第44話「杏樹、次町に到着する」
偽天狗たちは次町に連行された。
茜が兵士たちを連れてきてくれたおかげだ。
朝を待って、洞窟の調査も行われた。
洞窟の奥には、偽天狗たちに宛てられた文書があった。
それには次町の街道を襲うようにという指示と、錬州の末姫のことが書かれていた。
末姫が紫州に入る時期と、移動する経路も。
これをもとに偽天狗たちは、魔獣【アオヤミテンコウ】を動かしていたのだろう。
つまり末姫への襲撃は、計画的なものだったことになる。
兵士たちは偽天狗たちから詳しい話を聞きたがった。
けれど、彼らはかなり衰弱していて、話せる状態になかった。
偽天狗たちはずっと、邪気の中で活動していた。その上に、『憑依降ろし』の術も負担になっていたんだ。
というわけで、偽天狗たちは身体が回復するまで、次町で拘留されることになったのだった。
「杏樹さまがいらっしゃる前に……ほとんどは問題が解決してしまったようですな」
代官の比井沢さんは感動したように、そんなことを言っていた。
「山の邪気も消えました。社は浄化され、魔獣を操っていた犯人も捕まりました。まったく……おどろくばかりです。月潟どのがいらして、数日でこれですからな」
「すべては我が主君、紫堂杏樹さまのお力によるものです」
嘘は言っていない。
社を根本的に浄化したのが杏樹と『四尾霊狐』なのは間違いない。
でも、それは秘密だから──
「もちろん、霊鳥『緋羽根』のお力でもあります」
「おお! 紫州を守る霊鳥さまですな!」
「『緋羽根』は山の異常が最も強い場所に気づいていたようです。俺が昼間、兵士の方々と山を歩いている間、ひとつの場所を気にされていました。気になって調べてみたら、偽天狗たちを発見したのです」
「さすがは霊鳥さまだ! すさまじいお力ですな!!」
『クルル! クルル────ッ!』
『緋羽根』が「自分のせいにするな」って感じで鳴いてる。
いいじゃないか褒めてるんだから。
「偽天狗への対応と、現場の調査は、お任せしてもいいですか?」
洞窟にあった書状は読んだ。内容も覚えた。
精霊『灯』を通じて、杏樹にも見てもらった。
現場には、めぼしいものは残っていない。
そして山は浄化済みだから、兵士さんたちも自由に動ける。
あとの調査は任せた方がいいだろう。
「明日の夕方には、杏樹さまが町にいらっしゃいます。その前に、準備を整えておきたいのです」
「もちろんですとも! どうぞ、先にお戻りください」
俺の言葉を聞いて、代官の比井沢さんは頭を下げた。
「月潟どのは、これ以上ないくらいに働いてくださいました。後のことは我らに任せて、どうか、ご主君をお迎えする準備をなさってください」
「ありがとうございます。では、失礼します」
俺は比井沢さんと兵士たちに一礼して、それから、山を下りはじめた。
「……あの方は、山の夜をおひとりで調査したのだよな」
「……杏樹さまのご加護があったとはいえ、偽天狗たちをお一人で捕らえたのか」
「……その上、お弟子に山の状況を伝え、我らを呼び寄せたとは……」
背後から兵士さんたちの声が聞こえる。
俺はその声が聞こえなくなってから、『軽身功』で速度を上げる。
『クルル?』
「ああ。ちょっと働き過ぎた。そろそろ眠りたいんだよ」
ついてきた『緋羽根』に向かって、俺は答えた。
実際、働き過ぎだ。仕事を早めに終わらせたくて、つい徹夜してしまった。
徹夜は健康の大敵だ。
まぁ、前世では体力がなさすぎて、そもそも徹夜ができなかったけど。
というか、夜更かししすぎると、自動的に意識が飛んでたからなぁ。
でも、今世の俺は健康だ。一晩中、『狼牢山』を走り回っても、まだ体力が余ってる。眠気も感じない。
だからこそ怖い。
今ある『健康』に甘えて、無理をしたら……いつか反動が来るかもしれない。
それを防ぐためにも、今すぐ帰って寝るべきだろう。
「健康って、信用できないもんだからな」
『……クル?』
「『緋羽根』は100年以上生きてる霊獣だから、健康なんか気にしないだろうけど。俺は気になるんだよ。定命の生き物の宿命ってやつだ」
