第32話「杏樹、魔獣の異常についての報告を受ける」
「実は……次町の街道に魔獣が出没しているのです」
かつて副堂勇作が治めていた『次町』の代官は、そう言った。
ここは州候の屋敷の中。杏樹の部屋だ。
『遠隔会議』の時のように、精霊『灯』が代官の顔を映し出し、『晴』がおたがいの声を届けている。
さっきと違うのは、相手の代官がひとりだということ。
それと、向こうから連絡を求めてきたということだ。
「こちらが……杏樹さまにお願い事のできる立場でないことは、承知しております」
次町の代官は、苦々しい口調だった。
羽織姿で、白髪交じりの頭を床に押しつけてる。
「次町は、かつて副堂勇作さまが代官を務めていらした場所です。下級役人だったとはいえ、自分はあの方のもとで働いておりました。杏樹さまが、良い感情をお持ちでないのは理解しております。ですから……さきほどの会議においては、発言しづらくて……」
「『遠隔会議』の際に、魔獣の件を口にされなかったのはそのためですか」
「……はい」
次町の代官は平伏したまま、答えた。
次町はかつて杏樹の叔父、副堂勇作が治めていた。
副堂勇作は他州の支援を受けて、紫州の主になろうとした。
娘の副堂沙緖里は鬼門で術を行い、『禍神』を召喚した。
『禍神』とは人に災いをもたらす神──あるいはそれに近い存在のことだ。
沙緒里が召喚した『禍神・斉天大聖』は紫州の村を荒らし、杏樹を殺そうとした。
奴を倒せたのは幸運と、最強の霊獣との出会いがあったからだ。
そうじゃなかったら、奴は紫州そのものを荒廃させていたかもしれない。
結局、『禍神』は倒され、副堂親子の企みは失敗に終わった。
副堂沙緒里は霊力を失い、副堂勇作は娘を連れて逃げた。
行方は、今もわかっていない。
次町の調査は、杏樹の近衛である『柏木隊』が済ませた。
ふたりがいないことも、確認してある。
でも、疑いは残っている。
次町の人々が、副堂親子の逃亡に手を貸したんじゃないか。
あるいは、彼らを支援していた州──錬州と繋がっているんじゃないか。
──と。
俺も、次町の人々を完全には信用していない。
というか、護衛の俺は疑うのが仕事だ。
副堂親子を捕らえるまでは、油断するわけにはいかないんだから。
他の町の代官も、おそらくは次町の人々に疑いの目を向けている。
だからこそ、次町の代官は『遠隔会議』で発言できなかったんだろう。
「次町の街道に出現しているのは【クロヨウカミ】など、獣の姿をした魔獣たちです。もちろん、こちらで兵士を出して、魔獣討伐を行っております」
次町の代官は説明を続ける。
「ですが、魔獣が現れる原因がわからないのです。狼の魔獣【クロヨウカミ】程度であれば、人の多い街道は避けるはず。魔獣避けの祭りも、定期的に行っております。なのに、何度も魔獣が現れるとなると……」
「確かに、それは不気味ですね」
杏樹はうなずいた。
魔獣が街道に現れるのは珍しい。
特に【クロヨウカミ】程度なら、衛士や兵士でも討伐できる。魔獣の方もそれがわかっているから、人の多いところは避ける。なのに、何度も街道に魔獣が現れるとなると──
……鬼門の事件の再来か?
