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第46話「杏樹と錬州の末姫、会談を行う」

「こちらが錬州候(れんしゅうこう)からの、正式な書状となります」


 錬州の使者、蒼錬(そうれん)真名香(まなか)は、一通の書状を差し出した。

 俺が受け取り、異常がないことを確認してから、杏樹に手渡す。


 杏樹はそれを、俺からも見えるように開いてくれる。

 内容は、次の通りだった。



錬州候(れんしゅうこう)は、副堂勇作(ふくどうゆうさく)および副堂沙緒里(ふくどうさおり)を支援したことを、正式に謝罪する。

 その上で、現在の紫州候代理である紫堂杏樹どのと、正式に同盟を結びたい。


 対価として、副堂沙緒里に渡した「二重追儺(ふたえついな)」の術書の写しを渡す。

 また、副堂勇作から買い取った霊鳥を速やかに返還する。


 上記が満たされるまでの保証として、錬州(れんしゅう)末姫(すえひめ)蒼錬真名香(そうれんまなか)を人質として差し出す』



「まずは、『二重追儺(ふたえついな)』の術書の写しをお納めください」


 錬州の末姫は、紐で綴じた紙の束を、机に置いた。

 それを見た杏樹の肩が、震えた。


 杏樹は言ってた。

『二重追儺』の術書を得ることには意味があります、と。


禍神(かしん)】の召喚(しょうかん)は、あの術書を書き換えた上で行われた。

 その結果、術は破られ、術者である副堂沙緒里は霊力と、巫女の力を失った。


 術書があれば、杏樹は『二重追儺』を詳しく分析することができる。

 似たような術が使われたときに、もっと効率の良い破り方を見つけ出せるかもしれない。あるいは、術を破られた者が、失った霊力を取り戻す方法も。


 ──杏樹は、そんなことを言っていたんだ。


「父と、長兄(ちょうけい)である蒼錬将呉(そうれんしょうご)の行いにより、紫州(ししゅう)を騒がせてしまったことをお詫び申し上げます」


 すっ、と、錬州の末姫が身を引く。

 それから彼女は──板の間に額を()り付けるように、頭を下げた。


「末姫である真名香は、錬州の方針についてなにも言えません。けれど、兄のしたことは間違いです。真名香は、このようなかたちで紫堂杏樹さまとお会いするつもりはありませんでした。兄に代わり、幾重(いくえ)にもお()び申し上げます」

