第56話「護衛、錬州の山を駆ける(6)」
──同時刻・零視点──
精霊との接続を切られた。
『緋羽根』との連絡も取れなくなっている。
「これが【禍神・酒呑童子】の能力ってことか」
俺は飛び退き、【禍神】から距離を取る。
『「鬼神に横道はない」……二度と、だまし討ちは受けぬ』
【禍神・酒呑童子】は口から牙をはみ出させて、笑った。
『集団での攻撃は許さぬ。一対一で、戦うこととしよう。武士よ』
……確か『鬼神に横道はない』というのは、酒呑童子が、だまし討ちされたときに口にした言葉だったか。
鬼神はそのような横道──人の道に外れたことをしない、そう言い残したんだ。
伝説に出てくる酒呑童子は、毒酒を飲まされて、弱ったところを殺されている。
この【禍神】が使ったのは、そういう目に遭わないようにするための能力だ。
だまし討ちにされないように、他者との連絡を断った、ってことか。
「……き、君にこいつの相手は無理だ。この沖津でさえ歯が立たなかったのだぞ!」
近くで、剣士の沖津が震えている。
「『虚炉村』の無双剣といい勝負をした自分でも、相手にならなかったのに……君では……」
「あなたがいい勝負をしたのは男の無双剣だったよな」
俺は言った。
「実は、そっちは『虚炉村』の強さを示すために用意された、表向きの無双剣なんだ」
「…………は?」
「『虚炉村』の最強は女性だよ。そっか。あなたはあの人とは会ってないのか」
あの人は本当にやばい。
俺がわざと村を追放されたときも、あの人がいないときを狙ったくらいだ。
あの人から逃げるのは本当に大変だからな……。
「あんたはそこそこ強いんだと思う。だけど表の無双剣と同等なら、【禍神】の相手は無理だと思う」
相手は身の丈6メートルを超えてる。
大太刀は……【禍神】になって変化したのか。3メートル以上の長さがある。
それを両手に握っているんだからたちが悪い。
正直、戦いたくない。
「大江山の鬼……幼名、外道丸どの」
俺は【酒呑童子】をまっすぐに見て、告げた。
【酒呑童子】は興味深そうに。
『ホホウ。我を知っているか』
「謹んで申し上げます。お帰り頂けませんか?」
視線は逸らさない。
相手は【禍神】で、伝説級の鬼だ。
隙を見せたら、即座に斬られるだろう。
「ここはあなたの世界ではありません。あなたは邪悪な術で、異世界から召喚されたのです」
『面白いことを言う』
「大江山を統べるほどのお方が、他者に利用されるのは不本意では?」
『気にするほどのことでもあるまい』
【酒呑童子】は首を横に振った。
『我が望むのは堂々たる立ち合い。過去になしえなかったものだ』
「あなたが、だまし討ちにされたという伝説は知っています」
『ああ。ゆえに、我はこの地で正当な果たし合いを望む。望む戦いを行い……召喚者の願い…………我が父【八岐大蛇】を呼ぶという使命を……果たす』
「……我が父【八岐大蛇】?」
【酒呑童子】が【八岐大蛇】の子どもというのは、伝説のひとつだ。
ということは、この【酒呑童子】は、伝説や物語から召喚されている。
誰かが、俺の前世の世界の伝説や物語から、【酒呑童子】を【禍神】として召喚してるんだろう。
その誰かというのは、たぶん……転生者だろうな。
前世の記憶を持つ俺がここにいるんだ。他の転生者がいてもおかしくはない。
『言葉を交わすのはここまで。さあ、立ち会え。この世界の武士よ』
「俺は武士じゃなくて忍びですけど」
『問答は無用と言った!!』
【禍神・酒呑童子】が太刀を振った。
風が鳴った。
身長6メートルを超える鬼が繰り出す一撃が、周囲の樹木を切り倒し、なぎ払う。
「……こ、これが【禍神】の、全力だというのか」
「あなたは、仲間と一緒に隠れててください」
沖津たちに構ってる余裕はない。
【酒呑童子】は長い腕で斬撃を放ってくる。
