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第43話「護衛、人を異形に変える術を見る」

「……手がかり、見つけてしまいましたね」

『……さすがは(れい)さまです』


 山奥(やまおく)には、小さな洞窟(どうくつ)があった。

 場所は、紫州(ししゅう)錬州(れんしゅう)の境目あたりだ。ふたつの州から遠く、どちらの民も近づきにくい場所だ。

 州境を越えてしまって、他州の住民や兵士に見つかったら面倒なことになるからだ。

 次町の代官さんが洞窟(どうくつ)のことを知らなかったのは、そのせいだろう。


 もっとも、今は他州の者に見つかる心配はない。

 俺たちが社を浄化するまで、山は邪気に包まれていたからだ。

 そんな状態で山奥に居続けられるのは、邪気を防ぐすべを持っている者だけ。

 つまり、洞窟(どうくつ)の前にいる連中が、術者の可能性が高いということだ。


「──シュアァ。シュァアア」

「──邪気が……邪気。消え……」

「──グシャシャ。探れ。原因。(やしろ)を」


 洞窟の前には、3人の人間がいた。

 月明かりの下で顔を近づけて、なにかを話し合っている。


 木の上には魔獣【アオヤミテンコウ】がいる。

 翼を閉じて、地面を見つめている。まるで人間たちを守っているようだ。


「……だけど。なんでしょうね。あの人間たちは」

『……魔獣とは別の意味で……異形ですね』


 俺と杏樹は精霊経由で言葉を交わす。

 杏樹の声は、かすかに震えていた。

 気持ちはわかる。あんな連中が山中をうろついていたら、驚くのは当然だ。


 洞窟の前にいるのは、天狗(てんぐ)の面を(かぶ)った人間たちだった。

 普通は天狗の面は赤だけど、連中の面は青い。

 着ているのは山伏装束(やまぶししょうぞくだ)。手には天狗っぽい羽団扇(はうちわ)を持っている。

 まさに、絵姿に描かれる、天狗(てんぐ)のような姿だった。


「なんだよ。あの天狗コスプレは……」

『「こすぷれ」? それはどんなものですか?」

「たわごとです忘れてください。それより奴らの面の色ですけど、青く染めてるのは、『アオヤミテンコウ(青闇天狗)』に合わせたんでしょうか」

『おそらく、そうだと思います』


 杏樹がうなずく気配。


『「九尾紫炎陽狐(きゅうびしえんようこ)」さまの知識にひっかかるものがありました。あれはおそらく……「憑依降(ひょういお)ろし」の術。魔獣に化けて、魔獣の霊をその身に降ろすものです』

「『憑依降(ひょういお)ろし』の術?」

『神事のひとつに「神降ろし」というのもがあります。神や、その御使いの姿になりきることで、神の言葉を聞こうとする儀式です』


 紫州の土地神を降ろすときは、(りゅう)の面を被る。

 あるいは土地神が人として現れたときの姿になる。


 そうすることで神になりきり、神をその身に降ろし、神の言葉を聞こうとする。

 それが『神降ろし』の術だそうだ。


『それを邪悪なかたちに作り替えた術があるのです。魔獣に似た姿になりきり、術を行い、人に魔獣を取り()かせる術が』

「……それが『憑依降(ひょういお)ろし』」

「はい。そうすることによって、魔獣に自分たちを「仲間」だと思わせるのです。それを利用すれば……魔獣を操ることもできるでしょう。ごらんください……彼らを』


「シャギャ、ギャ」

『『シャギャギャー!』』


 天狗の面を被った者たち──偽天狗たちが羽団扇(はうちわ)を振ると、【アオヤミテンコウ】が動き出す。まるで、群れのリーダーに命令されているかのように、周囲を飛び回りはじめる。敵がいないか、偵察(ていさつ)しているらしい。俺や精霊たちには気づいてないけど。