「お気持ちはわかりました。書状の続きを、読ませていただきます」


 杏樹は礼を返した。

 そのまま、彼女は書状をめくり、2枚目に目を通す。


 錬州候の文章が続いていた。



『可能ならば、紫州には支援をお願いしたい。

 現在、錬州では山の汚染が始まっている。

 怪しい儀式を行う者により、山中に邪気があふれているのだ。


 それは紫州との境界にある、「狼牢山(ろうろうさん)」にもおよんでいる。

 だが、錬州は現在、州境の山に割ける人員が不足している。


 その事情と、事態の詳細については、使者の者の口から説明させていただく。

 これは情報の漏洩(ろうえい)を避けるためである。


 ぜひとも、お力をお貸しいただきたい。

 対価として、紫州の方々には、錬州内の自由移動を許可させていただく。


 また、現在は「狼牢山(ろうろうさん)」の頂上が州境となっているが、これを改め、「狼牢山」すべてを紫州に割譲(かつじょう)することも検討する。

 これらは霊鳥を返還する際に、正式な書簡をお送りするつもりである。


 ご検討を願えれば幸いである』



 最後に、署名が入っていた。

 錬州候、蒼錬(そうれん)惣角(そうかく)──と。


 杏樹が書状を読んでいる間、俺は錬州の一行を観察していた。

 錬州の末姫──蒼錬真名香は、じっと杏樹を見つめていた。杏樹が視線を動かすたびに、びくり、と、身体を震わせてる。杏樹に見惚(みほ)れているようにでもある。


 その後ろにいる剣士の沖津は、冷静そのものだった。

 正座しているけれど、上体がかすかに動いている。

 こちらが手を出したら、すぐに対応できるような姿勢だ。


 やがて、杏樹が書状を机に戻す。

 元のように折りたたみ、そのまま、錬州の末姫を見る。


「錬州の方でも、こちらと同じように、山で異常事態が起こっていたのですか」

「はい。紫堂杏樹さま」

「ですが、詳しい事情については、使者の方から直接聞くようにと書かれております。お聞かせいただけますか?」

「はい。紫堂杏樹さま」


 錬州の末姫が姿勢を正す。


「これからお伝えすることについては、内密にお願いいたします」

「承知いたしました」

「現在……錬州の祭祀(さいし)(つかさど)る巫女姫が、魔獣に襲われて負傷しております。山の浄化に向かった際のことです。邪悪な術の浄化に手間取ってしまい、その(すき)に襲われたのです。その際に、配下の巫女たちも怪我を負いました。そのため、錬州では山を浄化する者の手が足りない状態なのです」

「……そのようなことが」

「あの術の手強さは、紫州の方もご存じだと思います」


 錬州の末姫は続ける。


 現状、錬州のいくつかの山が邪気に満たされて、踏み込めない状態にある。

 無傷の巫女や近衛(このえ)が対処しているが、浄化には時間がかかる。

 人手も足りない。


 そのため、州境の浄化まで手が回らない──そんなことを、末姫は言った。


「街道で真名香が襲われたのも、邪悪な術で魔獣が活性化したからでしょう。ですが、このまま放置していては、錬州(れんしゅう)紫州(ししゅう)の間の街道が使えなくなってしまいます。それを防ぐためにも、紫堂杏樹さまのお力をお借りしたいのです」


 末姫は再び、床の上で平伏(へいふく)した。


「錬州は紫州と力を合わせ、山の調査と浄化を行うことを望んでおります。そのためなら領地の割譲(かつじょう)(いと)わないと、父は申しておりました。どうか、ご検討をお願いいたします」

「お話はわかりました」


 杏樹は答えた。

 彼女は(ひざ)の上で、(こぶし)を握りしめていた。

 巫女服の背中が、小さく震えている。


「それについてお答えする前に……いくつか、うかがってもよろしいでしょうか」

「どうぞ。紫堂杏樹さま」


 錬州の末姫は答えた。


「こちらは紫州にお願いをする立場です。なんなりと、おたずねください」

「では、うかがいます」


 杏樹は錬州の末姫を、それから、護衛の沖津に視線を向けて、告げる。


「どうして錬州は叔父(おじ)さま──いえ、副堂勇作の陰謀(いんぼう)に手を貸したのですか?」


 感情を抑えた声だった。

 杏樹はずっと、これを(たず)ねたかったんだろう。


 あの事件のせいで、紫州は一時、分断された。

 副堂勇作に人望がなさすぎて、あの人に協力したのはほんの一部だったけれど、それでも、紫州は人材を失った。


 そして、追放された杏樹は【禍神(かしん)】に襲われた

【禍神】を(はら)った結果、従姉妹である副堂沙緒里を(こわ)すことになった。


 杏樹はずっと、副堂沙緒里と話をしたがっていた。

 どうして自分を憎むのか。どうして、ここまでするのか。

 杏樹は沙緖里と顔を合わせて、彼女の言葉を聞きたかったんだ。


 けれど、副堂親子は逃げてしまった。

 それは、沙緒里が力を失ったからだろう。

 そうして杏樹は、沙緒里と話をする機会を失ってしまった。


 だから杏樹はずっと訊きたかったんだ。

『どうして』と。


 どうして、錬州は力を貸したのか。

 どうして沙緖里に『二重追儺(ふたえついな)』の術式なんか渡したのか。


「錬州候の一族ならば、ご存じなのでしょう? 錬州のご嫡子(ちゃくし)が、副堂勇作に力を貸した理由を」

煌都(こうと)より来たる者に対抗するため……と、聞いています」


 錬州の末姫は胸を押さえ、深呼吸してから、答えた。


「かつて煌都に所属していた巫女や陰陽師が組織を作っているとの情報があります。今回の山の汚染も、その組織が動いている可能性がございます。錬州では常に、彼らに対抗するための力を必要としていたのです」

