第33話「護衛と弟子、旅に出る」
──その日の夜 (茜視点)──
ここは、州候の屋敷。
人気のない中庭で、茜は武術の修練をしていた。
(……武器に霊力を循環させる。自分の一部にする……です)
昼間に受けた、零の指導を思い出す。
茜がしているのは、その復習だ。
小さな手には、庭で拾った小枝がある。
茜はそれにゆっくりと霊力を流し込む。生き物の方が霊力が通りやすい。だから霊力循環の練習は、そこいらにある小枝を使うといい──これも、零から学んだことだ。
(師匠は……本当にすごい人なのです)
零の弟子になれたのは、信じられないくらいの幸運だったと思う。
茜にとって、零は孤高の武術家だ。
術で魔獣の動きを封じ、一刀のもとに首を切り落とす──そんな剣士なんか聞いたことがない。
しかも零は鬼門に現れた【禍神】を祓っている。
町ひとつを滅ぼすほどの巨大な存在を、文字通りに消し去ってしまった。
(本当だったら、あたしなんか……弟子になんかしてもらえないはずなのです)
茜がこれまで会った武術家が、気位の高い人ばかりだった。
『白楽流』の先生も、武術を学びはじめたばかりの茜を見下していた。
『とにかく自分の言う通りにしなさい』が口癖だった。質問も許してもらえなかった。
なのに、零は違う。
茜の意見や感想をひとつひとつ聞いて、修業方法を調整してくれる。
おまけに体調まで気遣ってくれる。
あんなに強いのに……弱い者の気持ちをわかってくれる。
そんな師匠は初めてだった。
「……師匠の期待に、応えなければなのです」
茜は手の中にある小枝を握りしめる。
目を閉じて、霊力に集中する。
小枝に霊力を循環させて、自分の一部にする。昼間、零の霊力をもらったときの感覚を思い出しながら。彼の一部になったときの感覚と──安心感を再現しながら──。
「はっ!」
茜は小枝を振った。
『白楽流』の3連撃──慣れた型を繰り返しながら、茜はおどろきに目を見張る。
「教わったばかりなのに……感覚が、これまでとぜんぜん違うのです」
小枝なのに、ぶん、と、重い音がする。
枝に触れる空気の流れがわかる。
夜の空気の冷たさ。湿気。周囲の音さえも、枝を通して伝わってくる。
枝先を屋敷の壁に当てると──板に指で触れたような感触がわかる。
「これが、持ったものを自分の一部にする感覚、ですか」
太刀は腕の延長──そんな言葉を聞いたことがある。
けれど、文字通りに霊力で腕の延長──身体の一部にできるなんて、思いもしなかった。
しかも……それを茜自身が、やってのけるなんて。
指導を受けたのはお昼前。
それからずっと霊力を通す練習をしていたとはいえ、半日でこの成果。
本当に師匠はすごいのです……茜は薄い胸を押さえて、つぶやく。
昼間、零の霊力が自分の中に入ってきたときのことを思い出す。
不安はなかった。
零は茜と、家族の命の恩人だ。鬼門での事件のとき、零が助けに来てくれなければ、茜も家族も【クロヨウカミ】に殺されていた。
零は命の恩人で、師匠。
そんな人に身体を預けることに、不安を感じたりはしない。
おかげで霊力を循環させる感覚については、よくわかった。
ただ、背中の古傷を知られるのは……少しだけ、恥ずかしかった。
あれは茜の弱さの象徴だからだ。
敵に背中を見せた傷──逃げ傷。
そんな傷を受けるほど弱い人間だと、知られたくなかった。
「あたしは師匠のために……命がけで、がんばるのです」
明日の朝、零と茜は次町に向かって出発することになる。
州候代理である杏樹の依頼で、次町を調査するためだ。
零が任務で出掛けるときは、茜は絶対についていくつもりだった。せっかく修業を始めたばかりなのに、零と離れたくなかった。「足手まといになったら置いていってください!」と頼み込んで、同行を許してもらった。
「……なにがあろうと、あたしは師匠についていくです」
どんなに大変な修業でも、耐えてみせる。
強くなって……みんなを守る。
二度と、家族を失うことがないように。
そんなことを心に誓う、須月茜だった。
そして、翌日。
零と茜は、馬車で次町に向かうことになった。
「俺としては徒歩でもよかったんだけど……」
零は不満顔だった。
身体能力の高い彼にとっては、徒歩で移動した方が速いらしい。
ただ、零は紫堂杏樹の代理人として、次町に行くことになる。
そのため、権威として、馬車が必要になるらしい。
ちなみに御者は杏樹の近衛が担当するそうだ。
「仕方ない。馬車の中で、茜の修業を続けよう」
「馬車の中で、です?」
「霊力循環の練習くらいはできるからな」
「は、はい。がんばります」
こうして零と茜は馬車で、次町に向かうことになるのだった。
移動する間、茜は零から、つきっきりで指導を受けた。