 偽天狗たちは簡単な言葉と動作だけで、【アオヤミテンコウ】を操ってる。


 まるで、魔獣使いの強化版だ。

 魔獣そのものになりきり、擬似的(ぎじてき)に群れのリーダーとなることで、魔獣を操っているらしい。

 あれなら、襲撃の現場にいなくても構わない。

 離れたところから、群れのリーダーとして、魔獣を操ることができる……ってことらしい。


「……嫌な術ですね」


 洞窟の前にいる者たちは、両腕をゆるやかに振っている。

 まるで、それが翼でもあるかのように。本当に天狗になりきってる。

 言葉も、おかしくなってる。人の言葉はカタコトで、ほとんど『シャギャー』としか話していない。


「いわゆる狐憑(きつねつ)きのようなものですか」

『そうですね。それを意図的にやっているのです』


 それから、杏樹は口ごもり、


『神や霊獣と一体化することは、古来より行われてきました。十分な儀式を行い、契約して、お互いの同意のもとで行うなら問題ないのです』

「……ですよね」

『でも、彼らは違います。濃密な邪気の中で……人が魔獣になりきるなど、危険すぎます。身体も衰弱(すいじゃく)していくはずです……』


 杏樹の言う通りだ。

 視線の先にいる偽天狗たちは、()(ほそ)ってる。

 邪気に満ちた山の中にいたんだから当然だ。

 それでも天狗になりきって、魔獣っぽい声を張り上げてる。


「彼らが完全に(こわ)れてしまったら、証言が取れなくなりますね」

『はい。人の心が残っているうちに術を解かなければなりません』

「精霊で囲んで浄化することはできますか?」

『難しいでしょう。術が施されているのは身体の方です。まずは仮面と天狗の装束(しょうぞく)を外して、人に戻さなくては」

「承知しました。やってみます」

『──零さま。わたくしにはひとつ、懸念(けねん)があります』


 杏樹は続ける。


『まるで何者かが、術の実験をしているかのように思えるのです。人を別のものに作り替えて、利用する実験を』

「人を、別のものに作り替えて?」

『背後には、人を道具とするのを(いと)わない者がいるのかもしれません。そうやって実験を繰り返し、より大きな力を得ようとしているのかも……』

「……ですね。可能性はあると思います」


 鬼門の事件がそうだった。

 あのとき、誰かが『二重追儺(ふたえついな)』の術を書き換えて、副堂沙緖里(ふくどうさおり)に【禍神(かしん)斉天大聖(せいてんたいせい)】を召喚させた(・・・・・)

 人を操り、大きな力を使わせて、破滅させた。

 その事件と今回の事件には、おなじ気配がするんだ。


「わかりました。では、奴らを捕らえてきます」


 やることはわかってる。

 天狗に()かれた連中を無力化して、捕らえる。

 その後、次町に連行して話を聞く。それだけだ。


 すでに洞窟は精霊たちが取り囲んでいる。

 彼らの感覚を借りた杏樹から情報が来る。偽天狗の数は3人。

【アオヤミテンコウ】は2匹。以上だ。


 俺は気配を消す技──『無音転身(むおんてんしん)』を発動。

 木々の合間を縫って、洞窟に近づく。


「──シュグァ! シュギィアアアア!!」


 偽天狗の一人が腕を振る。

 邪気混じりの突風が、木々の間を抜けていく。

 彼らは完全に、自分を天狗だと思い込んでいる。本人の希望でやったのか、誰かに術をかけられたのかはわからないけれど、見てると、吐き気がする。


 人を病んだ状態にしてどうするんだよ。

 健康で……普通に生きていくのだって、すごく大変なのに。


 前世で、俺は人並みの健康を望んだけど、結局、死ぬまでそれを手に入れることはなかった。

 偽天狗たちは……こんな山奥まで来られるんだから、人並みの健康は持ってたんだろう。すごいよな。前世の俺なんか、遠足で近所の山に行ったときでさえ、途中でリタイアしてたからな。それに比べれば、十分に健康だ。

 そんな人たちに魔獣を取り()かせて……おかしくしてどうすんだよ。


 この『狼牢山(ろうろうさん)』だってそうだ。

 元々は健康だった山を邪気まみれにして、山そのものを病ませてる。


 ……気に入らない。

 この山と、偽天狗たちに術をほどこした奴を見つけ出して、説教してやりたい。


偽天狗(にせてんぐ)たちを無力化します。作戦は──」


 俺は杏樹に指示を伝えた。

 そうして、杏樹と精霊の協力を得て、作戦を開始したのだった。






 ──『狼牢山(ろうろうさん)』の洞窟(どうくつ)近くで──




 カコンッ!


