第55話「護衛、錬州の山を駆ける(5)」
──零視点──
陰陽師と巫女を尋問しても、【禍神】を消す方法はわからなかった。
陰陽師の蓬莱は固く口を閉ざしていた。
『清らかな巫女』は、素直に教えてくれた。『あの術は発動したら止められません』と。
結局、召喚の呪符を破壊する以外に、止める方法はないらしい。
「だからって、なんで【酒呑童子】なんか召喚してるんだよ……」
目の前には、身長20尺 (6メートル超)の鬼がいる。
赤銅色の身体。頭には、2本の角。口からは牙がはみ出している。
手には2本の大太刀を持っている。
「【酒呑童子】は大江山の鬼。鬼の配下を従えて、周囲を荒らし回っていた。平安時代の鬼で、伝説では源頼光に毒酒を飲まされて、力を失ったところを討たれた……だったな」
前世の俺は病弱だったからな。
動けないときは本を読んだり、ゲームをしたりしてた。その知識が役に立ってる。
だけど……この世界には鬼を弱らせる毒酒なんてものはない。
つまり【酒呑童子】と、まともに戦わなきゃならない、ってことだ。
……あの陰陽師め。ろくでもないことしやがった。
後で、きっちりと責任を取らせる。それは決定だ。
もちろん、責任者も引きずり出して、すべてを語らせる。
【酒呑童子】と【斉天大聖・孫悟空】について知っている者がいるなら、そいつとも話をつける。
そいつは間違いなく、俺と同じように、別の世界の知識を持っているはずだ。
もしかしたら転生の理由について、なにかを知っているかもしれない。
『……零さま。ひとつ、うかがってもよろしいですか』
『精霊通信』で、杏樹の声が届く。
『わたくしは【酒呑童子】という名前の鬼は存じません。零さまはどうして、そのようなもののことをご存じなのですか?』
「………………大昔に、聞いたことがあるんです」
『「虚炉村」で、ですか?』
「………………昔住んでいた場所で聞きました。十年以上昔のことですけど」
微妙に嘘をついた。
さすがに前世の知識とは言えないからな。
いや……杏樹なら普通に受け入れてくれそうな気もするけど。
「昔、大江山という場所に【酒呑童子】という強力な鬼がいたそうです。配下の鬼を従えて、周辺を荒らし回っていたとか」
『さすがは零さまです! わたくしも知らない伝説をご存じなのですね……』
「その鬼が召喚されたようですけど……奴は【禍神・斉天大聖】とは微妙に違います。完全にこの世界に現れています。それに、ただ暴れ回るだけではなく、考えて動いているようです」
『あの陰陽師は「素体」と言いました。おそらくは【禍神】の中に、誰かが入っているのでしょう』
「『禍神の中の人』ということですか」
『そうですね。それに、この山は鬼を呼びやすいように、場が整えられております』
杏樹は言った。
『伝説になぞらえた場を用意すれば、術の難易度は下がります。零さまのおっしゃる「大江山」と同じような山に邪気を集め、配下の鬼に見立てた【牛頭鬼】【馬頭鬼】を召喚することで、術者は伝説に似た場所を作り上げたのでしょう。ですが……』
「どうしましたか?」
『社に霊獣「騰蛇」の遺体が置かれている理由がわかりません』
「『騰蛇』……翼ある蛇。でも、翼は斬られている……」
俺は前世の記憶を思い出す。
それによると──
「確か『酒呑童子』は『八岐大蛇』という、巨大な蛇の子どもだったという説があります」
『それならわかります。もしかすると……敵はその蛇も召喚するつもりなのかもしれません』
杏樹は答える。
『鬼を召喚し、鬼の頭領である「しゅてんどうじ」を召喚する。その「しゅてんどうじ」を召喚することで、さらに伝説をなぞらえて「やまたのおろち」を召喚する。それが敵の術だと思われます』
「最悪ですね」
『だからこそ、「翼ある蛇」が家紋となっている錬州で術が行われたのでしょう』
「蛇を崇めている土地なら、『八岐大蛇』も呼びやすいということですか」
『それらを【禍神】として召喚し、この地に鬼門を作る。あらゆる禍を集めたあとで、英雄と呼ばれる者……おそらくは煌都から来た英雄が倒す。そうして都は栄え──』
ぶつん。
『精霊通信』が切れた!?
