け取った杏樹がつぶやく。
俺も同感だ。
書状には錬州候が、紫州に渡す報酬を値切ろうとしたことが記されていた。
──紫州の者が錬州の山に向かったあと、末姫の護衛が錬州の山に向かうように指示を出したこと。
──それは、敵の目が紫州の者に向いている間に、錬州の者が社を浄化するためだったこと。
──さらに、錬州の末姫を傷つけ、その罪を紫州になすりつけようとしたこと。
そんなことが、書かれていたんだ。
「錬州候は、ご自分のしたことをお認めになるのですか?」
「父は近いうち、隠居する予定でおります」
「……隠居を?」
「その前に、父は心残りをなくしておきたいのでしょう」
蒼錬将呉は答えた。
「今回の事件の件で煌都に抗議し、それが済んだ後に、父は州候の地位を降りるつもりでおります。予定としては1年か、2年後になります。父は、限界を感じたようですね」
「限界、ですか?」
「あなたに敗北したからですよ」
苦笑いを浮かべる、蒼錬将呉。
「父は……紫州を利用するつもりでいたのでしょう。山の浄化を任せて、その後、できるだけ報酬を値切る。そのために真名香を利用し、手の者を山に送り込んだ。ですが、すべてはあなたに見抜かれていた」
「わたくしだけの力ではありません」
いや、杏樹、こっちを見なくていい。
今の俺は空気にしといて欲しいんだけど。
「信頼できる方々の力を借りただけです。そもそも、わたくしは錬州候と争っているつもりもありませんでした」
「ですが、父はそうは思わなかった」
「だから引退されると?」
「大御所となり、この将呉を後見する立場となります。私もまだ若輩ですからね。父は……矢面に立つのが恐ろしくなったようです」
「煌都に対して、ですか」
「あなたに対しても、ですよ。つまりは父は、完全敗北したわけです」
そう言って、蒼錬将呉は肩をすくめてみせた。
……錬州候が、負けを認めた、ってことか。
まぁ、今回色々策を練ってたみたいだけど、すべて失敗してるもんな。
それで、敗北を認めて、引退することにしたんだろうか。
となると──
「では、蒼錬将呉さまはまもなく、錬州候になられるわけですね」
杏樹は言った。
「お祝い申し上げます。隣州として、よい関係であることを願っております」
「就任が決まったと同時に領地の一部を失うわけですが」
「そうでした。書類に、署名をしなければいけませんね」
「お願いいたします」
蒼錬将呉は一礼した。
「これは州候就任が決まってすぐの仕事です。不備があっては、大御所となった父に、ねちねちと文句を言われるかもしれませんから」
「承知しました。ですが……その前に、いくつか質問してもよろしいでしょうか」
杏樹は書状を俺に預け、蒼錬将呉を見た。
「うかがいましょう」
蒼錬将呉は……落ち着いてるな。
まるで、杏樹が聞きたいことが、わかっているかのようだ。
そうして杏樹は、蒼錬将呉をまっすぐに見つめたまま、告げた。
「錬州はなぜ、副堂勇作さまによる『紫州乗っ取り』に協力したのですか?」
「紫州を、錬州の協力者に治めてもらうためでした」
蒼錬将呉は答えた。
まるで、あらかじめ答えを用意していたかのように、よどみなく。
「錬州は川を境界として、煌都と接しています。煌都は国の都であり、尊崇すべき場所です。けれど……昨今はなにをしてくるかわからない、危険な地となっています。それは紫堂杏樹さまもご存じでしょう」
「存じております」
「そんな煌都の側にある錬州には、絶対の協力者が必要だったのです」
「欲しかったのは傀儡政権だったのではないですか?」
「そう受け取られても仕方ありませんね」
「紫州候だった父に……紫堂暦一に協力を求めることもできたでしょう?」
「その矢先に、紫堂暦一さまは倒れてしまわれたのです」
おだやかな口調で答える、蒼錬将呉。
「後継者は副堂勇作どのと、紫堂杏樹さまのどちらかになるはずでした。ですが、錬州は紫堂杏樹さまとの繋がりを持ちません。紫州を即座に味方につけるには、以前より交流のあった副堂勇作どのの方が望ましい。父である錬州候は、そう考えたのでしょう」
「そのために紫州に介入されたと?」
「副堂勇作どのの要望を断り切れなかったとうのもあります。あの方は強く、紫州候の地位を望んでおられましたからね」
「……それが、次期錬州候の答えですか」
杏樹は唇をかみしめていた。
気持ちはわかる。
おそらく蒼錬将呉は、事実と嘘が入り交じった話をしている。
錬州が、紫州に傀儡政権を作ろうとしたのは事実だろう。
そのために、副堂勇作を利用したのも間違いない。
錬州は以前から、副堂勇作と繋がっていた。
