第31話「護衛、弟子を指導する」
半刻 (1時間)後。
俺と須月茜は、家の中庭に来ていた。
俺はいつもの着流し姿。
茜は、修練用の道着を身に着けている。
手には修練用の竹刀を持っている。やる気は十分のようだ。
茜は紫州に店を持つ商人、須月商会の末娘。
年齢は13歳。小柄な少女だ。
彼女は鬼門での事件をきっかけに、俺の弟子になった。
茜は真面目で、義理堅い。
鬼門での事件のときは、魔獣に襲われた商隊を助けるために、必死に助けを呼びに行こうとしてた。魔獣に追い詰められて、殺されかけてもあきらめなかった。
そういう少女だから……弟子にとってもいいかな、と思った。
茜は武術の基本もできているから、教えやすいというのもあるんだけど。
ただ、俺は弟子を取ったことがない。
『虚炉村』にいたときも、村を出た後もそうだ。
というか村では、祖父が俺に人が近づかないように牽制してたってのもある。
祖父は酔っ払って父さんに絶技を放った。そのせいで、父さんは護衛の仕事中に命を落とした。祖父が酒乱なことと、酔っ払って父さんに絶技を放ったことを知っているのは俺だけだ。
祖父はその事実を、村の連中に知られるのを極度に恐れていた。
だから村中に『零は嘘つき』という噂を流した上で、俺を孤立させたんだ。
そんなわけだから、俺が武術を指導した相手はひとりだけ。
近所に住んでいた、2歳上の幼なじみだけだった。
しかも内緒で。ごく、短い間に。
だから正式な弟子を取るのは、須月茜が初めてだ。
正直、どう育てたものか、迷っているところもある。
だから、とにかく丁寧に指導しようと思ってる。
茜が自分と、まわりの人たちを守れるように。
「それじゃ茜。最初に、確認してもいいかな?」
「はい。師匠!」
「茜は、どれくらい強くなりたいんだ?」
「紫州にいる魔獣をすべて斬り伏せられるくらいになりたいです!」
茜は手を挙げて、宣言した。
「あたしの父さんは商売で街道を移動してるとき、何度も魔獣に襲われました。今後はそんなことがないように、あたしは紫州にいる魔獣を、一匹残らずやっつけられるようになりたいんです!」
眉をつり上げて、じっとこっちを見ている茜。
やる気は十分だけど……少し、気負いすぎの気がする。
魔獣を一匹残らずやっつける、か。
そう思うようになった理由が、なにかあるんだろうか。
「魔獣をすべて斬り伏せられるようになるのは、先の話だな」
俺は言った。
「まずは、茜には自分の身を守れるようになってもらわないと」
「は、はい。あたしは、師匠の指示に従います!」
「うん。いい返事だ」
俺の方針は決まっている。
茜の生存確率を上げるのが最優先だ。
親しい人間が死ぬのは見たくない。
俺はそれなりに健康だから、長生きするはず。でも、自分だけ長生きしてもしょうがない。まわりの人たちにも、健康で長生きして欲しい。
だから、茜を生かすことに特化した指導をしよう。
「まずは霊力運用の指導から始めよう」
「はい。師匠」
「指導法は……俺の自己流になるけど、我慢してくれ」
『虚炉流』の霊力運用は、『見て覚えろ』だったからな。
茜にそれは無理だろう。
少し特殊なやり方になるけれど、俺が得意とする霊力運用を教えよう。
「前提条件として、魔獣を狩る衛士が、太刀に霊力を込める理由はわかるかな?」
「魔獣の邪気を破るためですね?」
「ああ。魔獣の身体をおおう邪気を斬らないと、本体に攻撃が届かないからな」
俺は説明をはじめた。
「そのために衛士は太刀の表面に霊力を通して、邪気に叩き付ける。霊力の入れ方で威力も変わる。それだけに霊力の入れ方というのは、色々あるんだけど……俺は、ちょっと特殊なやり方をしてる」
「特殊ですか?」
「太刀全体に霊力を循環させて、自分の身体の一部にしてる」
「……え」