俺は周囲を見回す。精霊たちは近くにいる。
なのに、繋がっていない。『緋羽根』との接続も途切れている。
『鬼神に横道なし。我を前にして、詭道を用いることは許さぬ』
視界の先には、太刀を振った『禍神・酒呑童子』の姿。
『武士よ。正々堂々、一対一で戦うとしよう』
口から牙をはみ出させながら、【禍神・酒呑童子】は笑った。
──杏樹視点──
「零さま!? どうされたのですか!? 零さま!!」
杏樹の顔が真っ青になった。
彼女は慌てて浴室から飛び出す。身体と狐耳、尻尾の水を落とし、肌襦袢を身に着ける。
零との接続が、切れていた。
錬州の山に配置した精霊とは繋がっている。
なのに、零のまわりにいる精霊たちとだけ、連絡が取れない。
状況がわからない。
零が生きているのか……死んでいるのかも。
「桔梗。来てください!」
「は、はい。お嬢さま」
浴室を出た杏樹の元に、小間使いの桔梗が駆けつける。
桔梗も現状は知っている。
『四尾霊狐』と一体化した杏樹を前に、速やかに巫女服と神楽鈴を差し出す。
「零さまと連絡が取れなくなりました」
「本当ですか!? お嬢さま!!」
「はい。敵は、霊的な接続を断ち切る力を持っているのかもしれません」
【禍神・酒呑童子】──それが敵の名前だ。
鬼門を作り出す術式は零が破壊してくれたが、【禍神】が残っていては意味がない。
奴は山を支配し、人を襲い、山を邪気で満たすだろう。
しかも敵は、霊的な接続を断ち切る力を持っている。
あの鬼の前では霊獣の力が使えない。それでは、討伐など不可能だ。
「……ならば邪気封じの結界を……いや、駄目です。今は、陰陽師と巫女の力を封じております」
邪気封じの結界を張るには、術封じの結界を解く必要がある。
結界を解いたら、巫女と陰陽師を解き放つことになる。それは危険だ。
彼らが【禍神】に影響を与えるかもしれない。
かといって、彼らを殺すわけにもいかない。彼らは山でなにが行われたのかを知る生き証人だ。紫州に連行して、裁く必要がある。しかも、彼らは錬州との交渉の切り札にもなりえる。
ここで術封じを解くわけにはいかないのだ。
(けれど、零さまにもしものことがあったら……わたくしは…………どうすればよいのでしょう)
杏樹はおそらく州候か巫女姫として紫州を治めることになる。
長い時間……なにごともなければ、老後まで。
零がは、その間ずっと、隣にいてほしい。
彼がいない未来を想像すると、杏樹の身体が震え出す。
(零さまがいない未来など……考えたくありません)
零は、いつも杏樹をほめてくれる。
「尊敬できる上司です」「杏樹さまのもとで働けてうれしいです」と。
きっと零には、杏樹が立派に州候代理の勤めを果たしているように見えるのだろう。
けれど、それは誤解だ。
杏樹は勤めを果たせるのは、側に零がいてくれるからだ。
州都を追放されたとき……一番つらかったときに寄り添ってくれた彼の存在こそが、今の杏樹を支えているのだ。
(……わたくしの優先順位は、変わってしまったのかもしれません)
州を守るために、力を温存する。
零を守るために、すべての力を振るう。
──どちらを優先するかなど、決まっている。
「心が決まりました。一差し、舞うといたしましょう」
「はい。場は整えておきました」
「ありがとう。桔梗」
「桔梗は、お嬢さまのお考えを支持します」
桔梗は、むん、と拳を握りしめた。
「月潟さまはもう、桔梗にとっても家族のようなお方です。あの方のためにできることがあるなら、桔梗はなんでもします」
「まぁ、そうなのですね」
「異国の『ろーまんす小説』の中に、殿方を元気づける技がありました。月潟さまがお帰りになったら、それを試してみます!」
「実行する前に相談してくださいね?」
「はい。お嬢さま!」
「それと、桔梗にお願いがあります」
杏樹はうなずきながら、
「桔梗は、須月茜さまの元に行ってください。ふたりには錬州の末姫さま──蒼錬真名香さまと面会して欲しいのです」
「承知しました。なにか、ご伝言は?」
「ありません。できるだけ時を稼いでください。『柏木隊』が零さまと合流するまで……可能なら、皆さまが町に戻るまでの間、末姫さまと共にいていただきたいのです」
「あの方のお話相手になればいいのですね?」
「わたくしは、末姫さまの身の安全が心配なのです。末姫さまの護衛の剣士……沖津という者が、わたくしたちに一言もなく、錬州の山に入ったことが気になります。山を浄化するなら、協力すればいいはずなのですが……」
沖津の目的は、おそらく紫州に渡す報酬を減らすことにあるのだろう。
彼が敵を倒せば、錬州側は『山を浄化したのは自分たちだ』と主張できる。紫州に渡すものを減らせる。
それは完全に失敗した。沖津は【禍神・酒呑童子】を呼び出すきっかけをつくってしまった。
だとすると、次に錬州側が打つ手は──
「末姫さまが心配です。事態が落ち着くまで、側についていてください」
「承知しました。ですが、お嬢さまは……?」