いや、それはあり得ない。
紫州の鬼門は落ち着いてる。
あの地には杏樹の腹心の橘杖也さま──杖也老がいる。
杖也老は新任の代官への引き継ぎを終えたあと、州都に戻って来る予定だ。
日程はもう決まっているし、異常が起きているという報告もない。
鬼門ではなにも起きていない。
そもそも次町は、鬼門の反対方向にある。
邪気が溜まる場所でもないし、妙な事件が起こるはずはないんだけど……。
「零さま。ご意見をいただけますか?」
杏樹が俺の方を見て、言った。
俺は姿勢を少し考えてから、
「次町の代官さまにうかがいます」
「あなたさまは……杏樹さまの護衛の方、ですね」
「月潟零と申します。若輩者ながら、杏樹さまのお側に仕えさせていただいております」
「……魔獣にもお詳しいのですか?」
「【クロヨウカミ】とは、何度か戦ったことがあります。無数の目を持つ、オオカミ型の魔獣ですね」
「おっしゃる通りです」
「では、うかがいます。現れている【クロヨウカミ】は、特別に強力な相手ですか? それとも、通常種と同じようなものでしょうか」
俺は訊ねた。
以前、鬼門近くに現れた魔獣たちは、異常に強い邪気を持っていた。
それと似たような相手なら、また、別の術が使われた可能性があるのだけど──
「通常種です。数体ごとに群れを作り、街道をうろついております」
次町の代官は答えた。
「衛士と兵士によって討伐はできるのです。ですから、特別強力な相手ではありません」
「……なるほど」
「ただ、魔獣が山から下りてくることは、本当に珍しいのです」
「次町は鬼門からも遠いですからね」
「はい。副堂勇作さまと奥方さまが、この地を望まれたそうです」
代官は口ごもりながら、
「それに、山向こうは錬州です。あの地でも魔獣討伐は行われているのでしょう。そのため、次町に魔獣が出てくることは、本当に珍しいのですが……」
……錬州か。
錬州は紫州の隣にある州で、この国にある8州の中では、序列2位にある場所だ。
州の序列は豊かさと強さで決まる。
紫州は序列7位だから、錬州は紫州よりはるかに豊かで、強い州ということになる。
その錬州は、副堂勇作と協力関係にあった。
錬州が様々な援助をした結果、副堂勇作の紫州乗っ取りが成功したんだ。
その錬州に近い次町で、魔獣の異常行動が起きている。
つまり──
「副堂の叔父さまか……あるいは錬州の者のしたことが、魔獣の異常行動に関わっている……あなたは、そうお考えなのですね?」
杏樹は代官に向けて、そう言った。
「ですが、叔父さまのお屋敷に不審なものはありませんでした。あなたは、異常の原因がどこにあるとお考えですか?」
「……山の方に、あると思っております」
「山の方に?」
「はい。ですが、説明が難しいのです。副堂勇作さまが、次町の山をわがものとしていたことは確かですが……私自身は、状況がよくわかっていないのです。ですから、魔獣や術に詳しい方に来ていただけないかと……」
映像の代官は、震えながら平伏した。
「お話はわかりました。調査隊を派遣いたしましょう」
しばらくしてから、杏樹は応えた。
「次町の方々は、調査隊に協力をお願いいたします。調査隊は紫堂杏樹の代理人となります。その方の命令はわたくしの命令と同じ──そう心得てください」
「かしこまりました」
「これから担当の方と話し合います。後ほどお返事をいたしますので、そのままお待ちになってください」
杏樹は隣にいる霊獣『四尾霊狐』を撫でた。
それを合図に、西の町の代官の姿が消える。
後には杏樹と俺と、4本尻尾の狐『四尾霊狐』が残された。
通信を終えた、俺の方を向いた。
巫女服姿のまま、膝を揃えて座り、まっすぐ俺を見て、
「お手数をおかけして申し訳ありません、零さま」
困ったような表情のまま、頭を下げた。
「ですが、副堂の叔父さまがいた町のことです。代官の方から話を聞く間、零さまに側にいて欲しかったのです」
「お気持ちはわかります」
杏樹は副堂沙緒里に呪詛を受け──つまり、呪われたことがある。
次町は沙緒里の父、勇作が治めていた町だ。
そんな場所に関わる話なら、杏樹が不安になるのも当然だ。