「十分に霊力を込めることができれば、太刀は『手足の延長』になるんだ。そうすると、敵との間合いも感覚的にわかるようになる。武器の重さや威力も変わる」
「そ、そんなことができるんですか!?」
「実験してみよう。まずは竹刀を構えてくれ」
「はい」
俺と茜は、竹刀を構えて向かい合う。
「俺が軽く竹刀を振るから、茜はそれを受け止めてみてくれ」
「は、はい」
茜は両腕で竹刀をしっかりと握りしめている。
対して俺は、片手で軽く持っている状態だ。
「まずは、竹刀に軽く霊力を込めた状態がこれだ」
ぱちん。
俺が軽く振った竹刀を、茜の竹刀が受け止めた。
「どうだった?」
「な、なんとか受け止められました」
「うん。で、竹刀に霊力を込めて、身体の一部にした状態がこれ」
「────!?」
ずんっ。
「し、師匠。竹刀が重いです! 片手なのに!? 力を入れてるように見えないのに……? な、なんで、こんなことが……」
茜は俺の竹刀を受け止めながら、ふるふると両足を震わせてる。
俺はそれほど力を入れていない。
ただ、ちょっと霊力を使っただけだ。
「これが、竹刀全体に霊力を循環させている状態だ。俺が読んだ本には『武器掌握』って書いてあった。武器に自分の霊力を循環させて、身体の一部にしてるんだよ」
「……し、竹刀なのに、太刀より重いです。す、すごいです師匠」
「茜も、まずはここから覚えていこう」
俺がやってるのは『虚炉流』原初の技──その基本動作だ。
原初の技は大刀でも棒手裏剣でも、霊力を循環させることで、自分の一部にしてしまう。『軽身功』を使うと荷物が軽くなるのも同じ理屈だ。
霊力を込めた対象は自分の一部という扱いになって、重さを変えたり、変な力を込めたりできるようになる。
原初の技は身体に負担がかかるけど、これは基本動作だから問題ない。
それは俺の幼なじみで実験済みだ。
この『武器掌握』ができるようになれば、魔獣討伐が楽になる。太刀を振り上げるときは軽く、振り下ろすときは重くできる。威力も上がるし、魔獣の邪気も斬りやすくなる。
「ど、どうすれば師匠と同じことができるようになるんですか!?」
「……そうだな」
言葉で説明するのは、すごく難しい。
これは、実際に体験してもらった方がいいな。
「とりあえず、対象を自分の一部にするやり方を実演してみよう」
「お願いします!」
茜は迷わず、頭を下げた。
「なんでもします。師匠の霊力運用を教えてください!」
「わかった。じゃあ、手を開いて、こっちに向けてくれ」
「こうですか?」
「そう。その手に、俺の手を重ねる」
「──ひゃんっ」
「……どうした?」
「い、いえ。男の人の手に触れるのって……家族以外では初めてなので……」
「止めておくか?」
「いいえ……続けてください」
「わかった。右手の感覚に集中してくれ」
「は、はい」
「力を抜こうとか、動かそうとかしなくていい。自分の手がどう動くか、感じ取るようにしてみてくれ」
「……はい」
茜はじっと、繋がった手を見つめている。
懐かしいな。この感覚。
小さいころ、原初の『虚炉流』の秘伝書を見つけてから、色々と実験したんだよな。
隣に住んでた幼なじみを相手に。
こうやって霊力を同調させるのは、『虚炉流』の原初の技が本物だということの証明みたいなものだった。
それで父さんと幼なじみに『原初の技は使える』って納得させることができたんだ。
あとで『幼なじみを実験台にするな』って、父さんに怒られたけど。
そんなことを考えながら、俺は茜の腕へと霊力を通していく。
武器を身体の一部にするように、茜の右腕を、俺の一部にしていく。
俺と茜の手の平は重なっているだけ。
つかんではいないし、力を入れてもいない。
その状態のまま、俺が軽く『腕を上げる』と考えると──
ぶんっ!