『クルルゥ……』
不思議そうに首をかしげる霊鳥『緋羽根』を連れて、俺は大急ぎで次町の宿に戻り──
そのまま寝床に入り、ぐっすりと眠ったのだった。
そして、翌日の夕方。
紫州候代理である杏樹を乗せた馬車が、次町へとやってきた。
「おお。杏樹さまが次町に……」
「しかも四頭立ての箱馬車とは」
「あれは州候さまが、重要な儀式に参加するときのものだ。あれを使われるとは……杏樹さまは錬州へ、ご自分の権威を示そうとされているのか」
町の入り口には、多くの人が集まっていた。
前に出ようとする人たちを、次町の兵士たちが押さえてる。
俺と茜は門の外に立ち、杏樹が着くのを待っていた。
ここからだと、行列が近づいてくるのが、よく見える。
行列の中央にあるのは、大きな箱馬車だ。
車体には『緋羽根』を模した、紫州の紋章がある。
装飾のついた四頭の馬に曳かれた馬車を御しているのは、近衛隊長の柏木さんだ。
彼が身にまとっているのは、紫州の紋章の入りの羽織。
腰には朱鞘の太刀。
彼の膝の上には真っ赤な毛並みの狐『火狐』がいる。
近衛を務める『柏木隊』の、契約霊獣だ。
馬車を守る近衛たちも、『火狐』を連れている。
狐たちの尻尾でゆらめく炎──文字通りの狐火が、行列を照らしている。
「……なんと、幻想的な」
つぶやいたのは錬州の末姫だ。
声と、気配でわかった。
末姫と、その護衛たち数名は、離れた場所で杏樹を迎えることを許されている。
もちろん、次町の兵士たちの監視付きだ。
「これが……紫州候の行列。これが紫堂杏樹さまの権威……」
ぼーっとした、熱っぽい声だった。
錬州の末姫は、本当に感動しているみたいだ。
気持ちはわかる。
目の前の光景は、本当に綺麗で、幻想的だ。
時刻は夕暮れ。周囲は、田園地帯。
伸び始めた稲にかこまれた街道を、狐火の列が進んでいる。
馬と人の足音に混じって、火狐たちの鳴き声が響く。かわいい声だけれど、あれは威嚇でもある。2文字の霊獣と、その主人が護る列に近づくな──そういう意味が込められている。
列をなす狐火の間を、杏樹の馬車がゆっくりと進んでいる。
馬車の扉には、緋羽根を模した金属製のレリーフがある。
それが狐火を映し出し、炎を宿したように輝いている。
馬車の中の杏樹は、神楽鈴を手にしているのだろう。
馬が歩を進めるたびに、しゃらん、しゃらん、と、かすかな音が響いている。
行列を目にした人々は、みんなため息をついている。
杏樹はただ、町にやってきただけなのに──まるで、その行動が、ひとつの儀式のようだ。
厳粛な空気と、気配が、次町を包み込んでいるようだった。
……すごいな。杏樹は。
到着する前から、次町の人たちと、錬州の末姫を圧倒している。
「…………きれいですね。師匠」
「ああ、きれいだ」
しかも、きれいなだけじゃない。
杏樹のこの行列は、錬州の使節に対して、自分たちの意思を示すものでもある。
副堂親子は錬州の介入を許したけれど、杏樹はそれを許さない。
いかに錬州が策を巡らそうと、紫州が揺らぐことはない。
新たな霊獣『火狐』と、新たな近衛『柏木隊』。
その力によって、他州の介入をはねのける。
──行列は、そんな決意を表すものだ。
だから錬州の末姫も、その護衛たちも、呆然と見とれてる。
俺も同じだ。
自分の主君の晴れ姿に、思わず見とれてしまう。
本当に神秘的な光景だ。
数人は乗れそうな4頭立ての馬車に、紫州の旗。
その下には、なぜか9本の布が揺れている。
まるでなにかのサインのようだ。9本の布が、まるで狐の尻尾のように揺れて──
「……悪い。茜。ちょっと行ってくる」
「え、あ、はい。師匠」
俺は行列に向かって歩き出す。
いかん。忘れてた。
今の杏樹は『四尾霊狐』と合体したままだったんだっけ。
で、杏樹たちの合体は、俺にしか解除できない。
だから行列が町に着く直前に、俺が合流する予定になってたんだ。
行列に目を奪われたせいで……反応が遅れてしまった。
「護衛の月潟零です。我が主君をお迎えに参りました」
行列に向けて、俺は声をあげた。
少し間があり……行列と馬車が、停まる。
