第49話「錬州の出迎え部隊、襲われる」
地面が燃えていた。
赤黒い、邪気混じりの炎だ。
炎の中で、魔獣たちがうごめいている。
猿猴の姿をした【コクエンコウ】
大量の黒い狼たち──【クロヨウカミ】
そんな魔獣を率いていたのは、鬼だった。
『オウオゥオゥオウオウオウオウオゥ……』
鳴き声のような音をたてて暴れ回っているのは、牛の頭を持つ鬼。
『ホウホウホウホゥホゥホゥ……』
魔獣を指揮しているのは、馬の頭を持つ鬼。
錬州の者たちは、その鬼の名前を知っている。
【牛頭鬼】【馬頭鬼】
あの世で亡者たちを苛むといわれる者たちだ。
鬼の身長は7尺 (2メートル)近く。
手にしているのはトゲのついた棍棒。
吐き出すのは息と、邪気の炎。地面で燃えているのはそれだ。
あふれだす邪気が魔獣たちの『邪気衣』を強化している。
錬州兵が放つ、霊獣の加護を受けた銃弾を弱めている。
だから銃弾に致命傷にならない。
傷を受けた魔獣たちは凶暴化し、兵士たちへと襲いかかる。
弓兵が放つ、霊力を込めた矢を受けても、その動きは止まらない。
地上の魔獣たちを戦っている間に、上空から【アオヤミテンコウ】が降りてくる。
狙い澄ましたように、銃兵と弓兵を襲う。
地上の魔獣と連携しての攻撃に、錬州兵も対応が追いつかない。
「やはり、魔獣が連携して戦うようになっているのか……」
錬州の指揮官、蒼錬颯矢は青ざめていた。
警戒はしていた。対策もしていたはずだ。
それでも、錬州兵は魔獣をみくびっていた。
「あの鬼どもは魔獣なのか? それとも【禍神】か? 邪気で呼び出されたものなのか? それとも……人間に、鬼を憑かせているのか……?」
仮に【禍神】なら、それを呼びだすほどの邪気をどうやって生み出したのか。
ここは鬼門ではない。錬州と紫州の州境だ。この地が、錬州の鬼門にはなり得ない。
なのに──
「危険です! 颯矢さま!!」
不意に、部下のひとりが叫んだ。
「ここは我らが食い止めます。護衛と共に、この場を離れてください!」
「できぬ!!」
颯矢は即座に拒否した。
「僕は父に、ここで紫州の返書を受け取れと命じられた。それがすべてだ! 父は僕に正しき役目を与えてくださったのに。なのに、魔獣に屈するなどできるものか!」
使命──名誉──父の寵愛──役立たずの末路。
そんな言葉が頭の中を回り出す。
「紫州の巫女姫は【禍神】を倒している。序列2位の錬州が……あんな鬼程度、倒せぬはずが……!」
「錬州方面に逃げろとは申しておりません!!」
側近が、颯矢を怒鳴りつけた。
「颯矢さまが向かうべきは街道の先、紫州方面です! 真名香さまの護衛たちはこちらに向かっているはずです。彼らは魔獣のことをなにも知りません! 合流して、警告するのです!!」
「そのようなことは命じられていない!」
「今は非常の時! 臨機応変に動くべきではありませんか!!」
叫んだ部下は、兄の将呉がつけてくれた近衛だ。
謹慎中の兄は、颯矢を心配していたのだろう。
その部下が忠告した声を、他の皆も聞いている。
(やむを得ぬ。兄の命令ならば……従ったとしても、言い訳もできるだろう)
そう考えた颯矢は手近な馬にまたがり、叫ぶ。
「すぐに増援を連れて戻る。それまで持ちこたえるように!」
「「「了解しました!!」」」
「出発前に、ひとつ命じておく。『桜鳥』を護れ。数名の者を選び、霊鳥『桜鳥』を載せた馬車を逃がすのだ」
かつて副堂勇作から買い取った、紫州の霊鳥。
颯矢の部隊はそれを、紫堂杏樹との交渉のためにつれてきていたのだった。
「守り切れぬ場合は籠を開き、『桜鳥』を解き放て!」
「颯矢さま!? それでは紫州との交渉手段を失ってしまいます!」
「霊鳥が魔獣に殺されるよりはましだろう!? 霊鳥を護るために逃がしたのなら、言い訳もできるはずだ!」