正直、避けるのが精一杯だ。
おまけに、こっちは精霊との接続ができない。
精霊たちの視界を借りることもできないし、『影分身』も使えない。
……だけど、まぁ、なんとかしよう。
「杏樹だって、俺との接続が切れたことには気づいてるだろうし」
彼女なら、すでに動いているはず。俺の主君はそういう人だ。
杏樹は決断力があり、対応も早い。部下のことを考えてくれる。
危なっかしくて……やりすぎることもあるけど、そういう杏樹を俺は尊敬してる。
そんな杏樹の元なら、前世で得られなかった『安定した生活』が送れるような気がする。
だから俺は、煌都の連中の儀式を否定する。
やつらは煌都の禍をすべて引き受ける地を、この山に作ろうとしていた。
はやり病や天災、事故などが煌都を避けて、すべてこの地に来るように。
最悪だ。
そんなことをされたら、生まれた場所や住んでいる場所で、人生が決まることになる。生まれつき禍を受けて、病弱な人生を送ることだってあり得る。
最悪だ。
それで……病弱のまま早死にしてしまったら、前世の俺みたいじゃないか。
「久しぶりに、嫌な気分になってきたな……」
【禍神】は倒す。儀式は破壊する。
この地に【八岐大蛇】なんてものは出現させない。
煌都が繁栄するかどうかなんて、知ったことじゃない。
俺が望むのは自分と杏樹と、紫州の仲間たちの平穏。それだけだ。
「『虚炉流・邪道』……」
俺は、邪道の術を起動する。
忍びの基本は気配を消すこと。
突き詰めれば、自分を消すことでもある。
──気配を消して敵地に忍び込む。
──自分を消して、ただ、目の前のできごとを映し出す。
──敵の姿や技量を観察し、すべてをあきらかにする。
まるで、目の前の情景を映す鏡のように。
静かな水面が、空を映すように。
相手の動きを観察し、それに反応するだけの、鏡になる。
「──中級の三『鏡映し』!」
技を発動した瞬間、思考が止まった。
──感覚を研ぎ澄ます。
──すべての五感を使って【酒呑童子】の動きを観察する。
──奴の動きに対応し、後の先を取るだけのものになる。
『オオオオオオオォォオオオオオオオオオ!』
【禍神・酒呑童子】が腕を振る。
──右の太刀。狙いは俺の左肩。
──受ければ太刀が折れる。
──避ける。
──間合いを測る。太刀を振る。
──奴の手首を斬る。斬った瞬間、飛び退く。
ざくんっ。
『ぐっ!? グヌヌヌヌゥウウオオオオオアアア!!』
「【禍神】の手首を、斬っただと!?」
【酒呑童子】の手首から赤黒い邪気が噴き出す。
沖津がなにか言ってるけど、反応する余裕はない。
──目を凝らす。
──【酒呑童子】の身体の動きと、邪気の流れを読み取る。
奴と同じ姿勢になる。
右手に太刀を、左手に棒手裏剣を構える。
奴になりきり、鏡に映したような姿になる。
『面白い。面白い面白い面白い面白い。異界の武士よォオオオォオオオオ!』
口から牙をはみ出させて、【酒呑童子】が笑う。
俺は答えない。
ただ、観察する。奴の胸にある呪符を見る。
呪符は鬼の、鋼のような剛毛に埋もれている。
あれを斬る。重要なのはそれだけだ。
『異境の武士! 堂々とした殺し会い! これぞ、呼ばれた甲斐があったというもの!!』
【酒呑童子】が両腕を振る。
同じ姿勢を取る。『鏡映し』の力で、奴に同調する。動きを読む。
──腕を交差するような斬撃。
──ただし左の太刀は誘い。
──本命は右。左を避けて、踏み込む。
──身を低くして突進。刃が届く前に、奴の肘裏を斬る。
俺の太刀が一閃し──再び、【酒呑童子】の腕から、血が噴き出す。
『────グゥオォオオオオアアアアアア!!』
絶叫が響く。【禍神】が腕を押さえる。
そして──
『──もっとだ。更なる全力の戦をしようぞ!』
ブゥオオオオオオオオァアアアアア!!