そうして紫州内に協力者を作ろうとしていたのか、最初から紫州の乗っ取りを企んでいたのか……それははわからない。
けれど、杏樹の父に協力を求めようとしていたというのは、嘘だ。
錬州が杏樹の父に近づいたら、副堂勇作の機嫌を損ねることになる。
結果として、副堂と錬州の関係がばれる可能性もある。
利益重視の錬州が、そんな危険な橋を渡るわけがない。
でも……こちらに蒼錬将呉の言葉を否定するだけの証拠はない。
だからこそ向こうは、悪意はなかったと主張しているのだろう。
「では、もうひとつうかがいます」
杏樹の視線が、強くなる。
最初の質問は州候代理としてのもの。
こちらが本命だ。
杏樹が、ひとりの少女として聞きたかった、問いだ。
「あなたは婚約者である副堂沙緒里さまのことを、どう思っていらしたのですか?」
杏樹は蒼錬将呉をまっすぐに見据えたまま、告げた。
「…………」
蒼錬将呉が目を見開く。
予想外の質問だったらしい。
杏樹は続ける。
「沙緒里さまは今も行方知れずです。あなたは彼女の行方を捜しましたか? 一時とはいえ、あなたは沙緒里さまの婚約者だったのですよね?」
「婚約者だったのは間違いありません」
蒼錬将呉は頭を振って、
「しかし、あれは政略結婚でした」
「沙緒里さまのお部屋からは、あなたへの思いを綴った手紙が見つかりました」
杏樹は続ける。
「あなたは沙緒里さまの想いを知っていたはずです。そして、沙緒里さまは鬼を召喚する呪術書──『二重追儺』を与えたのは、政略結婚とは無関係のはずです。沙緖里さまはその呪術により……結果として、傷つきました。あなたには、なにか思うところはないのですか?」
副堂沙緒里は、杏樹から巫女姫の地位を奪った。
杏樹にとっては彼女は敵だ。
けれど、血縁の少ない杏樹にとっては、大切な従姉妹でもある。
その副堂沙緖里を、蒼錬将呉がどう思っているのか、聞きたい。
それが、杏樹が蒼錬将呉との会談を望んだ理由のひとつだった。
「副堂沙緒里さまに『二重追儺』の呪術書を渡すことを進言したのは、自分です」
不意に、蒼錬将呉の隣にいる少女が言った。
「将呉さまはそれを承認されただけです。罰ならば、私に」
「控えろ、師乃葉!」
蒼錬将呉が、隣の少女を一喝した。
「私たちは州候の名代として話をしている。命じられてもいないのに口を挟むものではない!」
「…………失礼いたしました」
師乃葉と呼ばれた少女は深々と頭を下げた。
蒼錬将呉は杏樹の方に向き直り、
「失礼しました。部下の無礼をお詫びします」
「……いいえ」
「質問にお答えします。繰り返しますが、私と沙緒里さまとの縁談は政略によるものでした。沙緒里さまを良い方だと思っていましたが……それは好意とは違いました」
蒼錬将呉は静かに答えた。
「『二重追儺』の呪術書を渡したのは、沙緖里さまの意に沿ったものです。提案したのは部下ですが、それを認めたのは私と父です。副堂どのとのよしみを深めるためには、沙緖里さまの要求に応える必要があったからです」
「……お続けください」
「ですが、彼女が行方知れずになったことは残念に思っています。居場所がわかったら保護するつもりです。そして、呪術書を渡してしまったことを詫びたいと考えています」
「そうですか……」
杏樹はため息をついた。
これ以上の言葉は引き出せないと、わかったからだろう。
「私からも、紫堂杏樹さまにうかがいたいことがあります」
「うかがいましょう」
「巫女の才能と霊力がなければ、副堂沙緒里さまは不幸にはならなかった……そうは思いませんか?」
蒼錬将呉は言った。
杏樹が、ぽかん、とした顔になる。
俺も一瞬、言葉の意味がわからなかった。
そんな俺たちを見ながら、蒼錬将呉は、
「巫女の才能と霊力があったからこそ、沙緒里さまはあなたに取って代わろうとした。副堂どのも……沙緒里さまが霊鳥『緋羽根』を手に入れることができれば、自分が州候代理になれると思った。巫女の才能と霊力が、おふたりを不幸にしたのだとは思いませんか?」
表情を変えることもなく、淡々と──
当たり前のことを告げるような口調で、蒼錬将呉は言ったのだった。
次回、第63話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
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零たちの日常のお話です。
書籍版だけの書き下ろしです。ぜひ、読んでみてください。
これからも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!