「魔獣の異常行動について、零さまはどのようにお考えですか?」
「副堂親子が次町に隠れ住み、なにか企んでいる……というわけではないと思います」
「理由をうかがってもいいですか?」
「ひとつ、副堂沙緒里さまは霊力を失っていること。ふたつ、その状態の副堂親子が次町に隠れ住んでいるとしても、すぐに見つかってしまうからです。術で姿を隠すこともできないわけですからね」
「はい。わたくしも同意見です」
杏樹は安心したように、ほほえんだ。
「ですよね。沙緒里さまは、霊力を失っていらっしゃっているのですもの。魔獣を操ることも、術を使うこともできないはずです」
「となると、副堂沙緒里が仕掛けていた術が発動したか……あるいは、別の者が怪しい儀式を行った可能性があります」
「わかります」
「ただ、次町の代官の言葉が、どれだけ信頼できるかという問題もありますけど……」
「わたくしは、あの方は事実を語っていると思います」
うなずく杏樹。
「というよりも、嘘を吐く理由がありませんもの」
「……ですよね」
それはわかる。
護衛役の俺としては、副堂と関わった者には、どうしても疑いの目を向けてしまう。
でも、次町の代官が嘘を吐く理由はない。
彼らが次町でなにかを企んでいるとしたら、それを杏樹に報告するわけがない。
調査隊を派遣されることをよろこぶのも不自然だ。
「……調査についてですが、現地に精霊や霊獣を派遣するのはいかがでしょう」
「難しいですね。それは」
杏樹の言葉に、俺は頭を振った。
「強力な魔獣がいた場合、精霊や霊獣が殺される可能性があります。それは避けたいですから……俺が行って、見てきますよ」
次町までは馬車で2日。急げば1日半でたどりつける。
それくらいの間なら、俺が杏樹の側を離れても大丈夫だろう。
今現在、杏樹は守られている。
屋敷には兵士が常駐しているし、近衛の『柏木隊』もいる。
州都の民も杏樹の味方だ。
その他にも、精霊や霊獣の守りがある。
『四尾霊狐』、『柏木隊』と契約した『火狐』、それと精霊のネットワークが杏樹を守っている。
【禍神】レベルの敵が現れない限り、対処できるはずだ。
俺も、自分の目で次町の状態を確認しておきたい。
魔獣の異常行動を調べるのも、杏樹を守ることに繋がるからな。
異常行動を放っておいて、あとで大問題になっても困る。
俺が長く住むことになる紫州には、平和でいて欲しいんだ。
「お願いします。俺を調査役として派遣してください」
「わかりました。零さまに、すべてお任せします」
杏樹は衣を揺らして、立ち上がる。
彼女は窓の方に歩き出す。中庭に通じる、障子戸だ。
それを押し開けてから、杏樹は空中に向かって、手を差し伸べた。
「──いらっしゃい。『緋羽根』」
『クルルゥ──ッ』
屋根の上から、一羽の鳥が降りてくる。
緋色の羽根。炎のように揺れる、長い尻尾。
紫州の霊鳥『緋羽根』だ。
『緋羽根』は、紫州の権威を象徴する霊鳥だ。
かつて副堂沙緒里は謎の神官の力を借りて、『緋羽根』と無理矢理契約していた。
今はそれも解除されて、『緋羽根』は契約者のいない霊鳥となっている。
霊鳥『緋羽根』がなにを考えているのか、以前、杏樹に聞いたことがある。
『杏樹は好きだけど、強すぎて、こわい』
『しばらくは誰とも契約しない』
『杏樹の寿命が尽きるまで、一緒にいる』
杏樹によると、霊鳥『緋羽根』は、そんなことを言っていたらしい。
霊鳥の考えることは、俺にはよくわからない。
でも、『緋羽根』が杏樹の味方なのは間違いなさそうだ。
「『緋羽根』にお願いがあります」
腕の先に止まった『緋羽根』に向けて、杏樹は言った。
『緋羽根』は、まるで『みなまで言うな』とばかりに翼を広げて、
『クルル?』
「あら、聞いていたのですか?」
『クル』
「では、頼めますか?」
『クーゥ』
「ありがとう。零さまの言うことをよく聞くのですよ?」
『クル。クールル』
霊鳥『緋羽根』は甘えるように、杏樹の手に頭をこすりつけた。
「『緋羽根』はなんて言っているんですか?」
「零さまと一緒に、次町の調査に行ってくれるそうです」
当たり前のことのように、杏樹は言った。
霊鳥『緋羽根』が俺と一緒に?