「そのために叔父さまに協力を?」

「協力を望まれたのは副堂勇作さまの方です。錬州に支援を要求されたのも」

「……錬州はそれに賛同されたのですね」

「断る理由がなかったから、と、父は申しておりました」


 あくまでも冷静に、錬州の末姫は答えた。

 まるで、あらかじめ決められた言葉を話しているかのように。


「誤算は、副堂勇作さまが強く、煌都(こうと)と結びついていたことでした。あの方は、錬州と煌都を両天秤(りょうてんびん)にかけていたのだと、父は考えております。それがわかっていれば、加担はしなかったと言っていました」

「……そういうことですか」

「ただ、今はおふたりを支援するつもりはありません。副堂勇作さまと沙緒里さまも、錬州には来ておりません。それは確かです」

「承知いたしました。信じましょう」


 杏樹はうなずいた。


 副堂親子が錬州にいないことは間違いないと思う。

 仮に錬州にいたなら……錬州候は、この交渉の場に、ふたりを引っ張り出してきたはずだ。

 ふたりを差し出すことで、交渉を有利に進めるために。


「では、もうひとつ、おうかがいします」


 杏樹は深呼吸。

 振り返り、俺と視線を合わせる。


 それから、彼女は意を決したように、


「かつて煌都に所属していた者たちが悪さをしているとおっしゃいました。つまり、流浪の巫女と陰陽師……『荒神(あらがみ)』『荒御霊(あらみたま)』に関わるものたちの組織が背後にいると、錬州ではお考えなのですね?」

「どうして『荒神派(あらがみは)』のことを!?」


 錬州の末姫が目を見開いた。

 同時に、杏樹が再び、俺の方を見た。


『流浪の巫女と陰陽師』『荒神』『荒御霊』──これは偽天狗(にせてんぐ)が口にした単語だ。

 それを、杏樹はここで、錬州側にぶつけてみたんだ。


「紫州には情報収集を得意とする方がおりますから。わたくしも、いつも助けられているのですよ」

「……あの組織の名前は、錬州でも極秘となっているのに」

「情報はどこかで漏れるものです。とにかく、蒼錬真名香(そうれんまなか)さまから、十分なお話はいただきました」


 杏樹は改めて、まっすぐに錬州の末姫を見た。


「錬州からの提案については、考慮させていただきます。部下とも話し合い、すぐに返書を書きましょう」

「ありがとうございます」

「こちらからの書状が届き次第、錬州と紫州は合同で山の調査を行う……ということでよろしいでしょうか」

「はい。担当の者が、すぐに動けるように控えております」

「書状に、こちらからのお願いをひとつ、書き加えさせていただいても?」

「もちろんです。どのようなことでしょうか?」

「錬州のご嫡子である、蒼錬将呉(そうれんしょうご)さまとお話をする機会をいただきたいのです」


 杏樹は言った。


「すぐにとは申しません。紫州と錬州の間では、いずれ霊鳥の引き渡しが行われるでしょう。その際にでも、お話をする機会をいただければ、と」

「父にお願いすることはできます。けれど、どうしてですか」

「あの方は副堂の叔父さまに積極的に近づき、副堂沙緒里さまとは結婚の約束をしたと聞いております」


 それは俺も知っている。

 だからこそ、副堂の仲間たちはは錬州を信じた。

 結局、錬州は綺麗(きれい)に手を引いたのだけれど。


「その方の人となりを、この目で確認させていただきたいのです」

「……真名香からも、父に頼んでみます」

「よろしくお願いいたしますね」

「この会談の報告については、錬州に書状を送ることとなります。そのときに、紫堂杏樹さまのお言葉についても、付け加えておきます」


 錬州の末姫は言った。


「錬州には護衛の者たちを向かわせます。彼らが戻るまでの間、真名香は人質として、紫州に残ることとなりますが……それでよろしいですか?」

「構いません。ですが、護衛の方をすべてお戻しする必要はありませんよ」


 杏樹は答える。


「それでは紫州に残られる方が不安でしょう?」

「ですが……少数の兵では、街道を突破できません」


 蒼錬真名香は説明を始める。


 ──彼女たちが、山間の街道を必死に突破してきたこと。

 ──山にほどこされた術のせいで、多くの魔獣が出現していること。

 ──邪気が弱まらない限り、街道を通るには多くの兵力が必要となること。


「紫州の街道にも、再び【アオヤミテンコウ】が現れる可能性があります。真名香としても、護衛の者に残って欲しい気持ちはありますが……彼らには伝令として、錬州に行ってもらわなければなりません。兵力を削るわけには……」

