第29話「護衛、霊獣の毛並みを整える」
遠隔会議はスムーズに進んだ。
杏樹は町や村の代官から、順番にひとりずつ、話を聞いていった。
遠隔会議で他の代官の顔が見えないからか、各地の代官たちは、素直に町や村のことを話してくれた。
俺は杏樹の隣で、議事録を作っていた。
幸い、紫州にはペンとインクが伝わっていた。
書道もできるけど、どちらかというとペンの方が使いやすい。
前世で社会人をやってたころは、万年筆も使ってたからな。
各地の代官の話によると、今のところ、大きな問題は起こっていないそうだ。
鬼門の方も、今は落ち着いているらしい。
会議は順調に進んでいき、そして、最後に、
「では、次町の町の代官にうかがいます」
杏樹は、最後に残った代官に声をかけた。
次町は、紫州の西にある大きな町だ。現在の代官は、町の長老が務めている。
でも、以前は州候代理──副堂勇作が代官を務めていた。
州都の次に大きな町だから『次町』。
これは副堂勇作の希望で、つけた名前だ。
「代官さま。次町の方で、なにか変わったことはありますか?」
「……杏樹さまに、申し上げます」
白髪の代官は、震える声で言った。
「杏樹さまはこの町に、副堂勇作さまと沙緒里さまが潜伏しているとお疑いなのでしょうか……?」
副堂勇作と副堂沙緒里は、鬼門の事件の後、姿を消した。
行方はまだ、わかっていない。
事件の後、次町にも調査の兵が向かった。でも、副堂親子は見つからなかった。
おそらくは州の外に出たのだろう、というのが杏樹の推測だ。
「……副堂勇作さまがしたことは、許されないことです。杏樹さまがお怒りになるのはわかります。ですが、私どもが副堂のおふたりをかくまうことはありえません。あの方々は、紫州に【禍神】を召喚したのですから。だから……」
「安心してください。わたくしは町の方々を疑ってはおりません」
白髪の代官に向かって、杏樹は答えた。
「わたくしは、ただ、町のお話をうかがいたいだけです。叔父さまと沙緒里さまのことは関係ありませんよ」
「……さようですか」
「それで、町の様子はいかがですか?」
杏樹の問いに、代官が、ぽつり、ぽつりと答え始める。
ちなみに『次町』には、俺も調査に行っている。
隠れて行動していたから、町の連中には気づかれていないと思う。
副堂親子が使っていた代官の屋敷。さらに、町のあちこちを調べ回った。
町の人々の話にも聞き耳を立てた。
それで、この町に副堂親子はいないと確信した。
というか、町の連中は副堂親子を恨んでいた。
彼らも、鬼門に現れた【禍神】のことは知っていたからだ。
そして、怯えていた。
副堂親子のせいで、自分たちも罪に問われるんじゃないかと、震えていたんだ。
そんな状態で、副堂親子をかくまえるとは思えない。
だから俺は、そのことを杏樹に報告した。
杏樹は、残念そうに、
「わたくしは、沙緒里さまとお話をしてみたかったのですが……」
そんなことを言った。
俺も、副堂沙緒里と話をしてみたい。
彼女が召喚した【禍神・斉天大聖】のことが気になるからだ。
あれは間違いなく、俺がいた世界の物語に登場する『斉天大聖 孫悟空』だった。
でも、事件の後で調べてみたけれど、この世界に『西遊記』の物語は存在しなかった。
少なくとも紫州には伝わっていないし、俺の故郷の『虚炉村』にも存在しない。
だとすると……あの『禍神』は、文字通り別の世界から召喚されたことになる。
もしかしたら、俺の世界のことを、知る者によって。
……俺以外の転生者とか、どこかにいるんだろうか。
「個々の方々からお話をうかがうことができました。皆さま、ありがとうございます。それでは次に、全体会議を行いましょう」
杏樹が個別に話を聞き終えたあとは、代官全員を含めての会議となった。
それぞれが話をした後だからか、代官たちは率直な意見を出してくれた。
杏樹は代官たちの質問に答えながら、会議を進めていく。
もちろん、手元の資料を見ながらだけど。
資料の方は、執事の杖也老が作ってくれたものだ。
俺も目を通したけれど、すごくよくまとまっていた。
やっぱり、これくらいできないと、頭脳労働には就けないよな……。
俺もがんばろう。
俺がそんなことを考えている間にも、会議は進んでいく。
やがて、手元の資料が尽きて、代官たちの質問もなくなったところで──
「では、これで会議を終了いたします。皆さま、お疲れさまでした」
杏樹は、遠隔会議の終了を告げた。