揺れる馬車の中でも、手を繋いだり、小枝を握ったりすることはできたからだ。
休憩中は『白楽流』の型も見てもらった。
「……師匠は、どうしてそこまでしてくださるですか」
旅の間、ふと、茜は訊ねた。
零の指導はわかりやすい。
ひとつひとつ、呼吸や霊力の動かし方、身体の使い方を教えてくれる。
零は、茜に合わせた指導法を考えて、それを実行している。
どうしてそこまでしてくれるのか、訊ねてみると──
「私利私欲のためだな」
「私利私欲、ですか?」
「前に言っただろ。茜が成長したら、杏樹さまの護衛をやって欲しい、って」
「……あ」
「俺は、いつも杏樹さまの側にいられるわけじゃないからね」
着替え中や入浴中など、零が杏樹の側にいられないことはある。
そんなときでも、女性の茜なら、側で護衛をすることができる。
「そうすれば杏樹さまも安心だし、俺の仕事も楽になるだろ?」
「そ、そうですけど」
「だから、俺が茜を育てるのは自分のためでもあるんだ。もちろん、茜が負担に思うなら、修業のやり方を考えるけど……」
「ふ、負担にはなってないです。すごくわかりやすくて、やりやすいです!」
「そう?」
「そうなのです!」
むしろ、零がそこまで考えてくれていたことに、感動する。
州候の護衛任務なんて、誰もがうらやむ仕事だ。
その仕事そのものが『強さ』の象徴でもある。州候の護衛を努めたという実績があれば、衛士としても鼻が高い。高位の衛士──『金糸鞘』か『銀糸鞘』の衛士として、大きな仕事をすることもできるだろう。
その仕事を、零は茜に任せようとしているのだ。
「……そこまで、考えてくださっていたですか」
心臓が跳ねた。
思わず胸に手を当てると、早鐘のような鼓動が響いている。
顔が熱くなる。目の前にいる人を、まっすぐ見ていられない。
零は茜に武術を教えたあとの、仕事先まで考えていた。
その上で「茜には茜の考えがある」と、彼女の意思を尊重してくれると言う。
こんな師匠は他にいない。
(……その信頼に、答えなきゃ)
茜は馬車の床に平伏した。
床に額をつけて、告げる。
「不肖。須月茜。師匠の想いに感じ入りました!」
たぶん、自分は今、真っ赤な顔をしているのだと思う。
師匠の顔が見られない。
心臓が爆発しそうだ。小さな身体が震えてるのがわかる。
あふれだしそうになる想いを抑えて、茜は続ける。
「師匠のご期待に答えられるように、全力でがんばります! 師匠のお言葉には絶対に従うと、ここにお約束いたします。ですからどうか……あたしをこれからもご指導ください。あたしは一生、師匠についていきます!!」
「え、あ、うん。よろしく」
「はい! 師匠!!」
こうして、次町に向かう馬車の中で──須月茜は人生の決断を下したのだった。
──零視点──
俺は茜と一緒に旅を続けた。
州都から次町までは、馬車で2日。
初日は街道近くの宿に泊まった。
異常は、特になし。
夜には杏樹と『精霊通信』で現況報告をして、お互いの無事を確認した。
俺と杏樹は共同で『四尾霊狐』と契約している。
だから、俺と杏樹の間なら、精霊を使って通信ができるんだ。
そうして、旅は順調に進んで……翌日。
「……馬車を停めてください」
まもなく次町が見えてくるところで、俺は御者の男性に指示を出した。
「どうされましたか? 月潟さま」
「魔獣がいます」
俺は御者の男性に答えた。
精霊たちが教えてくれた。『この先に魔獣がいるよー』って。
しかも、こっちに向かって来ているそうだ。
「茜。ちょっといいか」
「は、はい。師匠」
馬車から出てきた茜に、俺は訊ねた。
「オオカミの魔獣【クロヨウカミ】って、普通は群れで行動するよな」
「そう聞いています。お父さんの商隊が襲われたときも、敵は10数体の群れを作ってました」
「だよな。数体で現れるのは珍しいよな」
精霊によると、前方には3体の【クロヨウカミ】がいる。
しかも、敵は最初からパニック状態だ。
なにかに怯えるように、こっちに向かって来ている。なんだそれ。
「つ、月潟さま。どうされますか!?」
「すぐに対処します。茜は、後ろで待機していてくれ。太刀を忘れないように」
「は、はい」
俺は太刀を手に、馬車を降りた。
『『『グォアアアアアアア!』』』
狼型の魔獣【クロヨウカミ】の姿が見えた。
真っ黒な毛並みに覆われていて、身体のあちこちに赤い眼球がある。
尻尾はぶにょぶにょとしていて、まるで触手のようだ。
子どもが夜に出会ったら、トラウマ必至の姿だ。
でも、ちょうどいい。
あいつらを茜の指導に使おう。
俺は『軽身功』で体重を軽くして──跳躍。
魔獣【クロヨウカミ】の真上に移動する。
そして──
「『虚炉流』邪道。『影縫い』」
俺が投げた棒手裏剣が、魔獣の影に突き刺さった。