「紫州内の山は、すでに浄化が終わっております」


 杏樹は言った。


 錬州の末姫と護衛の沖津が、ぽかん、とした顔になる。

 杏樹は続ける。


「『狼牢山(ろうろうさん)』にある『邪気払いの社』に、怪しい術が施されているのを確認しました。それが邪気を生み出し、山に魔獣を呼び寄せていたのです。ですが、それらの浄化は終わっております。紫州を出るまでは、魔獣に襲われることはないでしょう」

「そ、そんな……い、いつの間に!?」

「そのようなことが可能とは思えぬ! なにかの間違いではないのか!?」


 錬州の末姫と、剣士の沖津が声をあげる。

 まぁ、そうだろうな。


 錬州の巫女姫たちは、山の汚染を解除できずにいるんだから。

 杏樹が山をまるごと浄化したと言っても、信じられないのは当然だろう。


「使者の方にはわたくしたちが護衛をつけます。こちらの書状を預けた上で、錬州まで同行させましょう」


 杏樹は続ける。


「これからわたくしは、部下と会議を行います。その後で、書状を用意いたしましょう。紫州側の街道には、近衛を配置いたします。錬州の皆様が安全に、故郷へと戻れるように」

「あ、ありがとうございます」

「使者が戻るまでの間、蒼錬真名香さまは、紫州でごゆるりとお過ごしください。色々なお話を聞かせていただければと思っております」


 その言葉で、杏樹と錬州の末姫の会談は終わりとなった。

 杏樹はこれから紫州内で会議を行い、錬州の提案について検討する。

 まとまり次第、錬州に使者を送る。

 あとは錬州候の回答待ちだ。


 時間はかかるけれど、州候同士のやりとりなんてこんなものだ。

 俺の前世みたいに、直通電話(ホットライン)があるわけじゃないからな。

『精霊通信』で連絡するわけにもいかないんだから。


 そうして、俺と杏樹は、一緒に次町の宿舎へと戻って──



「……がんばりましたね。杏樹さま」

「……ありがとうございます。零さま」



 部屋に入った瞬間、杏樹は床に座り込んでしまった。

 会議室を出てから──杏樹の身体は小さく震えていた。

 ずっと、緊張していたんだろう。怒りもあったのかもしれない。


 錬州の末姫にじゃない。

 幼い末姫を使者として送り込んできた、錬州候(れんしゅうこう)への怒りだ。


「零さま」

「はい。杏樹さま」

「わたくしは……錬州を許すことはできません」

「わかります」

「紫州乗っ取りを起こしたのは副堂の叔父さまです。けれど、錬州がそれに乗る必要などありませんでした。煌都(こうと)を恐れてのことだと言っていましたが……それなら、同盟を申し出てきてもよかったはずです」

錬州(れんしゅう)は副堂勇作さまを利用して、紫州に傀儡政権(かいらいせいけん)を作るつもりだったのかもしれませんね」


 紫州に傀儡政権(かいらいせいけん)があれば、錬州の力は倍増する。

 副堂勇作から兵を借りることもできるし、兵糧を送らせることもできる。

 今回のような事件があったときでも、副堂沙緖里を使って、山の浄化を命ずることもできただろう。


「錬州は、徹底した能力主義で、成果主義です」


 杏樹は続ける。


「副堂の叔父さまを支援したのも、大きな成果を望んでのことでしょう。けれど、それにより紫州は大きく揺れました。民も不安になり、副堂沙緖里さまは鬼門での儀式を行うことになりました」

