第30話「護衛、家をもらう」
俺は杏樹の部屋を出た。
障子戸を開けると、屋敷の中庭が見えた。
中庭には、さまざまな花と樹が植えられている。
魔除けの効果があるとされる桃の木も、杏樹の名にちなんだのか、杏の木もある。
木々の間を隠れるように、精霊が移動している。
「それでは失礼します。杏樹さま」
俺は杏樹に一礼して、部屋の戸を閉めた。
ここは紫州にある、紫州候の屋敷だ。
前回の事件からは1ヶ月が過ぎている。
杏樹が州候代理に就任して、やっと紫州も落ち着いてきたところだ。
1ヶ月前、鬼門の事件を解決して、俺と杏樹は州都に戻ってきた。
副堂親子は姿を消していた。
その後、杏樹は民に望まれて、州候代理の地位に就いた。
そうして副堂勇作による『紫州乗っ取り事件』は、幕を閉じたんだ。
でも、それですべてが解決したわけじゃない。
副堂勇作は在職中、好き勝手なことをやっていったからだ。
具体的には、気に入らない者を解雇したり閑職に追いやったり、取り入ってくる者は取り立てて、高い権限を与えたり。大金を使って、娘である副堂沙緒里の嫁入り道具を買いあさったなんてのもあった。
おかげで人事も財政も、かなり面倒な状態になってる。
杏樹は、その後始末に苦労してる状態だ。
「しかも……副堂親子は紫州の霊域にまで手をつけてたからな」
屋敷の西に目を向けると、小さな山がある。
紫州の霊域がある山だ。
『九尾紫炎陽狐』が教えてくれた通り、紫州には霊域がふたつある。
ひとつは『九尾紫炎陽狐』が治める、『隠された霊域』。
もうひとつが紫州候の屋敷の裏山にある、紫州の霊域だった。
あの地は紫州の霊獣・霊鳥が生まれる場所だ。
3文字の霊鳥『緋羽根』の住処でもあり、他にも薄桃色の羽を持つ『桜鳥』という霊鳥も住んでいた。『緋羽根』よりは弱いけれど、紫州を守る霊鳥として活躍していた。
その『桜鳥』を、副堂勇作は錬州に譲り渡してしまっていた。
杏樹を追放した直後に。
おそらくは、錬州から支援を得るためだろう。
ありえない話だった。
『九尾紫炎陽狐』が生きてたら激怒するレベルだ。ぶっちゃけ、踏み潰されても文句は言えない。『四尾霊狐』もむちゃくちゃ怒ってた。
杏樹だって呆れてたくらいだ。
もちろん、紫州が霊獣をすべて失ったわけじゃない。
杏樹の手元には霊獣『四尾霊狐』と『火狐』がいる。
『火狐』と契約して近衛になった、元衛士の『柏木隊』もいる。
戦力としてはかなりのものだ。
でも本来は、それに加えて『桜鳥』を連れた近衛兵の部隊もいるはずだった。
それを合わせれば、錬州や煌都がなにか言ってきても、十分に対抗できるはずだったんだ。
なのに霊域にいる霊鳥『桜鳥』は、残り2羽。
戦力としては激減してる。
まったく……副堂勇作のためにどれだけの被害が出たのか、見当もつかない。
今は文官たちが協力して、被害状況を調べているところだ。
「いずれは叔父さまを見つけて、話をつけなければいけません」
そう考えた杏樹は、州都に戻ったあとで書状を書いた。
煌都と他の州候に『副堂勇作の失踪』と『紫堂杏樹の一時的な州候代理の就任』について知らせるためだ。
錬州を除いた他の6州からは、すぐに返事は返ってきた。
『紫堂杏樹さまの州候代理就任をお喜び申し上げます』という祝辞だった。
この国の首都──煌都からは『紫堂杏樹の州候代理への就任を認める』という書類が届いた。
煌都には『副堂沙緖里に助力した神官たちについて』という質問状も出した。でも、そちらは『紫堂杏樹の言う神官とやらは、煌都の術者集団には在籍していない』と、そっけない返事が返ってきただけだった。
シラを切るつもりらしい。
少し遅れて、錬州からも返事が来た。
あちらには就任の挨拶の他に、『鬼門の儀式について』と『霊鳥の不当な取り引きについて』という質問状も送ってあった。
就任の挨拶には、型どおりの返事が来た。
質問状の方には──
『いずれお目にかかって、詳しい説明をさせていただきます』
──という、返事が返ってきただけだった。
『……うやむやにするつもりは、無いようですね』
書状を手にした杏樹は、ため息をついていた。
『でも、錬州の方々はなにを考えているのでしょう? 霊鳥を取り引きに使うなど……州候のすることではありません。霊獣と霊鳥には相性問題もあります。錬州の近衛と契約できるとは限らないのに……』
とりあえず俺は、自分が錬州に潜入することを提案した。
杏樹は「考えておきますね」とだけ、答えた。
