第48話「護衛、錬州の末姫にはおやつをあげる」
──錬州の末姫視点──
「……これが、紫州のお茶菓子なのですか」
「お持ちになったのは、紫堂杏樹さまの護衛の方でした。毒味は、私どもが済ませております」
真名香の侍女はそう言って、一礼した。
真名香の目の前にあるのは、湯気を立てる玉子焼きだ。
端の方が欠けているのは、侍女が毒味をしたからだろう。
毒味をした侍女は、なんだか幸せそうな顔をしているけれど。
「温かいものを食べるのは……久しぶりですね」
真名香は皿を見ながら、そんなことを言った。
錬州では常に、数名の毒味役がいた。
紫州に来てからもそうだ。侍女が料理を作り、それを数名が毒味をしてから、真名香の元に供される。だからいつも、冷めた料理ばかりを食べていた。
目の前にある『ぷれぇんおむれつ』が温かいのは、紫堂杏樹から提供されたものだからだ。
後ほど、彼女の使いの者が会議の結果を報告に来ることになっている。
そのときに味の感想を聞かれるだろうし、冷めたまま残していては失礼にあたる。
だから真名香は『ぷれぇんおむれつ』なるお茶菓子を食べなければいけないのだが──
「異国風の名前ですね。将呉兄さまなら、このお菓子のことをご存じでしょうか……」
紫州には海がない。
だから、異国との交易はしていないはず。
なのに異国風のものを真名香に差し出すとは……これはなにかの挑戦だろうか。
あるいは、紫州は錬州に匹敵するほど、異国の知識があるだろうか。
「どちらにしても、食べなければ失礼になります」
真名香は匙を手に取り、『ぷれぇんおむれつ』に触れた。
ぷるん、とした感触だった。ふわふわだった。
口に入れると──甘い。砂糖が使われているのだろう。
しかも、口の中でふんわりと溶けていく。
「おいしい……これが、紫堂杏樹さまおすすめのお菓子……」
一口食べるごとに、心地よい気分になっていく。
温かくて、ふわふわで、甘い。
ここが異郷だということも忘れそうになる。
「これを運んでくださった方は、まだいらっしゃいますか!?」
「は、はい。できれば、感想をうかがいたいとのことで」
「すぐに伝えましょう。案内なさい」
真名香はそのまま部屋を出る。
控えの間に行くと、そこには紫堂杏樹の護衛の少年がいた。
「お役目、ご苦労さまです」
真名香は座して、少年に告げる。
「『ぷれぇんおむれつ』は大変美味しくいただきました。作った方にお礼を申し上げてください。とても幸せな味でしたと。錬州にいらしたら、ぜひ店を構えるとよろしいでしょう。真名香が支援いたします──と」
「過分なお言葉をいただき、ありがとうございます」
「ぜひ伝えてくださいませ」
「はい。ですから、ありがとうございます」
「…………?」
「…………」
「もしかして、あなたが『ぷれぇんおむれつ』を?」
「はい。趣味で」
「あなたは剣士なのですよね? 沖津が認めるほどのお方なのですよね? 現に、魔獣に囲まれる中、真名香を助けてくださいましたよね?」
「ご無事でなによりでした」
「そのあなたが、お料理を?」
「はい。試しに作ってみたところ、杏樹さまが気に入ってくださいまして、ぜひ、錬州の末姫さまにお持ちするようにと」
「……あなたが作ったものを、紫堂杏樹さまが」
「錬州との交渉は別として、末姫さまが少しでも、お心安らかになれるようにと」
当たり前のように、少年は言った。
それで真名香は、兄の将呉から聞いた話を思い出す。
副堂勇作が起こした事件のときに、紫堂杏樹を守り続けた護衛がいたことを。
その者は魔獣を打ち破り、鬼門でも、紫堂杏樹の側にいたことを。
(……その護衛とは、この人に違いありません)
紫堂杏樹の信頼を得ている者。
重責に耐える彼女の心をほどいてくれる者。
それがこの少年、月潟零なのだろう。
(……いいなぁ)
