第40話「杏樹、会議で情報を共有する」
──数時間後。杏樹視点──
「次町の零さまから連絡がありました。零さまは錬州候の末姫、蒼錬真名香という方を保護されたそうです」
「「「なんですと!?」」」
杏樹の言葉を聞いた者たちから、おどろきの声があがった。
ここは紫州の州都。杏樹の屋敷。
その広間では、現在、緊急の会議が行われていた。
零の連絡を受けて、杏樹が招集したものだ。
出席者は杏樹の他に、執事であり家老でもある橘杖也。
近衛の隊長である柏木幽玄。
それと、武官や文官たちだった。
「事情をお伝えします。次町の調査を行っていた零さまは、その最中に、魔獣に襲われている馬車を発見されたのです。翼ある蛇──錬州候の旗印を掲げた馬車を」
零がその事実を『精霊通信』で杏樹に伝えたのは、2時間前だ。
彼の説明は的確でわかりやすかった。
杏樹はその話を紙にまとめて、今、部下の前で読みあげている。
「錬州候の一行は、魔獣に襲われていました。馬車が暴走したのはそのためです。見過ごせば岩壁に激突……あるいは横転し、乗客が負傷……または死亡する可能性がありました。だから零さまは馬を鎮め、乗っていた少女を保護したのです。それが、錬州候の末姫でした」
「錬州が……今さら、使者を!?」
声をあげたのは文官の長──家老の杖也だった。
「奴らは『紫州乗っ取り』を裏から支援していた連中です! 今になって紫州になんの用があるというのか!! これはゆゆしき事態です。警戒すべきですぞ。お嬢さま!」
「オレも同感です。ご主君」
近衛の柏木が、橘杖也の言葉を引き継いだ。
「副堂沙緒里どのが行った【二重追儺】という儀式は、錬州が教えたものだと聞いてます。そのせいで魔獣が暴走して、【禍神】なんてものも現れたんでしょう? 錬州の連中を信じる理由はありません」
柏木は暴走した魔獣に襲われ、負傷したことがある。
魔獣の暴走は、副堂沙緖里が行った儀式が原因だった。その儀式を裏で指導していたのは錬州候の嫡子だ。
それを知っている柏木は、錬州の人間を許せないのだろう。
「爺と、柏木さまがお怒りになるのはわかります」
杏樹も、錬州に対する怒りはある。
彼らが副堂親子を支援しなければ、杏樹が州都を追われることはなかった。
命を狙われることも、必死に【禍神】と戦うこともなかったのだ。
その上……利用された副堂沙緒里は、いまだに行方知れずだ。
だが──
「わたくしも、錬州の者たちには思うところはあります。ですが、零さまが錬州の末姫を救ったのは正しいことだと思います」
杏樹は広間に集まった者たちを見回し、告げる。
「末姫さまが命を落としていたなら、他州の者はこう考えたでしょう。『錬州候の正式な使者は、紫州で命を落とした。これは紫州候の失態である』と」
「「「────!?」」」
広間に集まった者たちが目を見開く。
武官や文官たちには、その発想はなかったらしい。
「……それは……あり得ますな」
「……事故であっても、紫州内で錬州の使者が命を落とせば……その事実を利用する者もいる、ってことですな」
部下たちとは対照的に、橘杖也と柏木はうなずいている。
ふたりには、杏樹の言葉の意味がわかったのだろう。
他州からの使者が紫州で命を落としたら、それは大きな事件となる。
暗殺を疑う者も出るだろう。
『事故を装い、紫州の者は錬州へ仕返しをしたのでは』と。
紫州の立場は悪くなる。交易や、他州の移動にも影響が出る。
最悪……『末姫を殺したな』と、錬州に非難される可能性もあるのだ。
「そう考えたからこそ、零さまは迷わず、錬州候の末姫を救われたのでしょう」
だから、零が末姫を救ったのは、完全に正しいのだ。
(……もっとも、零さまなら、暴走する馬車を見過ごすようなことはなさらないのでしょうけれど)
零はたぶん、反射的に馬車を止めたのだろう。
色々な理屈は、後から考えたのだと思う。
零は不思議な人だ。
【禍神】を倒せるくらい強いのに、弱い人を見捨てない。
そんな零だから、杏樹は──
「と、ともかく、蒼錬真名香さまは、錬州候の正式な使者として紫州に来ております。錬州に対して思うところはありますが……わたくしは、会ってみるつもりです」
杏樹は頭を振ってから、そう宣言した。
「夜明けと共に次町に向けて出立します。そこで蒼錬真名香さまと話をしましょう」
「相手は錬州の者ですぞ。危険ではありませんか? 代理の者でもよいのでは……」
「安全のため、会談の場には護衛を同席させましょう。わたくしと末姫さま、お互いにひとりずつとしましょう」