俺が錬州に潜入するにしても……紫州が落ち着いてからになるだろう。たぶん。
まったく。煌都と錬州にも困ったもんだ。
俺の上司の仕事を増やさないで欲しい。
杏樹は父親とも離ればなれになって、叔父には州都から追放されて、副堂沙緒里から呪詛を受けて……と、大変な目にあってるんだ。まだ15歳なのに。
あまり、彼女にストレスを与えないで欲しい。
杏樹はいい子だし、部下思いだし、責任感もある。民と紫州を守るために、俺と一緒に『四尾霊狐』と契約するくらいなんだから。
そんな杏樹には、健康で長生きして……幸せになって欲しい。
そのために、俺はできるだけ彼女をサポートしようと思う。
『遠隔会議』を提案したのも、杏樹を楽にするためだ。
あれなら居ながらにして各地の代官を管理できるし、代官たちに「杏樹は、お前たちの仕事ぶりを見ているぞ」ってアピールすることもできるからな。
もうすぐ鬼門から、執事の杖也老も帰って来る。
杏樹の母方の親戚も、彼女をサポートしにくる手はずになってる。
そうなれば人も増えるから、杏樹も楽になるはずだ。
とにかく、俺の仕事は杏樹の護衛と、彼女の仕事をサポートすること。
それと、紫州について学ぶことだ。
だから今は、杏樹から紫州候の蔵書を借りて読んでいる。
『九尾紫炎陽狐』のこととか、紫州の成り立ちとか、学ぶことはたくさんあるからな。
それに、護衛の他にも、俺には大事な仕事があって──
「師匠。お待ちしてました!」
屋敷の渡り廊下を進むと、その向こうで小柄な少女が待っていた。
身長は、元の世界の単位で150センチ前後。
すらりとした体つきで、腰には木剣を提げている。
赤毛の髪。髪型は俺の前世で言うポニーテール。
俺の弟子、須月茜だった。
茜は紫州の商人、須月商会の末娘だ。
須月商会とは鬼門の事件の時に、助けたり、助けられたりと縁があった。
その関係で、俺は茜を弟子に取ることになったんだ。
ここしばらくは忙しくて、指導する暇がなかったんだけど。
「お待たせ。少し落ち着いたよ。今日から指導を始めよう」
「は、はい。お願いします! 師匠」
「それで、弟子にするための条件は覚えてるよね?」
「はい。修業して一人前になったら、紫堂杏樹さまの護衛をすること、ですね?」
「うん。そういうことだ」
杏樹には女性の護衛も必要だ。
お風呂のときや着替えのときなど、俺が側にいられないこともあるからな。
だから、俺は茜を弟子に取るにあたって「将来、杏樹の護衛をすること」という条件を付けたんだ。
そうしておけば、指導の時間を取りやすいからな。
茜に武術を教えるのも、杏樹をよりよく護衛することの一環、ということになるんだから。
「茜は、州候の屋敷での生活は慣れた?」
「いえ……杏樹さまも桔梗さまも優しくしてくださいますけど……あたしがまだ、護衛として役に立ててないですから」
「須月商会の家から、通いの仕事にしてもよかったんだけどな」
「それより、あたしは師匠の内弟子にして欲しかったです」
茜は、ぐっ、と拳を握りしめた。
「師匠の家は、このお屋敷の向かいですよね?」
「ああ。州都に戻った後でもらった家だ。古いけど、中庭がついてる」
「お庭があるなら、武術の修練にちょうどいいですね」
「ああ」
「やっぱりあたしは、できれば……師匠の内弟子にしていただきたかったです。そうすれば毎日、時間を忘れるくらい修練ができたのに……」
「仕方ないよ。杏樹さまの許可が出なかったから」
俺としては、茜が内弟子になっても構わない。
茜はまだ子どもだし。
『虚炉村』では、弟子が師匠の内弟子になることは普通だったから。
でも、杏樹が反対した。
執事の杖也老と、小間使いの桔梗さんも。
杏樹の側近の家に、嫁入り前の娘が住み込むのは外聞が悪い──というのが、その理由だった。
『屋敷に茜さまのお部屋を用意いたします。零さまのおっしゃる通り、女性の護衛も欲しいですから。茜さまには、側にいていただきたいのです』
『茜どのの実家は、紫州でも重要な商家だ。その娘さまの将来も考えるべきであろう』
『師匠と弟子の「ろーまんす」……ありかもしれませんけど、うーん』
三者三様の意見だった。
結局、茜は州候の屋敷で暮らすことになった
そこで住み込みの『護衛見習い』をすることになったのだった。
「あたしは、師匠が屋敷に住み込んだ方がいいと思うですけど」
「俺の部屋もあるよ。昼間はそこで紫州のことを学びながら、杏樹さまの護衛をやってる。それに、もらった家は州候の屋敷の正面だからな、ほとんど敷地内みたいなもんだ」