ぽつり、と、心の声が、聞こえた。
(真名香には……誰もいないのに)
真名香は錬州では、役立たずの末姫だった。
巫女としての力も弱い。戦う力もない。
錬州では、ほとんど顧みられることもなかった。長兄の、将呉を除いて。
護衛の沖津は役目として、真名香についてきている。
侍女たちもそうだ。元々仕えてくれていた者は、錬州に残っている。
その侍女たちも、真名香個人に仕えていたわけではない。
他の──もっと立場が上の姉妹に仕えるついでに、真名香の面倒を見てくれていただけだ。
真名香は、失われても構わないものだから、危険な地に送られているのだ。
なのに、紫堂杏樹は違う。
それは先日、馬車から降りてきた彼女を見たときにわかった。
紫堂杏樹は安心したような表情で、護衛の少年の手を取っていた。
孤高であるべき紫州候代理が、心を許していた。
それがこの少年だ。
心底、うらやましいと思う。
紫堂杏樹が地位を失いかけたときにさえ、側にいてくれる少年がいることに。
だから──
「気をつけて、ください」
──応援を、したくなった。
自分には持っていないものを手にしている、紫堂杏樹と、その仲間に。
錬州候の娘という呪縛から逃れられない真名香には、まぶしいから。
ただ、この人たちに、幸あれ、と。
「山を汚染している者たちは、強力な『先祖返り』かもしれません」
「……『先祖返り』ですか?」
「はい。『分ける』『見る』『止める』など、そんな言葉に特化した強力な力を持つ者たちです。【アオヤミテンコウ】を操るような術者ならば、そういう特殊な人物かもしれません。どうか、気をつけるように、紫州の皆さまにお伝えください──」
「ありがとうございます。錬州の末姫さま」
「真名香です」
気づけば、そう名乗っていた。
今、口にしている言葉は、錬州の末姫としてのものではないから。
ただ、ひとりの少女、真名香として発したものだから。
「この場では、真名香とお呼びください」
「承知いたしました。真名香さま」
「『ぷれぇんおむれつ』、おいしかったです。とても」
「お口に合ったのなら、幸いです」
少年は真名香に向かって一礼した。
「紫州に住む民のひとりとして、真名香さまのご厚意に感謝いたします。それでは」
「失礼いたします。月潟零さま」
少年の名前を思い出したから、言葉にしてみた。
ちょっとだけ、幸せな気分になった。
(……幸あれ、です)
そんなふうに思える相手に出会えたのは、初めてだったから。
錬州の末姫、蒼錬真名香は、幸せな気分になる。
十数分後、紫堂杏樹がやってきて、真名香に対して、錬州の提案を受け入れる旨を伝えてくれた。
そうして、真名香の護衛から数名が選抜され、錬州へと出発することとなった。
紫堂杏樹の護衛とともに、真名香の文と、紫州からの返書を持ち帰るために。
──数日後、錬州の街道付近で──
紫州に通じる街道付近に、兵士たちが集まっていた。
数は100人弱。
先頭にいる兵士たちは蛇型の霊獣『騰蛇』を連れている。
彼らは錬州候が誇る近衛兵だ。手には最新式の『らいふりんぐ』が施された銃を構えている。
その近衛に付き従うのは弓兵だ。
彼らの、邪気を祓う弓矢の威力は馬鹿にできない。
さらに後方には剣士たちがいる。
山中では槍は使いづらい。魔獣相手には接近戦になることが多い。
それゆえに剣の扱いに長けた者が集められている。
彼らは街道近くに、仮の宿営地を作っていた。
数日前からここに留まり、真名香の使節からの連絡を待っている。
錬州の末姫である蒼錬真名香は使者として、紫州候代理の元へと向かった。そこで支援を得るための交渉を行っている。交渉が成立でも不成立でも、使者が街道を戻ってくる。
彼らを出迎えるのが、この部隊の役目だった。
「我が妹、真名香が戻る際には、街道に狼煙が上がることになっている!」