御者席で、柏木さんがうなずく。
周囲にもわかるように「話は聞いている。紫州候代理に、現状の報告をするがよい!」と叫んでくれる。
それで許可を得たことにして、俺は馬車の扉を開けて……素早く乗り込んだ。
馬車の中には──
「お待ちしておりました。零さま」
「この姿のお嬢さまもかわいいですね。月潟さま!」
狐耳と、九本の尻尾を生やした杏樹と、巫女姫姿の桔梗がいた。
ふたりとも、大きめの頭巾を被ってる。
杏樹は狐耳を隠すため、桔梗は、顔を隠すためだろう。
「ここまで来ていただいて、ありがとうございます。杏樹さま。桔梗さん」
俺はふたりに頭を下げた。
「……杏樹さまのお姿は、誰にも見られていませんか?」
「大丈夫です。ずっと、馬車に隠れておりましたから」
「桔梗が、なんとか替え玉を務めました。大丈夫です」
うなずく杏樹と、胸を張る桔梗。
覚醒モードの姿は、誰にも見られていないらしい。
今のうちに解除しよう。
「では、杏樹さまと『四尾霊狐』さまを分離します」
「お願いいたします」
杏樹は俺に一礼した。
馬車の席は、それなりに広さがある。
前世の世界で言えば、電車の4人座りの席くらいだろう。
杏樹と桔梗は、向かい合わせに腰掛けてる。
俺は杏樹の前に座り、霊力運用の準備をはじめた。
「大切な儀式なのですよね? 桔梗は、外に出ていた方がいいですか」
「ここにいてください。巫女服姿の桔梗さんが外に出たら、不審に思われるかもしれませんから」
「すぐに終わります。そこで待っていてください」
俺と杏樹はうなずく。
杏樹と『四尾霊狐』の合体を解除するのは、これが初めてじゃない。
何度か繰り返して、効率的な方法を編み出してる。
近くに桔梗がいても、技術的には問題ない。
……儀式をしているところを見せるのは、少し恥ずかしいけれど。
「では、桔梗。わたくしの帯をほどいてください」
「はい……って、え? え? え?」
「必要なことなのです。ためらっている暇はありませんよ」
「わ、わかりました」
桔梗が杏樹は横に移動して、巫女服の帯を解き始める。
「儀式は、すぐに終わるのですよね?」
「そうです。わたくしの霊脈のうち、3箇所に零さまの霊力をいただくだけです。それで『四尾霊狐』さまとの一体化を解除することができます」
「そうなんですね」
「……でも、桔梗は目をつぶっていてもらえますか?」
ふと、杏樹はつぶやいた。
「……不思議なのですが……最近、零さまにしていただくのを……他の人に見られるのは恥ずかしいと思うようになってきたのです。桔梗ならいいと思ったのですが……」
「わ、わかりました。えいっ」
桔梗は気合いを入れて、目を閉じた。
杏樹はそれで安心したように、
「では、お願いいたします。零さま」
「承知しました」
俺は指先に霊力を集中する。
今、杏樹と『四尾霊狐』は合体している。
身体を流れる霊脈も、共有してる。
その霊脈の重要な部分に、俺の霊力を注ぎ込めば、ふたりの合体を『解く』ことができる。
最初は大変だったけど、今は目をつぶっていてもできるようになった。
……というか、目をつぶらないと、色々とまずいような気がするんだ。
霊力を注ぐべき場所は、杏樹の身体にある、霊脈の重要な部分。
──上丹田──眉間。
──中丹田──胸の中央。
──下丹田──臍の下。
以上、3箇所に──杏樹がじーっと俺を見て、桔梗が必死に目を閉じている状態で、霊力を注ぎ──
俺は杏樹と『四尾霊狐』を分離したのだった。
──同時刻。錬州の末姫視点──
「まるで神話の時代のようです。これが紫堂杏樹さまの行列……」
夢の中にいるような気がしていた。
田畑に囲まれた街道に、長い行列が伸びている。
行列を囲むのは、霊獣が生み出す炎。風に揺れながら、紫堂杏樹の馬車を照らし出している。
「確か……州候が4頭立ての馬車で現れるときは……」
4頭立ての馬車は、州候にとって、もっとも重要な客を出迎えるときに使われる。
あるいは、もっとも危険視している敵に対峙するときに。
「……紫堂杏樹さまは、そこまで錬州を危険視されていたのですね」