『グァ!? シャギャアアアアアアッ!?』


 洞窟(どうくつ)を守っていた【アオヤミテンコウ】が悲鳴を上げた。

 その声を聞き、偽天狗(にせてんぐ)たちは顔を上げる。


「──シャギャ?」

「──ナニガ?」

「──我らの配下が……シャギャ。ギャギャギャ!?」


 偽天狗たちは一斉に樹上を見上げた。

 彼らの配下である【アオヤミテンコウ】が、木の上で暴れていた。

 翼を広げて、身体をひねって、必死に飛び立とうとしている。

 けれど【アオヤミテンコウ】の身体は木から離れない。まるで、身体を木の幹に(・・・・・・・)縫い付け(・・・・)られた(・・・)ように(・・・)


「「「──敵。戦闘。警戒」」」


 偽天狗たちは一斉に短刀を抜いた。

 魔獣が()いているといっても、彼らの身体は人間だ。【アオヤミテンコウ】のような爪はない。その代わりが短刀だ。もっとも、偽天狗たちはそれを武器だと認識していない。すでに自分の爪だと思っている。


「「「──シャグゥィィィアアアアア!!」」」


 偽天狗たちは見えない敵に向けて、魔獣めいた威嚇(いかく)の声をあげる。

 天狗の面の奥で目をこらし、敵の姿を探す。

 そして彼らは、視界の端でゆらめる光と、揺れる草を見つけた。


「──侵入者」

「──シャギャ」

「──ギャギャギャ!」


 偽天狗たちは走り出す。

 護衛の【アオヤミテンコウ】は動けない。敵は、偽天狗たちのナワバリに近づいている。ならば命令(・・)の通りにするだけ。敵を攻撃し、排除する。遺体は【アオヤミテンコウ】に与える。ちょうど遊び道具になるはず。

 いや、弱い異種族(ニンゲン)たちは、自分たちのいい遊び相手でもある。


「「「────シャギャギャ────ッ!!」」」


 獲物の気配に、偽天狗たちは歓喜の声を上げる。

 すでに彼らの心は、魔獣に似たものに変わり始めている。心のなかに、別の者が入り込んでいる。

 杏樹ならそれを『魔獣憑(まじゅうつ)き』と呼んだだろう。


 古来より、そのような術は存在する。

 神の面をつけて、その身に神を降ろそうとする『神降ろし』

 死者の持ち物を見にまとい、亡き者の霊を憑依させようとする『口寄せ』


 だが、どれも儀式と手順を必要とするものだ。

 ひとつ間違えれば、術者の人格がこわれてしまう。

 偽天狗たちにかかった術を知れば、杏樹は「あまりにも雑です」と言うだろう。


 しかし、偽天狗たちに、それはわからない。

 わかるのは「自分たちが強くなった」ということだけ。


 偽天狗たちを、魔獣たちは仲間として扱ってくれる。群れの長として認め、指示に従う。

 すでにその効果は確認済みだ。

 彼らは指示された通り(・・・・・・・)【アオヤミテンコウ】を操り、街道を進む者たちを襲ったのだから。


(──指示? 誰。誰が。我らに)


 偽天狗たちの脳裏に疑問がよぎる。


 自分たちに術をほどこした者の顔が、うっすらと浮かぶ。

 けれど、それも一瞬のこと。


 彼らの頭の中にあるのは、使命と、獲物を狩ることだけ。

 ここはナワバリ。そう教えられた。近づくものは狩る。身をさいなむ邪気のことは、気にしなくてもいい。術具がそれを減衰させてくれる。身体は衰弱(すいじゃく)していくけれど、魔獣としての力は増していく。心地よい陶酔感(とうすいかん)

 それに身を委ねて、偽天狗たちは光と、揺れた草のある場所へと飛びかかる。


 そうして、彼らが見たのは──



 ふよふよ。ふよふよ。



 逃げていく光の精霊『灯』と、風の精霊『(ハレ)』だった。

 ゆらめく光と、草を揺らす風の正体は、それだったのだ。


「──ギシャ!?」

「──精霊。つまらぬ」

「──戻る。巣に。使命を」


 彼らは興味を失ったように、つぶやいたとき──



「『虚炉流(うつろりゅう)邪道(じゃどう)』──『神斬(かみき)り』」



 突然だった。

 偽天狗(にせてんぐ)の面がふたつに割れて、落ちた。


「ア、アアアアアアアアアッ!?」


 面を失った偽天狗が、顔を押さえて絶叫する。

 その直後、袈裟(けさ)が切り落とされる。次は天狗めいた羽団扇(はうちわ)が。


 偽天狗になりきるための術具(じゅつぐ)が、消えていく。


「……シャギャ……ァ」

「──仲間、が!?」

「──ニンゲンが、ナニヲ!?」


「あんたたちも人間だ。すぐに思い出させてやる」


 声はする。けれど、姿は見えない。

 なのに偽天狗たちの面は切り落とされ、呪符(じゅふ)が施された衣も破れていく。


(──ナニガ……コレハ……我々は……)


