第34話「護衛、邪悪な天狗と戦う」
──次町の兵士たち視点──
「これは……副堂どのが杏樹さまを追放した報いだろうか……」
次町の代官、比井沢は呆然と、空飛ぶ魔獣を見つめていた。
彼が治める次町は、『紫州乗っ取り』を実行した副堂勇作が治めていた町だ。
比井沢は下っ端役人だったが、副堂が妙な相手と関わっていたのを知っている。彼らになにを吹き込まれたのかは知らないが、副堂勇作は好き勝手をやっていた。
特に問題だったのは、次町の北にある山のことだ。
2ヶ月前、副堂はあの山を禁足地としてしまった。
次町の民が山に立ち入ることを禁止したのだ。
民は山菜や木の実を取ることも、狩りをすることもできなくなった。
抗議した兵や役人は解雇、または謹慎処分となった。
今の代官である比井沢も副堂に意見具申した結果、休職と謹慎を命じられた。
副堂親子が姿を消した後は、皆、自由になった。
だが、次町の周辺は変化していた。
禁足地だった山──『狼牢山』に、誰も入れなくなっていたのだ。
入ると方向感覚がおかしくなり、道に迷う。
悪寒と吐き気に襲われ、山を降りる頃には半病人になる。
さらに、今まで存在しなかった魔獣が、現れるようになった。
だから代官の比井沢は、『遠隔会議』で杏樹に相談した。
次町には、調査担当の者が来ることになったのだ。
代官はその者に迷惑をかけないように、街道の魔獣討伐を行った。
苦労はしたが【クロヨウカミ】は倒すことができた。
だが、次に現れたのは空飛ぶ魔獣【アオヤミテンコウ】だった。
「……知恵ある、邪気に堕ちた天狗が、あの山から」
空飛ぶ魔獣とは戦いづらい。
有利に戦うためには、霊獣が必要だ。
だが、今の次町に霊獣使いの兵士はいない。
以前はいたが、彼らは副堂の側近だった。副堂勇作が姿を消すと同時に逃げてしまった。おそらくは、副堂親子に連座するのを恐れたのだろう。
そんな連中を側近にしていた副堂の、見る目のなさに吐き気がする。
「【アオヤミテンコウ】を町に入れるわけにはいかない!! ここで倒すのだ!!」
次町の代官、比井沢は叫んだ。
「すまぬ、皆。力を貸してくれ!!」
「「「おおおおおおおおおっ!!」」」
代官の言葉に、兵士たちの雄叫びが応える。
兵士の数は10名弱。
副堂事件の後に兵士が逃亡してしまい、残っているのはこれだけだ。
それでも、町を守るためには戦うしかない。
『シュウゥアアアゥアアゥアゥアア!!』
空の上で、【アオヤミテンコウ】が叫んでいる。
数は3体。少数だが、それでも脅威だ。
1体でも町に入れたら犠牲者が出かねない。
「皆の者。矢を!」
「「「はっ!」」」
数名の兵士が弓を構える。
つがえる矢は桃の木から作られた、破魔矢だ。
弓矢は古来より術具として使われる。
弓弦の音は邪気を祓い、矢は文字通りに邪気と魔を破る。
同じ飛び道具である銃とは違い、矢には霊力を乗せることができるのだ。
『『『グシャアアゥゥゥァアアアアアシュアアアアゥゥ!!』』』
奇声と共に天狗──【アオヤミテンコウ】が急降下してくる。
「紫州の土地神に祈願す。破魔の矢に力を」
「「「いざや我が矢よ! 当タレ!!」」」
兵士たちは一斉に矢を放った。
『シュアアアァァァァァ!!』
【アオヤミテンコウ】が、不快そうに首を振る。
破魔の矢がその翼を掠める。
矢は邪気の衣を貫いた。だが、それだけだ。
【アオヤミテンコウ】が起こした風が、破魔矢の勢いを殺している。
まだ遠い。
限界まで引きつけなければ、【アオヤミテンコウ】は倒せないのだ。
『シュウアアアア!!』
「ぐぁぁぁっ!?」
【アオヤミテンコウ】のかぎ爪が、兵士の腕を引き裂いた。
弓弦が断ち切られ、兵士の手から弓が落ちる。
「魔獣が!」
『シュハハハハハア!』
がんっ!
