第57話「錬州の末姫、紫州の使者と会う」
──錬州の末姫の宿舎で──
「紫堂杏樹さまの使者として参りました。橘桔梗と、須月茜と申します」
畳の部屋に座り、桔梗は深々と頭を下げた。
隣にいる茜も同じようにする。
ここは、錬州の末姫、蒼錬真名香のために用意された宿舎だ。
上座には、真名香が座っている。
巫女服姿で正座した彼女は、緊張した表情だ。
その横に控えているのは若い女性だ。真名香の侍女だろうか。
桔梗と茜は杏樹の指示により、真名香の元にやってきた。
錬州の山で起きた事件について、報告するためだ。
錬州側の山の浄化は、錬州候の依頼によって行われている。
依頼の書状をもってきたのは真名香だ。
だから、事件が終わったことを、彼女に伝える必要があるのだった。
桔梗が選ばれたのは、真名香に威圧感を与えないためだ。
桔梗は小間使いだが、重臣の橘杖也の養女でもある。真名香に面会する立場としては、十分だ。
茜は、その桔梗の護衛として、同行しているのだった。
真名香の部屋に通される前に、桔梗と茜は、女性兵士によって身体検査をされた。
武器を持ち込んでいないか、確認するためだ。
不快ではあったが、仕方のないことだった。
錬州の末姫には味方が少ない。その上、護衛隊長の沖津が側を離れている今は、警戒するのも当然だろう。
そんなふうに納得して、桔梗と茜は、真名香の前に座っているのだった。
「結論から申し上げます。錬州の山の問題は、解決いたしました」
平伏していた桔梗は頭を上げ、そう告げた。
和服の膝を合わせ、姿勢を整えてから、続ける。
「詳しい経緯をお伝えいたします。まずは──」
「末姫さま。お話の前に、人払いをするべきです」
真名香の侍女が、声をあげた。
「これから紫州の方と大切な話をなさるのです。兵士たちは、声の届かぬ場所にさがらせるべきでしょう」
「いえ、燕。そんな必要はないでしょう」
真名香は首をかしげて、侍女を見た。
「兵士たちには真名香から、事情を伝えるつもりでおります。彼らも街道で魔獣に襲われています。事態がどのように推移したのか、興味があるのではないでしょうか」
「その判断をするのは、末姫さまのお役目ではございません」
「……燕」
「私は州候さまより、真名香さまの補助を命じられております。私の判断は、錬州候さまの判断だとお考えください」
「……承知しました。では、人払いを」
真名香がうなずくと、燕と呼ばれた侍女が立ち上がる。
その様子を見ながら、桔梗は茜と視線を交わす。
侍女が廊下へと出たあと、遠くで声がした。
護衛の兵士たちに、事情を説明しているのだろう。
やがて、真名香の侍女が戻ってくる。
それを確認してから、真名香は、
「お待たせいたしました。お話を聞かせてください」
「承知いたしました」
そうして、桔梗は話し始めた。
──紫州と錬州の境界にあるの山で、怪しい儀式を行っていた者がいたこと。
──犯人が錬州の山を、都の禍を引き受ける鬼門にしようとしていたこと。
──そして、新たに【酒呑童子】という名の【禍神】が召喚されたこと。
「錬州での出来事とはいえ、紫州のすぐ側で邪悪な儀式が行われていたのです。捨て置けないと、紫堂杏樹さまと現場の方は判断されました。そして、問題を解決し、犯人を捕らえたのです」
桔梗は一呼吸おいてから、話を続ける。
「現地には、紫堂杏樹さまの近衛である『柏木隊』が向かっています。末姫さまの兄君でいらっしゃる、蒼錬颯矢さまの部隊も」
「……兄さまも、ですか」
「依頼を果たしたことを確認していただくためだそうです」
そこまで話してから、桔梗はまた、頭を下げた。
茜も、それに倣う。
「「以上が、紫堂杏樹さまからのご伝言になります」」
そうして桔梗たちは、報告を終えた。
しばらく、沈黙があった。
「錬州を代表して、お礼を申し上げます」
真名香は穏やかな笑みを浮かべながら、頭を下げた。
「治安回復にご協力をいただいたこと、感謝しております。錬州と紫州は、今後とも良き隣人として、共に発展していくことを願っております」
「ありがたいお言葉です」
桔梗はお辞儀を返す。
「では……紫州と錬州が良き隣人として付き合っていくにあたり、紫堂杏樹さまからご提案がございます」
「うかがいましょう」
「蒼錬真名香さまは、紫州に留学されるお気持ちはございますでしょうか?」
桔梗は杏樹に託された言葉を、告げた。
やさしい笑みと共に。
まるで真名香を、遊びに誘うような口調で。
「…………え?」
「…………!?」
真名香と、侍女の燕が目を見開く。
予想外の言葉だったのだろう。
桔梗は真名香を見つめたまま、話を続ける。
「紫州と錬州は、たがいによい関係を望んでおります。でしたら、真名香さまには人質ではなく、留学生あるいは客人として紫州に滞在していただくのがよいのではないでしょうか。そうして親睦を深めるべきかと」