 偽天狗たちが絶叫する。

 敵の位置がわからない。見えない。

 それどころか、自分の存在さえもあやふやになっていく。


(──私は……シャギャ……天狗。【アオヤミテンコウ】の……長)


(はら)(たま)え』


 偽天狗たちの周囲に、光があふれた。

 彼らを包み込んでいた邪気が、消えていく。


紫州(ししゅう)の巫女姫と、霊獣「四尾霊狐(しびれいこ)」の名において願い奉る。病んだこの地に浄化の光を。病みし者たちには、安らぎを──』


「「「…………あ」」」


 がくん、と、偽天狗たちが(ひざ)を突く。

 気づくと、彼らの背後には、白木の太刀を()いた少年がいた。


 彼は地面を蹴り、空中に飛び上がる。

 直後、樹上で毒々しい血が飛び散り、【アオヤミテンコウ】の身体が落ちてくる。

 それが地上に達したとき、魔獣はすでに絶命している。


「「「…………ひっ」」」


 偽天狗たちは、人間のような悲鳴を上げた。

 即座に理解する。

 配下だった【アオヤミテンコウ】の動きを封じたのはこの少年だと。


 魔獣の動きを封じたのも、精霊たちが光と風を起こしたのも、すべては偽天狗たちの周囲を引きつけるため。

 その隙にて少年は偽天狗の術具を破壊し、【アオヤミテンコウ】を瞬殺(しゅんさつ)したのだ。


「…………ひぃ」


 勝てない。

 偽天狗たちは震え出す。わずかに魔獣の心が残っていることが災いした。強い者に服従する魔獣の心が、少年への抵抗心を奪っていく。

 素顔をさらした偽天狗たちは、少年から目を離せない。



「ひとつ聞く。あんたたちに術を施した者のことを覚えてるか?」



 少年は言った。


「…………あ」


 術を破られた偽天狗たちが、崩れ落ち、倒れる。

 元々、濃密な邪気の中にいた人間たちだ。身体は衰弱(すいじゃく)している。

 術は彼らに、自分が人間だということを忘れさせていた。

 自分の身体の状態も、精神状態も。


 そうして、術が破られ、自分の状態を思い出した者が、少年の問いに答える。



「……流浪(るろう)巫女(みこ)と、陰陽師(おんみょうじ)



 彼らは、術をかけられる前に見た光景について、口にする。


 力を与えると言われた。

 ここにいるのは三流の術者。衛士。仕事がなかった。

 錬州(れんしゅう)で失業して、仕事を探していた。そこに声をかけられた。



「…………偉大なる術を、学びたいか、と、言われ……」

「あんたたちにそう言ったのは?」

「…………『荒神(あらがみ)』……『荒御霊(あらみたま)』」



 ──それが限界だった。

 偽天狗たちは術から解放され、そのまま、意識を失ったのだった。







 ──その数分後。次町で──




『──そういうわけで、社の破壊に関わってそうな奴を捕まえた。(あかね)は、代官の比井沢(ひいさわ)さんに報告してくれ。山の邪気は消えたから、兵士さんを寄越してくれって伝えて欲しい。容疑者を運ぶための手がいるんだ』

「了解なのです!」


『精霊通信』で(れい)の言葉を聞いた直後、茜は宿舎を飛び出した。


(すごいのです! 師匠ってば、なんてすごい……)


 思わず小さな胸を押さえる。

 どきどきが止まらない。


 零は『見稽古(みげいこ)』と称して、山の調査の一部始終を見せてくれた。

 光の精霊『()』を使ってのことだった。


 だから茜は部屋で、零が『狼牢山(ろうろうさん)』に入り、社を浄化するところを見ていた。彼が不審な足跡を見つけて、それを追跡するところも。


 その後、零は洞窟にいる偽天狗(にせてんぐ)たちを見つけて、無力化した。

 精霊を使って光と風を起こし、偽天狗の気を引いて、その(すき)に接近した。

 零が、全員の仮面と天狗装束(てんぐしょうぞく)を破壊するまで、数分とかからなかった。


(……あれが、師匠のお力なのです)