『グルゥオオオオオオ……ォ?』
魔獣が吠え、こっちに走り出そうとする。
けれど、動けない。
『影縫い』の棒手裏剣が、奴らを地面に縫い止めているからだ。
魔獣は身体に真っ黒な『邪気』をまとっている。
それが凝り固まり、邪気の衣──『邪気衣』となって、奴らの身を守っている。
俺の技『影縫い』は、その『邪気衣』を、地面に縫い付けるものだ。
着物の裾を踏んづけるようなものだと思うとわかりやすい。
だけど『邪気衣』は魔獣の身体から出ているものだ。着物のように脱いだりはできない。
だから──
『グォォ!? グォ! グォオオオオ!』
『『『ガァァアアアアアアア!!』』』
狼型の魔獣【クロヨウカミ】は、一切、身動きが取れなくなった。
よし。これで安全に倒せる。
「魔獣討伐のやり方を見せる。よく見ていてくれ。茜」
「は、はい。師匠」
俺は地上に降りてから、太刀を抜いた。
……いや、待てよ。
このまま魔獣の首を落としても、茜の参考にはならない。
今の俺は茜の師匠だ。弟子のことも考えないと。
「……となると、この技の方がいいか」
太刀を手に、俺は魔獣の前に出る。
霊力を込めて、速度重視で──
「『虚炉流・邪道』──『鏡映し』」
──太刀に霊力を込めて、俺は【クロヨウカミ】の横を走り抜ける。
「『白楽流』──3連!!」
『ガァッ!?』『グガッ!?』『…………ガガッ』
【クロヨウカミ】たちの首が落ちた。
ふむ。これが『白楽流』か。
対人特化の流派だけど、意外と使えるな。
「茜。ちゃんと見てたか?」
「は、はい。師匠」
茜は太刀に手をかけたまま、呆然としてる。
「……師匠は『白楽流』を習っていたんですか?」
「いや、茜の見よう見まねだ」
「見よう見まね?」
「それでも魔獣を倒すのには十分だった。茜の型がしっかりしてたからだ。すごいな。茜」
「すごいのは師匠です!」
「そう?」
「は、はい。師匠の太刀は……前の先生よりもはるかに速くて……しかも、きれいでした。び、びっくりです。師匠って……こんなこともできるんですか……」
「それなりにな」
俺が使ったのは『虚炉流』原初の技のひとつだ。
中級の第1の技。名称は『鏡映し』。
相手の技を見て、把握し、写し取り、自分のものとして使うものだ。
形だけでなく、相手の霊力の流れや、力の配分までもコピーできる。
いかにも忍びらしい技だ。
まぁ、完全コピーするのは、結構大変なんだけど。
でも、『白楽流』の技のかたちを真似るくらいなら、そんなに難しくない。
修練の間、ずっと茜の技を見ていたからな。
「『白楽流』で戦うときは、今のやり方を参考にするといい」
「は、はい!」
「ただ、茜は身体が小さい分だけ腕力が弱い。一度に複数を倒そうとしないこと。安全第一で戦うように。いいな」
「はい! 厳守するです!!」
茜は答えた。
……弟子の育て方って、これでいいんだろうか。
まぁいい。
俺も師匠の初心者だ。やり方は少しずつ模索していこう。
ふよふよ、ふよ。
精霊たちが俺のところにやってくる。
この子たちは戦闘中、高いところで偵察していた。
ふよふよ。
「……ん。この先に次町の代官と兵士がいるのか?」
精霊たちは俺の言葉にうなずくように、震えてみせた。
耳を澄ますと……戦闘音が聞こえる。
兵士たちと魔獣が戦っているらしい。
「しばらくここで待っていてください。茜のことを頼みます」
「わ、わかりました」
御者の男性はうなずいた。
俺は『軽身功』で高速移動。
兵士たちの声が聞こえる方に向かう。
すると──
ぶぉぉおおおおおおおっ!
空に、巨大な人影が見えた。
最初に視界に入ったのは、巨大な翼。
広げたときの大きさは、10尺 (3メートル)はあるだろう。
その生き物の周囲には、邪気混じりの暴風。
矢も銃弾も逸らし、威力を減衰させるものだ。
生き物の顔には、クチバシがついている。そのクチバシと爪が、奴の武器だ。
空を飛翔し、空中から獲物を襲う。
「……天狗……『アオヤミテンコウ』か」
それは、かつては妖怪のひとつ──天狗と呼ばれた生き物だ。
魔獣となった現在の名前は『アオヤミテンコウ』。
危険度は九段階のうち、伍。
絶対にひとりで戦うなと言われる魔獣でもある。
その天狗型の魔獣、『アオヤミテンコウ』が──街道の先で、兵士たちと戦っているのが見えた。
・今回使用した術
『虚炉流』・邪道『鏡映し』
零が村でみつけた『虚炉流』原初の技のひとつ。
相手の動きをそのまま模倣するというもの。
対象の筋肉の動きと呼吸を読み取ることで、相手とまったく同じ動きを取ることができる。簡単な技ならば、そのまま模倣することも可能。
ただし、複雑な霊力運用を必要とする技は、見ただけでは模倣できない。
模倣するためには、相手の霊力について深く知る必要がある。