代官たちが一礼する。みんな、感動したような顔をしている。
杏樹がここまですごい仕事をするとは思ってなかったんだろう。
代官を集めた会議は、紫州ではほとんど行われていなかったらしい。
移動が大変だし、まとまった時間が必要になるからだ。
なのに杏樹は州都にいながらにして、代官たちの会議を実現してしまった。
それでみんな、杏樹の力に感服しているんだろう。
「精霊たちは、各地に残しておきます」
最後に、杏樹は付け加えた。
「用のあるときは、声をかけてあげてください。急ぎであれば、わたくしが対応いたしますので」
「「「承知しました!!」」」
代官たちの声を、風の精霊『晴』が伝えてくれる。
やがて、すべての代官の姿が消える。
完全に精霊たちとの接続を切った杏樹は、ため息をついて、
「……緊張しました」
照れたような顔で、俺を見た。
「零さまから見て、おかしなところはありませんでしたか?」
「大丈夫です。ご立派でしたよ。杏樹さま」
「……うれしいです」
ぱたぱた、ぱたぱた。
杏樹の尻尾が揺れた。
勢いよく自己主張してる。杏樹本人は気づいてないみたいだけど。
「それでは、杏樹さま」
「は、はい。分離の儀式を、お願いいたします」
そう言って杏樹は、目を閉じた。
俺は彼女の額に、手のひらを載せる。
州候代理に対して失礼ではあるけど、これはしょうがない。
俺と杏樹は共同で『四尾霊狐』と契約している。
しかも契約の主導権は俺にある。
俺が供給している霊力の方が多いからだ。
普段は『俺と杏樹』が『四尾霊狐』と契約して、使役している状態になってる。
でも、杏樹が『四尾霊狐』と合体してしまうと、『俺』が『杏樹+四尾霊狐』と契約して使役している状態になってしまうらしい。
そのせいで、杏樹と『四尾霊狐』を分離するのに、俺の霊力が必要になったんだ。
「契約者、月潟零の名において、霊獣『四尾霊狐』に命じる」
「──ん」
杏樹は目を閉じて、されるままになっている。
頬が紅潮しているのは、霊力が身体をめぐっているからだろう。
手のひら越しに、杏樹の体温が伝わってくる。
なめらかで白い、杏樹の肌。
でも、体温が上がっているせいか、少し汗ばんでる。
つやのある髪は黒曜石のようだ。
その髪の隙間から、狐耳が飛び出してる。
耳の色は、髪と同じ黒色だ。
『四尾霊狐』は銀色狐だけど、合体中の耳と尻尾は、杏樹の髪と同じ色になるらしい。
「……となると、杏樹さまの髪が銀色になることもあるのかな」
「──零さま?」
「なんでもありません」
「もしかして、銀色の髪と尻尾がお好みで……?」
「だから、なんでもないんです。では、分離を始めます」
意識が逸れてた。
儀式を続けよう。
「契約者の権限において、巫女姫──紫堂杏樹と、霊獣『四尾霊狐』を元の姿に。我が霊力をもって、溶け合った魂を元の姿へ。急々如律令!」
「────!」
『きゅきゅーっ』
ぽんっ。
一瞬、光が杏樹を包み込み──
それが消えると、杏樹と、四本尻尾の『四尾霊狐』が出現していた。
分離は成功したみたいだ。
『きゅきゅ。きゅきゅーっ』
「はいはい。ちょっと待ってくださいね。『四尾霊狐』さま」
『四尾霊狐』は俺の前でお座り状態。
なにかを期待するように、4本の尻尾を振ってる。
いつものことだから準備はしてある。
状況に応じて道具を用意するのは、忍びの基本だからな。
「それじゃ、こちらに来てください」
『きゅきゅ』
正座する俺の上に『四尾霊狐』が乗った。
俺は懐から櫛を取り出した。
これは、前回の事件の後で買ってきたものだ。
結構大変だった。
俺は女物の櫛なんて買ったことないし、相場も知らないからな。
仕方ないから、小間使いの桔梗さんに買ってきてもらった。
予備も含めて2つあるけど、ひとつは杏樹に預けてある。本人の希望で。
俺が持ってくるのを忘れたときの対策、ということだった。
『きゅきゅーっ』
「わかってますよ。『四尾霊狐』さま。毛並みを整えればいいんですよね?」
『きゅっ』
こっちにお尻を向けて座る『四尾霊狐』。
俺はその尻尾に櫛を入れていく。
ゆっくりと。体毛を傷めないように。
『……きゅう』
『四尾霊狐』は目を細めてる。
これが杏樹と『四尾霊狐』を分離したあとの儀式だ。
分離したあとのふたりは、身体から余分な霊力を取り除く必要があるんだ。
杏樹は水垢離やお風呂で余剰霊力を排除できるけど、『四尾霊狐』はもふもふの毛並みのせいで、霊力が落としにくい。
