第45話「紫州の護衛と錬州の護衛、話をする」
──とある場所で──
「山の術が破られたようだ」
闇の中。年若い声の主は告げた。
薄暗い部屋だった。
小さな窓は帳で覆われている。
蝋燭の光は弱く、部屋を照らすには足りない。
その淡い光の届かない場所で、小さな影が動いていた。
まとっているのは、純白の衣。
闇の中にも浮き上がって見える、白い肌。
物憂げに頭を振りながら、少女が起き上がろうとしていた。
「間違いない。妾の清らかな術が破られたのだ」
寝起きのような声で、少女は告げる。
「偽天狗たちが下々の手に渡ったら、面倒なことになろう」
「すぐに回収に向かわせます。ですが、本当にあなたさまの術が?」
「肌が粟立っておる。霊脈に、わずかな痛みが走っておる。術が破られた証でなくてなんだというのだ」
少女は上半身を揺らしながら、うっとうしそうに答える。
「偽天狗の回収は、間に合わぬだろう。術を破るほどの者なら、すでに奴らを拘束しているはず」
「そのようなものが、下々の中に……」
「力を持ちながら道理をわきまえぬ。悲しいことだ」
「咎人とはそのようなものでしょう」
「咎人……ああ、そうだな」
ぱらぱらと、紙をめくる音がする。
「そう。妾たちの法により、錬州も紫州も罰を受けなければならぬ」
「いかがいたしましょうか。清浄なるお方よ」
「まずは権威を示すがよい」
答えは、短かった。
「この世には守るべき法があること。今の州候制はそれにそむいていることを教えなければならぬ。州候にも巫女姫にも……すべての者にも」
「御意」
声は消えた。
部屋の隅で、白衣の少女は人形をもてあそぶ。
名前をつけていく。『天狗もどき』『馬もどき』『牛もどき』。
そして、少女は古い書物をめくっていく。
「……先祖返りが生まれている」
誰もいない部屋で、つぶやく。
「先祖返りが生まれている。ゆえに、古の正しきやり方を取り戻さなければならぬ。異国を受け入れた上で生き延びるにはそれしかない。なのに、愚昧なる州候たちには、どうしてそれがわからぬか」
少女の手の中で、『天狗もどき』の土人形が砕ける。
残ったのは『馬もどき』と『牛もどき』
現在作りかけの『人もどき』
彼らは、仕事をしてくれるだろうか。
してくれるはずだ。
彼らも、少女も、自分のすべきことがわかっている。
この国を、正しき形に戻すために。
州候制などという愚かな術式を、無に返すために。
そして、生まれているはずの先祖返りたちを集めるために。
「──荒ぶる神の名のもとに」
純白の清らかな少女は、そんな言葉をつぶやいたのだった。
──次町にて (零視点)──
杏樹と錬州の末姫は、町の集会場に向かった。
ふたりの会談は、そこで行われることになっている。
同席するのは、護衛各1名、会談の記録を残すための文官が各1名。
紫州側の護衛は、俺が担当することになる。
今は、集会場の点検が行われている。
不審な物がないか、それぞれの部下が調べているところだ。
杏樹は馬車の中で、集会場の点検が終わるのを待っている。
護衛には近衛の『柏木隊』がついているから、俺は少しの休憩時間。
集会場に近づく者がいないか、じっと見ていたのだけれど──
「──少し話をしたいのだが、構わないか?」
不意に、長身の男性が話しかけてきた。
錬州の末姫の護衛だ。確か名前は、沖津と言ったっけ。
【アオヤミテンコウ】と戦ったとき、俺はこの人が風を操る霊獣『騰蛇』を連れているのを見た。
今は霊獣は連れていない。俺も同じだ。
『四尾霊狐』と『緋羽根』は宿で、茜と桔梗が面倒を見ている。
会議室に入る護衛は、武装解除することになっているからだ。
会議室の外には、武装した近衛が控えている。
俺の役目は、なにかあったとき、杏樹を守って外へと誘導することにある。
だからこうして会議室の窓の位置を確認していたんだけど……それは剣士沖津も同じだったらしい。
「改めてお礼を言わせてもらう」
剣士の沖津は、軽く頭を下げた。
「街道で真名香さまを助けてくれたこと、感謝している」
「俺は杏樹さまに、町の調査を命じられていました」
俺は沖津から数歩の距離を空けたまま、答えた。
念のための安全距離だ。
「錬州の末姫さまをお助けしたのは、その一環です。感謝するなら、杏樹さまに」
「それはもちろん。だが、君にひとつ忠告してもいいだろうか?」
「忠告?」
「君は真っ当な剣術を学ぶべきだ」
剣士沖津は俺をまっすぐに見据えて、告げた。
「街道で魔獣に襲われたとき、君は真名香さまの馬車を停めてくれただろう?」
「はい。そうですね」
「あのとき我々は魔獣を必死に食い止めていた。なのに、君は我々に声を掛けることなく、森の方から飛び出してきた。あれでは我々を利用して、真名香さまを救う功績を横取りしたと取られかねない」
「……受け取り方は自由ですが」
「正当な剣士は、ああいうやり方はしないものだ。まずは名乗りを上げて、それから戦場に入ってくるべきだろう」
「はぁ」
「君には才能がある。望むなら正統派の剣術を教える村を紹介できる。自分が紹介状を書いてもいいが、どうだろうか」
たぶん、この人は親切で言っているんだろうな。
堂々と胸を張っているし、目も輝いている。
悪意は感じない。本気で俺のためを考えているように見える。
だけど──
「正統派の剣術を教える村というと?」
「名前くらいは知っているだろう。『虚炉村』だ」
……やっぱり。
そうじゃないかと思ってた。