【禍神】が邪気の息を噴き出した。
墨色の暴風が、沖津たちを吹き飛ばす。
俺はそれを回避して【禍神】に接近。
──奴が、足を上げようとしているのを、感じ取る。
こちらを蹴ると察して、俺は跳躍。
奴の膝を蹴って、さらに飛び上がる。
『ナゼ……だ。どうして我の動きが!?」
「そういう技を使ってるからだ」
『鏡映し』は、目の前の相手になりきる技だ。
できる限り自分を消して、敵と同じ姿勢を取る。
敵になりきる。
筋肉の動きや、邪気や霊力の流れを観察して、相手の動作を先読みする。
そして、後の先を取る。
相手の動きに逆らわず、ただ、かわして、ダメージを入れる。
それが『虚炉流・邪道』の技『鏡映し』だ。
『──グゥウウウウヌウゥゥウウウウ!?』
【酒呑童子】が吠える。
俺は、奴の次の動きを察する。
──【酒呑童子】は次に、跳躍する。
有効な手だ。
俺と【禍神】には、決定的な身体能力の違いがある。
身長1.7メートルの俺と、6メートルのこいつでは、ジャンプした時の高さが違う。それで距離を取るつもりなのだろう。
ただ、こっちは、それをすでに察している。
『小手先の技は……力をもって粉砕を──!』
「『虚炉流・邪道』──『影縫い』」
『───ぬ!?』
跳躍しようとした【酒呑童子】の動きが、一瞬、止まる。
奴の足下に、棒手裏剣が8本刺さっていたからだ。
それが奴の邪気衣を地面につなぎ止めている。
【禍神】が力を入れれば、棒手裏剣はあっという間に引き抜かれる。
それは【禍神・斉天大聖】との戦いで確認済みだ。
逆に言えば、力を入れなければ引き抜けない。
それは軽い動きかもしれないけれど、一瞬、【禍神】の動きは止まる。
俺が【酒呑童子】の胸の呪符にたどりつくには、十分な隙だ。
『鬼神に横道なし。このような技など……』
「こっちは個人だ。他人の力は借りていない。文句を言われる筋合いはない」
そして──俺の太刀が、【禍神・酒呑童子】の呪符を、断ち切った。
「忍びが相手の隙を突くのは普通のことだ。詭道でもなんでもない。納得して消えてくれ」
『……がぁ、ぁ』
4つになった呪符が、奴の胸から落ちる。
赤銅色の鬼の巨体が、ぼろぼろと崩れていく。
『立ち合いに敗れた……のは認める。だが……我を呼んだ者への、恩義はある』
【禍神・酒呑童子】が、崩れかけの腕を挙げた。
握ったままの太刀の刃を、自分の首に当てる……って、なにをする気だ?
「『影縫い』──」
『「敗れし者の怨念をもって、父なる蛇を呼ぶ」』
声がした。
【禍神・酒呑童子】のものじゃない。陰陽師や巫女の声でもない。
術の背後にいる、誰かの声だ。
『「霊獣たる蛇の遺体。魔獣たる蛇の遺体。ならびに、大蛇の子たる鬼の鮮血と、この地に満ちる邪気をもって、異界より来たれ──【禍神・八岐大蛇】よ」』
俺の棒手裏剣が、【酒呑童子】の邪気衣を貫く。
けれど、奴が自分の首に刃を食い込ませる方が早かった。
邪気混じりの鮮血が、鬼の背後に向かって噴き出す。
蛇型の魔獣の遺体と──蛇の霊獣『騰蛇』の遺体が並べられた、社に向かって。
「【酒呑童子】の後は、【八岐大蛇】か……」
なんで、こんなことをするのかなぁ。
執念深すぎだろ。この策を考えた連中って。
「……やはり……煌都の術者には敵わないのか」
近くの樹の根元で、剣士沖津がつぶやいた。
【酒呑童子】の邪気の吐息に吹き飛ばされたけど、無事だったらしい。
「だが、幸いにも、この地は紫州に割譲される。【禍神】を消す責任は紫州にあると考えれば……」
「迷惑だからやめてくれ」
俺は、壊れかけの社に近づく。
邪気が猛烈な渦を巻いている。正直、気分が悪い。
なんとか近づいて、霊獣『騰蛇』の遺体に酒をかける。
社を浄化するために用意しておいたものだ。
『神変奇特酒』とまではいかないけど、多少は役に立つだろう。
それから俺は、社の前で手を合わせて、
「──生け贄とされた、蛇の霊獣に告げる」
俺は巫女じゃない。浄化の技なんか持っていない。
だから、杏樹が霊獣にしているように、普通に話しかけることにした。
「あんたたちの無念は晴らした。【禍神】は消えた。だから、怪しい術に利用されないで欲しい。数分でいい。魂とかが残っているなら、異界の門を開く術にあらがってくれ」
邪気の渦の向こうに、うごめく影が見える。
八つに分かれた頭部が見える。
あれが、【八岐大蛇】なのだろう。
あんなものをこっちの世界に喚ばれるわけにはいかない。
だから俺は時間を稼ぐ。
【禍神・酒呑童子】が消えて、精霊との繋がりが回復したからな。
杏樹の声も聞こえる。
杏樹が送ってくれた支援者のことも、はっきりとわかるんだ。
『────ルルル』
『────ロロロロロ』
『────ルゥォォオオオオオオオオ!!』
来た。
西の空から来た薄桃色の鳥たちが、こっちに向かって降りてくる。
鳥たちはまっすぐに、邪気が渦巻く社へと解き放つ。