側にいた兵士が太刀を振る──が、その身体を蹴って【アオヤミテンコウ】は飛び上がる。太刀の届かない、上空へ。
街道の空に『カカカカシュシュシュ』──と、あざけるような声が響き渡る。
「『狼牢山』では、一体なにが行われていたのだ」
次町の代官は歯がみする。
天狗型の魔獣【アオヤミテンコウ】は、近衛を総動員して倒すべき相手だ。霊獣と飛び道具を持つ者たちを揃えて、初めて立ち向かえる。
そんな相手が、【クロヨウカミ】討伐の最中に、突然現れたのだ。
準備などできていない。
兵士たちの士気が高いのが、せめてもの救いだ。
「……我らの町を、好き勝手にさせるか」
「……紫州は我らが守る!」
「……民の盾となるぞ! おおおおおお!!」
ここにいる兵士たちは皆、副堂に逆らった者たちだ。
副堂が去った後、彼らは代官の比井沢の元で、町を守ることを選んだのだ。
「杏樹さまがここにいらしたら、彼らの勇姿を見せられたものを……」
だが、今は戦うしかない。
空飛ぶ魔獣【アオヤミテンコウ】を放置できない。
奴らを倒し、その上で、紫堂杏樹が派遣する調査員を迎えなければいけないのだ。
『グゥシュシュシュシュシュシュッ!』
「来るぞ! 盾、構え! 弓兵は迎撃準備!!」
「「「おおおおおおおおっ!!」」」
上空を飛び回っていた【アオヤミテンコウ】は再び急降下。
兵士たちをその爪にかけようと、奇怪な笑い声をあげる。
そして、次の瞬間。
『──クルルルルルルルゥッゥゥ!!』
ぶおっ!
兵士たちの目の前に、緋色の鳥が出現した。
大きな翼。鳳凰を思わせる尻尾。
その身体を包むのは、深紅の火炎。
紫州の霊鳥『緋羽根』が、そこにいた。
『クルルッ! クル────ッ!』
『『『グゥシュッッッウウウウウウウウ!!』』』
【アオヤミテンコウ】が動きを止めたのは一瞬だけ。
相手は霊獣。けれど1体。
そう判断したのか──天狗型の魔獣は『緋羽根』を迂回する。そのまま迷わず、兵士たちに襲いかかる。
だが──
「そう来ると思ったよ」
『シュシュ!? グシュッ!?』
急降下していた【アオヤミテンコウ】の首が、落ちた。
絶叫が当たり、赤黒い血が地面に降り注ぐ。
反射的に兵士たちは頭上を見上げた。
視界に入ったのは、太刀を手に大跳躍している少年の姿。
黒髪。着流し姿。背中には白木の鞘。
少年は倒した【アオヤミテンコウ】の身体を蹴って、真横に飛ぶ。
狙いはもう一体の【アオヤミテンコウ】。
少年は鳥のように飛翔しながら、魔獣の首めがけて太刀を振り下ろす。
『グゥゥシュシュシュウウウウウウウウッ!』
直後、暴風が発生した。
まるで台風に直面したかのように、少年の身体は、近くにあった樹に向かって飛んでいく。
「──いかん! 【アオヤミテンコウ】の邪風だ!!」
代官は叫んだ。
人が霊力で術を使うように、魔獣は邪気で邪術を使う。
【アオヤミテンコウ】は風使いだ。
奴が起こす暴風は、人も獣も吹き飛ばす。
さらに風に混じった邪気が、人の感覚をくらませるのだ。
「あの少年を援護しろ! 魔獣の動きを止めねばならぬ!!」
「「「承知!!」」」
残った弓兵が、【アオヤミテンコウ】に向けて矢を放つ。
即座に【アオヤミテンコウ】は風を起こし、矢の軌道を変える。
魔獣の動きを止められたのは一瞬だけ。
【アオヤミテンコウ】は、飛ばされた少年めがけて襲いかかる。
「──代官どの!」
「──少年は樹の幹にぶつかって……ああ、落ちる」
「──あの状態では抵抗はできません。助けなければ!!」
弓兵たちは必死に矢を放つ。
それを尻目に、【アオヤミテンコウ】は少年に近づいていく。
少年は──怪我はしていないようだった。
空中で体勢を入れ替えたのだろう。
木にぶつかる瞬間、脚を幹に向けることで、衝撃を吸収したのだ。
「……いや、彼はわざと飛ばされたのか?」
少年は邪風を避けなかった。わざと、木々のある方に飛ばされたように見えた。
足場の多い場所に、【アオヤミテンコウ】を呼び寄せようとしたのだろうか。
だが、下策だ。