常に最適解をはじき出し、最大の利益を得る。それが錬州の方針だ。
兵士たちも、言葉の意味を理解したのだろう。
彼らは一斉にうなずいて、
「「「承知いたしました。颯矢さま」」」
「あとは任せる。行くぞ!!」
蒼錬颯矢は数名の側近と共に、東へ──紫州方面へと走り出す。
周囲は濃密な邪気と、赤黒い炎に包まれている。
炎に触れても熱さは感じないが、不快感と吐き気がこみ上げてくる。
それでも馬が全速で走っているのは、邪気と魔獣から逃げるためだろう。
魔獣たちは颯矢と部下を追いかけてくる。
地上を走る【クロヨウカミ】、空を駆ける【アオヤミテンコウ】の二段構えだ。
地上の敵を討とうとすれば空から、空の敵を討とうとすれば地上から攻撃を受けてしまう。
こんな戦い方をする魔獣は初めてだ。
やはり、背後に人間がいるのだろう……そう颯矢は確信する。
『ホウホウホウホウホウホゥ────ッ!!』
叫び声が聞こえた。
【馬頭鬼】の声だ。
蒼白になった颯矢は、一瞬だけ振り返る。
馬の頭を持つ鬼が、颯矢たちを追いかけてきていた。
「……まずい」
馬の頭があるからだろうか。鬼の足は異常に速い。
しかも、【馬頭鬼】の姿を見た【アオヤミテンコウ】が軌道を変える。
左右に回り込み、側面から颯矢たちを襲う構えだ。
「──颯矢さま! ここは我らに!!」
「──紫州に向かってください!! 末姫さまの使節に、警告を!!」
「馬鹿なことを言うな!!」
側近ふたりを残したところで、無駄死にだ。
集団でかかっても、【馬頭鬼】を止められなかったのだ。あの鬼が棍棒を振るたびに、数名の兵士が吹き飛ばされていた。その上、奴の棍棒は銃弾さえも受け止める。
たった2名の兵士たちで、止められるわけがない。
「貴様は何なのだ!?」
思わず、颯矢は叫んでいた。
「錬州候の領地を邪気で満たし、兵を襲う……その目的はなんだ!? 人に似た姿をしているのなら答えてみよ!!」
返事など、ないと思っていた。
けれど【馬頭鬼】は、馬の歯をかちり、かちりと鳴らしながら──
『罰を、与える』
そんな言葉を、口にした。
『レンシュウ、は、古の法を破った。ゆえに、清らかなる者が、罰を与える』
「……ふざけるな」
颯矢は怒りに満ちた声を漏らす。
「なにが罰だ! なにが法だ!! 山を邪気で満たし、兵を襲っているのは貴様らではないか!!」
颯矢は馬上で弓を構える。
彼も州候の息子だ。流鏑馬くらいはたしなんでいる。
馬上で矢を放つくらいは造作もない。
「錬州は間違いを犯さぬ! 罪など、あり得ぬことだ!!」
『シュギャギャギャギャッ!?』
霊力を込めた矢が、追いすがる【クロヨウカミ】に突き刺さる。
致命傷にはならないが、転倒させることはできた。
文字通りに一矢報いた──そう考えて颯矢はさらに馬を走らせる。
次の瞬間──
「颯矢さま! 避けてください!!」
「──なに!?」
側近の声に振り返る。
背後に見えたのは、魔獣の身体を振りかぶっている【馬頭鬼】だった。
颯矢が転ばせた【クロヨウカミ】の身体を。
『裁く』
「化生の者め!!」
避けきれなかった。
【馬頭鬼】が投擲した魔獣の身体は、颯矢の馬の脚をかすめた。
馬の脚が歪み、馬体が揺らぐ。
気づくと、颯矢は地面に投げ出されていた。
「──颯矢さま!」
「──末姫さまの使節はまだか!? まだ紫州を出ていないのか!?」
(……間に合うまい)
本来なら、州境付近で真名香の使節を待つ予定だった。
それができなかったのは、山の邪気と魔獣を恐れたからだ。
けれど、結局、魔獣は現れた。しかも、おそろしく強化された状態で。
「馬の頭を持つ鬼よ……貴様ら目的はなんなのだ?」
『──法を破った州を裁き、州候の連絡を断つ』
馬の頭を持つ鬼は言った。
『──州候同士の同盟と婚姻は、古の法により禁止されている。許可のない使者のやりとりも、また然り』