そんなことを話しながら、俺たちは州候の屋敷を出た。
門番さんに挨拶して、俺たちは橋を渡る。
州候の屋敷の前には水路がある。
幅は7尺(約2メートル)くらい。屋敷をぐるりと囲んでいる。
これは屋敷が攻められたときに堀の役目をするものだ。
山から流れる清浄な水脈を使ってるから、簡易的な結界にもなっている。
物理的な防御と、霊的な防御。
その両方で、州候の屋敷は守られているんだ。
水路を渡ると、馬車が数台並んで通れそうな大通り。
そこを渡るとすぐに、門に囲まれた小さな家が見えてくる。
杏樹にもらった、俺の家だ。
……家を持つのなんて初めてだ。
前世ではボロアパートのワンルームに住んでたからなぁ。
健康を考えて、周辺環境のいいところを選んだら、古いアパートしか選択肢がなかった。
予算の都合で。
転生した後は、『虚炉村』で、父さんや祖父と同居してた。
祖父と一緒に住むのは、むちゃくちゃ気詰まりだった。
あの人、酒を飲むと一晩中、自慢話を続けるからだ。聞かないと暴れるし。
紫州に来た後は、州候の屋敷の敷地内にある宿舎に住んでた。
杏樹の護衛役ということで、一応、個室をもらってた。
といっても前世のようにキッチンやトイレがついた部屋じゃなくて、畳敷きの、眠るスペースがあるだけの部屋だ。それでもこの世界では、かなりの厚遇だった。
そんな俺が、まさか一軒家に住むことになるとは思わなかった。
建物は古いけど、職場までは徒歩2分。『軽身功』で跳んでいけば30秒だ。
通勤時間は最短で、しかも独立した厨房と風呂つき。
その上、家賃は職場持ち。夢のような環境だ。
まぁ、家をもらうからには、それなりの理由はあるんだけど。
でも……やっぱり杏樹は最高の上司だ。
彼女が楽に暮らせるように、しっかり、サポートしよう。
「それじゃ、着替えたら中庭に集合だ」
「はい。師匠!」
俺たちは小さな門を通り、屋敷に入った。
すると──
ふよふよ。ふよふよ。るるる。
ふよふよ。ふよふよ。ふるふる。
るるる。ふるるる。ふよよよ。
数十体の精霊たちが、俺と茜を出迎えた。
玄関先に集まっていた彼らは、ささっ、と、俺と茜の道を開ける。
精霊たちはうれしそうに、俺と茜の身体に触れていく。
「ああ。ただいま。留守番ありがとう」
「わ、わわわ。いつ見てもすごいです……」
ふよふよ。
びっくりする茜の頬を、精霊たちがなでていく。
茜がびっくりするのも無理はない。
大量の精霊なんて、あまり見ることもないからな。
ここにいるのは『四尾霊狐』の眷属の精霊たちだ。
その数、100体超。
あんまり数が多いから、屋敷の者たちをびっくりさせないように、俺の家で暮らしてる。
俺が家をもらったのは、精霊たちの居場所にするためでもあるんだ。
精霊たちは元々は鬼門近くの『隠された霊域』に住んでいた。
その後は主人である『四尾霊狐』に従って、州都へとやって来た。その旅の途中で仲間を増やして、今は150から200体くらいになっている。その半分は紫州のあちこちに散って『精霊ネットワーク』を作ってる。
『遠隔会議』を実現できたのも、精霊たちのおかげだ。
ここにいる精霊たちは、杏樹のサポート役だ。
俺の家なら『四尾霊狐』ともすぐ会える。
紫州の霊域も近いから、精霊たちが暮らすのに十分な霊力を補給できる。
精霊たちにとっては、悪くない環境らしい。
俺も助かる。
精霊たちがいれば、いつでも杏樹と連絡が取れるからな。
ちなみに『四尾霊狐』との契約は、俺の方が霊力を多く出してる。だから杏樹が許可なく精霊を使って、俺の家を覗いたりすることはできない。そのあたりは、お互いのプライバシーは守る、ということで、杏樹と話はしてあるんだけど。
「『四尾霊狐』との契約のおかげで、俺も精霊と話ができるようになったからな」
ただ、杏樹ほど確実に、とはいかないけど。
なんとなくわかってくれて、こっちも、なんとなくわかる。
そんな感じだ。
「というわけだから、精霊『灯』たちは、俺が茜を指導するのを手伝ってくれるかな?」
ふよふよ。ふよ。
俺が訊ねると、精霊たちはうなずくように震えた。
よし。
それじゃ、茜が着替えるのを待って、修練を始めよう。
いつも「最強の護衛さん」をお読みいただき、ありがとうございます。
ただいま書籍版の作業を、少しずつ進めています。
書籍版には書き下ろしのシーンも追加する予定ですので、ご期待ください。