人間は空を飛ぶことができない。
木の枝を足場にしたところで、空中では圧倒的に不利なのだ。
それに、巨大な天狗【アオヤミテンコウ】は少年の目の前に迫っている。幹を蹴って逃げるのも手遅れだ。
「霊獣さま──っ! 少年を助けてくだされ!!」
次町の代官が叫んだとき──
「問題ありません」
少年が、ぽつりとつぶやいた。
そして──
「自己流・邪道──『壁を歩く』!!」
少年が、樹の幹に脚をつけたまま、立ち上がった。
「えい」
『グシュシュシュシュッ!?』
がぎんっ。
少年が【アオヤミテンコウ】の爪を斬り払う。
力強く。両脚で、樹の幹を踏みしめながら。
まるで、少年のいる場所だけ、地面の向きが変化したようだ。
少年にとっては樹の幹の方向が地面となっている。普通に立って、歩いている。
樹の幹が、彼の一部となったかのように。
だから問題なく【アオヤミテンコウ】と戦っている。
魔獣の腕を断ち、羽根を切り裂き、その戦闘能力を奪っていく。
「よいしょ」
『グシュゥアアアアアアア!?』
2体目の【アオヤミテンコウ】の首が落ちた。
同時に、空中で悲鳴が上がる。
霊鳥『緋羽根』の炎が、【アオヤミテンコウ】の翼を焼き尽くしたのだ。
翼を失った【アオヤミテンコウ】が地面に落ちる。
戦闘力を失った魔獣は、必死に這って逃げようとするが──
「次町の敵は、許さない。土地神がおわすならこの一矢よ……いざや『当タレ』!」
ひとりの兵士が放った破魔矢が、魔獣の額を打ち抜いた。
『ガァッ』
短い悲鳴を上げて、【アオヤミテンコウ】が絶命する。
3体の【アオヤミテンコウ】、その前に戦っていた十数体の【クロヨウカミ】──それら次町の街道周辺にいた魔獣は、こうして全滅したのだった。
「──紫堂杏樹さまの部下の方とお見受けします!!」
代官、比井沢は樹の上にいる少年に向かって、叫んだ。
少年は間違いなく、紫堂杏樹がよこしてくれた調査団だろう。
それは霊鳥『緋羽根』がいることからもわかる。
そして、代官は彼の声に聞き覚えがあった。
「『遠隔会議』でお話をして以来ですな。月潟零どの」
「無断で戦闘に参加した非礼をお詫びいたします」
少年が、樹の幹を蹴った。
体重のない者のように、ふわりと、代官の目の前に降りてくる。
兵士たちはそろってため息をつく。
目の前の少年が敵でなくてよかった……そう思っているのだろう。
「杏樹さまの命令で次町に参りました。月潟零と申します。こちらは霊鳥『緋羽根』です」
『クルル』
霊鳥『緋羽根』が月潟零の肩に降りる。
まるで、それが定位置であるかのように、自然に。
その光景が、次町の者たちの背筋を震わせる。彼が紫堂杏樹の側近中の側近であり、その意思を代行する者なのだと、はっきりとわかった。
「代官どの。お疲れとは思いますが、まずは、お話を聞かせていただけませんか?」
少年は言った。
「街道に天狗──【アオヤミテンコウ】が現れるなど、異例中の異例です。この事態の原因について心当たりがおありでしたら、教えて欲しいのです」
穏やかな表情のまま、紫堂杏樹の代理人は、次町の者たちに告げたのだった。
・魔獣解説
【クロヨウカミ】
触手と、無数の目を持つ狼型の魔獣。
正式名称は【黒妖狼】。
しかし【クロヨウオオカミ】という呼び名が妙に呼びにくかったことから、人々が【クロヨオウカミ】と呼ぶようになり、それが変化して現在の【クロヨウカミ】という名称が定着している。
1体1体はそれほど強くないが、集団で行動する性質があるため、脅威度が高い。
・【アオヤミテンコウ】
青黒い身体と黒い羽、クチバシを持つ天狗型の魔獣。
翼を広げたサイズは10尺 (約3メートル)。本体の身長は7尺 (2メートル)足らず。
鳥のようなかぎ爪を持つ。
正式名称【青闇天狗】
天狗が邪気によって魔獣化したとも言われているが、詳細は不明。
知能が高く、人間の仕掛けた罠くらいなら、簡単に解除できる。
闇に紛れて人間をさらうこともある。
ただし、棲息数は少なく、人里には滅多に現れないと言われている。