だからこうして、櫛を入れてあげる必要があるんだけど──
「……杏樹さまにお願いするわけにはいかないの?」
俺が聞くと、『四尾霊狐』は、ふるふると、首を横に振った。
『きゅきゅ』「零さまがいいそうです」
『四尾霊狐』の言葉を、杏樹が翻訳してくれる。
『きゅる。きゅぅ……?』「『零は、嫌?』だそうです」
「嫌じゃないですよ」
『……きゅきゅぅ』「『……おねがい』とおっしゃっています」
「はいはい」
実は俺も、『四尾霊狐』の毛並みを整えるのは、嫌じゃない。
むしろ楽しい。
前世の俺は猫好きだった。猫をブラッシングする動画とか、たまに見てた。
ただ、当時の俺は身体が弱い上に、猫の毛のアレルギーだった。
猫を飼うどころか、野良猫に触ることもできなかった。
今は……それを今世で取り返してる感じかな。
俺はそんなことを思いながら、「四尾霊狐」に櫛を入れていく。
「こんな感じでいいですか?」
『……きゅぅ』
いつの間にか『四尾霊狐』は目を閉じてる。
眠ってしまったらしい。
気持ちよかったのならなによりだ。
これが終わったら、屋敷の中庭に行こう。
確か、須月茜と約束をしてたからな。剣術の修行に付き合う、って。
前の事件の後、茜は俺の武術の弟子になった。
茜は元々武術マニアで、俺の技に興味を持ったらしい。
俺としても、茜が護衛として育ってくれるのは助かる。
杏樹の護衛をするとき……場所によっては男性が入れない場所もあるから。
そんなとき、茜が杏樹を護ってくれれば安心だ。
それに俺は、いずれは頭脳労働に転職するつもりだ。
だから、早く後継者を育てて転職したい。
それは茜の才能次第でもあるけれど……。
「……ところで、杏樹さま」
「は、はい」
「どうして、『四尾霊狐』の隣で、俺に背中を向けて座ってるんですか?」
「あ、あれ?」
『四尾霊狐』と分離したあとは、お風呂で余分な霊力を流す、って言ってたはずだけど。なんで順番待ちするみたいに座ってるんだろう……?
「す、すみません。あれ? どうしてわたくし……?」
「もしかして、お疲れですか?」
「いえ、昨日はよく眠れましたし、そんなことはないのですが……」
「桔梗さまがお風呂の用意をされているはずです。どうぞ、ゆっくり浸かって来てください」
「そ、そうですね。そうさせていただきます」
うなずいて、杏樹は立ち上がる。
だけど──
「……杏樹さま?」
「はい。どうされましたか?」
「どうして、俺の手首をつかんでるんですか?」
「…………あら?」
杏樹は不思議そうな顔で、自分の右手を見た。
その手は、俺が櫛を握ってる方の手首をつかんでる。
正確には指ではさんでる、って感じだけど。
「お、おかしいですね? どうして……わたくしは」
「もしかして……杏樹さまも髪をとかして欲しいのですか?」
「……え?」
杏樹さまは目を見開いた。
それから、勢いよく頭を振って、
「そ、そ、それはないと思います。殿方に髪をとかしていただくなど……そ、それは……わたくしでも、恥ずかしいですので……」
「だとすると、これは……力を使った反動でしょうか?」
『四尾霊狐』と合体することで、杏樹は真の力を発揮する。
でも、そのせいで、なにかの影響が出ているのかもしれない。
そのあたりは『九尾紫炎陽狐』ならわかるかもしれないけど……あの人はもう死んでる。
残留思念も消滅してしまった。
だから、杏樹と『四尾霊狐』の合体に副作用があっても、わからない。
まぁ『四尾霊狐』本体は『大丈夫だよー』と言ってるらしいから、問題ないとは思うけど。
「いえ、力を使った反動ではないと思います……と、とにかく、お風呂に行ってきますね」
杏樹は名残惜しそうに、俺の袖を放した。
それから一礼して、州候の部屋を出ていったのだった。
「杏樹さまは大丈夫ですよね? 『四尾霊狐』さま」
『きゅふぅ……』
「…………うん」
『四尾霊狐』は、気持ちよさそうな寝息を立ててる。
うん。大丈夫そうだ。
杏樹の方に、疲れが出ているのかもしれないな。
州候代理は責任も大きい。精神的なプレッシャーもあるだろう。
できるだけ、俺がサポートしよう。
杏樹が安心して、仕事ができるように。
俺は、老後はのんびり恩給生活を送るつもりだけど……俺だけが健康で生き残ってもしょうがないんだ。ひとりだけ元気で、健康を満喫するなんて、そんなのはむなしすぎる。
杏樹にも、健康で長生きしてもらわないと。
俺は『四尾霊狐』をなでながら、そんなことを考えていたのだった。