蒼錬真名香は、錬州から遣わされた人質だ。
紫州に、錬州の山を清めてもらい、錬州が『領土を割譲する』という約束を果たすまで、この地に滞在することになっている。
その後は錬州に帰り、元の生活に戻ることになる。
『役立たずの末姫』として……たぶん、縁談が決まるまで。
「紫堂杏樹さまはどうして、真名香に……そのようなことを?」
「護衛の方が『錬州の末姫さまは、いい人だと思います』とおっしゃったからです」
桔梗が答える。
隣では茜が、こくこくこくっ、と、勢いよくうなずいている。
「護衛の方がお届けした『ぷれぇんおむれつ』を、末姫さまはよろこんで食べてくださったそうですね。末姫さまはその後、紫州の者を心配するようなお言葉をくださったと」
「…………はい」
「あのお方は、それがとてもうれしかったそうです。だから、末姫さまは優しいお方だと判断されたのでしょう」
「……たった、それだけのことで?」
「はい。そして、護衛の方のお話を聞いた紫堂杏樹さまは、末姫さまには客人として紫州に滞在していただき、親睦を深めたいと考えられたのです。人質ではなく、留学生……つまり、客人として」
「信じられません……」
真名香はため息をついた。
「強い力をお持ちの方々が、そんなことを考えるなんて」
「力は関係ありません。紫堂杏樹さま……いえ、お嬢さまは、末姫さまを気に入られたのだと思います」
桔梗は続ける。
「異国には身分を超えた『ろーまんす』があります。それに比べれば、州候のお子同士が仲良くなるくらい、どうってことはないのではないでしょうか」
「……ありがとうございます」
真名香はそう言って、笑った。
目を細めて……巫女服の袴を、ぎゅ、っと握りしめて。
「そのようなご提案をいただいたこと、うれしく思います」
「では、ご承知いただけるのですか?」
「いえ……それは……」
「真名香さまの一存で決められることではございません!」
不意に、侍女の燕が叫んだ。
「真名香さまには、定められたお役目がございます。今は、人質として紫州にいらっしゃる身です。それをお忘れなきよう」
「…………わかっておりますよ。燕」
喜色を浮かべていた真名香の表情が、曇る。
侍女の燕は一礼をして、真名香の横に座る。
懐に手を入れて、じっと、桔梗と茜を見ている。
「承知いたしました。では、お返事をお待ちしております」
桔梗は真名香に向かって、頭を下げた。
「お時間をいただき、ありがとうございました。桔梗たちはこれで失礼を──」
「桔梗さん、大事なことを忘れているです」
不意に、茜が声をあげた。
「桔梗さんは言ってたです。錬州のお茶に興味があるって。末姫さまにお目にかかることがあったら、ぜひ所望したいって」
「あ、そうでしたね。忘れておりました」
桔梗は、侍女の燕の方を見た。
「申し訳ありません。そのようなわけですので……お茶を一杯いただけませんか」
「お茶をですか?」
「お話をして、喉が渇いてしまいました。それと……茜さまがおっしゃったように、桔梗は錬州のお茶に興味があるのです」
「……いかがいたしましょうか。真名香さま」
侍女の燕は、真名香を見た。
真名香は優しい笑みをうかべたまま、
「用意してさしあげなさい。燕」
「…………はい。末姫さま」
燕が立ち上がり、廊下へと向かう。
予想外の事態だったのか、探るような視線で、茜と桔梗を見ている。
「あ、あの。できれば茜も、お手伝いしたいです」
茜が立ち上がる。
彼女は剣術『白楽流』を学んだ剣士だ。動作は速い。流れるような動作で、侍女の燕に近づく。
侍女の燕の反応が遅れる。かわそうとして間に合わず、よろめく。
「す、すみません。大丈夫ですか?」
茜は侍女の燕の身体を支える。
そうして燕の服に触れた茜は──呼吸を整え、霊力運用を行った。
(師匠が教えてくれた通りにするです。一瞬でいいのです。成功してください。『虚炉流・邪道』……)
茜は、侍女の燕の身体に触れながら──零に教わった技を使った。
基本中の基本。『武器を自分の一部にする』の応用だ。
茜は、侍女の燕の衣服に触れた瞬間、霊力を循環させた。
燕の衣服を自分の一部にできた……と、思った。
その服の奥にあるものを、触覚で、探った。
茜はまだ初心者だ。
零のように木にくっついて歩くことも、武器を完全に自分の一部にすることもできない。
できたのは、侍女の燕の服を、自分の皮膚のようにして、その奥にあるものを探ることだけ。
(──師匠とご主君は言ってました。末姫さまの周囲にいる者に気をつけて、って)
零と杏樹の予想が正しければ、錬州は紫州への報酬を値切るつもりでいる。
そのために、錬州の末姫を使うことも考えられる。