「……なるほど」
「それに、わたくしはどちらにせよ、次町に行かなければならないのです」
皆を見回して、杏樹は告げる。
「次町の側にある『狼牢山』で異常が起きているという報告があります。浄化に向かわなければいけません。ならば、次町にいる蒼錬真名香さまを無視するわけにはいかないでしょう」
「確かに……そうですな」
杖也老はうなずいた。
「ですが山の異常も、錬州の者たちの仕業であるかもしれません」
「その可能性は考えております。ならばなおのこと、詳しく山を調べて、犯人の手がかりをつかまなければ」
「……わかりました」
そう言って、橘杖也は板の間に平伏した。
「お嬢さまのお考えこそ、正しいものと存じます」
「ありがとう。爺」
「ごちゃごちゃと意見を口にしてしまったこと、お詫びいたします。老人とは心配性なもの。それに、お嬢さまはまだ州候代理となったばかり。どうしても心配になるのですよ」
「言っていただいた方が助かります。わたくしはまだ、未熟ですから」
「とにかく、わしはお嬢さまのお考えを支持しますぞ!」
杖也は高らかに声をあげる。
それを聞いた他の文官たちも、一斉に頭を下げた。
杖也が質問を繰り返したのは、部下の者たちに杏樹の考えを聞かせるためでもあったのだろう。
そうして、最後に杖也自身が納得したこと示すことで、杏樹の正しさを皆に伝える。
それが杖也の狙いだったのだ。
長い付き合いだ。それくらいは杏樹にもわかる。
自分がまだ未熟で、経験が不足していることも。
だからこそ、杖也のような存在は貴重なのだった。
「オレからもお詫びを申し上げます。ご主君」
気づくと、近衛隊長の柏木も頭を下げていた。
「怒りにまかせて、言葉を荒げてしまったことをお詫びします。ただ……オレは前回の戦いの渦中にいましたから、どうしても……」
「お気持ちはわかります。柏木さまも、皆も、顔を上げてください」
杏樹は口調を改め、告げる。
「錬州への警戒をおこたるつもりはありません。ですが、わたくしの目的は民を安んじること。民が安心して暮らせるようにすることです。そのためには、先方の出方を知る必要があるのです。そのための会談だと思ってください」
「……承知しております」
「……『柏木隊』はご主君のお考えを支持しております」
「会談がうまく行けば……紫州をより平和な地にできるかもしれません。錬州は使者を通して、わたくしにいくつかの提案をしてきているのです」
この話を零から聞いたとき、すぐには信じられなかった。
あり得ないと思った。
この条件は錬州が完全に、自身の非を認めるものだったからだ。
(……序列第2位……交易で栄え、強力な兵団を持つ錬州が……紫州に膝を屈するなど)
けれど、零の言葉だ。間違いはないのだろう。
だから杏樹は、彼の言葉を思い出しながら、居並ぶ部下たちに告げる。
「錬州候は、次のことを提案してきています。
ひとつ。錬州候は先の事件への介入を認め、その証拠として『二重追儺』の術書の写しを差し出す。
ひとつ。副堂勇作との取引で得た霊鳥『桜鳥』を返還する。
ひとつ。条件が満たされるまでの裏付けとして、末姫、蒼錬真名香を紫州に滞在させる」
「「「…………おぉ」」」
広間に、感嘆の声が満ちた。
杖也も、柏木も、おどろきに目を見開いている。
まさか錬州候がこんな提案をしてくるとは思わなかったのだろう。
「……あの錬州が、あやまちを認める、だと」
「……しかも霊鳥を返還とは……信じられねぇ」
杖也と柏木は、呆然とつぶやいている。
他の文官、武官たちも同じだ。
錬州の提案は、ただの口約束ではない。
蒼錬真名香は錬州候の書簡を持って、紫州に来ている。
しかも約束の裏付けとして、自身が人質になると明言しているのだから。
(……ですが、気をつけなければなりません)
零は言っていた。
『錬州がすべてを仕組んでいる可能性もあります。注意してください』と。
彼の言う通り、楽観は禁物だ。
それに──錬州は差し出すものの対価を、きちんと要求しているのだ。
「以上、3つの提案への対価として、錬州は次のことを求めております」
杏樹は皆が静まるのを待って、続ける。
「錬州の要求は次の通りです。『錬州と紫州は協力して、現在、周辺の山で起きている霊力の異常事態に対処する。錬州は錬州側の、紫州は紫州側の山を浄化し、国境を守る。そのための情報共有を行い、協力する』──以上です」
杏樹は皆に向かって告げた。
それから、次町へ出立する準備を整えるようにと、命じたのだった。