「──え!?」
俺と茜の右腕が、勢いよく振り上げられた。
「ど、どうして。あたし、力を入れていないのに……」
「俺と茜の腕が霊力で一体化しているからだ。この状態で、腕を下げようとしてみてくれ」
「……さ、下がりません。力を入れてるのに」
「じゃあ、手を放すよ」
俺は重ねた手を放した。
接続が切れて、茜の腕が自由になる。
茜は目を見開いたまま、自分の腕を、ぶんぶん、と振ってる。
自分の腕が予想外の動きをしたことに、おどろいているみたいだ。
「今のが、茜の腕に俺の霊力を通して、俺の一部にした状態だ。同じやり方で、武器にも霊力を通すことができる」
俺は説明をはじめた。
「霊力を循環させた武器は、自分の一部になる。重くしたり軽くしたり、好きな方向に力を加えたりできる。そこまでできるようになるには時間がかかるけど、今ので、霊力を通す感覚はつかめたんじゃないか?」
「は、はい。ありがとうございました!」
茜に教えたのは身体に負担がかからない、本当に基本中の基本だ。
それでも格段に戦いやすくなるし、太刀に多くの霊力を通せるようになる。
魔獣との戦いは、かなり楽になるはずだ。
「今の感覚を忘れないうちに、太刀に霊力を通す練習をするといい。そのうち、できるようになると思うよ」
「あ、あのあの。師匠」
「ん?」
「今の。もう一回、お願いできますか?」
「……構わないけど?」
「お願いします! あたしは未熟です。師匠にめいっぱい鍛えてもらわなきゃ、ものになりません。だから、遠慮なくお願いします。倒れるまで続けてください!」
「そういうのよくない」
「……はい?」
「健康は大事にしろ。若い頃に無理をすると、齢を取ってから反動が来る。今は健康だからって、身体に無茶をさせるもんじゃない。そういうやり方は許可しない」
「し、師匠?」
「俺の弟子になったのなら、健康管理はきっちりやってもらう。俺は健康だけど、俺だけ健康な老後を迎えても仕方ないんだ。自分だけ生き残って、まわりは死屍累々なんてのはごめんだ。俺の弟子になったのなら、俺の寿命を超えて長生きするくらいの覚悟でいてもらわなきゃこまる。無理をするようなら、即刻修行は中止だ」
「師匠ししょう師匠ししょう! 目が怖いですっ!」
「わかった?」
「は、はい。わかりました。わかりましたからぁ!」
「よし」
俺が言うと、茜は安心したようなため息をついた。
それから、照れたように、笑って、
「師匠は、不思議な人ですね」
「そうか?」
「前の先生は『腕が上がらなくなるまで太刀を振りなさい。振れなくなって倒れたら、今日の修行は終わりです』と言ってました」
「まぁ……今はそういう時代だからなぁ」
「そういう時代?」
「なんでもない。とにかく、俺はそういう教え方はしないから」
「はい。師匠のご意志に従います!」
茜はそう言って、地面に膝をついた。
「不肖、須月茜は師匠、月潟零さまの弟子として、師匠の教えを厳守することを、ここに誓います。破った場合はどのような罰でも、甘んじてお受けする覚悟です」
「……ほどほどにな」
やっぱり気負いすぎのような気がする。
だけど、それが茜の性分なら仕方ない。
修行を続けよう。
俺は茜の手の平に、ふたたび自分の手を重ねた。
「……あたし……実は、こういう修行にあこがれていたです」
茜は照れたような顔で、つぶやいた。
「お父さんから、以前、他州の伝説を聞いたことがあるです。神さまだったか龍だったか忘れましたけど、この地には『結び』の力を持った者が降臨したことがあるんだ、って」
「ほほぅ」
そういう伝説って、紫州にもあるんだな。
『虚炉流』の開祖も龍の子孫だったって伝説があるもんな。
他州に龍の伝説があってもおかしくないよな。
「あたしは、そういうすごい力に憧れていたんです。師匠とこうしてると、その力の一端に触れてるみたいで、うれしいんです」
「あとでその伝説について詳しく教えてくれ」
「はい。よろこんで」
「それじゃもう一度、霊力を同調させてみよう」
俺は再び、茜の腕に霊力を通していく。
茜は目を閉じた状態で、俺の霊力を受け入れている。
力は完全に抜けている。
だから俺は、もう少し深いところまで霊力を注いでいく。
茜の身体の霊脈──つまり、霊力の流れをチェックする感じだ。
『虚炉流』には霊力を活性化させるためのツボ押しやマッサージがある。
それを内側からやっていく感じだ。
チェックしてみると、茜の霊脈は、少し細い感じがした。
大刀に霊力を込められないのは、それが理由かもしれない。ちょっと俺の霊力を通して、流れを良くしておこう。霊脈が強くなれば、使える霊力も増える。戦いやすくなるはずだ。
……本当は、これは家族を『健康』にするための技だったんだけどな。
俺は生まれつき健康だ。
それがなにかの能力なら、他人を健康にすることもできるんじゃないかと思った。
子どもの頃から、その方法を探していたんだ。
でも、成功しなかった。
致命傷を負った父さんを癒やすこともできなかったし、祖父の酒乱を治すこともできなかったんだ。
できたのは、簡単な霊力のやりとりだけ。
人を少しだけ、強くするくらいだ。
それでも、茜を指導するのには役に立つ。
茜の霊力が活性化すれば、大刀に多くの霊力を込められるように……ん?