「馬鹿な! その法は煌始帝の時代の……」
この国を統一した偉大なる皇帝、煌始帝。
彼は強力な霊獣と術者たちを従え、州候たちを服従させていた。州候同士の同盟も、婚姻も、許可なく連絡を取り合うことさえ禁じていた。
だが、それも昔の話だ。
現行法に、そんな禁止条項はない。
目の前にいる【馬頭鬼】は、現れる時代を間違えたのでは──
『州候同士の連絡は──断つ。州境は、閉じよ──』
まるで祝詞のように【馬頭鬼】は唱えた。
そうして棍棒を手に、静かに、蒼錬颯矢と護衛たちに近づいてくる。
そして──
「狙いは魔獣、巨大な鬼だ。よく狙え、『火狐』と杏樹さまの名の元に!」
「「「放て──っ!!」」」
山間の街道に、銃声が響いた。
『ホゥボゥヴォヴォヴォヴォヴォゥ────ッ!?』
【馬頭鬼】が、絶叫した。
まるで巨大な拳で殴られたようにのけぞり、後ろに倒れる。
同時に、周囲の魔獣たちが動きを止める。
指示を待つかのように、【馬頭鬼】のまわりに集まり始める。
「──た、助かった。真名香の部下たちか……?」
起き上がろうとする颯矢の前に、馬に乗った兵士がやってくる。
手には銃。鞍の前には、赤い体毛の狐を乗せている。
「紫堂杏樹さまの近衛、柏木幽玄と申す者です。錬州兵の責任者の方のお見受けするが、間違いないですかい?」
柏木と名乗った兵士は狐を抱いたまま、馬から降りた。
彼は、蒼錬颯矢に手を差し伸べながら、
「錬州の末姫さまからは、出迎えの部隊がいらっしゃると聞いておりやす。その方々が、紫州と錬州の共同作戦の承諾証に、霊力入りの署名を下さるのだと」
「あ、ああ。その通りだ」
霊力入りの署名とは、判子の代わりに使われているものだ。
わずかな血を混ぜた墨を使うことで、署名に霊力を込めることができる。
それをもって本人確認を行うのだ。
「では、この文書に、霊力入りの署名をお願いいたやす」
兵士柏木は、懐から書状を取り出した。
「今、ここでだと!? 正気か!?」
蒼錬颯矢は叫んだ。
「状況が見えないのか!? 今、我々は魔獣に追われているのだぞ!?」
「わかっておりやす。だから、今すぐ書状に署名をいただきたいんでさぁ」
「……なに?」
「あのお方が錬州で動くためには大義名分が必要ってことですよ。で、どうされるんですかい? 錬州のお方」
「……蒼錬颯矢だ」
兵士柏木を見返しながら、颯矢は答える。
「錬州候の第3子だ。言葉には気をつけるがいい」
「そいつは失礼を」
兵士柏木は深々と頭を下げてから、颯矢の前に書状を置いた。
「魔獣はオレらが食い止めます。その間に署名をするかどうか、決めてくだせぇ」
「……食い止める?」
颯矢は周囲を見回す。
紫州の近衛は10人と少しだ。その背後に、真名香の護衛として向かった者たちがいる。
ただし霊獣『騰蛇』を連れている者はいない。
剣士沖津を含めた数名は、真名香の元へと残ったらしい。
彼らがここにいてくれれば安心だった。
特に沖津は錬州候のお気に入りだ。
彼がいてくれれば、颯矢は迷わず決断することができただろう。
「……僕がこの場で、決めるのか」
颯矢は紫州の近衛に視線を向けた。
全員が真っ赤な子狐を連れている。
狐の尻尾から生まれた炎が、構えた銃へと吸い込まれる。
まるで、見えない糸で繋がっているかのように、すべての子狐が、同時に。
そして──
「魔獣を食い止めろ! 放て────っ!!」
紫州の近衛の銃声が、重なる。
それは完全なる同時斉射だった。
『グルウウウォアアアアアアアア!?』
『グシャ、グシャアアアァァアアア!!』
狼型の魔獣【クロヨウカミ】と、天狗魔獣の【アオヤミテンコウ】が絶叫する。
紫州の近衛が放った銃弾は、確実に魔獣たちを捉えていた。
空を駆ける【アオヤミテンコウ】までも、的確に。