「館は紫州の兵に囲まれております。精霊たちもいてくださいます。大丈夫ですよ」
杏樹は桔梗に笑いかける。
それから、桔梗の趣味で『はぐ』をしてから、神楽の準備に入る。
「『紫州候、紫堂暦一の一子、杏樹の名において、精霊に命ずる。かの地の清浄を守るため、我に力を……』」
感覚を広げていく。
錬州の山にいる無数の精霊たち──それらと感覚を同調させる。
「…………やはり結界を張ったとしても……【禍神】には届きませんか……」
杏樹は唇をかみしめる。
【禍神・酒呑童子】のまわりにいる精霊たちに、指示が出せない。
今、結界を張ったとしても、【禍神】を封じることも、零を助けることもできないのだ。
「『緋羽根』……あなたは、動けますか?」
山の頂上付近。零が浄化した社に、霊鳥『緋羽根』がいる。
『緋羽根』は炎の結界を作り出し、陰陽師と巫女を拘束している。
陰陽師は腕を切られた痛みにうめきながら、結界の外に出ようとしている。それを『緋羽根』が炎を飛ばして威嚇している。
今、『緋羽根』を動かすことはできそうもない。
「……ふふ。すごい結界」
炎の結界の中で『清らかな巫女』が笑っている。
副堂沙緖里に似たその顔からは、感情が感じられない。
「やっぱり、あなたも『先祖返り』の仲間? 紫堂杏樹さん?」
「──仲間ではありませんよ」
杏樹はつぶやく。
もしも杏樹が『先祖返り』だとしても、『清らかな巫女』たちの仲間にはならない。
儀式を行った者たちは、煌都の幸いだけを願っている。
煌都にいる尊い人に一切の禍が来ないように、善くないものをすべて、他者に押しつけるつもりでいる。
けれど、それがなんだというのだろう。
「それでは……自分より大切なものをなにひとつ持たない人が生まれるだけではないのですか……?」
杏樹には、自分より大切な人がたくさんいる。
紫州の民。杏樹を守ってくれる兵や近衛。親代わりの橘杖也。
父。家族同然の桔梗。最近、友だちになった茜。
そして、零。
みんなには、自分より幸せになって欲しいと思う。
「そのために……今は、力が必要なのです。誰か……近くにいる精霊か霊獣で……味方になってくれそうな方は……」
杏樹は感覚を広げる。意識を巡らす。
山の頂上から麓へ。州境の街道へ。
そして──
(見つけました!)
紫州と錬州の州境に、馬車が停まっていた。
錬州の使者、蒼錬颯矢の部隊の馬車だ。本人は紫州に向かったが、彼の部隊はまだ州境にいる。邪気が弱まったせいか、魔獣はなんとか撃退したらしい。兵士たちは地面に座り込み、荒い息をついている。
馬車の後方に、壊れかけの籠があった。
荷馬車の荷台いっぱいに積まれた、大きなものだ。
柵は砕け、大きな穴が空いている。近くに斧が落ちているところを見ると、兵士たちが自分で壊したのだろう。
魔獣が来る前に、籠の中のものを逃がそうとしたのだ。
(精霊さん。籠の中のものたちに伝えてください)
しゃらん、と、杏樹は神楽鈴を鳴らす。
舞い踊る。
結界を維持しながら、精霊に、伝言してくれるように願う。
──大切な人が危険な場所にいること。
──その地にいる精霊たちに、声が届かないこと。
──自分の意思で動ける、2文字の霊鳥の力を借りたいこと。
──籠の中の者たちが行動を起こしても、錬州との契約には反しないこと。
「錬州候とは書状を交わしております。錬州の山を浄化したら、あなたたちを返していただけると。そして、零さまは儀式そのものを破壊しました。条件は満たしたと判断いたします」
錬州候と交わしたのは、儀式を破壊し、山を浄化するという約束だ。
零は山を鬼門に変える儀式を破壊し、犯人を捕らえている。
【禍神】を倒すことについては、錬州との契約に含まれてはいない。
それが違約だというのなら、領地の割譲などしなくてもいい。
今は、ただ、大切な人を助けたい。
杏樹の願いは、ただ、それだけだった。
「──力を貸してください。霊鳥たち」
籠の中で、桜色の羽を持つ鳥たちが、動き出す。
狭い場所に押し込められていた鳥たちが、籠の外へと視線を向ける。
そして──
『────ルルル』
『────ルロ』
『────ロロロロロロォォォ────ッ!』
「鳥たちが騒いでいる?」
「なぜだ!? 魔獣はすでに撃退した。逃げる必要はないはず……」
「ま、待って。待ってくれ!!」
慌てる錬州の兵士たち。
彼らに視線を向けることもなく、鳥たちは飛び立っていく。
目指すは東。山の方角。
零と【禍神】がいる、社へと。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
書籍版の発売日が決定しました!
12月15日頃、GAノベルさまから発売になります。
イラストは、kodamazon先生に担当していただくことになりました。
キャラクターデザインも公開中です。
『活動報告』で公開しています。ぜひ、アクセスしてみてください。
それでは今後とも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!