「杏樹さまも、鬼門に追放されることになりましたからね」

「それは気にしてはいません」

「そうなんですか?」

「おかげで、こうして零さまと親しくなれました。『九尾紫炎陽狐(きゅうびしえんようこ)』さまのことを知り、『四尾霊狐(しびれいこ)』さまと契約することもできました。ですから、そのことはいいのです。ただ、錬州が紫州の民に迷惑をかけたことは間違いありません」

「ですね。俺も、錬州は信頼すべきではないと思っています」

「はい。けれど……今、錬州を敵にすることはできません」


 いつの間にか、杏樹は俺の肩に身体を預けていた。

 巫女服の胸を押さえながら、ため息をついている。


偽天狗(にせてんぐ)たちのことがあります。彼らを操った術者は、まだ捕まっておりません。犯人が再び、山で怪しい術を使う可能性もあります。事件は……まだ終わっていないのです」

「解決するまでは、錬州と協力する必要があるわけですね……」


 俺の言葉に、杏樹はこくん、と、うなずいた。


 事件の裏には、偽天狗を生み出した術者がいる。

 偽天狗は『流浪(るろう)巫女(みこ)』『陰陽師(おんみょうじ)』という言葉を口にしていた。

 錬州の末姫の言葉が正しければ、その巫女と陰陽師が『荒神派(あらがみは)』なのだろう。


 そういう連中が、紫州で怪しい術を使っている。

 その状態で錬州と敵対するのは、リスクが大きい。錬州と『荒神派』の双方を敵に回すことになるからだ。万が一、向こうが手を組んで襲ってきたら、手がつけられなくなる。


 それに、錬州は豊かな州で、兵の数も多い。

 戦ったら──勝てたとしても、こちらも大ダメージを受ける。


 だから関係修復をして、同盟を結ぶことにはメリットがあるんだ。


「民のためには……今は、錬州と結ぶのがよいのでしょう」


 その言葉を口にした杏樹の身体は、震えていた。

 州候としては、錬州と同盟を結ぶのが正しい。

 でも、杏樹個人としては気が進まない。そういうことなんだろう。


「杏樹さま」

「は、はい。零さま」

「がんばりましたね。偉いです」


 俺は言った。


「杏樹さまがむかつくのもわかります」

「……え? あ、はい。えっと、むかつく、ですか?」

「そうです。錬州は副堂勇作に協力して、それが失敗したら、しれっと同盟の使者をよこしたんですからね。しかも使者にしたのが末姫です。これが嫡子の蒼錬将呉だったら怒りをぶつけることができますけど、命がけでやってきた小さな女の子を怒鳴りつけるのは難しいでしょう」

「はい。おそらく……錬州はそれも計算していたのでしょうね」

「最悪ですね。むかつきます。杏樹さまはブチ切れてもいいと思います」

「あ、あの。零さま? そのお言葉は……?」

「例えて言えば、パワハラをしてた上司が、直接謝るのが嫌だからって、謝罪担当として娘か妹をよこしたようなものじゃないですか。そんなやり方をされたら、こっちとしては振り上げた拳の持って行くところがないですよ。そこまで計算してるとしたら、錬州にはかなり悪知恵が働く奴がいるってことですよね。そんなところを付き合いたくないですよね。わかります。杏樹さま」