「……無駄玉がひとつもない。すべて命中させるなど……そんなことが可能なのか?」
ふよふよ、ふよ。
不意に、颯矢の視界を、羽根のかたちをした者が通り過ぎる。
風の精霊『晴』だ。
精霊たちは兵士たちの射線に沿うように移動している。
同時に、強い風が生まれている。
いるのは数十体の精霊たちだ。
一体一体は弱くても、集まれば暴風を起こすことはできる。
銃弾の軌道を変えて、魔獣の居場所へと導くくらいの風を。
「まさか!? 紫州にはそんな力が!?」
「次は大型種の動きを止める。放て────っ!!」
紫州の近衛の第3射。
今度はすべてが【馬頭鬼】を捉えている。
邪気のせいで致命傷にはならないが、足止めには十分だ。
「で、どうされますかい? 錬州のお方」
「……わかった。署名をしよう」
紫州の返書に応じるのが、颯矢の使命だ。
だから、これは紫州に膝を屈したわけじゃない。
ただ、使命を果たしただけだ。
──そう自分を言い聞かせて、颯矢は腰に提げた袋から筆と墨を取り出す。
竹筒に筆を浸す。さらに短刀で指先を傷つけ、墨に血を混ぜる。
そうして颯矢は、紫州の書状に霊力入りの署名を記し、兵士柏木に差し出した。
「これでいいのだろう?」
「感謝いたしますぜ」
「それで、これからどうする気だ!?」
「どうするもなにも、馬の頭の鬼は、邪気衣が強すぎますなぁ。オレらにはどうにも」
肩をすくめる兵士柏木。
その後ろで、部下が銃を構えている。
空に向かって、狐を、銃身に触れさせた状態で。
そして──轟音と共に、空中に巨大な火花が散った。
まるで、花火のようだった。
『──おつかれさまです。柏木さん。合図を確認しました』
直後、声がした。
近くにいる風の精霊『晴』からだ。
「な!? 精霊から……人の声が?」
「報告しやす。敵は、かなり厄介な連中ですぜ」
おどろく颯矢を無視して、紫州の近衛が精霊に話しかける。
「敵は馬づらの鬼でさぁ。錬州のお方は【馬頭鬼】って呼んでますが、まさに言い得て妙でずな。ただ、【アオヤミテンコウ】は全滅させやした。【クロヨウカミ】が3匹ほど残ってますが、それはこっちでなんとかしやしょう」
『ありがとうございます。それで、錬州の方』
くるり、と、精霊が颯矢の方を向いた。
『よければ状況を教えてくれますか? あなたの口から』
「な、なんだ!? お前は一体なんなのだ!?」
『申し遅れました。俺は紫堂杏樹さまの護衛で、月潟零と申します』
まるでお辞儀をするように、風の精霊『晴』が上下する。
『状況から察するに、錬州側にも魔獣が出たのでしょう。状況を教えてください』
声は、淡々としていた。
まるで、面倒な仕事を、少しずつ片付けようとしているかのようだった。
だからこそ颯矢は、恐れた。
颯矢にとっては逃げることしかできない状況を、この者は解決できる。
その手段を声の主は持っているのだと、わかってしまったからだ。
だが──
『……教える。錬州候の第3子の名において、救援を要請する』
──今の颯矢には、声の主に従う以外の選択肢はなかった。
『礼はする。知ってることはすべて話す。だから、僕の部下を助けてくれ!!』
そうして錬州の第3子、蒼錬颯矢は、見聞きしたことをすべて話したのだった。
次回、第50話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
書籍版の発売日が決定しました!
12月15日頃、GAノベルさまから発売になります。
イラストは、kodamazon先生に担当していただくことになりました。
キャラクターデザインも公開中です。
『活動報告』で公開しています。ぜひ、アクセスしてみてください。
それでは今後とも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!