……えっと、それは。
「いいんですか?」
「なにがですか? 零さま」
「霊鳥『緋羽根』は、紫州候の権力の象徴ですよね?」
「ですから、お連れいただきたいのです。そうすれば皆にも、零さまがわたくしの代理であることがわかりますから」
「それだと全権委任になっちゃいますけど」
「おっしゃる通りです」
杏樹はまっすぐに俺を見ながら、告げた。
迷いなんてまったくない口調で。
「次町の調査に関して、わたくしは零さまに全権を委任いたします。そうすれば、零さまはわたくしの許可を得ることなく、兵や物資を使うことができますからね」
そう言ってから、杏樹は一呼吸おいて。
「重要なのは時です。鬼門の戦いで犠牲者が出なかったのは、即座に対応できたからです。それはわたくしと零さまが、すぐ側にいたからでもあります。しかし、今回はお互いに離れた場所におります。ですから──」
「俺がすぐに動けるように、全権を委任するということですか?」
「はい。そのための霊鳥『緋羽根』です」
『クルッ!』
『緋羽根』は一声鳴いて、俺の肩に降りてくる。
この子にも迷いはないらしい。
確かに……杏樹の言う通りかもしれない。
前回は俺と杏樹がすぐ近くにいたから、その場その場で判断を下すことができた。
杏樹の許可を取って、鬼門の砦の兵や『柏木隊』を動かすことができた。
けれど、今回はそうじゃない。
俺と杏樹は互いに離れた場所で行動することになる。
『四尾霊狐』と精霊を通して繋がってはいても、いつも連絡が取れるとは限らない。
杏樹の許可を待っていたら、対応が間に合わなくなることもありえる。
だけど『緋羽根』が側にいれば、俺が杏樹の代理人だと皆に示すことができる。
物資を調達することも、兵士を借りることもできるんだ。
もちろん、権力の使いすぎは厳禁だけど──
「承知いたしました。霊鳥『緋羽根』をお借りします」
「ありがとうございます。零さま」
『くるる』
「ただ、『緋羽根』には、離れてついてくるように伝えてください」
『──クルッ?』
「この子が側にいると目立ちますから。離れたところにいて、口笛を吹いたら来るように……って、なんで突っつく? 同行するのに文句があるわけじゃないんだが!?」
『クルクル! クルーッ!』
身体を光らせながら、クチバシを向けてくる『緋羽根』。
片手でそれをさばきながら、俺は『緋羽根』の身体を杏樹の方へ押し出す。
杏樹は、『緋羽根』の頭をなでて、
「この子は……零さまが好きなようです。なのに『離れていろ』と言われたから、気を悪くしたのですね」
「説得をお願いします」
「『緋羽根』。零さまを困らせてはいけませんよ」
『ルルルルッ!』
「零さまには、笛をお貸しいたします。それでいいでしょう?」
杏樹は、机の引き出しを開けた。
引き出しの奥に手を入れて、小さな笛を取り出す。
「これをお持ちください。零さま」
杏樹は手の平に載せた笛を、俺に差し出した。
「これは神楽に使う笛です。この子を呼ぶ合図にしてください」
『キュルル』
同意するように『緋羽根』が鳴いた。
霊鳥としては、このやり方がいいらしい。
「単純な構造ですので、ただ吹いていただければ結構です」
杏樹は笛を吹いた。
ピィ────ッという、鳥の声にも似た音が、部屋に響いた。
「このように使います。どうぞ、お持ちになってください」
「ありがとうございます」
俺は笛を受け取り、懐に入れた。
杏樹は物足りなさそうな顔をしてる。なんでだろう。
とにかく、予定は決まった。
俺はこれから次町で、魔獣の異常行動について調べる。
【禍神】が出現したとも思えないから、すぐに戻って来られるだろう。
そしたらまた、文官になるための勉強だ。
今は杏樹のお父さんの蔵書を借りて読んでる。
紫州の歴史とか、興味があるからな。『九尾紫炎陽狐』のことも、もっとよく知りたい。
そのためにも、さっさと終わらせて帰って来よう。