今の『虚炉村』は正々堂々とした立ち会いをモットーとする場所になってるからな。
『戦場に入る前に名乗りを上げる』というのは、あの村のやり方だ。
『自分はこういう者である。これから戦場で功績を挙げる』という宣言らしい。祖父の代から始めたことで、祖父の支持者は実行してる。
つまり、剣士沖津は『虚炉村』の教えを受けてる、ってことか。
でも、俺はこの人を村で見かけた記憶がない。
俺が追放されてから、村に来た人なんだろうか。
あの村では、たまに受け入れてたからな。短期の修業者を。
「ここだけの話だがな。自分はあの村で最強の『無双剣』と、対等にわたりあったこともあるのだ。最終的には敗れてしまったが、いい試合だと言ってもらえたよ」
「『虚炉村』の無双剣と?」
「そうだ。知っているのか?」
「はい。それで、その無双剣は男性でしたか? 女性でしたか?」
「男性に決まっているだろう? 女性の無双剣など、聞いたことがないぞ」
「そうですか」
そっか。あっちの無双剣といい勝負だったのか。
となると、そこそこ強いんだろうな。この人は。
「ありがとうございました」
俺は剣士沖津に会釈を返す。
「ですが、俺は紫堂杏樹さまの護衛です。他州の方の世話になるわけにはいきません。お断りします」
「そうか。残念だな」
剣士沖津は、あっさりと引き下がった。
「すまない。君の才能を惜しむがゆえの戯れ言だ。忘れてくれ」
「承知していますよ」
「だが、錬州はいいぞ。能力がある者は、どこまでも上に行ける。完全なる実力主義だ。そうでなければ、異国とは渡り合えないからな」
「そうですか……すごいですね」
俺は答えた。
実力主義は別にいい。
問題は、弱い人がどう扱われるかだよな……。
俺は今のところ健康だけど、これがいつまで続くかわからないからなあ。
ガチガチの『実力主義』の場所に飛び込んだ直後に、病弱に戻ってしまう……という可能性もないわけじゃない。というか、健康に頼りすぎるのは危険だ。
まぁ、そもそも、杏樹の側を離れる気にはならないんだが。
杏樹は俺の話をちゃんと聞いてくれて、将来のことも約束してくれた。
その杏樹は、州候代理に就いて、かなり苦労している。彼女を助けるのが俺の役目だ。彼女が理想の上司だというのもあるけど……なんとなく、杏樹は放っておけない。
彼女が、裏切られたり、傷つくところを見たくない。
今は、そんな気がしているんだ。
「それでは失礼します、沖津さま。会談の席でお会いしましょう」
「ああ」
一礼して、俺は剣士沖津と別れた。
息を整えて気配を探ると──視線を感じた。
建物の角を曲がってから見ると、沖津は俺をにらみつけていた。
「……無双剣と対等に戦ったこの沖津の提案を、一蹴か。田舎者め」
そんな言葉が、風に乗って聞こえてきた。
忍者は気配に敏感だからな。
小声でも、これくらいの距離なら聞こえるんだ。
でも、『虚炉村』の無双剣か。
なつかしい名前を聞いたなー。
俺が村を出たのは、あいつとの模擬戦がきっかけだったんだよな。
そうか。剣士沖津は、男性の無双剣と戦ったことがあるのか。
変な縁だな。
俺があいつの話を聞くことなんて、二度とないと思っていたんだけど。
「ご主君。月潟どの、会談の準備が整いました」
会議の入り口で、柏木さんが言った。
俺はうなずき、杏樹がいる馬車へと向かう。
周囲を固める『柏木隊』に見守られながら、杏樹の手を引き、会議場へ。
反対側の入り口では、剣士沖津が、錬州の末姫の手を引いていた。
沖津の表情に、さっきまでの険はない。
さすがは専門職の護衛だ。仕事に私情は挟まない、ってことか。
「参りましょう。杏樹さま」
「はい。零さま」
まぁ、俺は私情を挟みまくるけどな。
杏樹になにかあったら、即座に彼女をかばって脱出する。
素手でも、『削岩破』を使えば、壁くらい破れる。
あとは天井を歩きながら、外へと脱出すればいいだろ。
なにがあっても、杏樹は守る。
彼女は俺の主君で、『四尾霊狐』との共同契約者なんだから。
「杏樹さまは俺がお守りします。どうか、心置きなく、お話をなさってください」
「……はい。信じております。零さま」
俺と杏樹は手を取り合い、会議場へ。
杏樹は、中央に置かれた大きな机の前に、腰を下ろす。
少し遅れて、錬州の末姫が杏樹の向かい側の席につく。
彼女の背後に立つのは、剣士の沖津だ。
部屋の両隅には、書記の文官がいる。
彼らは会談の内容を、文書に残すことになっている。
ここでの会話はすべて記録される。
その後は錬州候の元へ、文書として届けられるのだろう。
「会談を始めるといたしましょう」
会談の口火を切ったのは、杏樹だった。
「それでは蒼錬真名香さま。遠路はるばるいらした目的を、改めて話していただけますか」
「は、はい。紫堂杏樹さま──」
錬州の末姫は、緊張した表情で口を開く。
こうして杏樹と、錬州の末姫の会談がはじまったのだった。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
書籍版の発売日が決定しました!
12月15日頃、GAノベルさまから発売になります。
イラストは、kodamazon先生に担当していただくことになりました。
ただいまイラストを公開中です。このページの一番下に掲載していますので、ぜひ、ご覧ください。
それでは今後とも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!