そして、気になったのは、侍女が人払いをしたことだ。
秘密を守るためだと言ったが、それはおかしい。
真名香の言った通り、兵士たちは街道で魔獣に襲われている。彼らがこの後、錬州に戻るのだとしたら、帰り道が安全かどうか知る必要がある。
その情報を隠すのはおかしい。
それに今、茜が気づいた違和感は──
「教えてください。どうして侍女の燕さんは、服の中に短刀を隠してるんですか?」
「────!?」
侍女の燕が飛び退く。
茜は桔梗と末姫を背後にかばいながら、燕を見据える。
(……師匠の予想通りだったのです)
零が教えてくれた技は、確実に、侍女の燕が隠している短刀を見つけ出した。
皮膚感覚で探り出したそれは、鍔のない小さなものだった。
気になったのは、柄に紋章が刻まれていたことだ。
その紋章は鳥のかたちをしていたように、茜は感じ取った。
錬州は『翼を持つ蛇』だ。
鳥のかたちの紋章は、霊鳥『緋羽根』をあがめる紫州のものだ。
「教えてください。どうして、燕さんの短刀には、紫州の紋章が刻まれているのですか!?」
「……!?」
懐に手を入れていた侍女の燕が、よろめく。手元から、短刀が落ちる。
その柄には、確かに紫州の紋章が刻まれていた。
「お嬢さまと月潟さまは予測されておりました。錬州が、紫州に渡す報酬を値切るために、錬州の末姫さまを利用するかもしれない、と」
桔梗は末姫を見つめたまま、告げる。
「例えば……紫州の紋章がついた短刀で真名香さまに危害を加え、罪を紫州の者になすりつける。それを理由に、領地割譲の約束を反故にする。そのようなこともあり得ると、お嬢さまたちは予想していらしたのです」
かつて州候代理だった副堂勇作は、錬州の者たちを州都に招き入れていた。
紫州の紋章が入ったものを手に入れる機会は、いくらでもあっただろう。
そして、杏樹はまだ州候代理の座についたばかり。
まだ若く、経験も少ない。
錬州候が杏樹を見下し、いいがかりをつけて、約束を反故にしようと考えてもおかしくはないのだ。
「お答えください。錬州の者は末姫さまを傷つけ、その罪を紫州の者に着せるつもりだったのですか? それによって、錬州を救った報酬を値切るつもりだった……そのようなことを、考えていらしたのですか?」
「……本当ですか。燕」
真名香は目を見開いたまま、侍女の燕を見ていた。
侍女の燕は短刀を拾い上げ、真名香から、視線を逸らして、
「……短刀は護身用に持っていたものです。それ以外の理由はありません」
「燕!!」
「末姫さま。お忘れではありませんよね。あなたの父君は『命をかけて使命を果たせ』とおっしゃいました。あなたはそれに同意されました。違いますか?」
「…………燕……あなたは」
「こちらにいらしてください。すぐに終わります。私は錬州候より直接の命令をいただいております。私の言葉は、父君の言葉とお思いください」
「ならば、今すぐ短刀を捨てなさい!」
「…………」
侍女の燕は、無言のままだった。
短刀を握りしめたまま、ゆっくりと、真名香を手招いている。
それが、答えだった。
真名香はがっくりと肩を落とした。
そのまま、彼女は両手で、顔を覆う。
「桔梗にはわかりません。どうして、そこまでしなければならないのですか?」
桔梗は言った。
侍女の燕は答えない。
ただ、怒りに満ちた目で、桔梗と茜を見ているだけだ。
「……紫堂杏樹さまは、すべてを見抜いていらしたのですね」
やがて、真名香が口を開いた。
「錬州の者が真名香を傷つけて、その罪を紫州の者になすりつけようとすることを。なのにどうして、おふたりは、この場にいらしたのですか?」
ここは錬州の者が使っている宿舎だ。中でなにが起きても、外には漏れない。
侍女の燕が真名香を傷つけ、その罪を桔梗と茜になすりつけることも、簡単にできる。真名香が『違う』と言ったところで、意味はない。『末姫さまは紫州をかばおうとしている』『怪我をして、錯乱している』。それで話は終わりだ。
「危険を承知で、紫堂杏樹さまがおふたりを使者としたのは……なぜですか?」
「桔梗と茜さまは、お嬢さまと月潟さまの側近ですからね。信頼されているのです。桔梗たちなら、そのような状況にも対処できると」
桔梗は胸を張った。
もちろん、屋敷のまわりには精霊たちもいる。なにかあったときは対応できるようにしてある。
けれど、それを言う必要はない。
それに、桔梗にはまだ、伝えなければいけないことがあるのだから。
「桔梗と茜さまが事件を未然に防いだのなら、まだ、交渉の余地がありますからね」
「…………交渉の余地……とは?」
「お嬢さまはおっしゃっていました。『蒼錬真名香さま、おひとりだけで留学しませんか』と」
──家族を犠牲にするような家からは離れてみませんか?