「ぱ、ぱわはら? よ、よくわかりませんが、そこまでお怒りになることはないのですよ。零さま?」

「……俺は、錬州に就職しなくて良かったです」


 錬州にいる連中はたぶん、優秀なんだろう。

 副堂勇作を支援したことも、失敗をさとってすぐに関係修復に動いたことも、その使者に小さな末姫を選んだことも──たぶん、戦略としては正しい。


 杏樹もそれはわかってる。

 俺もわかる。前世では20代だったからな。

 人を人とも思わない連中とも仕事したことはあるからな……ぁ


「とにかく、俺は杏樹さまの元で仕事ができてよかった、ということです」


 俺は言った。


「杏樹さまが民のことを考えて、錬州と結ぶ決断をされたのは理解できます。州候代理としては当然の選択かもしれません」

「は、はい」

「でも、それが杏樹さま個人にとって苦渋(くじゅう)の選択だってことを、俺は知っています」

「……零さま」

「だから、俺はできるだけ、杏樹さまをお助けします。俺は州候代理の護衛じゃなくて、紫堂杏樹さまの護衛ですからね」


 俺は紫州候──杏樹の父から、杏樹の個人的な護衛として雇われてる。

 杏樹が州候代理でも、そうじゃなくても、俺の立場は変わらない。

 俺は杏樹を助けて、彼女を護る。それだけだ。


「というわけなので、してほしいことがあったら言ってください。州候代理としてのお願いでも、杏樹さまの個人的なお願いでもいいです。できるだけ叶えます。俺は、杏樹さまの護衛なんですから」 


 杏樹は少し、無理してるように見えたからな。

 錬州に関わることは、彼女にとってかなりのプレッシャーなんだろう。


 だったら、俺は杏樹のメンタルもサポートしよう。

 俺にできることなんか、たかが知れてるけど。


「……零さまのごはんが、食べたいです」


 しばらくして、杏樹はぽつり、と、そんなことを言った。


「『隠された霊域』で焼き飯を食べたときのように。そうしたら、元気が出ると思います」

「わかりました。すぐに準備しますね」


 ちょうど、使えそうな食材を見つけておいた。

 次町にいる間、俺も遊んでいたわけじゃないからな。

 農家や、数少ない酪農家(らくのうか)を訪ねていたんだ。準備はできてる。


 次町に滞在する間、杏樹においしいご飯を食べてもらおう。


「……錬州との関係は、最小限にするつもりです」


 杏樹は言った。


「山の事件が解決して、霊鳥『桜鳥(おうちょう)』を取り戻すまでにしたいと思っています。その後は、元の関係に戻るべきでしょう」

「錬州の嫡子のことは?」

「あれは……わたくしの個人的な要求ですから」

「杏樹さまはもっとわがままになってもいいと思いますよ?」

「わがままは、零さまが聞いてくださいますもの」


 そう言って杏樹は、笑ってみせた。


「それに、錬州と深く関わってしまえば、煌都(こうと)の者たちを刺激してしまうかもしれません。やりとりは、最小限にするべきでしょう」

「確かに……それがいいですね」

「行動は密かに、危険な相手に気づかれないように、素早く……ふふっ。零さまのやり方と同じですね」

「あ、はい」

「わたくしは、もっと零さまから学ぶ必要がありますね。もっと零さまをよく観察して、色々なことを真似して、零さまの専門家にならなければいけません」


 杏樹は立ち上がり、巫女服の裾を払う。

 吹っ切れたような笑顔で、彼女は、


「では、わたくしは会議に向かいます。話が終わったら、もっと零さまのことを教えてくださいませ。お料理を食べながらで、いいですから」

「わかりました。準備をしておきます」

「約束ですよ」


 杏樹が小指を差し出す。

 俺は反射的に指を絡める。軽く手を振って、ゆびきり。

 それが終わると、杏樹は一礼して、


「ゆびきりしました。では、今後は零さまのことをたくさん、教えてください」

「……え」

「では、行って参ります」


 そう言って、杏樹は部屋を出ていった。


 いや、ゆびきりしたのは『料理を作る』約束の方だと思ってたんだけど。

 ……杏樹には敵わないな。まったく。


「仕事をする杏樹のために、おいしいものを作っておくか」


 方針は決まった。

 会議が終わり次第、使者が錬州に発つ。柏木隊も同行する。

 使者が戻るまでは、十日ほどかかる。

 その間、杏樹は州都で待つことになるだろう。


 紫州側の山の浄化は終わっている。

 錬州側の浄化を行うかどうかは、相手の返事待ちだ。

 ただ、その間、再び敵が現れる可能性があるから、俺は次町で待機しなければいけない。


 だから杏樹と一緒にいられるのは、数日だけだ。


「桔梗さんに料理方法を教えておこうかな」


 そうすれば州都でも同じものが食べられる。

 仕事で大変な杏樹の、気晴らしにもなるはずだ。


 そんなことを考えながら、俺は厨房(ちゅうぼう)へと向かったのだった。




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