部隊を率いる青年が叫んだ。
短い黒髪。細身の身体。腰には藍鞘の太刀を佩いている。
青年の名前は、蒼錬颯矢。
錬州候の3男で、将呉の実弟だった。
「狼煙を見つけ次第、州境に向けて出発する。準備はおこたりなく進めてくれよ」
「「「承知しました!!」」」
兵士たちの士気は高い。
自分たちの州が危地にあることを、彼らもわかっているのだろう。
「……この1ヶ月の間、錬州は異常なことばかりだものな」
山々が邪気を噴き出し始めたことも、浄化に向かった巫女姫たちが、魔獣に襲われたことも。
まさか魔獣たちが数個の部隊に分かれて、巫女姫の護衛を攪乱するとは思わなかった。
そのせいで、隙を突かれ、巫女姫たちは重傷を負ったのだ。
なんとか州都近くの山は浄化したが、州境付近の山は、手がつけられない状態だ。
「しかも、紫州から買い取った霊鳥は役立たずと来ている。父上たちのせいで、錬州は大損だ」
錬州候が副堂勇作から引き取った霊鳥『桜鳥』は、錬州兵との契約を拒否した。
巫女や神官が術を使っても駄目だった。
『ここまで気難しい霊鳥は初めて』と、担当者が青ざめるほどだった。
『──紫州の霊鳥は我らの知らないところで、紫堂杏樹どのと繋がっているのかもしれぬ』
それが颯矢の兄、将呉の言葉だった。
「不本意だが……紫州との関係修復は進めなければならない。そのために、父はこの颯矢に、役目を与えてくださったのだから」
これ以上、山の汚染は放置できない。
だから、錬州は紫州に使者を送り、同盟を申し出た。
颯矢はその使節を出迎え、紫州側の返答を確認する。彼らが協力してくれるというのであれば、颯矢がその場で返書を渡す。協力に感謝する書状と、錬州内での活動許可書を。
紫州の者たちが、錬州内で動けるように。
そうすれば、より効率良く、山を浄化できるはずだ。
「まさか序列2位の錬州が、紫州に力を借りることになるとはな……」
颯矢は歯がみする。
もともと錬州は、紫州など見ていなかった。錬州が警戒していたのは、煌都だ。
なのに父も、兄の将呉も、紫州などに膝を屈しようとしている。
その考えが……颯矢にはわからない。
紫州相手なら、いっそ大量の兵を差し向けて、手を貸すように強要すべきなのだ。
父も将呉兄も、なにを警戒しているのだろう……。
「役目は果たすがな。今は、真名香の使節が戻るのを待つばかりだが……」
「颯矢さま! 街道の向こうに煙が上がっております!!」
兵士のひとりが叫んだ。
合図の狼煙──そう思って、部隊の者たちがざわめく。
隊長は街道の向こうに視線を向ける。
目を細め、かすかに見える煙を見ようとする。
確かに、煙のようなものが見えた。
けれど──それは狼煙ではなかった。
赤黒い霧。
渦を巻き、山を下ってくる、煙のようなもの。
それは空ではなく、街道に向かって降りてきていた。
「──皆の者、戦闘態勢を取れ!!」
蒼錬颯矢は即座に指示を出す。
即座に兵士が反応する。
近衛は蛇の霊獣『騰蛇』に霊力を込める。弓兵は矢をつがえ、剣士たちは盾を構える。
彼らにもわかったのだろう。
街道の向こうに見えるもの──あれは、狼煙ではない。
錬州の山より下り、街道でたゆたう、赤黒いもの。
それは遠目にも視認できるほど濃密な、邪気だった。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
書籍版の発売日が決定しました!
12月15日頃、GAノベルさまから発売になります。
イラストは、kodamazon先生に担当していただくことになりました。
キャラクターデザインも公開中です。
『活動報告』で公開しています。ぜひ、アクセスしてみてください。
それでは今後とも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!