末姫、真名香はごくりと息をのむ。
視界の先にある馬車に、月潟零が入ってからしばらく経っている。
おそらく彼は、次町で起きた事態について報告しているのだろう。
ここ数日で、事態は大きく動いた。
真名香が次町に来たこともそうだが、今朝は次町の兵士が山に入り、何者かを連れ帰っている。
おそらくは道に迷った村人か、魔獣の遺体を運んできたのだろう。
山でなにがあったのか、真名香にはわからない。
紫堂杏樹と月潟零が話していることを聞きたいと思うが……馬車に近づくことは禁じられている。
少なくとも、紫堂杏樹の許可がない限り。
それに、馬車は霊鳥『緋羽根』に護られている。
『緋羽根』は馬車の屋根に留まり、周囲をにらんでいる。
さらに風の精霊『晴』が、馬車のまわりに風を起こしている。風は草を揺らし、田畑の稲を揺らし、ざざざ……という音を作り出している。
そうやって、馬車の中の音をかき消しているのだ。
「……どれほど重要なお話をされているのでしょう」
「……末姫さまが、お心を悩ませる必要はありません」
ふと、真名香の背後で、護衛の沖津がつぶやいた。
「……末姫さまは使命を果たされることだけをお考えください。それ以外のことは知らなくてもよいのです。使命を邪魔するものすべては、自分が排除いたします。高名な武術家の村の『無双剣』と対等に斬り合った、この沖津の力をご信頼ください」
「わかっていますよ。沖津」
真名香は覚悟を決める。
錬州の使者として使命を果たす。
たとえ紫州の者に憎まれていたとしても、関係ない。
父は『ふたつの州の関係修復のために』と言ったのだから。
「…………おお。杏樹さまだ」
門の向こうで、声がした。
馬車の扉が開き、巫女服姿の少女が降りてくるのが見えた。
護衛の少年、月潟零に手を引かれ、少女は街道に降り立つ。
長い黒髪。紫色の巫女服。
馬車から姿を現した少女の肩に、霊鳥『緋羽根』が降り立つ。
『クルル────ッ』
霊鳥が甲高い声を、街道に響かせる。
まるで、ひとつの儀式でもあるかのように、
その後ろでは小間使いの少女が、紫堂杏樹の帯を調整している。あれもひとつの儀式なのだろう。おそらくそうだ。小間使いの少女の顔は赤く、緊張した様子でもある。
紫州では小間使いの少女までもが、儀式にたずさわっているかもしれない。
「次町の皆さまには、ごぶさたしております。この町を訪れるのは久しぶりですね」
紫堂杏樹は言った。
「次町の事情は、零さまからうかがいました。代官の比井沢さまには、よく町を治めてくださったことに感謝いたします」
「も、もったいないお言葉です」
門の前にいた代官が、深々と頭を下げる。
「副堂さまの事件のあと……できるだけ紫堂さまのお役に立てばと思っていたのですが……力およばず……」
「大丈夫ですよ。もう、山の問題は解決したのですから」
(…………え)
真名香は思わず目を見開く。
意味がわからなかった。
山の問題が解決した──そんなわけがない。
真名香は一昨日、山間の街道で魔獣に襲われたばかりだ。
山が邪気に包まれていることも確認している。
それが……もう解決したなんてあり得ないはずだ。
「錬州の皆さまには、遠路はるばる、ご足労いただいたことにお礼を申し上げます」
そうして、紫堂杏樹の視線が、真名香を捉えた。
おだやかな──優しい視線だった。
「お話をいたしましょう。副堂叔父さまの事件と……今回の事件。わたくしたちには、話さなければいけないことがたくさんあるはずです」
護衛の手を取り、まっすぐに、真名香を見つめながら──
紫州候代理、紫堂杏樹は、そんなことを宣言したのだった。
いつも『最強の護衛』をお読みいただき、ありがとうございます。
書籍版の発売日が決定しました!
12月15日頃、GAノベルさまから発売になります。
イラストは、kodamazon先生に担当していただきます。
ただいまイラストを公開中です。このページの一番下に掲載していますので、ぜひ、ご覧ください。
それでは今後とも『最強の護衛』を、よろしくお願いします!