「間に合うか?」
異界への扉はまだ開ききっていない。
【八岐大蛇】は、まだ影が見えるだけ。こっちの世界には現れていない。
そして、次の瞬間、社に浄化の力を持つ火炎球が降り注いだ。
炎を放ったのは、桜色の羽を持つ霊鳥たち。
錬州に売り払われていた、紫州の霊鳥『桜鳥』だ。
『──零さま! ご無事ですか!?』
杏樹の声が響いた。
『「桜鳥」をそちらに向かわせました! 大丈夫ですか!? ご無事なのですか!? 零さま!!』
「大丈夫です。杏樹さま」
思わず、ため息をついた。
杏樹の声を聞いて、心底、ほっとした。
スマホ依存ならぬ、『精霊通信』中毒になりかけてるのかな。
「【禍神・酒呑童子】は祓いました。【禍神】はさらに強力なものを召喚しようとしたようですけど……『桜鳥』たちが浄化してくれてます。術は途中で消滅するでしょう」
『……ご無事なのですね。よかったです』
「それと、陰陽師が言っていた『素体』ですけど……【禍神・酒呑童子】の中にいたようです」
【禍神・酒呑童子】の姿は、完全に消滅した。
その中から出てきたのは、鎧武者姿の、高齢の男性だった。
意識をなくして、仰向けに倒れている。
あれが、【禍神・酒呑童子】を操っていた『素体』らしい。
「……煌都の、護衛兵だ」
ふと、剣士沖津がつぶやいた。
「錬州に使者として来たのを見たことがある。とっくに引退したと思っていたが……」
「やっぱり、煌都の関係者か」
あの老人が【禍神・酒呑童子】の『中の人』らしい。
敵はおそらく、以前に副堂沙緒里が【禍神】を召喚したときの情報を分析したんだろうな。それで、もっと有効に【禍神】を操る方法を模索していたのかもしれない。
だから、今回は【禍神】の中に人を入れて、完全にコントロールできるようにしたんだろう。たぶん。
最悪なやり方だ。吐き気がする。
杏樹のお父さんが、煌都と関わりたくないと言ったのもわかるな。
「巫女と陰陽師は……妙な動きはしてないようですね」
あいつらは、霊鳥『緋羽根』が、しっかりと見張っていてくれた。
ただ、『緋羽根』は俺を心配したのか、こっちに来ていいか、しきりに聞いてたけど。
その『緋羽根』からの情報によると──
「陰陽師の男性は、意識をなくしてぶっ倒れています。まわりにいた『偽鬼』たちもそうですね」
『複数の者で、術の負担を分け合ったのかもしれませんね』
「術を破られても破滅しないように、ですか?」
『…………おそらくは……沙緒里さまのときの、教訓から』
「…………ですね」
その副堂沙緒里と似た姿をした『清らかな巫女』は、元気だ。
彼女だけは意識を失っていないし、ダメージを受けた様子もない。
あの少女は、召喚には関わっていなかったのだろう。
「全員を、紫州へと連行します。『柏木隊』の人たちを、こっちに寄越してください」
『承知いたしました』
「それと……ひとつ気になることがあります」
俺は沖津たちに聞こえないように、声をひそめて、
「……錬州候は手段を選びません。あらゆる手を使って、報酬を値切ろうとする可能性があります」
『……はい』
「……こちらは契約を果たしました。それで錬州候が満足すればいいのですが……まだ、こっちを出し抜く手段を考えているかもしれません。例えば──」
『……錬州の末姫さまを利用しようとする、ということですね?』
「……お気づきでしたか」
『……ふふっ。零さまも同じことをお考えのようですね。なんだか、うれしいです』
杏樹が笑う気配。
『……すでに、桔梗と茜さまを向かわせております』
「……わかりました。俺も、こっちが片付き次第、すぐに戻ります」
『…………お待ちしております』
そうして、俺たちは通信を切った。
山の汚染は止めた。この地が鬼門になることも、新たな【禍神】が呼びだされることもない。
あとは──
「剣士の沖津に聞く。錬州は、これからなにをするつもりなんだ?」
俺は剣士の沖津を見下ろしながら、告げた。
「あなたがこの場にいる理由も含めて、知っていることをすべて話してくれ。こっちは契約を履行したんだから、それくらいの権利はあるよな?」
『『『ルルル……ロロ』』』
ふよふよ、ふよふよ。
霊鳥『桜鳥』と、たくさんの精霊に囲まれながら──
俺は錬州の剣士沖津に対する尋問をはじめたのだった。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
書籍版の発売日が決定しました!
12月15日頃、GAノベルさまから発売になります。
イラストは、kodamazon先生に担当していただくことになりました。
キャラクターデザインも公開中です。
『活動報告』で公開しています。ぜひ、アクセスしてみてください。
それでは今後とも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!