「茜は昔、大きな怪我をしたことがあるか?」
「……え?」
「右肩の後ろに、霊力の抵抗がある。怪我の後遺症でそうなることがあるけど、茜の方に心当たりはあるか?」
「──!?」
茜は目を見開いた。
それから、うつむいて、視線を逸らして、
「は、はい……あります。お見せした方がいいですか?」
「いや、見せなくてもいいけど」
「そ、そうですか……」
「まぁ、たいした問題じゃない。修行をすれば、霊力の通りも良くなっていくと思う」
俺は言った。
茜が、傷のことには触れて欲しくなさそうな顔をしていたからだ。
「今日はここまでにしておこう」
「え……でも、師匠」
「時間はたっぷりある。焦ることはないよ」
俺は茜の頭に手を乗せた。
茜は小さい。まだ成長途上だ。
無理は禁物だ。ゆっくりと、教えていこう。
「というわけだ。修練は終わり。水場で汗を流して、それから着替えること」
「りょ、了解です。師匠」
「茜には才能があるからね。ゆっくりと伸ばしていくといいよ」
「はい! ありがとうございました!」
そう言って、茜は家の中に入っていった。
……やっぱり、弟子を育てるのは難しいな。
茜の修業方法については、もう少し考えるべきだろう。
魔獣討伐の経験を積ませるか……いや、いっそ、霊獣と契約してもらう方がいいのか? そうすれば魔獣と戦いやすくなるし、霊獣の力が使える分だけ、茜の生存確率も上がる。
でも、それには杏樹や他の近衛に、茜の実力を認めさせる必要がある。
つまり、茜に成果を出してもらわなければいけないわけで……それには力が必要だ。力を得るためには霊獣が……いかん、堂々巡りだ。
なにかうまい方法があればいいんだけどな……。
そんなことを考えながら、俺は自室に戻った。
すると──
ぴこぴこ。
近くにいた光の精霊『灯』が点滅をはじめた。
杏樹からの連絡だ。
俺は羽のような形をした精霊を手招きして、顔を近づける。
風の精霊『晴』に耳を寄せると──
『……申し訳ありません。今、よろしいですか。零さま』
風の精霊から、杏樹の声がした。
杏樹は……精霊を使ったやりとりに、すっかり慣れてるな。
俺と杏樹は『四尾霊狐』を通して繋がってるから、お互いの通信は杏樹が覚醒状態じゃなくてもできるんだけど。でも、文明に慣れてない時代の杏樹が、電話みたいに使ってるのはすごいよな。
その適応性も、杏樹の長所のひとつだと思う。
「はい。杏樹さま。どうされましたか?」
『休憩中にすみません。一度、お屋敷に戻っていただきたいのです』
精霊を通して杏樹は、緊張した声で、
「『次町』の代官から連絡がありました。内密にお話したいことがあるようです」
──そんなことを言ったのだった。