──部下も、家の者からも離れて、紫州で暮らしてみませんか?
──その上で、錬州に戻るかどうか、決めるのもよいでしょう。
そんな杏樹の言葉を、桔梗は伝えた。
「父君からの使命をお忘れですか!? 末姫さま!!」
不意に、侍女の燕が叫んだ。
「今すぐこちらにいらしてください。この者たちが言うことは、すべて間違いです。燕のもとにいらしてください。そうすれば……御身は錬州のために、大きな功績を立てることになるのです。皆が末姫さまをたたえるでしょう! さぁ、こちらに!」
燕が声を荒げて、真名香を呼んだ。
『父君の信頼』『使命』『功績』──そんな言葉を繰り返しながら。
後ろ手に握った短刀は、放さない。
ただ、血走った目で、真名香を見据えている。
そんな燕を、真名香は感情のない目で見つめていた。
真名香はやがて、ゆっくりと首を横に振り、
「陰謀は見抜かれたら終わりなのですよ。燕」
真名香は、畳に額をつけて、平伏した。
「……真名香は……この身ひとつで紫州への留学を望みます。どうか、保護を」
「末姫さま!?」
「終わりです。短刀を捨てなさい。燕」
「錬州を裏切るのですか。末姫さま!」
「陰謀はもう、たくさんです!」
真名香の目から、涙が落ちた。
「なにも企んでいないというなら……錬州の土地神にそう誓いなさい。弱くとも、この真名香は巫女の能力を備えております。あなたの言葉を、錬州の土地神に伝えましょう!」
「……う、うぅ」
「誓いなさい、燕! 紫州の方々をおとしいれるようなことは考えていないと! その短刀は、ただの護身用だと!! 錬州の土地神と、近衛が連れている霊獣『騰蛇』の名にかけて! 窓を開け、天地すべてに聞こえるように!」
「…………」
「あなたの言葉は父の言葉でしたね。ならば、錬州候の名にかけて誓いなさい!」
「……」
「燕!!」
侍女の燕は答えない。
ただ、短刀を畳の上に置き、うつむくだけ。
陰謀は見抜かれたら、終わり。
真名香の言葉通りの結末だった。
「盟約を守り、山を浄化してくださった紫州の方に、恥ずかしいと思わないのですか!? 燕!!」
「…………末姫さま」
「真名香はもう、嫌です。誰かを利用するのも。誰かに、利用されるのも」
唇をかみしめて、声を震わせる真名香。
「確かに父は『命をかけて使命を果たせ』と言いました。だから真名香は、紫州との関係修復のために、この命をかけるつもりでした。なのに……父さまは……この身を……紫堂杏樹さまをおとしいれるために使えというのですか!?」
「ひ、姫さま。ですが……」
「それでは父も、煌都の術者たちと同じではありませんか。懸命に山を浄化してくださった方々を利用する陰謀を巡らすことと、民をおびやかす【禍神】を呼び出し、人をおびやかす鬼門を作り出すこと。このふたつに、どれほどの違いがあるのですか!?」
「それは……ですが……錬州の利益のためには……」
「ならば錬州の利益のため、真名香は無傷のまま、紫州に滞在しましょう」
涙声で、きっぱりと言い切る、真名香。
「雑な陰謀を行うことは、紫州を敵に回すことに繋がります。わずかな領地を失うより、強力な敵を作る方が害が大きい。そうは思いませんか、燕」
「……わ、私には、その判断は」
「ならば錬州に戻り、父に真名香の考えを伝えなさい」
顔をぬぐって、真名香は立ち上がる。
それから彼女は、桔梗の前に立ち、
「保護をお願いします。真名香を、紫堂杏樹さまのもとへ連れていってください」
「承知いたしました。末姫さま」
「真名香は改めて……紫州と錬州の関係修復のために、この命を使いましょう」
錬州の末姫、蒼錬真名香は宣言した。
そうして彼女は桔梗と茜に導かれ、杏樹のもとへ向かったのだった。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
書籍版の発売日が決定しました!
12月15日頃、GAノベルさまから発売になります。
イラストは、kodamazon先生に担当していただくことになりました。
キャラクターデザインも公開中です。
『活動報告』で公開しています。ぜひ、アクセスしてみてください。
それでは今後とも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!