 しかも、零は偽天狗たちを殺さなかった。傷さえつけていない。

 それは彼らの証言を取るためでもあるのだけど……零の強さでもあるのだろう。


 茜は『精霊通信』で、零のかすかな声を聞いていた。


『人を病んだ状態にしてどうするんだ』

『健康で……普通に生きていくのだって、すごく大変なのに。』


 零は小声で、そんなことを言っていたのだ。


 茜の師匠は、すごく強い。

 なのに、弱い人の気持ちがわかる。

 おまけにすごく慎重(しんちょう)だ。


 茜に山の調査を『見稽古(みげいこ)』させてくれたのもそのせいだろう。

 万が一、零になにかあったら、大事な情報が失われてしまう。零がどこにいるのかもわからなくなる。杏樹とも連絡はしているようだけれど、彼女は今、州都にいる。救援を向かわせるには時間がかかる。

 だから零は、茜に調査の一部始終を見せてくれたのだろう。


 零は強い。けれど、自分の強さを信じ切ってはいない。

 彼が慎重なのはそのためで、茜の指導に気を遣ってくれてるのも、同じ理由からだろう。


 そんな零を、茜は素直にすごいと思う。

 零は強者の視点と、弱者の視点の両方を持っている。

 どうすれば零のようになれるのか、茜にはまったくわからない。


 零は茜にとって、たったひとりの、特別な人だ。


(あたしは……師匠についていくです。師匠が安心して太刀を振るえるように……この命をかけて、お助けするです)


 今はまだ、伝令役しかできないけれど。

 いつかきっと……役に立ってみせる。


 そんなことを考えながら、茜は代官の屋敷に向かって走る。

 すると──



「巫女姫さまの護衛の方の、お仲間とお見受けする!」



 不意に、通りの向こうの屋敷から、声を掛けられた。

 門前に立っていたのは、長身の近衛兵だ。

 錬州(れんしゅう)の末姫の護衛で、名前は確か、沖津(おきつ)と言ったはずだ。


 彼の隣には次町の兵士もいる。

 錬州の末姫の宿舎は、次町の兵士たちで固められている。

 剣士の沖津は、兵の許可を得て、茜を呼び止めたらしい。


 茜は即座に足を止め、深々と頭を下げる。

 彼女は零の弟子。礼を失すれば、師匠の名前に傷を付けることになるからだ。


「申し上げます。あたし……いえ、私は須月茜。月潟零さまの弟子なのです」

「ならばうかがいたい。紫堂杏樹さまの側近である月潟零どのはいらっしゃるか?」

「師匠は、お部屋で休んでいらっしゃるのです」

『──クルル』


 同意するように屋根の上で、霊鳥『緋羽根(ひはね)』が鳴いた。

 零が山に入っていることは秘密だ。

 次町にいる者で、そのことを知っているのは茜と、代官の比井沢(ひいさわ)だけ。

 公式には零は、部屋で眠っていることになっている。


(そのために、師匠は『緋羽根』さんを町に残されたのです)


 霊鳥『緋羽根』は紫州の権力の象徴だ。

 杏樹の側近が、それを置いて出掛けるなどありえない。

 だから零は次町にいる。普通はそう考えるはずだ。


 州候代理と側近が強い信頼関係で結ばれていて、遠距離でも話ができる状態でもない限り。


「師匠は戦いの疲れが出たようなのです。休ませて差し上げたいのです」

「では、伝言をお願いする」


 剣士の沖津は、声をひそめて、


「可能ならば、山の共同調査を行いたいと末姫さまはおっしゃっていた。たがいに兵を出し、『狼牢山(ろうろうさん)』の紫州側と錬州側(・・・)を調べたいと。紫州の者で、邪気に耐性を持つ者を選抜するべきだと……そう伝えられよ」

「……承知しましたです」

「今回の事件は、錬州と紫州の力がなければ解決できぬものだ」


 沖津は遠くを見ながら、つぶやく。


「護衛の方は、早期に兵を選抜する必要がある……そのように末姫さまは考えられたのだ。そこまで紫州に譲歩(じょうほ)されることは……いや、失言だった。よろしく頼む」

「師匠にお伝えするです」


 茜は一礼して、また、走り出す。


(紫州側と錬州側……でも、紫州側はすでに師匠と姫さまが浄化されたです)


 錬州側にはなにがあるのだろう。

 そこで自分は──師匠の役に立てるだろうか。


(あたしは師匠に……ずっとついていきたいのです。がんばるのです!)


 決意を胸に、茜は代官のいる宿舎に向かって走り続けるのだった。

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